3-3 バンシーの暴虐/Brutal Banshee

 殺せ、殺せ。悪い狼だ。

「シルト、開けろ」

 瑞穂は盾越しの視界を作り出し、無骨な拳銃を押し付ける。掌の中の骨が左右にスライドするような感覚に顔をしかめる。銃口が盾の向こう側に滑り出て、漫然と射撃を繰り返す愚図の頭を照準、発砲。まともな防弾さえ無いと見え、たった一発で糸の切れた人形のように崩れ落ちる。ましてこの至近距離で外すわけもなく。

 ぱん、ぱん、ぱん。命の終わりに聞くに軽薄すぎる音とともに次々と倒れていく。網に巻かれて蓑虫みたいな有様の冬霞を引き摺る愚者に風穴が開く。薬室が開放され、白く硝煙が立ち上る。弾切れだ。

 瑞穂は自らの懐をまさぐる……大型拳銃は冬霞と交換してそのまま。腰に手を伸ばす。空を切る、斧もない。機関銃にぶら下げたままなのだから当然だ。

「……シルト」

「どうすんだ、丸腰で」

「死んだらごめんね」

「は?」

噴射ジェット!!」

 黒盾両縁、側面スリットから真紅の爆炎が撒き散らされ、瑞穂ともども前方に吹っ飛ぶ。真正面にいた一人が壁と大女に挟まれ薄くなる。

「誰から死のうか?」

 即座に向けられた銃口と、じっとりと濡れた青い瞳が見つめ合う。その間に大盾シルトが滑り込んで弾丸を弾く。防弾をいい事に無思慮に詰め寄って、盾ごと跳ね上げ銃口を反らし、がら空きの胸に悠々と鉄の靴底を沈ませる。

 黒服の肋が砕けて、仰向けにぶっ倒れてあえぐ。再び大盾で身を覆った後、瑞穂は傍らに横たわるの胸に足を置いて、涙声で尋ねる。

「どこの差し金?」

「ヘッ……ハッ……誰が……言うもんギュ」

 鋼鉄の踵が、躊躇なく心臓を食い潰す。

「はぁ……」

 溜息の間に陣が組み直され、突撃しうる死角が消える。

 瑞穂の背に薄ら寒さが走る。ろくな防弾もないが素人でもない連中なんて、まともじゃないに決まってる。

 一人に殴りかかれば、残り全ての銃口が向く。前方防御では賄えない……盾持ちが一人、小銃手が六。盾持ちが冬霞ににじり寄る。冬霞の前に陣取れば釘付けにされるのは瑞穂の側であるし、壁の穴を塞ぐのも新手が来たら挟み撃ちになる。かくなる上は、と今しがた奪い取った飛べばよかろうアフトマートを乱雑に指向して引き金を引く。

 ぱふ。

「ぱふ?」

「シケてるぞこの弾!!」

「ウォッカのクソ野郎!!」

「お前混血ハーフだろうが!!」

「僕ぁ西側なんだよ!!」

 こうなれば無可動実銃アフトマートを投げつけて近い順に殴り倒すか、と瑞穂がヤケを起こしかけたその時。

「瑞穂さん!!」

 雪華が何かを勢い良く投げつける……拳銃.50。瑞穂は向き直り、軟化させた盾でぬるりと受け止める。盾を突き抜けた銃把グリップをむずと掴むと、引き抜きざまに硬化した部位に引っ掛けて安全装置セフティを解く。

 雪華はその隙に物陰へ引っ込んで、懐から拳銃を取り出して闇雲に乱射する。当然騒音と跳弾を生むだけだったが、それで黒尽くめの注意は十分に逸らされた。生まれたのは、一瞬の、あくびが出るほど長い隙。瑞穂の手の中の鉄塊から、ライフルに匹敵する破壊力と轟音が生まれる。ど、ご、ご、ご、ご、ごう。ほんの一瞬で胴/頭/肩/脚/腹/胸が弾け飛んで血の霧が舞う。残るは盾持ちの一人。

 ただ一人だけが、めくら撃ちにも動じず、また静止が死を意味することも理解していた。そして瑞穂もまた発砲を躊躇う。ただ一発の残弾に対して、相手が盾の庇護下カバーに入る術を熟知していたからだ。隙がない。そして盾持ちは瑞穂の躊躇を先読みして、驚くほど敏捷に冬霞ターゲットに駆け寄って抱え上げた。

 すぐさま瑞穂はまぐれ当たりラッキーショットを狙う。しかし盾に直撃こそすれど、貫通も転倒もない。反射的に第二射セカンドチャンス代わりに黒盾で噴射し殴りつけるも、重心の定かならぬ一撃は空を切る。

「おわあ!!」

 無を撃ち抜いて引きづられ、惨めにすっ転ぶ瑞穂を尻目に、曲者は迅速に穴の中に飛び込んだ。すぐさま立て直し、瑞穂も後を追おうとする。

「待って!!」

 頭に血が登って走り出した瑞穂は、引き留める声に振り向く。視線の先で雪華が差し出すのは、機関銃マシンガン背嚢バックパック

「この服を持っていって」

 瑞穂はその中をあらためる。少しすすけて尚更白さの際立つ冬霞の外套コート、冬霞のおおきめのズボン、冬霞の……。

「毛糸……!?」

「ちょっと?」

 雪華の鋭い視線が突き刺さる。どうやら真っ当に姉なのだな、と瑞穂は感心する。

「一緒に暮らしてて下着も見ないってどんな生活してるの!?」

 違った。だめだこいつ。そりゃ家出するよ、と瑞穂は思いきり顔に出す。

「プライバシーの保証された生活ですよ……」

 こんなことをしている場合ではない。我に返り、瑞穂は戦いに備える。ハンドルを引く……残弾なし、機関銃はむやみに重い斧の柄でしかない。斧の刃を指の腹でなぞる……人間を叩き切るには十分。雪華がインカムを手渡す。

「坑道内ならこれで話が出来るわ」

 通信機を耳にねじ込んで、瑞穂は今度こそ暗闇の中へ飛び込んだ。

白き爪ラン・ブロンシュを……冬霞を、私達はかつての戦略兵器と同等に見做しているの」

 初めに幽閉と検査の日々、次に段階的な自由と、与えられた居場所を。そして雪華が意思決定機関に食い込むことで、やっと自由を与えられたこと。鼻に粘りつく培養液の臭いを頼りに暗闇を駆けながら、瑞穂は問う。

「歩く爆弾、ってとこですか」

「……そう。私達はあなたを安全装置とみなした。あなた自身に知らせないまま」

「……構いませんよ。僕は役目を果たした、そう考えても?」

 瑞穂の鼻によれば、まだ遠く離れてはいない。なによりこんな臭いではどこまでも追いすがることができる。

「ええ。ただ……開放される事自体が、有り得ないと想定していたもので。元通りには収まりまらないでしょう。重ねてこのような襲撃が起きた以上は、出歩く事すら出来るかどうか……」

「……歯切れが悪いですね、どうしたいんですか?あんた。指示するのが仕事でしょうに、そうでなければ"ただの姉"でしょう。汚れ仕事?だったらいくらでもやってやりますよ、さっきお見せしたように」

 倫理を打ち破ってほしい。どうやっても違法闘争アウトローでしか解決できない。そんな期待に応えるつもりで、煽り立てる。

「あの子を……冬霞を……抹殺してください」

「はい?」

 想定と真逆の言葉に、瑞穂は出足を挫かれる。一時匿う、どこかへ逃がす。なら喜んでやる。でもこれは違う。

 違う?どう違う。狼を殺し、無辜の羊を守る。昨日までと、明日からも。何も変わらない。その筈なのに、瑞穂は。

「お断りします」

 口をついて出た言葉に、瑞穂自身も驚く。それは逡巡するまでも無い、偽らざる本心こころ

「同じ力を持った、貴女にこそ託します」

「……毒をもって毒を制す、その程度でどうにかる、というのが十年掛けて貴女が辿り着いた答えですか」

「十五年よ」

「……ねぇ。これは誰のための行い?クニ?タミ?それともあんた自身のため?」

「この国の全てに。こうならないための努力でしたとも。でもこの件が閉じるなら、私は施政官を降ります」

「施政官でいる意味が無くなるから?じゃあ貴女の十五年は、精算して終わりで良いわけ?ただ一人の家族も守れないまま!?」

「……百も承知よそんなこと。なら貴女どうするの?」

東都とうきょうを奪還する、僕と冬霞で。これだけの手柄なら誰だって黙らせられる」

「無茶な。ただ大きいことをやっただけでどうなるっていうの」

「どうせ死ぬなら、試す価値はある。そしてこの手柄をどう使うかは貴女が考えること」

「確実な死が求められているの。すり替えないで!!」

「今まで一度も出来なかったことを?まして、それが世界のためになると本気で思ってるの?」

「それは……」

「大多数は目の上のたんこぶが消えて無くなればそれでいい。違う?」

「戦略兵器を紛失してそれで済むと……」

「済むよ。どいつもこいつも街から出る考えすらない。もし本気で探すと思ってるなら、御母堂はどこにいる?」

「ぐっ……ああもう、ギロチンでも何でも乗ってやるわよクソ!!貴女こそ野垂れ死にするかもしれないのよ!!覚悟できてるんでしょうね!?」

「久々に海が見たいんだ」

「……なんと?」

「波打ち際、さらさらで熱い足ざわり。まばらな雲、頬を撫でる湿った暖かい風、どこまでも続く青と青の境界……」

「……それ、だけのために?」

「希望は、人間を動かす一番強い力。それまでは絶対に死ねないし死なせない。健気な後輩のために……悲願を果たすときに、命を落とすかもなんて話は今更でしょ?だから……妹さんを、連れ去ります」

「……言ったわね。どうとでもなれ、何が望み?」

「……NATO弾7.62mmと燃料と食料をありったけ、それに銃を冬霞の車に載せて手配して。……それから、ちゃんと守っていて、冬霞の帰る場所を」


 ◇◇◇


 歩哨役の女の前を、目標を抱えた仲間が駆け戻ってきた。

「来る!!やばいのが!!食い止めて!!」

 嵐のように駆け抜けていったそれを呆然と見送って、そのしばし後。

 微かな啜り泣き。

 衣擦れ。

 ひたひたと、足音。

 電子灯ランタンだけが頼りの深い闇に浮かぶ、ふたつの青い鬼火。

「何者だ!!」

 取り決めプロトコル通りに銃を向ける。女は返事が無いと見るや、三発一纏めに発砲する。弾着点で火花が散り、しかし目は銃火に眩む。

「クソッタレ、見えねえ!!」

 女が腰のランタンの光量を増す。ぐんと視界が広がると同時に、その頭上にぎらり銀色が閃いた。双つの鬼火のような瞳が、手を伸ばせば触れられるほど近くでぐわりと開かれる。

「ひ……」

 大上段で振り下ろされた銃槍斧ハルバードが頭蓋に滑り込んだ。瑞穂は相手が崩れ落ちる前に、プレート入りの膝でランタンを叩き割る。ふいと消える灯火ともしびは哀れな歩哨の命のようである。しかして闇は、惨劇など幻かのように全てを覆う。爛々と輝く青い瞳と、消え去るものを惜しむ啜り泣きだけが冷たい岩のうろに響く。反射し、増幅され、うなりうねって廃坑の奥の奥まで。

「おい、何だ?この声」

「静かにしろ!!……奴だ」

 歯の根をかたかたと震わせながら女は囁く。啜り泣きは大きく、かと思えば小さく。袋小路の集まりが、その方位も距離も殺している。

泣き女バンシーだ!!知らないのか!!」

 はん、と相方は鼻で笑って、小馬鹿にした笑みを作る。

「お前、御伽話のお化けが怖いのかよ。ママ代わりに子守唄でも唄って……」

 ぐちゃり、と水に物の落ちる音で会話は途切れ、二人は銃を向ける。

「止まもごっ」

 "何か"に呼びかけた不用心な女の口を、怯えた女が塞ぐ。

「よせ!!」

 抑えた指が手のひらがじっとり濡れるのを感じて怯えた女は驚く、手を離す。途端に致死量の鮮血がまろび出る。

「ひ……うぐ、ぐすっ」

「うわひ、うわ、わああ!!」

 息がかかるほどの距離から聞こえた泣き声に驚き、走り出す。当然のように湿った岩に蹴躓けつまづいて、身を守るための銃がめり込んで肋を割る。目も眩むような痛みの中、起き上がろうと着いた手がぬるり滑って頭を地下水に突っ込む。生臭い鉄の味が口の中に広がる……石の味じゃない。血、血溜まりだ。目が合う、胴と分かたれた顔、虚ろな瞳。

「……っ、ひ!!」

 さっきの水音は注意を逸らすための。しかし、わざわざこんな惨い手口を使う者なんて。その正体を女は確信し、躊躇なく無線封止を破り叫んだ。

泣き女バンシーだ!!碧眼の泣き女サフィール・バンシーが……」

 音もなく忍び寄る青い瞳が、大盾でその喉をすり潰した。

「何だって?」

「知らねぇのか!!サホロ黎明期のバケモごべ」

 一番の力自慢の女の、顎が無くなるほど太い首が消える。

 隣の女の頭上からぶち下ろされた黒盾が身長を半分に圧縮する。

「明かりだ!!最大光度にして視界を確保ゴボッ」

 胴を腕ほどもある杭が喰い破る。元より黒で固めたその身、相互視認の為の反射材さえ覆い、大盾も黒体も全身を毛羽立たせ黒体もかくやという徹底的な黒さ。それでも光の中ではかえって目立つだろう……そうだろうか。なら、この有様は?

「今、そこでなんか……」

 怯えきった新人に辟易しながら、その照準線の先にしっかり者の女が歩み寄って見回す。

「なんにも無いよ。暗さで目がおかしくなってるんじゃ……」

 背後からの光がふ、と消えた。何か見つけたのかな、と女が振り向く。

 わだかまる闇の一塊があった。

 彼女が居た痕跡があった。

 床に、岩肌に、梁に。

 下水の臭いにおい。知っている、人間の中のにおい。

「……ッ!!」

 素人じゃない。それが音もなく死んだ。状況を把握した女は、闇溜まりの足元・・を狙ってリズミカルに引き金を引く、やはり視界が眩む。闇そのもので塗り潰したようなそれは、照準点を飲み込んで何を撃っているかさえ定かではなくなる。

 しかし空隙を狙った射撃は、足止めに成功する。この場に縫い止めるだけでも構わない。

(30発、撃ち切る前に考えろ、どう生き延びるか)

 そう言っても所詮は自動小銃。弾倉マガジンは容赦なく軽くなっていく。嫌な手応えと共に弾倉は空に。黒い化け物が期を逃さず飛びかかる。間に合わない。女は反射的にその足元へ小銃ライフルを投げつけた。

「ごのっ……」

 泣き女バンシーが悪態とともに飛び上がる。無防備に宙に浮いた懐に飛び込む……大きい、まるで底のない闇の帳に覆われるような。これでは化け物エルそのものを相手にするのと変わらない。それならそれなりにと、無防備なはずの関節に向けてナイフを突き出す。

「小賢い」

 まばゆい噴射炎がひらめく。涙と返り血にまみれた、人形めいた白い顔。青い目が、薄い頬が揺らめく炎に照らされて。女が直感的に、彼岸の渡し手と識別する。死の予兆、北方の妖精…… むべなるかな。

 空中での噴射。反則みたいなやり方で振り回された大盾が迫る、慌てて頭を下げる。空中に浮かせたつもりで、地面に押し込められて……その鼻面に太く重く、装甲された脚がのめり込んだ。

 ド派手に衝撃した直後にも関わらず、泣き女は危うげなく着地、そして問う。相手の動きから、殺人者の手付きを察知して。

「今まで何人ごろした?」

 対して壁に叩きつけられた女も、潰れた鼻も気にせずに飛び起きて、腰に下げた片手剣を引き抜いた。

「あんたほどじゃあ、ないよッ!!」

 壊れた蛇口のように流れ出る血を吠え散らして、飛びかかる。女は泣き女バンシーのやり口を知っていた。完膚なきまでに犠牲者を破壊する冷徹さを、女子供も皆殺しにする狂気を。

「バンシー!!」

 勝ち目はなくとも構わない。死ぬまではこの場所に釘付けにする覚悟。固く握った片手剣を振り下ろす。

 対する泣き女も、戦斧を真下からぶち上げ迎え撃つ。ヤワな片手剣はひとたまりもなくねじれ曲がって吹き飛ばされる。

「まだァ!!」

 潰れた鼻から絶えず流れる血であぶくを作りながら、最後に拳を繰り出す。そうしたら尻尾を巻いて撹乱へと移るのだ……そんな目論見虚しく、空を切る。

「はひ……?」

 逃げも隠れもせず、すり潰せは済むはずの巨体がするりと身を引いた。振り抜き、伸び切り、もはや進退もままならぬ女の前で大盾が持ち上げられ、必殺の左ストレートが脳髄を打ち抜いた。

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