試作13号「ブラック・ヴェルヴェット」


 風呂を沸かすために、私は家の裏手にある井戸から水を組み上げ、タンクに水を充填する。浴槽の蛇口を捻って水が溜まるようにする。

 炉口を開けて灰を掻き出し、細い枝の上にブラックパウダーをまぶして火打ち石を叩く。一気に火が燃え上がり細い枝に燃え移る。徐々に太い枝に火を付けるように薪を入れていく。

 小一時間もすれば風呂の水が湯に変わり、入れるようになった。

 

「ブラックー? お風呂湧いたぞー?」

 

 大声で呼ぶが返事が無い。寝ているのかもしれない。しかし風呂の水が冷めてしまう。それはそれで勿体ない。ブラックが言っていた通り私が入ってしまおう。

 私は脱衣所で服を脱いで風呂に入った。お湯をたっぷりと使って身体に付いた煤を洗い流す。


「お湯だぁ……久々だぁ……」


 水で身体を洗っていた私からすればこんな贅沢なお湯の使い方を出来るなんてあまりなかった。

 

 

「おー、風呂もピカピカじゃなか」


 ブラックがいくつかの瓶を持ったまま入ってくる。もちろん服は脱いでいる。


「うわっ、びっくりした!」

「はっはっは、ま、裸の付き合いというものだ」

「いや、それにしたって一言欲しい!」

「すまんすまん、これを準備していたのだよ」

「これは?」

「髪の手入れをするものだよ。以前、癖っ毛に悩んでいただろうそれで色々用意した」

「薬の瓶が結構あるな」

「まずはシャンプー、かなり強力なやつを持ってきた。これしか使わないと髪の毛が一撃でダメになるな」

「おい、そんなもんつか、うあわあああ!」


 問答無用でブラックは私の頭にシャンプーをぶっかける。それからら優しい手つきで私の髪の毛を洗いはじめる。


「お客様、かゆいところはございませんか?」

「なんだそれ」

「サロンとかに行くとこういうことを聞かれるのだよ。お貴族様ジョークさ」

「生憎貴族から離れているんで」

「そうだった」

「だけど、これ……なんか結構気持ちいいな」

「なかなか人のを洗うのはコツがいるな、さてここはどうかな?」

「あー、そこ! そこだ!」

「ふっふっふ、さて水で流す」


 ブラックは私の頭に水をかける。シャンプーを水で流すとかなり頭がさっぱりすっきりして気分爽快だ。


「うおお、これ気持ちいいな」

「さて次の行程だ」


 ブラックは透明な液体を私の頭に振りかけた。


「これはなんだ?」

「ん? 砂糖水」

「さと、砂糖水!?」

「砂糖には高い保湿性があるこれを髪に染みこませることで癖を直しやすくできる。最後水で流すから夜寝るときにアリがたかるなんて事は無いから安心したまえ」


 砂糖水を付けた髪をよく揉んでから水をかけて流す。


「これで終わり?」

「仕上げだ。これは私が開発したコンディショナー、髪にコーティングして状態を維持できるようにする魔法の液体だ」

「魔法の液体ね……」

「まぁ、純然たる化学だがね」

 白っぽいドロッとした液体をブラックは手に乗せて私の頭に揉み込み始める。最後にざっくり湯をかけて全部の行程が終わった。

 

「よしこれで良いだろう」

「なんか、髪の感じがいつもと違うな」

「私が言うのもあれだが、女なのだから髪と顔くらいは大事にしないとな」


 振り返るとうわすっげえデッケエたゆんたゆん、じゃなくて彼女の顔はよく見るとクマが印象的だが肌の状態がとても綺麗だ。


「今度は私が洗おうか?」

「ふむ、よろしく頼むよ」

 

 ブラックの表情が柔らかい。風呂でリラックスしたからなのかもしれない。

 

 

「なぁ、ブラック」

「なんだい?」

「なんで婚約者を死なせてしまったんだ?」


 私は思いきって聞いてみる。


「まだ出会ってそんなに間もないというのに聞くのだね」

「すまん、気になって」

「いいさ、好奇心があることを美徳と私は考えているからな」

「ありがとう」

 

 ブラックはしばらく間を置いてから話を始めた。

 

「私が学園を追い出された理由、それは恩師を殺した疑いだ」

「よく殺害を疑われるな」

「我ながら見惚れるくらいよく容疑者になる。ちなみにこれも私は冤罪だ。流石に公爵令嬢が殺人というのは外聞がよくなく、両親が事件そのものをもみ消して私はここに放逐された。どうすることも出来ず私は恩師の遺志を引き継いで幻覚剤の研究に勤しんだ。もちろん当時の婚約者だったエドワードとは婚約破棄となった。今思うとあれはかなり辛かったな。エドワードとは家同士の繋がりもあったし、幼馴染みだった」

「それで逆恨みを……」

「殺していないと言っているだろう」

「すまん、そうだったな」

「まったく……それからしばらく経った後だ。私は幻覚剤を作って合法なものは医者や尋ねてきた者に売り金を稼いでいたのだが、ある時、違法薬物を常用している可能性のある二人組を拘束した。自分を貴族と言っていたためそれが本当か確かめるために私のところにその二人組が連行された。そして私はエドワードと再会した」

「ということはエドワードが……」

「いや、エドワードは無実だった。むしろ彼はこの国で違法……いや私が違法認定させた薬物、ヘロインの密造所を捜査していたんだ」

「え、じゃあ何で容疑者に?」

「問題はもう一人の方だ。それがエドワードの今の婚約者シャルロットだ。妻とも聞いたが真相は知らない」

「元婚約者と今の婚約者に挟まれた状態か……」

「当時の私は今よりも悲惨にセルフ人体実験をしまくっていたから取り調べの時もだいぶキマっていた。シラフになるにつれてエドワードを思い出していった。じっくりと二人を取り調べしていくうちにこのシャルロットが裏でヘロイン取引に手を染めていた」

「うーわ、最悪だな」

「ヘロインは元々私が作ったものなのだが、どうやら学園時代に私が作ったヘロインを盗み乱用していたようだ」

「あんたが作ったのかよ……」

「そう、そして恩師が殺される前に私たちがやっていたことはこのヘロインの違法化だった」

「ちょっと待てつまりそれって……」

「そうだ。私の恩師を殺し、この僻地に私を追いやったのはシャルロットだ。それが取り調べで判明した」

「そっか、それで解決」

「しなかった。拘束を破ってエドワードが衝動的にシャルロットを殺害、その後に自殺した。あの地下研究室でな」


 エドワードの絶望は計り知れない。かつての婚約者を見限って、斬り捨てて、実は何も悪いことをしていない。それどころかブラックを追い詰めたのが今の婚約者となればどんなことを起こしても不思議じゃないだろう。


「そうだったのか」

「私はこの一件で全ての容疑が晴れた。だがエドワードの家は無実の罪で私を糾弾したこと、その後婚約した相手が犯人であったこと、この二つが重なってヴェルヴェット家とは一切関わらなった。容疑が晴れたが私は曰く付きの令嬢、貴族に戻ったところで誰の結婚相手にもなれないし別な当主が決まっている。だから私は腫れ物扱いで今の生活が続いているのさ」

「そんなことが……」

「過ぎた話だ。それに私は今の生活もかなり気に入っている」


 ブラックは寂びしそうに笑った。

 

 誰が見てもわかる。未練が残っていたんだなと。

 

 

 私は黒髪の彼女の為に何かしてやるべきなのか――。

 それとも、彼女の為に何もしないべきなのか――。

 

 

 迷っていた。

 

 

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