虫ケラ
松井みのり
虫ケラ
昔々、雪の降る静かな夜のこと。
一人の男が屋敷に金を盗みに入ったが、主人にあっさりと捕まってしまった。
「本当に悪いことをしました……もう決してこんなことは致しません」
「ナア。どうしてこんなことをしたんだ……金持ちを困らせて、世直しでもし、立派になるつもりだったのか」
「イ、イヤイヤ……そんなつもりはございません。ただ、どうしてもお金がほしかったのであります。誰かを困らせるようなことはしたくありません」
「ハハア。このオレに捕まった盗人の分際が、盗みは仕方のないことで、誰も困らせる気がなかった、悪いことなんかしていない。とでも言うのだな……余りにもバカバカしい……余りにもバカバカしいが、しかし、オレも悪人ではない。訳を話せ。オマエの話が面白ければ、逃がしてやってもいいぞ」
数秒間、沈黙が時間を支配した。
盗みをはたらいた男にとっては、とても居心地の悪い数秒間であった。
果たして、許してくれるのだろうか。
しかし、盗んだ理由を尋ねられたので、屋敷の主人を信じるしかなかった。きっと優しい人なのだろうと。
「大変有り難いお言葉です。アタマが上がりません……ワタクシには、そろそろ七つになる子どもが一人おります。ちょうどこんな雪の降る晩に生まれ、これまで大切に育てあげてきました。妻は、子どもが産まれてすぐに病いを
「ホオ。そしてとうとう、ノロノロ、ノロノロと出歩いて、ヨシ、ここにしよう。ここなら容易に盗めるだろう。もし捕まっても、理由さえ話せば逃してくれるかもしれない、金をタダで貰えるかもしれない。と考えたのだな」
「イ、イヤイヤイヤイヤ……決してそのようなことは」
「ハハハハハハハハハ、冗談だよ、冗談。悪く思うな。オマエのことはヨクわかったよ……しかし、どうやったらそんなアタマのオカシイ
盗みをはたらいた男は、地面にアタマを擦り付けた。
「どうかお願いいたします。倍の金額にしてお返しいたします。大変無礼なお願いだとわかっております。どうか、ほんの少しだけでもいいのです」
主人は男がアタマを擦り続けているのを眺めていた。
「オマエはバカか……誰がオマエの言うことを信じる、誰がオマエに金を払う、誰がオマエやオマエのガキの命に価値があると思うのだ……」
屋敷の主人はそう言うと、地面の上にある男の指をジリジリと踏みつけた。
「お願いです…どうか、許してください……」
男は頼りない声でそう言った。
「ナア……オマエは勘違いをしているよ、オレがいつ悪いことをした。悪いことをしているのはオマエばかりじゃあないか。オマエは隠れて盗もうとしただけじゃなく、嘘をついてまでして、なんとか金を奪おうとしている……オレがオマエみたいな虫ケラを殺したところで、ナンニモ罪には問われないんだよ」
再び、沈黙が時間を支配した。
「たしかに子どもの病いの話を、本当のことだと明らかにすることはできません、証拠なんてないのですから……しかし、どうかお聞き下さい。こんなワタクシの人生であっても、盗みで捕まったり、殺されてしまえば、一生を台無しにしてしまいます。そんな覚悟で盗みをはたらいているのです。泥棒だって、必死なのです。人様が一生懸命、一生懸命、稼いだお金をくすねることは、決して褒められることじゃあありません。悪いことをしているのはわかっているのです。それでもワタクシは、子どものために、命をかけて泥棒しているのです」
主人は男のアタマを蹴った。さらに、踏みつけた。
「ハア、オマエがツマラナイことを言わなければ、許してやろうと思っていたのにな」
男はずっと踏まれたままだった。
「ワタクシのことはどう扱って頂いてもかまいません。ただお願いです。子どものために、ほんの僅かでも、この手のひらの上に、お金を少しだけでもいただけないでしょうか……」
「アハハハハハハ……この期に及んでまだそんな小賢しい嘘をつき続けるのか。いいか、オマエにガキがいようがいまいが、そんなことはどうだっていいんだよ。どうしてオマエのために金を使わなきゃいけないんだ、そこまで金が欲しいか、この虫ケラめ」
屋敷の主人が更に蹴りつけようとした時、男はそれを避けた。
それから毅然とした態度で、主人に向かって一礼してこう言った。
「わかりました、もうこのようなことは決してしません。本当にご迷惑をおかけしました……だけどな、ダマって聞いていれば、ずっとオレや息子の命なんてどうでもいいとばかり言っているけどな……どれほど惨めな人生であっても、こっちだってな、一生懸命生きてるんだよ……一寸の虫にも五分の魂があるんだ……それだけは、どうかわかってほしい……どうかわかってくれ……」
男は大粒の涙を流していた。顔はしわくちゃだった。
もう一度礼をして屋敷を去ろうとした時、屋敷の主人が手招きした。
「オイ、こっちに来い。ちょっとオレもやりすぎたよ。ほんの少しだけどな、金やるよ」
男が主人の近くに歩み寄ると、その瞬間、屋敷の主人は刀で男を刺した。
血が溢れ出た。その痛みに耐えている男を、さらに主人は刺し続けた。
突っ伏し、痙攣し、苦しみながら死んだ。
主人は男の死体をしばらく眺め続けた後、突然後ろを振り向き叫んだ。
「オイ、オマエ、ズッと隠れて見ていたよな。オマエが隠れてみてなきゃ、この男は生きてたかもしれないよな。オマエも共犯だよ。この死体は川にでも捨てておけ。」
そこには使用人がいた。主人の言う通り、使用人はこの一部始終を見ていたのである。
使用人は、顔を青白くしていて、声を出すことも、頷くこともできなかった。自分も虫ケラだと感じてたからである。ただ、震えていたのだった。
それから一年後。
主人と主人の妻は男の子を授かった。
彼は、自分自身を呪うような産声をあげ、この世に生まれた。腹には大きな傷痕のような痣があり、主人も妻も大変気味悪く思った。また、誰かを憎んでいるようでもあり、同時に人生の悲しみを知っているようでもある異様な目つきをしており、これも夫婦が気味悪く思う理由の一つだった。
彼の成長はすぐに噂話として広まることになる。
彼の最初に発した言葉をはっきりと聞いたのは使用人だった。彼が生まれて二ヶ月ほど経った頃、急に蔵の方角をジッと見つめながら、口を開き、言葉を発したのであった。
「今度は何としてでも殺されないようにしないといけないな……」
大人の声色で、生後二ヶ月とは思えぬほど、あまりにも正確に発音したので、使用人は腰を抜かしたが、やはり彼はただの赤子のように泣いていた。その急変ぶりに何かの錯覚ではないかと、使用人は強く自分を疑った。しかし、あの空虚とも感じとれる目つきと、どこかで聞いたことがあるような声は使用人の耳から離れなかった。
それからしばらくして、彼が普段から話せるようになった頃、廊下に落ちている小判を見つけ、主人の妻に見せつけながら質問した。
「ネエ、オカアサマ……このキラキラ光るものは、一体何なのでしょうか……」
主人の妻が口を開く前に、子どもは嘆くような口調でこう言った。
「廊下に落ちているくらいなら、どこかの虫ケラにでもくれてやったらどうなんだ」
主人の妻はしばらく戸惑っていたが、「ネエ、オカアサマ、このキラキラは」と何事もなかったように答えを急かすので、主人の妻は今のアナタには必要のないものよと優しく丁寧に教えた。
しかし、その不気味な成長とは裏腹に、それからも彼はたくましく成長したのであった。自分の後継ぎを欲していた主人が手塩にかけて育てたからである。
ある雪の降る静かな夜、主人は嫌な夢をみて、うなされていた。
暗く、肌が痛くなるほど寒い、どこかの場所で、誰かにジッと見張られながら、何やら知らない本に、今まで自分が犯してきた罪を書き続けなければならないという夢である。主人はせめて誰に見張られているのかを知りたいのだが、見張っている人間の顔はよく見えない。夜の闇に浮かぶ岩のような、何もかもを拒絶した影で覆われているのである。主人が顔を覗こうとしてるのが気づかれたのかもしれない。
その時、獣のような叫び声が聞こえた。
主人は夢から覚めた。叫び声が夢のものなのか、それとも現実のものなのかがわからなかった。一体、あの夢は何だったのだ。何もかもがわからない夢だったが、とてもイヤな気分で腹立たしい。
あたりを見回してみる。普段の寝室である。何か様子がオカシイものはない。
「ハハハ……なんてことはない……ただのチョットした悪い夢だ……」
敢えて、自分の舌と口を動かし、独り言を言った。生きた心地がしなかった。
主人がもう一度眠りにつこうとした時、今度はハッキリと叫び声が聞こえた。
これは間違いなく夢ではない。叫び声は使用人の部屋から聞こえた。
暗い夜更けに、目覚めたばかりの目を慣らす。どうせまた盗みだろう。だが、今度は盗みに加えて襲ってくるかもしれない。刀は用意しておこう。
何事も見逃さないように感覚を研ぎ澄ましながら、音を立てないように足を動かした。沈黙が支配する静かな夜。鼓膜の内側で、叫び声がこだまし続けている。
ゆっくりと時間をかけて、使用人の部屋にたどり着いた。使用人の部屋を覗くと、使用人の姿はなかった。しかし、それ以外には変わった様子はない。
主人が蔵へ向かおうとした瞬間。ウウウウウウウ……と、後ろから唸り声が聞こえた。
後ろを振り向くと、子どもの背丈をしているが、顔がしわくちゃの男がいた。
主人はその異様な姿の人間に動揺し、息を吸うのにも、息を吐くのにも苦労した。そして、恐怖のあまり体を動かすことができなかった。何に怯えているのかもわからなかった。当然、逃げ出すこともできなかった。
「オマエは誰なんだ」
やっとのことで主人は質問をすることができたが、顔がしわくちゃの男は、その質問に答えはせず、ただ目の前の人間を睨みつけながら、荒い息遣いで肩を震わせていた。
主人が逃げる方向を確認し、少しずつ距離を引き離そうと考えていると、その異様な姿をしたモノは地の底から這うような声で、ゆっくりと、ゆっくりと語った。
「オマエはダレのために盗人を殺したんだ……オマエが殺したガキはダレが守ればよかったんだ……」
主人の足は動かなかった。ゆっくりと主人に何かが絡みつく。
主人は自分の身に起きていることに呆然としているうちに、呼吸することができなくなっていることに気がついた。
暗闇の薄れゆく意識の中で、凍えるような冷たさを感じ、主人は死んだ。
虫ケラ 松井みのり @mnr_matsui
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