第2章 時の彼方へ

第12話 透明人間


「わたしって頭いいー!」


 今日は日曜日。

 誰にも言ってはいけないと言われたからこそ、昨日は密かに夜家を出て怒られた。

 ならば、学校がない休日の昼間なら、怒れれることはないだろうと、絶対に夕方には帰ってくると約束して、ことはは家を出た。

 昨日誕生日会に来てくれた友達と遊ぶからと嘘をついて。

 もし約束を破ったら、二度と家から出られないようにするという条件なのだけど、仕方がない。


 夜と違って、行き交う人が多いためことは誰も見ていないところで死書官の制服の黒いパーカーのフードをかぶった。

 フードをかぶれば、ことはの姿は見えなくなるらしい。

 その証拠に、坂道を下ったところにあるカーブミラーにはことはの姿は映っていなかった。


「透明人間になったみたい……」


 中学校の前を通ると、日曜日の朝から部活動に励んでいる野球部やサッカー部の声が聞こえてくる。

 来年、自分は何部に入ろうか……なんてぼんやり考えながら、校舎の裏手にあるあの空き家の前まで来た。

 しかし……



「え……?」



“売り家”と書かれた看板はなくなり、数台の大きなトラックが、死神図書館へ続くあの家の前に2台停まっていた。

 空き家だった家に、次々と運ばれていく大きな荷物。

 誰かがこの家に引っ越して来たようだ。


「え……!? えええええ!?」


 うっかり大声を出してしまったことはの声が聞こえたようで、冷蔵庫を運んでいた引っ越し業者のおじさんが、不思議がってキョロキョロとしている。


「うん……? 今何か言ったか?」

「いや、何も言ってないぞ? 子供達の声じゃないか? 目の前が中学校だしよ」

「そうか……」


(やば……っ! 声は聞こえてるんだった!! っていうか、どうしよう!! どうやって図書館に入ればいいの!?)


 ことはは焦って口を押さえながら、考えた。


(玄関のドアは開いているし、普通にそこから入ればいいのかな? わたしの姿は見えていないんだし……!!)


 そう思って、開いている玄関から中をのぞくと、あのほこりまみれの西洋的な造りの長い廊下はどこにもなく……

 普通に玄関があり、靴が並んでいる。


(は?)


 内側に見えるドアも、あの両開きの木製の扉ではなく、すりガラスの装飾がついたドアが1枚。

 カギから放たれる光を頼りに歩いた、あの長い廊下はどこにもなかった。


(え……? 死神図書館の入り口は……?)


 どうしたらいいかわからず、玄関の前で立ちつくしていると、ことはの横を通った少年が通りすがりに呟く。


「邪魔だよ」


「あ、ごめんなさい……!」


 邪魔だと言われて、反射的に玄関の前から引っ越しの邪魔にならないように避けたことは。


(——って、あれ? 今の、わたしに言ったんだよね? でも、わたしの姿、見えないはずじゃ……今わたし、透明人間なのに)


 誰か別の人に言ったのか、それとも偶然の独り言だったのかわからない。

 確かめようにも、とっくに少年は中へ入ってしまって、ことはには後ろ姿しか見えなかった。


 ことはと同じか、それより少しく高いくらいの身長で、茶髪の男の子。


(ここの家に引っ越して来た人……だよね、きっと……)


 まだ声変わりの途中のような彼の声が、耳に残って離れない。


 不思議には思ったが、ここにいても仕方がないと、ことははとりあえず家に帰ることにした。


(引っ越しが終わったら、もう一度来てみよう……暗くなる前なら、ギリギリ夕方だし!!)


 そして、去り際にことはが見たのは、新しく取り付けられた表札の文字。


“都木野”


(————なんて読むんだろう? トキノ?)




 * * *



 小首を傾げながら、戻っていったことはの姿を、取り付けたばかりのレースのカーテンの隙間から、少年は見つめる。



「あの制服——死書官……いや、死書官補佐かな? ねぇ、神威かむいさん」

「ええ、おそらく……」


 彼の問いに答えたのは、女の声だった。


「やっぱりね。明日、もう一度会うのが楽しみだよ」


 彼は口元をゆるませながら、首から下げている古びたカギを握る。


「本物だといいな……」




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