3-4 因縁、暴力、大爆発/The Critical Point
──2001年の秋、札幌市のはずれ。
「貴女が
四方から照準され、跪く少女。否、もっと幼い。
その顔立ちはあどけなく、しかし暗い表情が全てを塗りつぶしている。髄まで絶望に焦げた、青い炎の瞳。追い詰められ、唸り、牙を剥いて。
その周囲の街灯には、もれなく"たぶん人間"が吊り下げられている。凄惨な生存闘争の痕跡。
「21世紀の景色かよ……」
射手の一人が漏らす。津波に、大寒波に、社会の崩壊に、数十万の難民に。あらゆる厄災に覆われたこの街の中でも、指折りの地獄。その実行者が年端もいかぬ少女とあれば、なおさら惨い。
「銃を下ろして」
指揮官らしき栗毛の女がすいと手を上げ、部下を下がらせる。
「しかし……」
「いいから。……ねぇ、お嬢さん。お母さんやお父さん、一緒に暮らしている人は?」
少女はすん、と押し黙り、目尻を更に釣り上げた。
「争いはもうじき、私達が終わらせる。そうすればもう、こんなことしないで済む。だから、こっちに来て」
栗毛は携帯食料の袋を、ほいとその眼前に投げる。一歩で斬りかかるにはわずかに足りない間合い。少女はびくりと震え、しかし身を固めたままだ。
「食べ物もある」
見かねて次の携帯食料を取り出すと、包装を破ってみせる。
「お湯だって使える」
甘ったるいにおいのする棒を豪快に頬張ると、少女の頬を涙がつうと伝う。栗毛女はどういう訳か表情を固くし、食べかけの食料も投げ渡そうと投擲姿勢になる。体幹が傾く、一瞬の隙。
快音。
少女が予兆なく拾い、バネのように飛び掛かり振り下ろした鉄パイプ。……銀色の一閃。つるりとした断面を晒し、手を離れ、面白いくらい回転して宙を舞う。無論、鉄パイプが。
栗毛は殆ど片足立ちのまま、瞬時に振ったのだ。銀色の長い刃を軽々と払い、腰の鞘にかちりと収める。携帯食料が、重力を忘れていたかのように今更雪に落ちる。ぱさり、一瞬を永遠に引き延ばしていた魔法が解ける音に、絶対絶命の少女は膝を落として首筋を晒した。
「……殺せぇ!!」
栗毛はその首にさわりと触れると、やわやわと奇妙な動きで揉みほぐす。恐れに固く閉じたまぶたから徐々に力が抜け、少女はばったりと雪に倒れ込んだ。
「まずはお風呂ねぇ」
「え?」
「持って帰るんですか、それ……」
「あったり前じゃない?見てみなさいよ、この寝顔」
雪に埋もれた頭を持ち上げ、こけた頬を一撫でして、栗毛はにんまりと微笑んだ。
「今ね、殺気が全然なかったの。私達の守護天使になってくれるわよ、この子」
………………
…………
……あっつい。
なんかすごいあっついしものめちゃめちゃ水の音がする。またユカか師匠がお湯使ってるのかな。もう燃やすものも無いのに、まったく。ちゃぷちゃぷ、ざばざばざば。まって、そんなに使ったら……。
……?
ユカは死んだ。
師匠にももう、そんなことできない。
背筋に走る寒気に追い立てられて、重たいまぶたを持ち上げる。栗色のきらきらした目が、興味津々で僕を覗き込んでる。
「起きちゃった……♡」
誰だこいつ。
にま、と目を細めて女が笑う。あ、この顔は。掌を叩き割られるような手応えと、ぱっくり切られたパイプのきらきらした断面……脳内で記憶が繋がる音がして飛び上がった。
「うわあああ化け物!!」
人殺しが見たって化け物は化け物だ。すっぱだかでふわふわの栗毛に笑顔を包んでいても。
飛びのいた背中に、お尻につるつると貼り付く感覚で思い出す。ここは……お湯のお風呂。まだこの世界にあったなんて。なら自分が裸なのも当然だ。もうもうと鼻腔を満たす湯気が、悔しいけど心地いい。
くるくるの髪を揺らしてあいつが向き直る。引き締まった、傷一つない身体。ただの一発も貰ったことがない身体。絶対的な強者。呼吸が早くなる。体がどこからかがたがたと震える。
ここは明るい。暗闇よりは怖くないけれど、僕にとっては逃げ場のない地獄と一緒だ。こんなやつがいたら余計に。息を吸うのがやめられなくなって、ちかちかと目の前が白む。しゃがみこもうとした途端に、信じられないくらいたくさんお湯が飛んで来た。
「冷めちゃうわよ?」
シャワーを向けてにじり寄られ、スポンジで体を擦られる。山盛りの泡が吸い込まれるように消えて、信じられないほど汚い泥水が肌の上で生まれていく。
「……なんで」
こわばったまま、みっともなく震える声を押し出す。何が目当てなのかわからなくて、気味が悪くて。
「子供はね、あったかいお風呂に入って、ふかふかの布団でぐっすり寝て、たくさん勉強して美味しいものを食べるの。それだけでいい……よかったのよ」
「……そんなことする余裕が、どこにあるっていうの。この世界に」
だってそんなのは、なにもかもがあったころの話であって。
「世界は人間が作ったのよ。たまたまそこにあった訳じゃない」
ぐい、と泡だったスポンジが差し出される。
「馬鹿な人も悪い人もごまんといた、それでも出来たなら。私達にもできると思わない?」
言うだけ言って、湯船に体を沈めて堂々と寛ぎだす。
……そんなことが出来るなら、なんで今になって。叫び出したい気持ちだったけれど、不意討ちですら対抗できないから施しを受ける他にない。
仕方なしに体をこすると、皮がまるごと剥がれたと思うほど大量の垢が塊になってこぼれおちる。それでやっと、汚れというものがこの世にあることを思い出した。
気が付いてしまったらもう夢中だった。垢でくすんだ肌が、泥の詰まった爪が、血と汗と塵埃で練り固めた髪がほどけていく。僕だと思っていたものが、溶けてなくなってしまいそうだ。でもそうはならなかった。透けるように白くなった肌の上で、凍えて欠けた足の指や、引きつった脇腹の縫い跡、打ち付けてから茶色のままの脚が、むしろ際立って見えた。腕に埋まったままの砂利なんて、今初めて気が付いた。痛いと思ってたんだ。
……落ち窪んだ目玉、こけた頬にぎらぎらと光る青い目。敵意の歪みが焼き付いた顔。
そうか、これが、ぼくなのか。
どうやっても洗い落とせない僕自身が、却ってしっかりと鏡の中にいた。
「綺麗になった?」
あいつがひょいと手をこまねいている。嫌々なりに、大きな浴槽のできるだけ隅っこに体を沈めた。嫌なのが顔に出るのね、と笑われて思わず頬が膨らむ。
「ぼくが、あんたを殺そうとするとか、考えないの」
栗毛女は目を見開いて、驚いたような顔をする。考えないわけないのに。それからニッコリと笑って言う。
「盲点ね。ならせめて……私、
そう言われたら、今度こそぼくはどうにもできなくなる。見知ってしまったら、敵意を持つのはとても大変だから。
「……みずほ。
「みーちゃん、ね」
その呼び方で、色んな事を思い出した。師匠も、ユカも、コウキも、チナミも、皆死んでしまった。
父さんの青い目が、母さんの長い黒髪が。みーちゃん。優しい声。
気が付けば僕は、大声を出して泣いていた。
あったかいお風呂なんてものが実在していることを、僕はとんと忘れていたのだ。それを忘れた事さえ忘れていた。教科書や鉛筆といっしょくたに。
それから少し、ほんの少しだけ人や化け物を殺して、新しい平和がやってきた。
◇◇◇
……僕は少し、ぬるま湯に浸かり過ぎたようだ。世界は良くなって、こんな事はしないで良いと思っていた。間違いだった。
なぁ
泣いてない。ただの反射。
お前こそ、同胞殺して平気なのか。
ムカつく、ただムカつく。それだけ。
なら……
「うるさい」
暗い側道から飛び出して、擦るほどにお尻を落として、一気に開放。諸々込みで100kgの体を叩きつける。全身の防弾板が凶器となって、色んな場所が折れる音。人間がおもちゃみたいに飛んでいく。子供の頃と変わらない、子供でもできる。……いや、子供の身体じゃ出来なかった。そのために、今この身体がある。
「返せよ」
向けられた銃口、その足元を横薙ぎに。喜劇みたいにくるりと回った体の芯を打ち抜いて岩肌に叩きつける。
「
背後で息を潜めているつもりのやつに手斧を叩きつける。見えないけど陶器を割ったような手応え。
「返せ」
銃床を叩きつけに来た間抜けを盾で諸共吹き飛ばす、岩肌に叩きつける、無防備な腹に盾を押し付ける。
「……それだけか。そんな小さな事の……」
「返せ!!」
鼻腔を広げ、淀んだ空気を吸い込む。死体、血、中身、石、生きた人間、硝煙、培養液。まだ追える。さっきよりも近い。灯り一つない暗闇の中をひた走る。……変だ。異様に"見える"。当然目では見えない。音の響きや空気の流れで目星を付けているのとは段違いの解像度。
ああ、お前にも見えるようになっちまったか。
何した?
赤外線視みたいなもんみたいだ。今の今までなんにも見えねぇでこれやってたんだろ?お前おかしいぞ……。
知れたこと。
それにしたってはっきり見える。踏み出す度にどんどん解像度は高まり、ついに僕は暗闇のなかを全力疾走している。つんとした感覚が、カビのそれから雪の冷たさに変わって行く。生ぬるい洞穴の底から、無残に吹き飛ばされたゲートを抜けて、寒気の中へ踊り出る……遅かった。
僕を待ち受けていたのは銃口や友軍では無かった。駆けつけた警護部隊の無残な残骸、炎上する車両、堂々と雪上に残った襲撃者の轍。……大丈夫、まだ追える。僕は遺体から小銃をひっつかんで弾薬を強奪、自前の銃に再装填。幸いにも横転しているだけの車両の横っ面を
「おい瑞穂!?お前運転できないのか!?」
「奇跡的に動いてるんだから黙ってて」
「奇跡は何度も起こらないぞ!!」
「奇跡ならあと一回、追いつくだけ!!」
幸いにも轍の消えないうちに、奴らの最後尾車両が見えてくる。……光った。フロントガラスに鉛玉がめり込む、悪くない腕をしてやがる。行く手には味方が封鎖している高速道路のランプ、それと並行する下道。奴らは下道を行く。
「管理局外征隊、阿左美・München・瑞穂、入ります!!」
聞こえているかも分からない無線機にオープンで怒鳴って、クラクションで吠え立ててバリケードをぶち破る。飛び退く歩哨のみなさん。
「どこ行くんだお前!?」
ドアを蹴り開ける。鼻腔が凍傷になりそうな強風のなか、僕は身を乗り出す。
「こうして……」
アクセルにフロアマットを噛ませ、ハンドルに空の
「やめろ!!」
「こうだ!!」
僕は車を乗り捨てて、清水の舞台なんて目じゃない高みから飛び出した。極寒の風に撫でられながらも、頬がかっと熱くなる。先頭車めがけて
「どわぁ何!!??た……助かった……?」
中から聞こえてきた間の抜けた声を戒めるべく、斧の基部である機関銃をぶっ放す。車内で銃弾と何かが炸裂する。
「だらァ!!」
血まみれのガラスを蹴り破って機関銃を引きずり出し。ボンネットを蹴り折って強く飛び上がる。
制御を無くした一台が背後で爆発炎上する。衝撃波に乗って加速、息もつかずに後続車目掛けて黒盾を大上段に振りかぶる。
「
加減なしの全推力、腕が内側から弾け飛ぶような加速度。空振りすれば腕だけ地の底へサヨナラ間違い無しの一撃が、ボンネットを踏む、リベットを飛ばす、装甲板の陥没。吹き飛んでフロントガラスに突き刺さる。ラジエーターを圧殺──まだまだ食い込む。
「
「いんや……」
冬霞と組んで以来、左手に感じていた痺れ……引き離されてはっきりと分かった、冬霞の力場と干渉していたのだ。今、それが蘇った。……来る。
高輝度のヘッドランプが突き刺さる、目が眩むのを堪えて真正面に立ちふさがる、引き付ける。逃げ道の無い一本道で、真っ直ぐに突っ込んでくる。
「……こうさ」
ぐいと身を傾け、体当たりの鼻先を掠め。
「
運転席の扉めがけて、全速力でぶち当たる。キャラバン・タイプの巨体が微かに浮き上がり、ドアに長方形のスタンプを捺されて横っ飛び、着地と同時に見事にバランスを崩してスピンして、
助手席のドアが勢いよく開いて、満身創痍の女が転げ落ちてきた。死んでるか生きてるかも分からないけど、冬霞じゃない。僕は引き金を引いて、そいつから楽にしてやる。
「で
僕は機関銃から戦斧を切り離して、強く握る。窓の無い後部ドアに戦斧を叩きつけて、ひしゃげた隙間から覗き込む。
「おコンバンハ」
車内でじっと身を潜めていた女と目が合う。
「おわわわわわわわわ」
反射的にか、亀裂から突き出されたライフル。銃身をひっ掴んで逸してから、扉にもう一度斧を叩きつける。
「まずいことしてる自覚はあるんでしょ」
殴打。まず上側のヒンジ。
「だから力で押し通したい」
ロック機構を叩き割る。がくん、と力が抜け、余力や摩擦だけでぶら下がった状態になる。
「なら」
無闇矢鱈に蹴りつけてから、浮き上がった扉に手を掛けて投げ捨てた。
「なら、僕より弱かったら何が残るのさ!!」
瞬間、車内の暗がりから飛び出してきたものがぶつかって、僕はそれを受けてよろめく。踏ん張って耐えるのと、懐の破裂音は同時。密着しての射撃!!
防弾が抜かれる前に。鳩尾に突き込んだつもりの膝が、硬い板に阻まれる。
……大した腕だ。こんな形でなければ。
「……お前、名前は」
「……
もはや身動きもままならぬ相手を殺すのは、気が引ける。
「白旗、上げれば。5秒あげる」
運転席から、後部から4を数える間もなく銃が捨てられ、生き残り三人が地面に縮こまってへばりついた。
「全員?」
ガクガクと壊れた機械のように首肯するので、僕は車両後部に取り付いた。分厚い布団で縛られた冬霞が、そこに立っていた。
「お待たせ」
「……何で来たんですか」
「局長も言ってたでしょ。ころころ相方が変わると困るって。さ、僕の番だ」
春巻みたいな有様のまま、冬霞は器用に足を曲げて飛び込んでくる。今度は僕が、冬霞を。
そうして伸ばした手の先で、何かが冬霞をかっさらった。
「……は!?」
空を切る手。
飛び去った方へすかさず銃口を向ける。闇夜の中でも煌き立つ、金の毛束。
「
涼子がぼそりと呟く。
キイ、とやらの足元に冬霞。僕は躊躇なく引き金を引く。二連発、ばち、ばちと同じ間隔で空中で火花が散った。銃弾迎撃!!
「おい瑞穂。3500
瞬時に覆い被さるほどの至近に詰め寄る……小さい。子供みたいな背丈の背中に黒盾を打ちつける。快音。
「な!?」
快音?肉を打つ音では無く。見下ろすほど小さな女。ノールックで打ち上げた肘で軽々と受け止めていた、工作機械に匹敵する重圧を。ゆるりと首が回り、やはり
「ああ、いつぞやの脳筋女、それに雑種」
薄闇でもぎらぎらと輝く金の髪と瞳、けばけばしくシャドウに縁取られた目許、山高帽にワンピースという凍死志願者の如き服装。こんなの見たら忘れるわけがない。
「ハッタリのつもり!?」
「じきにわかるさ」
ひょい、と軽い調子で押し返された筈が、体に浮遊感、宙を舞っていた。所作に見合わぬ莫大な力の発現。ひょっとすれば
「冬霞を返して、さもなきゃブッ殺す」
「返したら見逃してくれるかい?」
「殺す」
「だろうね」
少女は波打つような奇怪なフォームで駆け寄ってきて、やはり異様なしなりを付けて上腕を打ち付けてくる。掲げられた盾へ、躊躇なく。
びたん、という間の抜けた音。裏腹にその衝撃は飛来した鉄骨に等しい。盾に傾斜を付けて右側に受け流しつつ左へ退き、打撃力を掠め取ってぶん回す、脇腹を殴りつける。胴の半分ほどまで沈んだ一撃は、しかし粘土を打ち付けたような手応えのなさ。
涼しい顔を崩して、くわ、と
「離せ!!」
「逆にキミも一緒に来れば、丸く収まるかもね」
金髪の少女はへにゃりと不愉快な笑いを浮かべて、首輪型の機械に触れ、それを呼んだ。
「
それは、冬霞と同型の制御器。同じ
既に身動き一つできず絡め取られたまま、眼の前で少女の顔がどろりと融ける。白い肌は粘性を帯び、青色へと変色したヒトならざる横長の瞳孔が禍々しい。
「うわ!!
うっかり突き出した三本指は、まるで砂袋を打ち抜いたような手応え。効いていないどころか、体内へ侵入した異物の形を確かめるようにぬるりと絡みついて来る。僕は言いしれぬ不快感とともに杭を引っ込める。
瑞穂、この手合は変身中にボコボコにするに限る。
「お、応!!」
効いていなくても、叩きつける暴力は緩めない。ホロホロの繊維に解けながらまとわりつく腕に斧を食い込ませ、引き斬り、しつこくしがみつく筋に銃撃を浴びせる。
「
筋繊維をねじ切るように180°転回して、超音速の
どれでもなかった。あれよという間に別の腕に掴まれて、行きたい方向に投げ飛ばされたのだから。世界が前方に飛び去って、背中を強かに打ち付ける。肺の空気が残らず抜けて眼の前がぐんと暗くなる。その目の前で光の柱が振り上げられる。
「
反射的に、ずらりと棘を生やした盾を跳ね上げる。デカいおろし金を力一杯殴りつけたらどうなるか。庇うように突き出した左手の表面で暴れまわる、肉片と血の感触。えぐれ、削れる苦痛を空想して背筋がすっと冷え込む。
「あrrrrら、こんな程ddddd度ですか?こrrrならAの時始末しても良かったかmmmmmmしれませんね。連rれて帰ることもないか」
しかし……全く堪えている様子もない事に、それに言い様にムカついて、僕は抱えるほど太いタコ足を全身で押し返して立ち上がる。
「言いたい放題……言いやがって!!」
目一杯押し返し切り、ふっと軽くなる。こちらの浮き立った姿勢を狙い、右側面から触腕がしなり迫る。隙を突く丁寧な一撃に、斧を打ち上げて迎撃する。ぎちりと刃の止まる手応えとともに拮抗し、押し負けてねじ込まれる。踏ん張った足がずるずる滑って、再び盾に打ち付けられた一撃で足が浮いてまた飛ばされる。めり込んだ斧もあっさりと引き抜けて、大きく間合いが開く。
苦し紛れに銃を向けて撃ちまくる……今度は迎撃さえされない。平然と肉を撃たせるに任せている。
地力で負けてる。どうにかならない?
人間と戦うのはお前の得意分野だろ。どうだ、勝ち筋は。
……薄いね。こっちを歯牙にも掛けてなきゃ不意は突けない。でも冬霞から目を離すわけにもいかない。自爆でもしようか?
かつてない一発屋だな。どうあっても殺す気か?
やられっぱなしでいられるかっての。自爆……?そう、自爆だ!!
何する気だ!?……うわ、うわぁ……。
「dddどうしまssした?夜aaa明けを待ってるなら無駄dddddですよ。私は日kkkk光では困りませんから」
……やるさ。お前さんも死ぬ覚悟でやるなら仕方ねぇ。
……ありがとう。
「いいや。あんたに朝日は拝ませない。
僕はぐるりと盾を回して、まっすぐに皚皚八腕へ指向する。
「
腕と体が切り離される感覚。当たり前に享受していた五体満足が、偶然得た奇跡でしかないと実感するのは、ひどく虚しい。
行けるぜ。
「
「手を変えただけの無駄な……」
「
「……ッ。くddddどいなぁ」
相変わらず手応えはないが……ブチ抜いた反対側で、残虐な形状のかえしが立ち上がる。
「こんな重し一つで何が」
「……ジェット、」
「悪あがきを!!」
「
「
「な……」
三盆指の側の
霞んだ視界と鳴り止まない耳鳴りの中、飛来する白いモノ目掛けて
「焼けたか、どうだか!!」
ざっくり、ぷつり。さっきまでと違う手応え。焼け焦げて縮れた触腕を、二本まとめて切り落とす。
「貴様ァ!!」
かえしを格納して
「はいよ僕様!!もう
闇雲に振られた触腕が、鼻先を恨めしげに掠めて届かない。浮き上がった相手に向けて更にもう一度。
「
100%
「何度も何度も……」
「
キングサイズの尖った表皮が追い詰める。躱さなければそのまま
「
敵の腕がばらりと完全分解された。死んだものは塵へ、まだ生きられるものは再び撚り合わされて、厚い繭を成す。
……かかった。思い切り腰を落として、伸びきる前の
「謝るなら今だよ」
「……」
繭に籠もってもはや言葉を発さない。遂に
眼前に、きらきらと陽光を映す青色が広がる。
「なに!?」
海の匂い、栄華も虚しく朽ち果てたビルディング、傷一つなく純白に輝く
「これは……」
真っ赤なコートと仮面の女。同じように首輪を付けた、やはり真っ白い肌の女達。
記憶……。
「呑まれる呑まれる!!早く……!!」
……できない。すべきだとわかっているのに。夢にも見ないほど遠くぼやけてしまった、青い海と故郷を見せられて、僕は。
貫く棘の一つ一つが指に、手の形に織られて、
突然真っ暗になった眼前に、陶磁器の仮面が現れて迫る。窪んだ眼窩には底知れぬ闇が溜まっている。仮面の顎が砕けて、ずらりと並んだ真っ白な歯が……笑った?
やっぱり強かった
仲間にしよう
瑞穂さんしっかり!!
連れて帰ろう
起きてください!!
そうしよう。
笑うようにかたかたと歯が噛み合わされる。馬鹿みたいに悲鳴が漏れるのを自覚しながら僕はそれを蹴りつける。……効かない。まるで壁を蹴っているような。左手の感覚がない、反撃も駄目か。
いつの間にか、蝋細工のような手に取り囲まれている。迫ってくる、迫ってくる!!
ああもう、知りませんよ!!
「シルト……助け……」
「
まばゆい光が闇に差す。刹那、巨大な刃が仮面の口から生える……そのまま切り抜かれ、片顎が破壊されてぶら下がる。切り裂かれた空間を力づくで押し広げて、見慣れた顔がひょいと現れる。
「とっととっ……起爆しろぉオオオアアアアアアア!!」
裂けた頬から牙がずいと伸びて、凶暴な叫びを上げる。その顎を冬霞自らの手で押し閉じる。
「ふぉォォオ、フォールト!!」
咆哮を抑えようと変な声を出しながら自力で
感覚らしい感覚もない左手に、一杯の力を込め、ありったけの
「
生身で自爆死したら、語り草だな……。
……。
…………?
ぱら、ぱらら、地面を伝う振動。
……生きてる。雨?目を開くと……ぼやけた視界に、きらきらが降り注いで見える……ガラスの雨。
もはや逃げる気力も沸かないまま、もたもたと身を起こしてみる。すぐ側に続々と降りしきるガラス片。
ひしゃげた街灯、殆ど骨組みだけになった車に、生死も不詳の有様で倒れ込む襲撃者たち。見渡す限り残らず砕け、散った窓ガラス。煤に焼け焦げた
僕自身が隕石になったような……その爆心地には、辛うじて人だとわかる燃え殻と、赤熱した
「たこ焼き、食べたいな……」
口から溢れたおかしなうわ言に笑ってしまう。
墜落しようとする
「シルト、生きてる?」
まだ籠もったままの聴力がどうにか声を捉える。
「どうにか。ああ待て戻すな、火傷するぞ。冷えるまで引きずってくれ」
「冬霞ちゃん!!無事!?」
呼びかける……無言、あるいは。耳を澄ますと、瓦礫と破壊の音に紛れて、無理矢理に息を吸い込むような声……いた。路地裏にべったりと尻をつけて、肩で息をしながらこちらを向いた。大粒の涙が、絶え間なく頬を伝って落ちる。
「……助けに、来た」
「誰が、誰を、助けるって?」
怒りに煮える視線、ぐいと立てられた中指に、それでも食い下がる。
「襲撃者は死んだ。助けは……そう、少なくとも、お姉さんの助けはもう得られない」
「だからってアンタにできるんですか?大した自信じゃないですか。殺ししかしてないのに!!」
「なら僕じゃなくたっていい!!議会が敵に回る。君だけでも、街を出てほしい」
伸ばした手に、怒声が突き刺さる。
「お断りですね。もう逃げたくなかったのに。逃げるくらいだったら私、今ここで爆発します」
大粒の涙をこぼしながらも、その視線には鬼が宿っている。僕のちゃちな爆発と違って、冬霞がタガを外せば本気で街が焦土化する。そうに違いない。
「連れ去られた方がマシだったんじゃないですか?……ねぇ、瑞穂さん!!」
「僕より人攫いの方がマシだって?ふざけんな!!」
一理、あった。だから許せない。反論できる手口もないために、湧いたものがそのまま口をつく。策らしい策もない。
「あなたがやりたいだけでしょう!!」
冬霞は跳ねるように立ち上がると、勢いよく体を打ち付けてきた。抜かり無く足を掛けられて、視界がぐるりと廻る。
「そうさ!!さもなきゃモルモットか死だ」
「死はそもそも貴女の役割、そうでしょう!!」
馬乗りになった冬霞が振りかぶる拳をただ眺める。頬に雷が落ち、青い星が飛ぶ。
「貴女がしっかりしていれば、
向き直った途端反対の頬が爆撃される。
「二度もっ!!二度も……頼らないで!!」
「ごめんぶっ」
細い拳で額を闇雲に打たれる。
「済んだのに!!」
固めた両の拳が力一杯に鼻柱を打ち付ける。頭の後ろに砂利が突き刺さって、鼻の中に血の匂いが広がる。
「殺しても、いいよ」
大見得を切って無茶苦茶を言って回って、このザマ。消えてしまいたかった。怒る冬霞に甘えて、安易な断罪にすり寄る醜さに気が付いて、やはり死にたくなる。
「ん、んゥ、うう」
もはや声にならない嗚咽をあげながら、力のろくに入らなくなった手が弱々しく胸を叩く。
「冬霞ちゃんは、こんなところで死なない。死なせてなんてやるもんか」
あの青い海は幻じゃない。なら、この世界はまだ死んでない。……この娘は世界に、生きる価値を見いだせるだろうか。こんな言葉で呪いをかけたって、どこにも宝物が無いとしたら。
冬霞は深く息を吸って、吐いて、ぐしゃぐしゃになった顔を拭って、鋭く僕を睨む。眉が怒って、目で蔑んで、口で泣いていた。
「バケモノと仲良しのあなたじゃ、わからないでしょうね。使うと、分かるんです。私なんてバケモノを包む薄皮でしかないって」
消すべきは自分ではなくて不安だろう。
「だったら、何度君が向こう側に行っても、連れ戻せるくらい強い人を……」
聞いたことないくらい大きな舌打ちをして、獣じみた悪態をついて、冬霞の小さな体で覆い被さられる。
「わかりませんか、でしょうね」
更に顔が近づく。額と額が、鼻と鼻が触れ合うほど。ぱさぱさで硬い髪が目に掛かる。底に通じる奈落色の瞳に、視線が吸い込まれる。
「私。好きですよ、恐ろしいものが、おぞましいものが。”私”を殺せるものが」
口づけの、捕食の間合いのまま、冬霞は獰猛に歯を剥く。笑顔と殺意の
「姉もこの街も、何一つ恐ろしくないです」
「よせ」
「何を。歯牙にさえ掛けないと言っているんですよ」
突然に、見たことが無いほど柔らかな。いや、蕩けているといっても良い微笑みを見せる。
「貴女だけです、恐ろしいのは。現に白いエルを殺してみせた。きっと貴女だけが、私を殺せる。そうでなかったら、助けた甲斐がないんです」
「……まだ早いよ。こんなに広い世界を、知らずに死ぬには」
冬霞はふい、とそっけなく顔を離して、南の空を裂く
「死ぬべきでした。私はきっと、雷が落ちたあの日に」
「青い海を、見たことがある?」
「どこにあるっていうんですか、そんなもの」
「捨てられた世界のどこかに。それを見て、まだ死にたかったら。教えてほしい」
冬霞は身を起こして、深々とため息をついた。
「……はぁ。下らない、本当に。バカみたいです」
「連れて行ってくれるかい?」
「楽しみです、って言って欲しいんでしょう」
「ああ、とても」
そうして冬霞は僕の手を、僕は冬霞の手をとった。小さくて力強い手が、僕を牽いてずんずんと歩き出す。
門出の
トウカとミズホと青い海─冬の霞と絶滅と─ Mun(みゅん) @mizho_R
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