トウカとミズホと青い海─冬の霞と絶滅と─

3-2 怪談と神話 Ⅱ/なくならないもの

　私達が最初に白いエルに遭遇したのは、東都（とうきょう）からの大脱出の最中（さなか）でした。これまでの認識を覆す、太陽光下での完全な活動能力に、私達は甚大な被害を受けました。そもそも最初、地吹雪に紛れる白い何かをエルと認識出来なかったといいます。

　その異常性は例えば、自動車に追いつくような単純に超越した身体能力とか、砲弾を弾き返すほどの異常な強度の構造体だとか、あるいは指揮官を狙い撃ちにするような知性だとか。

　ええ、それぞれは既知の性質です。しかし全てを兼ねようとすれば、99.999999%以上の確度で破綻を来すというのが当時の理論。常識外れのエルの存在は、新天地でのやり直しという目標にまで影を落としました。

　決断は迅速で、脱出団（エクソダス）は振り切る事ができないと確信した時点で、白き爪（ラン・ブロンシュ）と名付けたそれに、総力戦を仕掛けたのです。

　ここで勝てないようでは我々（にんげん）に未来なし。電光石火の如く、凄まじい戦いだったそうで。当時を知る人曰くは、

「ド真ん中を捉えた砲弾が空の彼方へ弾かれた」

「一瞬吹雪に紛れたと思ったら隣の装甲車が真っ二つにされていた」

「隊長機の戦車が目の前で三枚おろしになった」

「榴弾を発射してから回避された」

「なんなら命中しても効果がなかった」

「そもそも敵を見ていない」

　これが時速100km超で向かってくるのだから手の施しようがありません。惨敗でした。

　我々が得た教訓は、勝ち目や利益が無い戦いをしないこと。”あれ”を刺激してはいけない。だからこの戦いの記録を封印したのです。そしてまれに見られる"それ"を”目のかすみ”や"地吹雪"として処理させたのです。ああ、勿論動向は把握していますよ。

「ちょいと待ってください……」

瑞穂は己の左腕をぱんぱんと叩く。

「ジェット推進、防弾、ぺらぺらとやかましく喋る知性。僕の左手のこれは、何なんです?」

「……それは貴女と出会う前からそうでしたか?」

「おそらく……否です」

「ではオツムが足りなかったんでしょう。これらの特異性は、どうにも生え抜きであるらしい点ですので。しかし阿左美さん、なぜあの基地を壊滅させたのがエルと認識できたのですか?」

「噂話程度には知っていましたから。ほとんど状況証拠からの憶測ですが」

「……これと比べて、違うところはありますか?」

　瑞穂は”白いエル”の情報を一見して、その非凡さに目を剥いた。純白──青い雪（ブルースノウ）とは違う本物の白──の外骨格に包まれた細身の四肢や、その肘から先に伸びる長大な刀身（ブレード）。針のように細くそれでいて柔らかい曲線を描く足回り。鎧騎士、それも姫騎士と形容するのが相応しい、大変にヒロイックな造形。

　艶めかしい曲線で織られた、どこか淫猥で冷たい美を纏ったエル。ギラギラと並ぶ牙だけが辛うじて"らしさ"を醸している。

　しかし、それは瑞穂が見たものとは違う。

「もっと柔軟で、それこそ絶滅した軟体動物に似ていました。今聞いたほど法外な強さなら、僕は死んでいたでしょうね」

「……やはり、そうですか」

「やはり、とは」

「何度かアルビノ個体の目撃情報はあるのですが、ここまで好戦的かつ強力だったのは白き爪（ラン・ブロンシュ）くらいなのですよ。何が違うのか……他に何か思い出せることは?」

「僕はこいつと相討ちになって、気が付いたらすべてが終わっていたので……」

　瑞穂は左腕をぐいとつねる。なし崩し的に人化（じんば）一体なだけで、全く根に持っていない訳ではないから。

「それで、そのエルをどうやって倒したんですか?」

「そのカルテに答えがありますよ」

　右下に15年前の日付。大脱出よりかなり後だ。左上に目を滑らせる。

　"エル特異個体:白き爪（ラン・ブロンシュ）"

　"被験者:佐渡・Angoulême・冬霞（さわたり・アングレーム・とうか）"。

「……人柱にした?」

「まさか。……そうと知っていれば、そうしたかも知れませんが。白き爪（ラン・ブロンシュ）が司令部に襲いかかる、その寸前に冬霞が割り込んで、"何か"が起きた。冬霞の肉体は消失し、白き爪（ラン・ブロンシュ）の肉体は冬霞の意識下で安定した……」

「"何か"とは?」

「閃光が辺り一帯を包み、青空の下で不可思議な雷鳴が鳴り響き……それが消えると冬霞がただ立っていた」

「……なんですか、そりゃ」

「魔法。あるいは、奇跡でしょうね。既存の理論を覆した挙げ句、二度と再現することはない。泥人間（スワンプマン）の降臨。私達にできたのは、それがどんな性質で、何をすべきで、何をしてはいけないか。そして貪欲な知性の欲望と、殺すことすら危険という懸念に生かされてるの、冬霞は。実の母特製の首輪を嵌められて、ね」

　瑞穂は浮かぶ冬霞を見つめながら、頷く。

「なるほど、道理でおっかない顔をしてるわけです」

「おっかない?……あら、まぁ」

　見開かれた青い瞳が、炎のように揺らめきながら雪華と瑞穂を捉える。その手がこん、こんと培養槽を内側から打ち付けると、雪華が気の抜けた声で応える。

「入ってるわよ」

　よくこの状況でボケようと思ったな。脱力と緊張に包まれる瑞穂の眼前で白い閃光が宙を裂き、厚いアクリルや溶媒が内側から吹き飛んだ。

　◇◇◇

「……この裏だ」

　底知れぬ闇の溜まった廃坑をなぞる足音が、ふと止まる。手に持った力場計の数値を二度確認して頷く。

　もう一人はずいと壁に近づくと、手に持った何かを均等に貼り付けていく。

「発破（ブリーチン）!!」

　◇◇◇

　冬霞が呼吸器を荒っぽく引き剥がし、口を開いたその瞬間。分厚い合金製の壁が吹き飛んだ……違う、全然厚くない。むしろ引くほど薄い。

　まず黒服の覆面が二人躍り出て、何かを構える。

「このクソ姉……!?」

　吠えた冬霞を飛来したネットが覆って、半ばキレている冬霞は刃でそれを引き裂いて反撃。しかし破孔からさらに黒衣の集団が現れ、次々にネットを射出していく。四肢の動きが封じられ、抵抗が弱々しいものになっていく。瑞穂は躊躇いなく黒盾（シュヴァルツシルト）を展開し、すっぽりと全身を覆うように前方に構えた。

「雪華さん、後ろに!!あれは一体!?」

「……少なくとも、味方ではないわ!!」

「……了解。こちらは遺構管理局である!!」

　瑞穂は声を張り上げる。

「そちらは政府施設へ不法侵入している!!速やかに武装を解除し投降せよ!!さもなくば、我の総火力を以て……ッ!!」

　ガン、と激しい金属音が響く。弾丸が大盾の表面で跳ね返る音だった。瑞穂の瞳からふ、と光が消えて深海色を映し、そしてすぐさま涙が溢れる。

「……雪華さん。物陰に隠れていてください」

　瑞穂は頬を濡らしながら、冬霞の拳銃を取り出して涙声で叫ぶ。

「ブッ殺してやる!!」