試作06号「グレイ・ノーザンバーランド」
「エーデルワイス・リチャード、それが婚約者の名前。爵位は伯爵だから彼も私も政略結婚の道具にされたのよ」
「うーわ、貴族の典型的かつ面倒くさいの極地」
「まぁ、でもリチャードは正義感もあるし人望もそれなりにあるし顔も好みだったからまんざらでも無かったのよ。問題は性格というか能力ね。リチャードは色々とお間抜けさんだったの……かなり……うん」
「どのレベルだよ」
「商人の脱税を見逃したり、農民の違法なアヘン芥子栽培を見逃したり、麻薬にお金をつぎ込んで無一文になっているのを貧困と勘違いして減税したり」
「だいぶ無能じゃないか?」
「ええ、筋金入りの無能ですわ。そしてそれを加速させたのがアリアっていう聖女よ。元々はクラレント魔法国の出身らしいのだけど、リチャードが紆余曲折あって保護したの」
「他の女出てきて泥沼じゃねえか」
「私も流石に人命保護は咎めなかったけど、流石に私よりアリアとベタベタくっついてるのはどうなのと苦言は出したことあるわ」
「そりゃ、曲がりなりにも婚約者だからな」
「そしたら、君はいつも忙しそうにしているからアリアといても問題ないじゃないか、ですって、ぶっこ……コホン、ご逝去させてあげたくなりましたの。私が忙しいのはあなた方のやったことの事後処理ですの!」
「うわ、最悪じゃん」
「全くですわ、それを指摘すれば小言がうるさいとか余計なことしないでとか言われてもうあの時はノイローゼ気味でしたわ」
「それは……ご愁傷様」
私は相づちを打ちながらビリジアンの方を見る。彼女はすぐそばでその光景を見ていたのか遠い目をしていた。それを鑑みるによっぽど酷かったらしい。
「しかもアリアは聖女として崇められていた人物で様々な魔法を使えたの。どのぐらい優秀な魔法使いなのかはわからないけど、多くの人を救ったわ。でもそれは原因がわからないままとりあえず回復させただけ、再発するのよ」
「意味ねえじゃねえか」
「そうなのよ、むしろアリアの身体が疲弊してしまうから彼女のことを考えて原因を探した方がいいと提案したら、反感買うし、酷かったわ」
「どう言葉を返して良いかわからないな」
「いいわ、そのあとリチャードから婚約破棄されたし私を偽者公爵令嬢と侮辱したのでワンインチパンチ食らわせて差し上げましたの」
ワンインチパンチって何だろう。とりあえずパンチだし殴ったということはわかった。
「報復が早いな」
「婚約破棄した瞬間、ケチョンケチョンにして差し上げましたわ。あの時のリチャードの顔が今でも忘れませんですことよ」
ムースをひょいと持ち上げる腕力で人間を殴ったら死ぬのではと思ったが、たぶん手加減した……またはリチャードがゴーレム並に頑強だったと思いたい。
「リチャードは無事だったのか?」
「生きていますわ、爵位降格処分して今はアリアとよろしくやっておりますわよ」
「そうか……」
「さて、私の話はもういいですわね? 次はカメリアの番ね」
「あ、え、ちょっと、私……いやねえな男の浮ついた話なんて」
「いやあるでしょ、町娘なんだから男なんて選び放題じゃ無い、カメリア美人なんだし?」
「はぁっ? 美人? 何言ってんだ?」
「油と金属粉まみれだけどちゃんと格好を綺麗にしたら引く手数多だと思うわよ?」
「お世辞どうも……あっ、ムースの血抜きがそろそろじゃないか?」
「あ、逃がしませんわ」
私は立ち上がってそそくさと誤魔化すようにムースのところに行った。
「Best、引き上げて解体しま――ッ!」
ビリジアンは言いかけの途中で目の色を変えた。おどろおどろしいその雰囲気は川の対岸に向けられていた。
「どうしたの?」
グレイは心配そうにビリジアンに聞く。
「Danger、グリズリーです。初めて見ました」
それを聞いた私は全身が凍り付いた。グリズリーはこの時期、冬眠に向けて盛んに行動する。
生きるために必死なグリズリーは人間を襲う。
そう――
人を襲うのである。
ここにいるのは女三人、さらに最悪なのは安全のため銃に弾を込めていなかったこと。グリズリーの事を欠いていた私の浅慮さが招いた結果だ。
しかもグリズリーはよりにもよって最大クラス、男十人でどうにかできるかのレベルだ。
「逃げっ――!」
私はあまりの恐怖で身体を翻して逃げだした。
「Bad!! 背中を向けてはダメです熊は逃げる者を追いかける性質を持ちます!!」
「えっ――」
時既に遅し、グリズリーは大きな口をこれでもかと広げる。滴るよだれと鋭く長い牙が眼前に映り込む。
グリズリーの影が私を覆う。
こんなにあっさり死ぬのか――嫌だな――。
「まだ、諦めてはなりませんことよ――!」
グレイが私の前に立つ。凜々しくそして強かな眼光を曇らせること無く。
彼女は状況に見合わない程リラックスしており、無駄が一切無い動きで拳を前に出す。
グリズリーの鼻に拳を放つと動きがピタリと止まる。
それどころか、あのグリズリーの巨躯が後ずさる。グレイはさらに一歩前に出る。
グレイの銀色の髪が風になびく。
威風堂々たる姿勢とその瞳が前を見据えている。
グリズリーは頭を振って驚いている。冷静さを取り戻す頃にはグレイの拳は次の一手を最大出力で放つ準備を終えていた。
グレイの体重が全て拳の一点に集約している。その一撃が再びグリズリーの鼻頭にぶつけられた。
ビリジアンはその隙を見逃さずにナイフを抜くとグリズリーの背中に飛び乗り首にナイフを突き立てる。
「入った!?」
「No!」
ビリジアンは突き刺さったナイフを手放すと熊の下顎と額を掴む。身体を空中に放り投げてナイフが刺さった部分をグレイの目の前に持って行く。
「いいポジションよ――ッ!」
三発目の拳はナイフを釘のように打ち込みグリズリーの脊椎に突き刺さった。
グリズリーはその場に倒れ息を引き取った。
「ふう……危なかったわ。カメリア怪我は無い?」
「え、ああ、大丈夫だ」
「Good、無事で何よりです」
「ああ……それにしてもグレイのあれは?」
「ふっふっふ、あれこそ格闘術ジークンドーよ」
「ジークンドー……」
「鉄拳令嬢の二つ名は伊達ではなくてよ?」
グレイはニッコリと笑って右拳を高らかに掲げる。
鉄拳令嬢、確かにその名に恥じない、というかもう彼女一人で戦争できるのではないだろうかとさえ思える。
「私が新型の銃を作る必要、ねえんじゃねえか?」
冗談交じりに私は呟く。グレイはニコッと笑い、倒したグリズリーの方を見る。
「ビリジアンいけそう?」
「Good、かなり肉が取れると思います」
ビリジアンはサムズアップをしてグリズリーの首に刺さったナイフを引き抜く。血だらけのナイフを川で洗うとグリズリーの頸動脈を切り裂いて血抜きを始める。
「グリズリーとムースの肉があれば東部までの移動できそうか?」
「Yes」
ビリジアンは真っ赤に染まる川を眺めて頷く。
それからムースを引き上げて樹木の太い枝に後ろ足を縛り付けて吊すとビリジアンな慣れた手つきであっという間にムースを解体する。
特に皮を剥ぐ作業に関しては皮にほとんど肉を残していない。プロでも中々こんなスピードで作業できる人はいない。
「すごいなビリジアン」
「彼女は身体の使い方を一度見ただけで再現することが出来る素敵な才能を持っているの」
「そうなのか」
「ええ、まぁでも私のパンチは再現出来てなかったわね」
「グリズリーを拳でねじ伏せるなんて普通に無理だろ」
「正しい鍛錬を積み重ねることで得られるのよ」
「そんなもんかね?」
「そんなものよ」
グレイは強気だ。いつも自信に溢れている。貴族というのはそういう振る舞いを身に染みこませているのだろうか。どっちにしろ私には遠い世界の住人なのは間違い無い。
「Complete、ムースの解体が修了しました」
ビリジアンは裾を捲った両手は真っ赤な鮮血がべっとりとこびりついている。左手には肝臓がぶら下がっている。
「お疲れ様です」
「お疲れ」
「Excuse me、肝臓と心臓が食べたいです」
「ですって、カメリア?」
料理するのは私かよ。
「帰ったら料理するさ」
「Good!」
ビリジアンの無表情で声だけテンションが高い光景に流石に慣れてきた。
「グリズリーも解体してからだけどな」
「All right、直ぐに解体します」
ビリジアンはグリズリーのところに駆け寄った。グレイと私は彼女を追いかけて解体の手伝いを始めた。
街に戻ると私は行商が商いしている露店に向かいグリズリーとムースの胆嚢と胃袋などを売って金にした。
「小銅貨20枚かまずまずだな」
バゲットがひとつ小銅貨1枚程度で買えるから中々いい金額だ。胆嚢は生薬として使われるため高く売れる。毛皮とムースの角も売ろうか迷ったがビリジアンが使うということなのでキープした。
「Proposal、提案があります。金属加工ができる店に向いたいです」
「わかった、鉄か?」
「No、銅とスズです」
私は金物工のところにビリジアンを案内する。
ビリジアンは店内に入っていくと10分もしないうちに戻ってきた。
「Complete、話は終わりました」
「何を頼んだんだ?」
「That is、ブリキのココット皿のような容器とそれにピッタリはまる蓋です」
「そんなの何に使うんだ」
「Secret、見てからのお楽しみです。明後日には用意出来るそうです」
「そ、そうか」
そのまま私たちは市場で調味料や食材の追加を行った。女友達と買い物するなんていう経験は初めてだからでクソ楽しかった。
私の家にたどり着くと全員でキッチンに向い料理の準備を始めた。
「じゃあメシを作るけど今日は疲れたからこの肉は軒先に吊して少し乾かすぞ」
この時期なら肉が腐ったり虫が湧いたりすることはない。
「OK」
「わかったわ」
二人とも意気揚々とエプロンを着ている。
「じゃあ、メシは肝臓と心臓か、肝臓はレバーパテに心臓はニンニクのソースでガッツリ食うか」
「包丁持つの初めてだけど」
おっと、グレイお嬢様はどうやら食べるのとぶん殴るのが専門のようだ。
「よし、グレイは座っててくれ!」
「戦力外にされましたわ……」
「Excellent」
「ビリジアン、それどういう意味かしら?」
グレイはムッとしながら睨む。対してビリジアンは舌の先をちょっと出してイタズラ気味に振る舞う。
「カメリア、手伝うことありませんの?」
「うーん、そうだな……あっ、あった」
私は買い物袋から胡椒が詰まった袋と乳鉢と乳棒を渡す。
「これは、胡椒?」
「乳鉢で胡椒を磨り潰して欲しい」
「わかったわ、どのくらい?」
「その袋全部」
「わかったわ」
グレイは乳鉢に胡椒を入れて乳棒で磨り潰し始める。
「ビリジアンは心臓をスライスしてくれ」
「OK」
私はその間にレバーの下処理を行い、軽く鍋でソテーする。それが終わったらレバーを磨り潰して卵と牛乳、そして塩を加えてペースト状にする。それを四角い型に流し込んで、水の入った皿に型を置き、オーブンで蒸し焼きにする。出来上がったものを冷まして胡椒を上から散らせばレバーパテの完成。これをカリカリに焼いたバゲットに乗せて食べれば頬が落ちるほど美味い。
心臓は一口大にスライスして焼く。ネギとニンニクをオリーブオイルと混ぜて塩味を付けたソースで食べるシンプルな一品に仕上げる。
夕食の準備が終わると私たちは料理が置いてあるテーブルを囲んだ。
「よし準備出来た」
「カメリア、あなた料理人の方が向いてるんじゃなくて?」
「うるせえグレイ、こっちは趣味だ」
「あら残念、じゃあ食べましょう」
レバーパテは濃厚な味わいと野性味のある獣臭いがほのかに鼻をくすぐるがこれがむしろ食欲を引き立たせる。良い意味での癖という奴だ。
牛乳と卵のコクがレバーをより強調させ、ピリリと辛い胡椒が時々舌に刺激を与えて飽きさせない。バゲットのサクサクと滑らかなレバーパテの食感のコントラストが我ながら賛辞に値する。
心臓は焦げの香りとネギとニンニクのパンチが強い。芳醇な香りのソースが鼻を突き抜けて行く。噛めばジワリとにじみ出す脂とコリコリとした食感により手が止まらなくなった。
山道を歩き回った私の身体に肉たちが癒やしを与えてくれるのだった。
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