第4話 汽車の三人(三)

 やがて、話し疲れてひとり眠り、ふたり眠り、静かになった三等車両である。


「ゆかいでしたな」


 最初に席を譲ったあの老人が、小坊主たちに話しかけた。


「はい」

「そうそう、お二人は、紙の町の教会の方ですかな」

「はい。ふたりとも、生まれも育ちもあの町で」


 紙の町。

 豊かな水と森に恵まれ、製紙業がさかんとなった。

 よい紙が作られ評判となるそのうちに、印刷や製本の職人が集まり、近年ますますその名が高まるのであった。


「先ほど、旅をなさる僧職の方の話をいたしましたが、そもそも、あの町の紙づくりは、その旅から紙についての知恵を持ち帰った僧のはたらきも大きかったと聞いております」


 町の古老より、ふたりともたびたび聞かされていた話である。そうした知恵が方々から集まったのと、水と木々が豊かだったこと。学識深き魔女さまが住まう館があったこと。

 良きものが重なり、こんにちの町を築いたのだと。


 特に小坊主たちは、祈りの暮らしに入ってから、町で薬屋を営む魔女さまと教会の関係が友好的であることも、ほかの土地ではそうないことだと教えられた。得がたい均衡が、町を成り立たせているのである。


「ところで。

 もとはお魚を商っていらっしゃったと、おっしゃいましたね」

「はい」


 元魚屋の小坊主が素直にうなずく。


「お若いのに、ご商売にご家庭と、お築きなされてからの発心とは、ご立派なことです。

 どうです、教会で小坊主の暮らしは。お魚屋さんや漁師の方は、お仕事の後に大きなお風呂へ行かれますが、教会ではそうもいかず、戸惑われませんでしたかな」

「よくご存じで。

 みな、生臭く汗臭いもんですから、仕事の終わりには裸の付き合いとなるんです。湖のそばにも市場にも、浴場があるのが常でして」


 ところが、教会では。日々の終わりには、石鹸と湯、洗面器と手桶を用いて身体を拭くのが作法である。水を用いる日もある。

 薪を焚いて浴場を使うのは十日に一度で、それは身体を清浄に保つためということと、浴場での作法を忘れぬためであるとか。


「なぜ、作法を、と言い聞かされるのか、ご存知ですかな」


 ふたりとも知らぬ。


「旅先で、万が一風呂をいただいたときの不作法を避ける為ですよ。そもそも、身体を拭く習慣も、水の豊富な旅先ばかりではないことへの備えなのです。

 つまり、あなたがたの教会は、今は主流の方々の方針から教会勤めが本道のように映りますが、もともとは誰もが旅に出る心構えで修業を積んでおられるのです。

 朝、床を離れてからの決まりも、事細かなものでしょう」


 寝具、寝間着の片付け方から身だしなみ。自分の肌着を自ら洗う。教会内外の清掃、朝餉の支度とその後の片付け。


「それらも、旅先では欠かせぬものばかりです。

 どうです。これでも旅のゆるしをただ待ちますかな」


 話はちいさい小坊主に向けられていたのだった。

 旅の許しを待つこと。それは必ずしも教会での正しい態度ではないのであった。

 旅の方が、小坊主たちを待っているのだ。


「さて、お若い方。気持ちひとつで、祈りの暮らしと旅は同じものとなりますぞ」


 ちいさい小坊主は戸惑っていた。

 なぜみな、自分を旅に出そうとするのだろう。まだ小坊主の衣もあたらしいのに。


 汽車はいよいよ都の駅に定刻で到着したのである。


「それではみなさん、祭をどうぞお楽しみください」

「お坊さんたちも、どうぞお励みください」


 別れの挨拶をして、三等車両は少しずつ空になってゆく。


「さて」


 車両から降りるとき、客車から少し離れた場所に、貨物列車から荷物を引き取るための馬車がならんでいるのを見た。


「お、女剣士のお迎えかね」


 元魚屋の小坊主が言うと、


「もう!」


 ちいさい小坊主が眉をしかめる。


 駅前は、宿屋の迎えの番頭たちがにぎやかで、広場は祭の支度で誰もが忙しそうに立ちまわっている。


「あれがサーカスか」


 大きな天幕も建てられ、団員たちが右往左往している様子が遠目にも見えた。

 ちいさな出店が並んで市の準備もすすみ、活気づいている。


「なんでしょう?」


 人々が、駅舎の反対側を指して歓声を上げている。

 振り返って見れば、ほんの少し上空に、白と青の模様が入った気球が上がっていた。


「さっきまではしぼんでいたのかな。汽車からは、見えなかったなあ」

「河川敷の方ですかね。祭に来た人たちは、あれにも乗せてもらえるんでしょうか」


 だとすれば、空から祭を眺める趣向にちがいない。広場の様子も、教会の鐘つき塔も、見下ろしてみれば、どんなにおもしろいだろう。


「教会はあちらですね」


 駅舎から見て広場のつきあたりである。都に時を告げる大きな鐘つき塔は、紙の町のものより何倍も大きく、


「あれなら誰も迷わず行けるだろうよ」


 見れば、方々からやってきた同じような小坊主の衣が荷物を抱えて、同じように鐘つき塔を目指して、歩いている。


「どうも」


 その同じ方向を歩く中に、汽車にいたあの老人の姿があった。


「お祈りですか」


 都に無事到着できたことを感謝して、まず教会で祈りをささげてから、という旅行者は少なくないのだった。


「まあ、目当てにそれは、ありますがな」

「僧正様」


 同じく教会に向かう信心深い様子の老婦人が、老人の顔をみとめ、叫んだ。


「まあまあ、よくお戻りになられました。平服で、見違えるところでした」


 小坊主ふたりは、ぽかんとしている。


「今日より、各地から小坊主たちが集まりますのでな。

 年寄りはひとつ、昔話を聞かせるために呼び戻されたのですよ」


 小坊主ふたりは、ますますぽかんと、立ち尽くすばかりなのであった。

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