1-3 (校)訓練セーフ、顔面セーフ/It's All Okay!

「あまり気にしないでね、無茶振りはいつもの事だから」

「そう言われましても。貴女が辞めない限りは、私も暫定永久就職でしょう?」

「それも……そっか」

 屋内運動場の一角。だだっぴろい空間に暖房は申し訳程度で、足先から熱が容赦なく吸い取られていく。

「武器と防具も全部ここに。防弾板プレートもね。殴って折るならまだ良くて、自分にめり込んで骨折ったらもうね……」

 ロッカーの一つを選んで、機関銃、拳銃、弾薬、ナイフ、大小10枚の防弾板を詰め込む。全身をはたはたと叩いて、"ふわふわ"になっているか確かめる。振り向くと、異常なものを見る視線が突き刺さる。

「私は鉄砲しか持ってないんですが……それ全部付けてたんですか」

「いつ何があっても困らないようにね」

「過去に困ったことがあったんですか?」

「……そうとも言うし、心配性でもある……。よし。まずは腕立てから」

 忘れ物常習犯を見る顔をスッと仕舞って、冬霞がてきぱきと姿勢を作り、素早く上体を上下させていくのを数える。見た目の細さの割に、しっかりした体幹を持っているのが見て取れる。

「はい終わり。いいね」

 時間いっぱいへばらないだけでも、上々というもの。

「それは、前職が運搬ですし」

 握力も期待できるか……34。

「……34kg!?」

「片付け……でなくとも装甲車振り回してるあたりで気が付きませんかね」

 つつがなく試験をちぎっては投げていく。特に目を見張ったのは投擲、跳躍、そして短距離走。特に短距離は7秒台、驚異的。

 反対に平均割れ……いや、かなり辛いのが持久力系。揃いも揃って、窮地から離脱トンズラするにはあまりにも心許ない。均せば平均以上ではあるのだけれど。

「おーん、これは……ちょっと足りないねぇ……」

「二回目……やりますか……」

 壊滅的なペース配分のシャトルランで自爆した冬霞が、見るからに無理な提案を息も絶え絶えに伝えてくる。

「いや……息切れしたら死ぬかもしれないなら……息切れしても死なないのを証明できればいい……」

「突っ立ってただけのくせに……息切れした風に喋るの……ムカつくんですが……」

「……え。あっ!?ごめんよ。それで、まだ動けそう?」

 肩で息をしながら冬霞が立ち上がると、髪の先から大粒の汗がばたばたとこぼれ落ちる。

「何です……このまま外に出て、走ります?」

「そんなことしたら氷漬けになっちゃうから……そう、例えば。銃もなく、息も絶え絶えに、化物やつらと密室で正対したら」

 じり、じりと緩慢に歩みを進め、僕は手が届く一歩手前に仁王立ちする。腕を組んで、逃げ道を塞ぐように。窓から差し込む光を遮って、暗い影を投げかける。

「どうする?」

「どうするって……」

「どう生き延びてみせる、って」

 ゆらり、と一歩進む。

「見上げるほどの体躯」

 僕の胸ほどまでしかない小さな体に、声を降り注がせる。

「荒い吐息」

 生まれ持った蒼い瞳を、爛々と見開いてみせる。

「血塗れの鋭い爪」

 引き裂くように力を込めた手を大きく振りかぶる。その時、腹部にとん、と軽い衝撃が走った。

「本物もこんなに悠長なんですか?」

 つんつん、と僕の腹をつつく冬霞へ、速やかに手を振り下ろし、脇腹を軽く叩く。そのまま軽く持ち上げて、腰を使ってぶん投げる。……ちゃんと食べてるし力もあるのに、妙に軽い。

「ほら死んだ。一発入れたら、すぐ退く。あと眼鏡外して!!」

 尻餅をついたままグラスコードメガネチェーンをきつく留め直す冬霞に、待ったなしで掌底を突き込む。すんでのところで、脚だけで飛び退かれて空を切る。

「貰わなきゃいいんでしょう」

「そういえば今朝はごめんねぇ!!」

 新鮮で手近な怒りをつついてみる。その間も絶え間なく、見え透いた大ぶりの薙ぎ払いを絶え間なく繰り出して、じりじりと部屋の隅へ押し込んでいく。

「今更蒸し返さないでください、藪から棒になんですか?」

「やられたら、やり返さなきゃ軽く見られるよ。人を傷付けるのは嫌い?」

 問いかけて、追い込まれるばかりの冬霞を煽る。むやみに空を切るように見せて、その実すでに限界に近い持久力を更に削ぎ取っていく。

「……そんな、こと」

「へぇ。随分んだね」

 羨望、傲慢のニュアンスを含んだ禁句。かつて混沌と略奪に包まれたこの街で、過去の詮索は。煽りながら平手を振り下ろし、ついに壁際へと押し込む。

「買いかぶりです……よっ!!」

 冬霞は単調な打撃の合間を縫い飛び上がり、壁を蹴った。

 ……甘く見ていた、線の細い娘だと。目の前で起こっている事が理解を超え、一瞬脳が停止する。次の瞬間に、僕の肩を猛烈な衝撃が襲う。息切れ寸前とは思えない身軽さで僕を踏み台にして、飛び越えたのだ……と理解したのは、背後でぱさりと着地する音がした頃。出遅れた。

「悠長」

 煽られる。瞬く間に力関係が入れ替わったような感覚。取り敢えず打っとけ、回し蹴りと共に向き直る、空を切る。教えたことをすぐ飲み込んで、十全に間合いを取られている。しかし実際、力関係は揺るがない、多分。冬霞は肩で息をして、真っ白な頬が充血して赤く染まっている。

 十全に熱が入った冬霞へ、確信へ変わりつつある疑念を投げかける。

「君の家はひょっとして、創市者一族さわたりの」

「ッ!!」

 ぶお、と吹っ切れた者が発する怒気が吹き付け、目一杯に地を蹴ってつんのめるように飛び込んでくる。……ぬかった!!

 まったく想定していなかった位置の反転。見開いた目に陽光が突き刺さる、純白の装いの冬霞が光の海で”消える”。反射的に瞬き一つ……視野のリセットを図った時にはもう、細い拳が降り積もった不満を込めて僕の腹部に食い込んでいた。上体の慣性と脚力が完璧に乗った鋭い衝撃に、胃も心も踊る。

「……ぐ」

 冬霞の”怒”の表情に一瞬、本気の恐怖が浮かぶ。

「は、吐くなッ」

「良い一撃」

 酸いものを食いしばった歯で押し込めて、即座に反撃の手を差し込む──鋭いバックステップで躱される。でもこれだけ頭に血が上っていれば……ほら来た。

 我慢ならないとばかりに、しかし巧く下方の死角を使って突きこまれた手を、手のひらで受け止めて覆う。軽快な打音に我に返り呆然とする冬霞。まだ自由な反対の手首もがっしりと掴んで、懐で冬霞をくるりと回転させ、背中から抱き留める。

「!!」

「手首を痛めておりませんか?

「……はっ。貴女もそういう態度、できるんですね。でもどこに証拠が?」

 貴女?……と言ったら火に油を注ぎそうだ。図星で怒っておいてそれ聞くんだ、というのもぐっと飲み込む。

「あの銃。真っ赤なコートと仮面に、手の掛かった銃を持った、一騎当千の学者女。佐渡教授だって知って驚いたよ」

「……名前で判断しないなんて、案外冷静なとこあるじゃないですか」

「どさくさで佐渡を名乗った人、多いらしいね。だとしても、偽名使えばいいのに」

 掴んだ拳を、逃さず捕らえ続ける。

「嫌ですよ。私が逃げるみたいじゃないですか。……あといい加減、痛いです」

「御母堂、どんな人だっ……」

 ぐいと掴んだ手ごと体を思いっきり下に引かれたと思うと、猛烈な硬度が顎目掛けて飛び上がってきた。反射的に舌を畳むと同時に、歯と歯が打ち合わせられる爆響が頭中に飽和して、視界がぐるくる揺れて、よろめいた顔面に横薙ぎの腕がぶち当たって仰向けにぶっ倒される。

「大ッ嫌いですよ、あんなの!!」

ぼぶもさ」

 ぐるぐる回る世界で上体を起こして、歯の欠片を吐き捨てた。はっと息を呑む声。

「やっと怒ってくれたね。嬉しいよ、さわた」

 冬霞は流血に怯む体や良心をように、燻る憤怒に新気を吹き込むように、きっぱりとよく通る低い声で修正した。

「冬霞と呼んでください」

 は?負けねぇ。

「トーカちゃん」

「馴れ馴れしいですよ」

「さわt」

「だああああもういいですよそれで!!どこまで!!人に!!喧嘩を……!!」

「そうだ。僕も瑞穂でいいよ」

「はぁ……それで瑞穂さん、満足しました?」

 大大満足を顔面に貼り付けて応える。

「怒りに任せてやっても、体格差と体力差があるとどうにもならない。って話をしたかったんだけど。切り抜けられちゃなんも言えないや。やっと怒ってくれて、嬉しいな」

 顎を擦る。舌噛んでたら洒落にならないやつだこれ。

「冬霞ちゃんは、頭は大丈夫?」

「は?」

 氷の声音。冬霞の火が再び燃え上がる。

 右手の甲から黒盾シュヴァルツシルトがにゅいと直方体を出して便乗する。

っちまっていいぞこいつ」

 握力にまかせて、今一つ空気の読めないモノリスを握り潰す。

「勝手に出んな。じゃない、違くて、頭突きしたところは大丈夫?」

「めちゃくちゃに痛いです」

「ごめん、診るよ」

「……ごめんなさい。私も」

「駄目」

「どうしてですか」

「した後にどうなるか、考えちゃ駄目。怒るべき時に怒って、撃つべき時撃つ。後先考えてる間に死ぬこともある。意識しなくていい」

 くいくい、と手招きすると冬霞はおずおずと寄ってきて、へにょりと座り込む。まだ湧き出ている血の香を黙々と口の中に閉じ込めて、硬い毛をかき分ける。ぽっこりと赤いたんこぶが出来ている。僕はふと思い立って、普段は閉ざされた大扉を履け放つ。そして一面の銀世界を両手でもぎ取って持っていく。

「とりあえずこれで冷やして、医務室行こう」

「待って下さいよ、これで終わりじゃあないですよね?」

 強気に言いつつ即座に冷やし始めたあたり、続けられない事は明らかだった。


 ◇◇◇


「あら、まぁまぁ」

 頭と顎に氷枕を貼り付けた私達を見て、局長は興味深げに息をつく。

「顎で攻撃したら駄目でしょうに」

「絵面が酷いですし逆です」

「なら……まさかの、してやられたわけね?みーちゃんが」

「慢心としか言いようがないですね、これは」

 却ってバカっぽく見えるように、賢しげに顎に手を乗せてみせる。場になんとも言えない笑いが起きる。

「貴女が平和ボケしてるの、いい傾向なんじゃないかしら?」

 局長は口を隠してくつくつ笑うと、肩に顔が乗りそうなほど身を寄せてきた。

「貴女の事、どこまで話したの?」

記憶封止メモリシールしてるものをどう話せと。そうでなくたって、貴人ノブレスにする話でもないでしょう」

「仕事に掛かる話まで仕舞い込むのは感心しないわね」

「施政官へのホットラインがあるとしても、ですか」

「殺戮に手を染めたとしても。今は仲間、でしょう?碧眼の泣き女サフィール・バンシー

 人間を切り伏せる感触が、記憶の封止シールを破って手のひらに浮き上がる。

「……ッ」

「納得出来ない?」

「頭ではできますよ、そりゃ」

「まったく、半月何をしていたのだか。彼女は自由人こっちの気質、貴女と同じよ。元から年上としてとかは期待してないから、仲間として接してあげなさいな」

 局長、もう少し手心を。どう考えても正論だけど言われるのは癪で、つい皮肉で返す。

「懺悔でもします?」

「ええ、形だけでも。目をつぶっても踏み抜いた地雷が消えるわけじゃないでしょう?」

「あの」

 剃刀かみそりめいた囁きの応酬に切り込んできた声に、僕と局長はぐいと距離を離す。わざとらしく二人仲良くにっこりと微笑んで見せると、局長は冬霞に問いかけた。

「貴女は、どうしたくてここに来たの?」

「私は……本当に私にしか出来ないことを、するために」

「そうしたら、貴女はどうなるの?」

「……?」

 質問の意図がわからない……というよりは、斯くあれば全てことも無しでしょう、といった顔。

「嬉しい時笑って、悲しい時に泣く。そんな場所があれば十分じゃないですか?」

 僕の無い頭を捻った、中身がない言葉をあっさりと素通りして局長が続ける。

「言い換えるわ。わざわざ遺構管理局うちで、何がしたいのか。戦いたいのか、市内で発掘品を調べるのか、あるいは世界の果て……今の人類勢力圏の一番外に立つのか」

「いいとこだよ、遠征」

 ラクだし、と小さく言うと局長がちらとこちらを見た。

「……孤立無援で死にかけても”ラク”って言えちゃうような人におすすめね」

「あんなことそうそう起きないし、矢面に立つ時点でその程度の覚悟は皆……」

 反論する。そして目が笑ってない冬霞の薄笑いに尻すぼむ。どうぞ、続けて?と言外の圧を感じる。

「……できないよね、普通」

 できてたらむしろ困る。冬霞がどうしてか、少し残念そうな顔をするので、持ち直したい。こんな話じゃなくて魅力を伝えなきゃ。

「あそこは唯一遺構管理局うち本来の仕事ができるところなんだ。失われた技術、歴史、文化を直に触れる」

「荒野に戻りたくて……というか、この街が嫌いなのよ、みーちゃんは。妙に手柄だけは立ててるからって、耳貸さなくていいわ」

「でしょうね」

 冬霞はしっかりとこちらを見据えて、跳ねた毛先を弄びながら半目で言う。えっ、そんな、珍しい。正面切って褒められると、照れるな……。

「……手柄?」

 冬霞は聞き逃していた言葉が今更耳に入ってきた様に、不思議そうな顔をする。褒められてなかった。

「数はともかく、都市運営に欠かせない重要資材ばっかり持ってくるのよね、不思議と。不思議と」

「そうとも」

 なんで二回言った?ともあれ、ある胸はあるだけ張っていい。気を取り直して堂々たる態度に戻る。

「人波から離れ、遺失技術ロステクを求めて未踏破の遺構へ飛び込む日々。本当に最高なんだから」

 やっぱり冬霞は、ほんのわずかに口元を笑わせていた。

「私は……私も。遠征がいい、です。私は……きっとそう、栄誉が。私が私だと、名を立てて見せたい」

 今まで見たことのない、強い意志に面食らう。その言葉を聞いて、怠惰に世界をふらついていた自分が急に恥ずかしくなった。

「……僕なんかといっしょで、できるかな」

 ほぅ、と局長が一息ついて、自分の頬をぺし、と叩くと”局長”の顔になる。

「任せて。いい感じにしてあげるんだから。その代わり、言ったからにはちゃんと導いて上げなさい、みーちゃんも。約束して?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る