第3話 汽車の三人(二)

 通路に立ち通しではあったが、老婦人が飴を分けてくれたのをありがたくもらったり、孫の話などを聞きながらの旅は楽しく、切符を切りに来た車掌も、


「ごきげんですな」


 そう声掛けをするような、なごやかな車内であった。


 車窓の景色は。

 紙の町の、工場が並ぶ様子から、隧道ずいどうをひとつくぐって見えてくるのは川と湖のそばにある漁師たちの住まい。広い市場と魚の加工場。線路はそこから離れ内陸に曲がる。

 ややもすればまた隧道があって、そこを抜ければ牛や馬が草を食んでいる牧場、やがて遠くに果樹園が見えてくる。

 都はさらにその先である。


「学舎の先生方や、画塾の先生も大変だな」


 元魚屋の小坊主が言った。

 町の教師たちの中には、都の学校と掛け持ちをしていたりなど事情があって、都と町をしじゅう往復している者がある。


「旅好きなら、季節の移り変わりを景色で楽しんだりもするんだろうが、年寄りにはこたえる距離だぜ。偉い先生なら、一等車の個室にある、上等な椅子なんだろうが」

「僕は楽しいです」


 ちいさい小坊主は、汽車で遠出する機会など、これまでほとんどなかった。


「お前さんは、もっと旅をしていいくらいだよ」


 元魚屋の小坊主の息子たちはなぜか皆汽車が好きで、その末っ子は、これまで幾度もこのちいさい小坊主を旅に誘っていたのである。

 けれど許しがあったのは、学校の初等を卒業した二年前、祖父母を連れての寺院巡りが目的だった時の一度きり。以来、友を誘わぬひとり旅がならいとなった。

 小坊主はずっと、そのような厳しい教会の中だけで、遠慮深く育ってきたのだ。


「でも、こんな機会もありますから」

「旅をする僧職のお方もあるではありませんか」


 あの白髭の老人が柔らかく言葉をはさんだ。


「行く先々で、暮らす人々と言葉を交わし、働き、祈るのです」


 ちいさい小坊主は、行く先々で、という言葉から、遠い土地への憧れがかすかに湧いた。


「そのような許しがあれば、どうです、行かれますかな?」

「……」

「おい、迷うのかい」


 元魚屋の小坊主が横からつつく。


「行ってみたい気持ちはありますが……」

「ほほ、先に考えが重くなるたちのお方と見えますな。思慮深いということです」

「いえ、許されるかどうか」


 そこで、そばにいた客が一様に静まった。


「許されるもなにも、お前さんがまず望みを話してみることだよ。まだ俺のせがれと同じ歳なんだろう」

「ほう。ご子息はおいくつですかな」

「三人おりまして、上のふたりは嫁をもらって落ち着いたんですが、一番末のが十五です。

 湖と川は飽きた、海に出たいのなんの、言いたい放題の年頃でさあ。ひとりでどこへでもすっ飛んで行っちまいますよ」

「それはそれは、先が楽しみですな」

「ところが、先日には来年は商科の学校へ進みたい、と言い出したんで、何が何やら。試験まで半年を切るこんな時に」

「気持ちも変わりやすいですからなあ」


 そのような話の風向きとなって、


「ところで、私の学校時代には、まだ鉄砲やらの演習がありましてな、学友の志望が兵隊、というのも珍しくはなかったのですが……」


 ひとり、このような話題を出せば、その次にはもうひとり、


「わたしの娘も、よくまあそんなに、というくらい、やることが落ち着かず、困ったものでして……」


 大人たちが口々に自分の幼い頃やご子息、ご息女の武勇を笑いながら話し出すのを、ちいさい小坊主はおもしろく聞いていた。

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