神あるいは悪魔、私を試すなかれ

2-1 再演/Encore

「……どうしよ、これから」

 夜。静まりきった自宅で、並べだベッドにそれぞれ潜り込んだあと、瑞穂さんはボソリと言った。

「いいじゃないですか。市内に面白いこと、ありませんし」

「いいわけ無い……変な建物とか崩れかけのところにも入るし、未確認のエルは出るし、しばらく街にも戻れないし……」

「正直になったらどうです?」

「……?」

「責任取れる気がしないって」

 はっ、と息を呑むのが聞こえた。

「行く前に顔見せなきゃ、ご家族とか」

 死ぬ前提ですか。死ぬ気も責任なする気もありませんが。それはそれとしてちょっと面白いので続けます。

「あんなのはっといてもいいんです。駄目ならもう止めに来てる筈です」

 瑞穂さんは少し躊躇って、危ない話題を投げつけてくる。

「やっぱり……嫌いなの?」

 ひょっとして寝言か、それとも脳揺れて記憶飛びましたかね?

「鬱陶しいんですよ。姉は母の代わりになるつもりで張り切って、本当に施政官おえらいさんになってしまうし」

「ぶっちぎっちゃおうよ」

 他人の人生に楽しそうに口を出すな、この人。悔しいかな、肯定しかできない。本来はこのくらいでいいんだ、多分。

「今やってる所ですよ」

「そうだった」

「どこへ行っても姉は手出ししてきます。これは仕方ないです、本人も悪気はないでしょうし。だから何か大きな功績でも立てて……私だってやれると思いたいんです」

「家出みたいだね」

「親殺しする親が居ませんからね」

「とっくに死んでるなら、それこそ好き勝手にデカくやろうよ」

「例えば?派手な部署といったところで、究極的にはバケモノ狩りと廃墟漁りが仕事なのでは?」

東都とうきょう凱旋」

 飲みかけた生唾が気管に入って、私は盛大にむせた。

「やっぱりバカですよあなた」

 それはだって、この街サホロの悲願。化物と凍った世界、千Kmに阻まれた、叶わぬゆえにわたしたちエクソダスを焦がし続ける郷愁。辿り着けば失われた三千年紀ミレニアムを取り戻せる、そんな幻の夢想郷ユートピア

 ……そんな家出があってたまるか。

「じゃあどうする?消えた教授でも探す?」

 母に言いたいこととかぶち込みたい拳はありますけど、みみっちすぎるので駄目です。

「コスい詐欺みたいな勧め方やめません?」

「……正気で考えてるでしょ」

「他に何が!?」

「そりゃあ正気じゃ、想像できる結果しか出ないもの。今度お酒でも飲んで考えよう?」

「酒」

「だから吹っ切れないんだよ」

「酔ってます?カジュアルに法の壁を破ろうとさせんでもらえます?」

「型破りたいのか真面目にやりたいのかはっきりしないな……」

「二者択一じゃないでしょうこれ……」

「うん……狂いながら真面目にやらなきゃ……」

 んー、と大仰に唸ってから、瑞穂さんは起き上がって、もそりと言った。

「そうだな……例えば。碧眼の泣き女サフィール・バンシーって、知ってる?」

「今度は都市伝説ですか。脈絡ってものは無いんですか貴女には……」

「知ってるんだ。そっか」

 この人、本当に昼間揺れた脳みそは大丈夫なんだろうか、それともやっぱり寝てるのか。

「都市の暗がりに潜み、瞳を爛々と輝かせすすり泣く……」

 突然何かが詰まったかのように、続く言葉は喉に引っかかった。

「いや……そんな事って、あるんですか」

 碧眼の泣き女サフィール・バンシー。闇の切れ端のような黒いわだかまりが、瞬く間もなく駆け寄り、くびを切り裂いて闇に消える。後に残される、血の海とすすり泣き、じっと伺う青の瞳。

 存在も定かでない都市騒乱期の化生。翻って、私の横にいるこの人は。

 ──執拗なまでの黒尽くめ。よくわからない理由で持っている大きな斧。蒼い瞳。暴力への躊躇のなさ。この……だらしないし、ぱっと見て切れ者にも見えないこの人が?しかし符合する年の頃、身の特徴。羊じゃない。……そう、見抜かれようが羊の皮を被ったまま、生ぬるい視線を投げつける不気味な狼?

 瑞穂さんは飽きもせず、じっと押し黙って、蒼い瞳をこちらに向けている。殺意も敵意もないけれど、ただ部屋の中を漂うだけの暗闇が、ねばつくような重圧を帯びてくる。

「……貴女が?」

 よりにもよって、それだけはないでしょう。……そんな願いも虚しく、瑞穂さんが小さく頷く。寝食を共にした仲間が実は偽物で、黄ばんだ牙を剥いたように。心臓が早鐘を打つ。この人は、体だけ怪物なわけじゃない。心まで。

 ……って、私は一体何を真に受けているのか。

「それで、フカシじゃない証拠は?」

「……引かない?」

「常識の範囲内であれば」

 それじゃ、と言って瑞穂さんは目を閉じる。

 この何の変哲もない一室でいかなる証拠を示せるだろうか……正直全く期待できない。しかし青い瞳が閉ざされて闇に沈んだ瞬間、目の前の白い顔がなった。まっすぐ迫ってきた大きな手が私の頬を挟み込む。

「……っひ、え」

 前髪が触れ合うほど近くで爛々と青い瞳が見開かれて、肺の空気が情けなく漏れ出してしまう。心臓が、跳ねる。

 ……殺意のない殺意、災害的挙動。アドレナリンが吹き出して、思考にびりびりと辛い鈍麻が覆いかぶさる。肌寒い部屋で汗をかいては、いやに寒い。

「……びっくりした?ごめんね」

 こっちはまだ心臓が暴れまわっているというのに。さらり、と言ってのけて、あっさりと身を翻すと、のろのろと布団へ戻っていく。

「な……な、なんですかっ、それ」

「さぁ?十年モノの企業秘密、かな」

「……だからって子供にあんなことができるんですか」

「らしいね、知らないけど。記憶封止メモリシールしちゃったから、あんまり覚えてないんだ」

「……生きるために?」

「違う。……らしい。それだけなら、こうはならない。多分、それが正しいと思ったから。それが正しいと教えられて、その通りにした。狼の血で地を肥やせ、羊の毛で世を満たせ……」

「強きを挫き、弱きをなんとやら、と」

「従軍経験者が、プレッパーが、猟師がいた。銃があった。よく覚える、利発な子供たちがいた。強かった、らしいね。止められないほど」

「時に、どうして忘れたことを知っているんですか?」

「日記を読んだ。僕の字で、僕の理屈で、知らない出来事や知らない人のことが、たくさん書いてあった。恐ろしい事の筈なのに、どうしてかすっと受け入れられた。多分自分の過ちを伝えるつもりだったんだろうけど。僕は馬鹿だから、それで正しかったんだと信じてしまった。あれが僕に出来た、一番正しい解決法だって」

 ふ、と瑞穂さんは息を吐いて、へにゃりと微笑んだ。

「取り返しの付かない悪名だけど。それでも正気だったら、何もできなかった。生き残れもしなかった、そう思う。……僕は人殺しだし、記憶を封じたくらいじゃ多分変われない。だから僕を撃つ事になったら、躊躇わないでほしい」

「……それでも、助けられた人だって居るでしょう」

「……さあね。それを知らないくらい、無責任な振る舞いだった筈だよ」

 返す言葉に詰まって、震える手で枕を抱きしめる。

「ん、寝ようか」

「おやすみなさい。……明日は起きてくださいね……狼さん、なんて」

「……ん」

 それきりお互い静かになって。冷めやらぬショックに駆け回る血が鼓膜を打って、無音のはずの部屋を耳鳴りが満たしている。すっかり冴えきった目をやけっぱちに閉じる。瞼の裏に自然と瑞穂さんが浮かぶ。その半身が怪物シルトに呑まれる。私は息を呑んで、握りしめた銃を向ける。眼と眼の間、眉間に狙いを。双つの瞳が、悲しげにしなだれてこちらを見据える。

 生来の青い瞳、化生と化した赤い瞳。GO、NOGO、GO、NOGO。……撃てない。投げ出してしまいたい故に、却って気だるい逡巡のうちに、眠りの気配が迫ってくる。あ……これ、悪い夢を見ちゃう。ポンポンポンと景気のいい破裂音とともに瑞穂さんだったものは肥大して、大きく口を開いてブゥン、と重低音で吠えた。……重低音?違う。これは夢じゃない。思いきり瑞穂さんを蹴りつけるのをイメージすると、体ががくんと揺れて鈍痛が腰骨まで抜けてくる。ベッドを蹴ったのだ。

「ッッ痛!!」

 首尾よく現実へとんぼ返りした私は、気力を込めて飛び上がり、窓に飛び付いた。直後に飛び込んできたのは視界いっぱいの赤色だった。耳をつんざくような破裂音と共に窓にひびが入り、鉄筋を軋ませ、大地を揺さぶった。

「……冬霞ちゃん、車!!……うわ!!」

 よろよろと寝床から転げ落ちる瑞穂さんを尻目に飛び出す。またしても階段を転がるように駆け下り、運転席に飛び込む。エンジンが吹き上がると共に、二人分のコートを抱えた瑞穂さんが助手席にどしりと突っ込んできた。

「西方支部……いや、現地に!!」

「飛ばしますよ」

「非常灯出して」

 私は指示通りに赤灯をスイングアウトさせ、アクセルを底まで踏み込む。

「遺書は……ある?」

「無いですね。遺構管理局で相方だった、阿左美です。この度は妹さんのご不幸……」

「洒落にならないからやめて!?」

「最低の冗談だったって後で笑いましょう、絶対ですよ」

 ラジオの周波数を、政府機関の非常周波数へ向けてひねる。

«市民の皆様は落ち着いて……»

«わぁ、大きなお野菜ザッ……非常事態宣言が発令……»

«セクターC4で火災発生。消防局C411へ……»

«中央政府より非常事態宣言を発令。繰り返します、非常事態です。交戦可能なすべての部隊は戦闘配置、すべての部隊は戦闘態勢で待機。別令あるまでは遺構管理局が指揮をします»

 遺構管理局……その実態は最大の武装勢力。言うならばこの国の軍隊。中央が有事と判断すれば、武力という武力……警察、各部署の特殊部隊、防壁部隊、その他。全てが手足となる。あのふわふわの局長は、責任に足る存在と認められてその地位にいるのだ。

「待機命令出ましたけど?」

「んん?ぼく今宙ぶらりんよ。配置が無いから、どこで待とうが勝手じゃん」

 ああ、自覚して滅茶苦茶することもあるんだこの人。次ドジかましたら手加減するのやめようか……。それはそれとして、このまま雑に転げ込んで、なぁなぁに仕事をして、後でコテンパンに絞られるやつだ……局長直々にあそこまで手を掛けにくるなんて変だとは思った。そういえば、やたら親しげだったけどどういう関係なんだろう。帯刀おびなた 月詠つくよみ局長……偽名にしか見えないんですが、何者なんですか?

「あの、瑞穂さんと局長って……」

 会話を叩き切るように、無線機から溌剌とした声が響いた。

«阿左美。佐渡。聞こえるか。こちら南方C隊の隊長、小泉だ。只今をもって君らを指揮下に置く。異論無いか?»

 まさに救いの一手だった。流石……いや、本当に?多分中央の人間あねたちと共にとはいえ、国中の情報を切り捌いているこの状態で?

「イエス、マム。冬霞ちゃんもいい?」

「拒否できるんで?しませんけど」

«よし。状況を説明する。隕石が街に落ちた»

「「はい?」」

 素っ頓狂な声が重なる。

「すみません、よく聞こえませんでした」

 軌道上オービタルの破片を寄せ集めたら月がもう一つ作れる、なんて話も今は昔。預言者ミシェルの断片の落下は、今や全盛期の1割にも満たない。

«聞き間違いじゃないから続けるぞ。防空システムで迎撃した。が、断片の一つが市街に落ちた。直撃コースでな»

「早く対処しないと」

«ああ。で、この際待機は良い。どうせもう向かってるんだろう?»

「……燃えてますね」

«独断専行には変わりねぇが、アタシがケツを持ってやる。防壁ウォールの力場にスパイクがあった。目標物は異常物質エキゾチックの可能性がある»

 どこから入り込んだか、焦げ臭さが鼻腔を撫でる。

«一番乗りだ。現場の状況確認を頼みたい»

「救助活動ですか」

«ノー。君達は救助隊ほんしょくが到着するまでに、現地に敵性存在がいない状態を維持せよ»

「了解」

「敵が湧くかもってですか」

「ほぼ確実に」

 ビルが燃え落ちてもぺしゃんこにならない場所で車を停める。とっととサイドブレーキを引いて、車外に飛び出そうとする……袖を引かれて座席に縫い止められる。

「武器を出して。この先は誰も知らない世界、何があってもおかしくない」

 懐から拳銃を取り出して、遊底スライドを引いたところでまたしても横槍が入る。

「ストップ」

「なんですか今度は」

「何って、対人用7.62mmじゃないか。そんなんじゃ僕だって殺せない」

 薬室チェンバーに押し込んだ初弾を弾倉に戻す。

「なら斧でも持ちますか、誰かみたいに」

「ん」

 瑞穂さんは懐から、よくわからない電子機器のようなものを取り出す。

「なんですかこれ」

「ごめん間違えた」

「……だから整理整頓をですね」

 涼しい顔で意味不明のガラクタを仕舞うと、腰のホルスターから長大な代物を引きずり出す。

「斧よりはいい」

 手の中の銃が取り上げられ、代わりに信じがたいほど巨大な何かが手の中にねじ込まれた。

 手枷でも付けられたような、圧倒的な重量感。異様に分厚く、無闇に大きく。使い手への遠慮が一切ない鉄の塊。引き金が無かったら、鉄砲ではなく斬新な形の鈍器ハンマーにしか見えない。

「まさか対人用しか持ってないとは思わなくて。絶対片手で撃たないでね」

「瑞穂さんが守ってくれればいいでしょう」

「信頼できる?」

「全く」

「そういうこと」

 首肯して、安全装置セフティを解除、遊底スライドを引く……ライフルと大差ない極大の弾が薬室チャンバーから引き出されたのを見て、私はそっと遊底を戻した。撃ちたくないなこれ……。

 瑞穂さんは大きな斧を取り出して、目でうなずく。車外に出る。

 ……鼻腔を突く消し炭の匂い。華やかな繁華街だった場所が、無残な骨組みになって火の粉を散らしている。深夜なら殆ど人はいない筈だけど……。踊る火の舌が禍々しく辺りを照らして、コントラストが暗闇を却って底知れぬ物にしている。銃を向けてみたところで、狙うものはおろか射線すら朧気になる。

「ひどい……」

 そろそろと見回している内に、瑞穂さんはトランクから取り出したライフルを取り渡してくる。それを受け取るや否や、瑞穂さんは空いた手で機関銃を腰だめに構え、爆心地に向かってずんずんと歩き出した。ボロボロに割れたアスファルトに、熱された瓦礫が降っては爆ぜる。

「ここ行くんですか!?」

 死ぬわこれ。

「崩れる前に行くよ。瓦礫に気を付けて着いてきて」

 もう崩れてる、そんな言葉を飲み込んで、足早にビル街だったものを抜けると、見たことがないほど空が広い場所に出る。高層建築を詰め込んだサホロ中心部ではありえない光景。爆心地からは轟々と熱風が吹き付けてくる。小高い丘が目の前に……クレーターリム。岩も土もアスファルトもガラスのようにとろけて、当然元の地形なんて跡形もない。隕石に打ちのめされた、99年の再演のような光景。暑い。氷点下に慣れた体は既に、布という布がびしょ濡れで張り付くほど汗をかいている。

「あそこに登ろう。突入体が無害か確かめるんだ」

 さらに進む……猛烈な臭気。もうもうと立ち上る水蒸気の源は……地下水か、下水か、それとも。ひどい臭いに頭の芯を揺さぶられて、何のにおいか考えるのをやめる。それにしても、瑞穂さんは着いていくのが精一杯のペースでどんどん進んでいく。周囲に気を払いながらこのペース、やはり本職はすごい。ぜいぜいと息をしながら、無線機に現状報告まで吹き込んでいる。

「こちら瑞穂。半径100mは蒸発してます……負傷者、敵影等は見当たりません。崩落の恐れあり。火の粉が舞っています、燃え広がりそうです。きらきらしてとてもきれいです」

 ……きれい?瑞穂さんはくるりと回って、にっこりと微笑んだ。

「ほら冬霞ちゃん、綺麗だよぉ!!20年前みたい!!は、はは!!」

 奇妙なほど輝く、見開かれた瞳。調子の狂った笑い声。資源庁で、比喩抜きで親の顔より見た顔だった。反射的に地を蹴って飛び上がり、空中で足を突き出す。瑞穂さんは身ををかばおうと両腕を持ち上げる──斧ごと!!──が、隙間を縫って胸のど真ん中を蹴りつけた。

 まずは衝撃を加える。高強度R領域レイカ・フィールドに晒された者への対処法は、体が覚えている。

 瑞穂さんの張り付いたような笑顔が痛みに歪んで、意外にもあっさりと体勢が崩れる。万が一反撃されたら、ひとたまりもない。体が内側から熱くなる。

「このバカ!!」

 ふらふらと揺れる髪を左手で掴んで真正面に引きずり下ろし、右手で頬を力いっぱい張る。こうなってしまえば上下もクソもない。腹をくくって、力づくで引き戻すしかない。張り手から復帰しようとゆるり向き直った額に正拳を叩き込む。瑞穂さんは灼ける地面にばたりと倒れ込んだ。

「あっつ、あつ、熱ァ」

 今だ……手早く抵抗剤──紙巻きの草に抵抗物質を添加ドープしたもの──を咥えて火を付ける。そして瑞穂さんの唇に無理やり差し込んで鼻を摘む。

「吸って!!」

 ずーっと思い切り吸い込んだのを見て、鼻を開放する。瑞穂さんはげほげほとむせながら起き上がる。

「……ごめん」

 私は手元の計測器を眺めて、努めて平静に言う。髪が焦げるニオイ。

「こちらこそ。髪、めちゃくちゃにしちゃいました。それより……」

 強度計がピコンと鳴ったかと思うと、即座にびりりと警告音を発する。つまり、一瞬にして許容値を超えるほどの、見えない力が荒れ狂っているということだ。

「領域強度50mRミリレイカ、落下物は異常物質エキゾチックの塊ですよ!!」

「発芽前に潰さなきゃ!!」

 聞いた瞬間瑞穂さんが駆け出す……爆心地に向けて。背筋をゾッと寒気が駆け上がる。全身の肌が粟立つ。そっちに行ったら今度こそ無事では済まない。

「……黒盾シュヴァルツシルト!!」

 刹那、黒い包帯のようなものがのたうち回りながら瑞穂さんの左腕を覆う。それは液体めいた光沢を見せたかと思うと、左の半身に巻き付くように急激に広がって、腕のあたりで四角形を形取る。その比率、1:4:9。意思を持つことを雄弁に語る比率。形代プロスティシス開放パージ。とても人類の敵エルとは思えない飄々とした声が響く。

「最初から呼んでくれりゃあよ……」

「それは冬霞ちゃんに言って!!……使っていい!?」

「……許可します!!」

「了!!超律ドライヴ!!」

 ブウン、と直接体に響く、奇妙な音響……いや、波動。異常物質エキゾチックが周囲にもたらす、精神・肉体・物理現象を壊す力場。母の遺した理論と、機能主義てつがく、その他素敵なものの応用によれば、それは"空間を波動が伝わる"そのものに、ことわりを解する機能ちせいが備わっているものと解釈される。

 この影響下に放り込まれた生き物を、見えざる手が都合のいい形にこねあげてしまう事象を、私達は怪物エル化と呼ぶらしい。古来より付喪神だ何だと言われるものの、科学的な正体。オカルトと見分けのつかないこれが、無念にも最先端の解釈だ。アインシュタインが見たら露骨に嫌な顔をするに違いない。

 勿論机上の理論だけではなく、実践も進んでいる。曰く対抗策は実に単純明快、自らの発する波を操作し、自分自身を確固たる場の礎にすればいい。”それ”が可能な者にとっては、42本目の指をFの字に曲げるくらい簡単なことだ。

 そしてそれは、居るべくして堂々とそこにいる。

 瑞穂さんの頭上に、堂々たる3重の光輪が浮き上がる。中心は瑞穂ヒトの精神、中間は黒盾エルの精神、そして最外に他者せかいの輪。

 形状は極光型オーロラでも星型スターでもなく、天使型エンジェル。こんなものは初めて見た……非の打ち所のない完全な調律を示す、真円。

 振り向いた顔の下半分、柔らかい頬──私が打ち付けたばかりだけど──は甲殻キチンのあぎとで覆われて、瞳は煮え立つような紅色に燃えている。血潮とともに体内を巡る共振器エグジスタを全力動作させている証左だ。

「大丈夫?冬霞ちゃ……」

 眼前を通り越して、隣にずいと立つ。押し返そうとする手を目一杯の力で押し留め、握り返す。

「ストップ!!下がって!!生身じゃ死ぬよ!!」

 切実な響きは当然で、さっきの瑞穂さんのように思考に干渉されれば敵になりうるからだ。

「言ったじゃないですか。完全抵抗性だからここにいるんですよ、私。それより」

 向き直って、抵抗剤に火を付けながら、爆心地を指差す。

「あれ、どうします?」

 爆心地から無数の触手テンタクルが、燃え盛る市街に照らされながらうねうねと立ち上がった。天を舐めるように爆発的に伸びるその姿は、地の底から悪魔が這い出したようだ。……大きい。こんな大物がいるなんて。そしてそのコアは強力な量子緋色ヒヒイロカネ……最高の資源に違いない。どれだけのエネルギーになるのだろう。

「……本当に、本当にこれだけの力場を浴びて狂わないなら、冬霞ちゃんにいいニュース。あれを倒したら、名前が残るよ」

 瑞穂さんは赤の信号弾を打ち上げながら言う。

「で、悪いニュースは」

「僕ら二人でやらなきゃ」

「素人同然の私に何が務まるのか知りませんけど」

「後ろで適当に撃っていてくれればいい、あとは僕がやる。なぁに、死なずに帰ればもうプロだよ」

「当てれば良いんですね、当てれば!!」

 二人揃って初弾を叩き込んで、地獄の窯へと飛び込んだ。

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