第6話 軽業坊やと〈犬の先生〉

 教会に小坊主たちが集まった頃、広場のサーカスは、天幕の組み立て作業が佳境だった。

 大力親方だいりきおやかたの出し物はみな家族向けのものなので、偉い人も教会の坊さんもやかましくない。赤子から年寄りまで、誰でも喜ぶサーカスだ。

 夜は花火を打ち上げて、周りの出店を儲けさせる。これから数日、天気も悪くなさそうで、みな機嫌が良かった。


「父ちゃん」


 軽業坊やが、父親である大力親方を呼んだ。

 坊や、とは役柄上のことで、坊や役が似合う、大力親方の娘たちの元気なひとりである。赤い縞模様のぶかぶかした上着と、黒い下履きをはいている。小さいひさしのついた、青い帽子もかぶっている。


「もう、天幕は終わって、自転車の装置をやっつけてるところだって」

「首尾よくいっているな」


 今回、天幕の組み立てをする人集めを頼んだ都の手配師たちは、腕のよい連中を集めてくれた。先日の紙の町の祭りでは、ひとつケチがついたが、それをここでは取り戻せそうだ。

 久しぶりに共演する自転車曲乗りに使う装置も、曲乗り師付きの技師連中が行っているので、危ないこともなく万全だ。


「お前も油断するなよ」

「ああ。軽業やるのに油断なんて、さ。おいらみたいなは、それじゃあだめさ。

 曲乗り師のおじさんたちと一緒だ。おいらの失敗で恥はかかせられないよ」

「それだけじゃねえぞ。ここは都だ」


 いつもの説教らしい。


「都の魑魅魍魎に、よくよく気を付けなけりゃあならねえ」

「チミモウリョウって、あれかい、化け物かい」


 それなら山深い田舎の村や町で、さんざん年寄りたちから聞かされたではないか。

 実際、ふしぎなことにも遭遇したことはあるが、すぐに立ち去る旅暮らし、のちの祟りはなかった。


「こないだの紙の町でも、鐘つき塔の上に妙なけだものがいただろう。祭りの日に出てくると縁起がいいってさ。あんなの、子供を食べるでもなし、こわくなかったじゃないかよ。

 父ちゃん、そもそもあれを買い取る約束して、だまされたんじゃないか」

「ああいう、生臭坊主だらけなのがこの都なんだから、気をつけろというんだよ。さっきから何の用なのか小坊主たちが、ぞろぞろと教会に集まってやがる。

 魔女さまがきちんと飼っていらっしゃるけだものだ、ということ、やつは隠していたんだからなあ」


 調子いいこと言ってら、と、軽業坊やは思ったが、めんどうなのでわざわざ口には出さない。


「それに化け物の売り買いをしようとしていた、なんて、誰も取り合っちゃくれないからな。前金を取られても、相手が教会の偉いさんじゃあ、分が悪いや……

 そんなことはいいんだよ、お前も気をつけるこったよ」

「へいへい」


 自分の大力芸も、昔のものとなった。

 年をとり、そう考えるようになったあたりから、親方は〈目新しい出し物の目玉〉、という話に弱くなったのだ。

 軽業坊やは父のそうした面があまり面白くない。〈犬の先生〉のような新しい仲間や、曲乗り師匠のような古い仲間はいつでも歓迎だが、化け物まで手を出されては困る。


「もう、天幕ができて、あとは自転車の装置だってさ。それができれば、中での稽古を、打ち合わせ通りの順番でできるよ」


 軽業坊やは、〈犬の先生〉に報せに行った。

 団員はみな、馬車で曳く箱の部屋を持っている。こちらは犬たちが何頭もいる大所帯なので、この祭からの新顔ながら自前で広い個室を持っていた。


「ありがとう。組み立てが早く進んでいるようだね」


 犬たちに、長旅のあとの水と褒美の骨をやっていたところである。

 やわらかな物腰と気品、厚い胸板の壮健な身体。栗色の髪と瞳。通った鼻筋と形のよい唇。

 この水もしたたる美男が、〈犬の先生〉なのである。大力親方がこのたび何の伝手なのか『新しい出し物の目玉』として引き抜いて来たのだった。

 犬たちはまことにかしこく、驚くべき計算を解くばかりではなく、全頭そろっての愛らしいしぐさもできる。その上、先生自身の美丈夫ぶりも行く先々の婦人たちは見逃さず、彼自身の人気もいまや大変なものなのだそう。サーカス団員全員一致で歓迎したのである。


「みんな元気かい?」


 軽業坊やは犬たちに挨拶をした。

 犬たちも、坊やを見て尻尾を振った。仲良しである。白い大きな体のムク、茶色のキツネのような子、それに、


「黒いちびがいないね?」


 一匹、いちばんちいさな姿が見えない。


「ああ、じきに戻るよ。

 あいつはいつも時間があれば、あちらこちら、空から海から飛び回るんだ。目を離すと世界の果てまで行ってしまう。困ったやつだよ」

「ふうん」


 突然あらわれて、あっという間に人気をさらっていったこの先生には、そうした人気者の常として奇妙な噂が興行師連中の間で出始めている、と、父親や姉が話していたのを坊やは思い出した。


「ちゃんと戻ってくるのかい?」

「ああ。北極星からでも戻って来るよ」

「言ってらあ」


 そんな噂をされるのも、いちいちこんな不思議な冗談で返す癖のせいもあるに違いない。

 坊やはこんな冗談が好きだが、足もとをすくいたい連中は、そんなものでも悪い話の種として飛び付くものだ。


「じゃあね」


 坊やは忙しかった。姉と違い、先生に見とれるような歳でもない。

 声をかけて回る先が、まだまだある。

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