第3話「ミドリ先生」
私が小学生の頃「朝の読書タイム」というものがあった。いまもあるのかは定かではない。ホームルーム後に10分間読書するというもので、どの本を読むかは生徒の自由だった。自分で持ってきた本を読んでもいいし、図書室から事前に借りてきた本を読んでもいい、教室の後ろの方に先生が選んだ本などがいくつか置いてあるからそれを読んでもよかった。
6年生のとき、ミドリ先生という若い女の先生が担任だった。ミドリ先生は、大雑把でときどき抜けているところもあったが、明るくて優しい先生だったので、生徒にも保護者にも人気があった。私にとっても初めて魅力的だと思った大人だった。そんなミドリ先生の趣味は読書で、大雑把に見えて意外な趣味だと当時思ったが、これは私の偏見だ。先生は誰かと読んだ本の内容を話すのが好きで、休み時間になると読書している生徒に声をかけて「ねえ、何読んでるの?どこまで読んだ?」と声をかけ、生徒と友達のように本の内容について話していた。そのうち、自分のお気に入りの本について話したいと思ったのだろう、教室の後ろの方においてあるいくつかの「読書タイム向けの本」の中に自分の私物の本をこっそり混ぜ込む布教作戦始めた。今思うと小学生相手に何をしているのかと言いたくなるが、そういう自由で奔放なところが当時の私にはとても魅力的にみえた。ここで先生の名誉のために一応ことわっておくが、とくに新興宗教などに入っている怪しい先生ではなく、私物で紛れ込ませた本もほとんど小説だけだった。たまに「20代までにしておく10個のこと」や「最強伝説宇宙刑事矢沢列伝」などのよくわからない本も混じっていたが、これはギャグだったのか人生に焦っていたのか迷っていたのかヤケだったのか当時は全く分からなかったし、今もわからないし、私の中の先生のイメージが崩れる気がするのでわかりたくもない。話を戻すが、先生の私物の本はどちらかという中高生向けの本が多かったせいか、布教作戦はあまり上手くいかなかった。小学生にはちょっと難しかった。ただ、そんな中でもわりかし頭がいい子や、読書が好きな子は何人か読んでいて、私もその中の一人だった。私は頭がいいわけではなかったけれど、先生と話すのが好きだったので、先生と話す格好の口実とばかりに読んでいた。正直、先生の私物の本を読んでいた生徒の大半が先生と話す口実のためであったに違いないとこれは私の名誉のために言っておきたい。
そんな「ミドリ私物コレクション」を私は1年間で10冊ほど読んだのだが、その中で1冊だけ途中までしか読めなかった本があった。とくに内容が難しく読めなかったというわけではなかったのだが、物理的に中断を余儀なくされてしまったものだった。その本は表紙に、田舎の駅に少年が一人立っているイラストが描かれた本であり、電車に乗って少年がどこともいわない世界を旅する話だったのだが、どうやらミドリ先生の純粋な私物ではなく、友人に借りていたものを無断で持ってきていたらしかった。先生はその本をいたく気に入っていて、是非とも生徒に読んでもらいたいと思っていたようだが、友人から返却の催促があり、しぶしぶ引き上げすることになったとのことだった。ちょうどその頃、途中まで読んでいたのが私であり、先生はすごく申し訳なさそうな顔をしていたが、「代わりにこの本もすっごくおもしろいから!」と渡された別の本をせっせと読み始めたせいか、特に気にすることはなかった。本の内容も、少年が淡々と旅をする話で、小学6年生の私にとってはそこまで興味をそそられるものではなかったからかもしれない。
私がその本のことを気になり始めたのは、中学2年生の後半のことである。中学生になった私は、本格的に読書趣味がピークを迎えており、とにかく放課後は電光石火で校舎を脱獄し、家に帰って本を読むという生活をしていた。帰宅の際、あまりに校舎から出るのが早かったため、本来なら用務員の人があける校門を勝手に私が開けていたほどだった。そのことをうっかり妹に話してしまったため、妹は入学した私の母校で「私のお姉ちゃんは校門破りの達人だった!」と意味不明なことを吹聴して廻りやがったらしく、家に遊びに来た妹の友達からそのことを聞いた私は、妹をくすぐり地獄の刑に処した。「うひひひひっ、待って、まって藍姉!!降参!降参だから!ひひひっ、た、田中先生!国語の田中先生は笑ってくれてたから!!」と全面降伏を叫んでいたが、むしろ容赦はしなかった。田中先生は私が中学3年生の時の担任で白髪が整った物静かな国語教師である。
本を読むのと併せて、放課後書店を徘徊するのも好きだった。無数の本の背表紙を眺めながら、タイトルとあらすじと表紙を眺めて本の内容を想像し、いくつかの書棚をいったり来たりするのだけでも楽しかった。書店ごとに取りそろえている本が違うということだけでも魅力的であった。新しい書店を見つけるとまだ知らない見たこともない本が並んでいて本の数だけ世界があると感じることができた。
そんななか、ふと思ったのが、あの途中まで読んだ本は何処にあるのだろうということだった。小学生の時はあまりおもしろさが分からなかったが、今なら違った見方をできるかもしれないと思った。なによりミドリ先生がいたく気に入っていた本だ。最後まで読むと絶対に面白い本に違いない。私は、書店巡りをするうちにあの本を探すようになった。田舎の駅に立っている少年のイラストが表紙であることを鮮明に覚えているので、書店にありさえすれば、見つけることはできるだろうと思っていた。しかし、近くの書店を5~6軒ほど廻ったが、どこにも置いていなかった。確かに、私が住んでいるのは地方なので、そこまで大型の書店はなく、これは書店を巡っているだけでは何時までたっても見つからないかもしれないと思った。あまり気は進まなかったが、父親に頼んでパソコンを借りて、インターネットで検索をすることにした。ここで恥ずかしながらいままで書かなかった致命的なミスを告白しなければならない。私はあの本のタイトルを覚えていなかった。表紙が印象的だったためか、イラストのイメージだけが残っていて、どうしても思い出せない。いまいち記憶に残らないタイトルということは名詞をメインにしたものではなく、おそらく台詞的なタイトルだったような気がするのだけれど、どうしても見当がつかなかった。タイトルが分からないのではいかにインターネット検索でも見つけるのは困難で、苦肉の策として「小説、表紙、少年、駅」というイメージ検索をしてみたりしたが、やはり見つけることはできなかった。最終手段として私は、母校に行きミドリ先生に直接聞こうと思ったが、先生は1年前に別の学校に移ったらしく会うことはできなかった。
そうして私はあの本を見つけることができないまま、受験の時期を迎えた。ピークだった読書熱も落ち着ついていき、あの本を見つけることも次第に諦めつつあった。
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