第2話「アオセアイ」

  家を出た私はやや早足で学校に向かった。校門を抜け学校の敷地に入るまでなら5分とかからないけれど、1年生の教室は忌々しくも3階にあるため、ゆっくりしていると8時30分から始まるホームルームに間に合わない。ホームルームまでに教室に来なかった者は遅刻者としてカウントされ、5回カウントされると「遅刻者集会」という不名誉な集会に強制参加させられたあげく、遅刻した理由について原稿用紙5枚の反省文を書くまで帰れなくなるという都市伝説みたいなホントの話があるので、私は遅刻には気をつけていた。

 正面玄関で靴を履き替え、木造の階段を上る。築100年以上を誇る木造建築であるこの校舎は階段を上るとき、侵入者を知らせるウグイス張りのごとくキイキイと音がする。どう考えても老朽化であり、果たしてこの校舎の3階で過ごして命の危険はないのかと不安に思ったりすることもあるけれど、どうやら耐震性は十分に満たしているらしく、確かに不思議と廊下や階段の床が抜けたという話は聞いたことがない。

 そんなウグイズ張り仕様の階段を上りきり、1年6組の教室に入った。教室の時計を確認する。8時28分だった。私はほっと一息ついて、教室の一番左の最前列の席に向かった。

 出席番号1番。青瀬藍。私の席である。


 担任の椿野遥香女史がホームルームをつつがなく終わらせ、今日もいつもと変わらない授業が始まった。今日は体育がないのでいい日だ。1限目から数学、古典、英語、生物と授業は過ぎていく。私は机に座っているのがそれほど苦痛と思わない性質なので、講師が黒板に書く文字をつらつら書き写したり、2次関数の数式を真剣に聞いているふりしながらただ眺めたりして、適当に授業を消化した。妹なんかは机に座っていることが苦痛で仕方ないらしく、中学では体育と家庭科と英語の授業だけが楽しみと言っている。体育と家庭科は理解できるが、なぜ英語?と私は聞いたことがある。妹曰く、英語の先生がおもしろいらしく、洋楽を紹介してくれたり、外国ではやりの小説などを翻訳しながら教えてくれるらしい。なるほど、たしかにそれは面白そうだと思ったが、英語にはのちにめくるめく英単語地獄が待ち受けているので、妹が英語を目の敵に転じるのはそう遠くないと私は勝手に予想している。ちなみに私は暗記科目はある程度得意で、数学と副教科はかなり壊滅している。数学に関しては青瀬家全員壊滅しているので成績が悪くても許される。

 4限目の生物の授業が終わり、昼休みとなった。我が校は基本的には弁当持参だが、食堂や購買もあるため、生徒によって過ごし方は様々だ。私は弁当を持ってきていない日だったので、食堂か購買か迷ったが、とりあえずパンで済ませるかと思い、購買でパンを2個買ってさっさと食べてしまった。

 次の時間まで特にすることもないので、図書室に行くことにした。読書は私の唯一と言っていい趣味で、教室以外で私が行くのは大体図書室のみだ。教室には話したりできるクラスメイトがいないわけではないけれど、とりわけ仲のいい友達もいない。入学早々部活動の勧誘などもあり、学校の中に居場所を作ろうと思えばその機会はあったように今となって思うが、なんだか新しい環境に関わっていくのを億劫に思いすべてを後回しにした結果、今のような状態に落ち着いた。今からでも、少し興味のあった文芸部を覗いてみようかと思ったりすることもあるのだが、特定の居場所がないことに取り立てて困っているわけでもないと感じているせいだろうか、棚上げ状態になっており、後回しは現在進行形となっている。

 図書室に入ると、窓際に読書スペースがあり、何人かの生徒がすでに読書はしていた。私もそれに倣うべく、書棚を徘徊し、手頃な本を探すため今日一番の集中力で背表紙をにらみ始めた。本を選ぶとき、私はなんとなく面白そうなタイトルの本を手に取ってみるという方法を使うことが多かった。

 しばらく徘徊した後、良さそうな短めの文庫本が見つかったので手に取り、パラパラめくって、よしこれにするかと思い読書スペースに向かおうとした。

 ちょうどそのときのことである。

 隣に立っていた男子生徒が持っている本の表紙がふと目に入った。それは田舎の駅に少年が一人立っているイラストが描かれた表紙であり、私はその表紙に見覚えがあった。思わず声が出そうになった。それは私が小学校の頃、途中までしか読めなかった本だった。


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