【2分×SF】80年前、この地にて

松本タケル

80年前、この地にて

 女性はベランダにある椅子いすに腰かけて外をながめていた。町が一望いちぼうできる高台の一軒家。小さなベランダにはテーブルと椅子いすが2つ。女性は80歳後半の老婦人だ。旦那だんなが亡くなる前は二人で外を眺めたものだ。一人で暮らす今も、椅子いすは2つのままだった。


―次は4年生のクラス対抗リレーです

 初夏のこの時期、近隣の小学校で運動会が行われる。放送が良く聞こえた。それを聞くのは老婦人の楽しみの1つだった。


「さて、コーヒーでもれましょうか」

 老婦人は思ったことを口にする。その方が寂しさがまぎれた。


 老婦人には二人の子供がいる。孫は4人おり、既に社会人だ。離れて住んでいるがSNSで送られてくる写真とメッセージが楽しみだった。

「若い頃は苦労したけど、総じて幸せな人生と言えるわね」

 老婦人はコーヒーをガラスポットからカップに注いだ。 


―ただいまの勝利は3組です!

―ワーーーッ!!

 近隣の小高い山にアナウンスと歓声がこだまする。


 そして、しばらく静寂。


―ウーーーーーン

 突然だった。運動会にそぐわない音が聞こえた。

「何かしら。サイレン? 火事?」

 そう思う間もなく別の音が聞こえてきた。

―バリバリバリバリ・・・・・・

 空の方から聞こえるプロペラ音。目をらしても何も見えない。

そして、

―ヒュー

 空中からの落下音、その直後に爆発音。地面が揺れる程の轟音が響いた。

―ドーン ドーン

 連続して激しい爆音が響き渡る。

「キャ」

 短い叫び声を上げ、老婦人は耳をふさいでテーブルにした。

 間違いない、あの時の音だ。80年前の大空襲。あの空襲で両親と兄妹を失った。親戚、友人も。


 爆音は数分間続いて、唐突にんだ。

 老婦人は恐る恐る、顔を上げた。


 穏やかな初夏の陽気。町は変わりなかった。


―ザザッ・・・・・・

―続いては紅白対抗の騎馬戦です。紅組は昨年の雪辱せつじょくなるか

 元の放送に戻ったようだ。しかし、老婦人は違和感を感じた。

「騎馬戦って、もうやらなくなったはずじゃ?」

―ワーーーッ!!

 大きな声援。

―さて、大将同士の一騎打ちです

―ワーーーッ!!

―勝負あり。紅組の勝利です!

 そして、唐突に静かになった。



 老婦人は冷めたコーヒーを口に運んだ。そして、小さく深呼吸をした。

「そういうことね。荒っぽいやりかたしちゃって」

「ちょっと驚いたけど」

「運動会があまりに楽しそうなので、思わず顔を出したってところかしら」

 悪戯いたずら好きな妹の仕業か、寡黙かもくだけどユーモアがあった兄か? 青空の向こうに目をやった。


―お昼休みに入ります。午後の部は13時開始です

 通常の運動会のアナウンス。

 

「実際に見るのも悪くないわね」

 活動的な方だと思っていたが、最近は外出が減っていた。

「お土産みやげばなし、いっぱい仕入れとかないとね」

 老婦人は立ち上がって部屋に入った。

「あなたも運動会、行く?」

 仏壇に置いてある旦那だんなの写真に話しかける老婦人。

 初夏の出来事は彼女の背中をそっと押した。

(了)

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