月夜の晩に、眠れぬものたち

第13話 〈犬の先生〉と軽業坊や(一)

 祭を翌日にひかえ、日が暮れてからの都もにぎやかだった。

 だが、すべては明日のお楽しみ。食べ物飲み物の出店はひとまず閉めて、支度の具合を確かめると、ひとり帰り、ふたり帰り、広場は静まりかえって、満月は空の高くから煌々と照らしている。


「早く寝ろよ」

「わかってらあ」


 親方に小言をされて軽業坊や、そんなふうに返したのだが。


「ちぇ」


 坊やは姉と同室で、親方の部屋は隣なのだ。


「どうして姉ちゃんは平気なんだろうなあ」


 父親の高いびきが、なぜだかやけに耳に障って、目が覚めてしまったのだ。

 外を見ればみごとな満月。そっとおもてに出れば、


「静かだな」


 隣の箱ではやかましく響く親方のいびきも、外までは届かないようなのだ。

 旅暮らしにはいつもの光景。大きな天幕の裏に団員たちの馬車の箱が、馬の寝床用の天幕を囲むように並んでいる。


「おいらも、気が張っていると見えるよ」


 そんなもので目が覚めてしまうなんて。


「よい、っと」


 逆立ちをしたので、みんな逆さに見える。


「坊っちゃん」

「うわっ」


〈犬の先生〉のところの、黒いちび犬がのぞきこんできた。


「坊っちゃん、眠られないんですかい?」


 軽業坊や、ひょい、と、天地を元に戻して、


「まあね。

 でも、明日に障らないうちに寝るつもりだよ。

 お前も寝られないのかい?」

「えへへ。あっしはね、お月様を浴びると、身柄にいいんでさあ」


 変わったことを言われたので、坊や、きょとんとする。

 日光浴なら夏に海水浴場での興行で、身体に良いのだ、と、うるさい人が客席にいたらしいのだが。あの人は何者だったのだろう。


「そうか」


 それはともかく、言葉を話す犬ともなれば、普通と違うところもあるのかもしれない。


「まだ少し、お引き留めしても、よござんすかい?」

「うん?」


 何か話があるようだ。


「あっしも、うちの先生も、こちらでお世話になるようになって日が浅いもんですから、先輩がたのご事情をまだよく飲み込めていないんですよ」

「ああ、」


〈犬の先生〉には話していると思うのだが、犬の方には伝わっていないところもあるにちがいない。


「火吹き男が、おいらと姉ちゃんには叔父さんで、寸劇の時に組んでる奥さんは、ほんとに奥さんだ、とか、そういう話かい?」

「そうそう、それが伺いたかったんでさあ。この一座のみなさんは、ほんとうに良くしてくださるんで、犬の朋輩たちもありがたがっていますぜ」

「そうか」


 坊やは話しはじめた。


「火吹き男の叔父さん夫婦の話は済んだとして。

 道化師の兄ちゃんは親父さんのあとを継いでの二代目なんだよ。おいらの、修行に出てる兄ちゃんと兄弟みたいに仲がいいんだ。

 空中ブランコ乗りは元は五人家族だったんだけど、今、父ちゃんと母ちゃんがサーカス学校で教えていて、一座にいるのは兄ちゃんと、弟、妹の、三人だね」


 ここまでが、長年衣食をともにしている仲間である。


「ふむふむ」

「次を話してもいいかい。

 自転車曲乗りの師匠は、時々来てくれるんだ。父ちゃんの幼なじみなんだけれど、親子の曲乗りが、どこでも引っ張りだこでね。今回、久しぶりに一緒にやれることになったんだ。おいら嬉しいんだ。

 そして、最後に白クマ使いと白クマだ、」


 坊や、少し気がかりがあるような顔をした。


「どうしました?」

「お前さんたち、白クマと仲良くやれそうかい?」

「ああ、そんなことでしたか!」


 ちび犬は、ほがらかに言った。


「ご心配には及びませんよ。あいつは無口でわかりにくいですが、あっしたちとは仲良くやってますぜ」

「それならいいんだ。犬と白クマ、相性がどうなのか、おいら知らないからさ」

「それより、あのクマ使いの先生、ずいぶん日焼けをしたお顔ですが、どんなお方なんで?」

「探検家なんだ」

「探検家!」

「あの白クマは、探検の途中で友達になったんだって。

 それで、一年のうち、半分は二人でサーカスで稼いで、残り半分はそのお金を持って、やっぱり二人で探検をしていると聞いたよ」

「へえ。すごい方ですねえ。あのお顔はひょっとしたら雪焼けなんですかね。白クマと同行するともなれば……」


 これで、ちび犬も一座の演者たちについて、よくわかっただろう。


「ほかには、馬といっしょに寝起きしている馬丁のおじさんたち三人に、父ちゃんといっしょに興行先に出向いて話をつけたり、お金の管理をする番頭のおじさん。

 番頭のおじさんは、天幕を建てるときに集まった人を監督もするよ。

 それから衣装係のおばあちゃんさ。ずっと一緒だから、おいらのほんとのおばあちゃんみたいだよ」

「衣装係のご婦人は、赤い口紅がお似合いの、華やかな方でございますね」


 そうしてしばらく各人の噂話となる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る