ライト兄弟に罪はない(蛇足)


「いや~。社長、大繁盛らしいじゃないですか。新型の車椅子」


「いえいえ、市長のお力添えのおかげですよ。本当にいつも大変お世話になってます」


 スーツを着た二人の男が信号の下に立っている。社長と呼ばれた男は痩せていて、夜の暗さの中ではよくわからないが、くたびれたスーツを着ている。一方で市長と呼ばれた男の方は恰幅がよく、暗い中でも明らかに高級そうな腕時計が光っていた。


 信号はメンテナンス中らしく、光が消えている。ヘルメットをした作業員たちがなにやら色々と設定をいじっているらしい。光っていない信号機は生気が無く、とても不気味だった。対照的に二人の男たちの声はとてもハリがあり、朗らかだった。


「この街に必要なのは経済の活性化なんですよ。徐々に若者が減り、働き手は流出してしまう。一方で金を使わない高齢者は増え続ける。若者をとどまらせるには、御社のような力のある企業が地域に必要なんですよ」


「ははは、くすぐったいですな」


「大きな企業は雇用を生み出し、働き手がこの街に留まれば、ここに金を落とす。そのサイクルが拡大していけば、他の産業も活性化されるのです」


「市長のおっしゃる通りですね。流石です」



 片方はこの街の長、もう片方はこの街のとある企業の社長だった。社長が経営しているのは電動車椅子の会社だったが、ここ数年売上が悪化していた。原因は色々あるが、一番はあまりにも商品が高額で、それに見合う需要がこの街に無かったことだった。



「しかし、市長のアイデアを聞いた時、大変驚きましたよ。まさかそんな方法で売上を伸ばすなんて……」


「いえ、大した話ではありませんよ。御社はもともと技術力をお持ちでしたから。あとは御社の車椅子を必需品にしてしまえばいいだけでしたから。いいもので、それが必要不可欠なら、人はお金を惜しみません」



 この市長が企業に目を付けたのは二年ほど前だった。市長が影からアドバイスをするようになってから、この企業の売上は飛躍的に伸びた。業績アップの要因として、社長は地域の高齢化による車椅子の需要増、商品の広報活動の成功などを挙げたが、最大の要因は別にあった。


「いえ、市長の目の付け所が鋭かったのですよ。初めてお会いしてお話をうかがったときは大変驚きました。目から鱗が落ちるとはまさにこのことです」


「いえいえ、そんなそんな……」



 市長は謙遜したが、その実自分のアイデアのすばらしさに酔っているのが見て取れた。社長の方も似たような表情をしている。二人は自身が成し遂げたことの喜びを分かち合っているようだ。



 そんな笑いを抑えられないような、気の抜けた表情のまま、社長が言った。




「それにしたって、車椅子を売るために信号が変わる時間を短くするなんて、なかなか思いつくものじゃありませんよ」




 やけに声が夜の暗闇の中に響いた。市長は「しーっと」口に人差し指をあてるジェスチャーをし、社長もわざとらしく口を押えた。


 そんな二人の芝居がかったやり取りを、メンテナンスの作業員たちは横目に見ていたが、知ったところで彼らにできることは何もなく、黙々と言われた通りの作業をするほかなかった。


 市長は口元にあてた人差し指を、得意げに自分の顔の横に立てた。学校の教師のような仕草だ。市長はそのまま、それこそ学校の教師のように自分のビジネス論を説き始めた。


「これにはちょっとしたヒントがありましてね……社長さん、ライト兄弟をご存じですか?」


「? ええ、一応は……世界初の有人飛行を達成した偉人、ですよね」


「そうです。彼らが努力の末に開発に成功した飛行機は、世界を一気に狭くしました。船で行けばひと月かかる地球の裏側に、今の飛行機ならば三日とかかりません。そして、三日とかからない方法があるのに、従来の一か月かかる方法をとる者は誰もいなくなります」


「は、はぁ。確かに」



 市長は、政治家として活動を始める前、凄腕の営業マンだった。東京の有名企業でトップの成績を誇ったその話術とビジネス哲学は、正しいかどうかは別にして一定の説得力があった。元はただの技術屋である社長は、その手の話に疎く、市長の話に頷くことしかできていない。



「さらに言えば、インターネットの普及で、地球の裏側にメッセージを伝えるのに一秒もかからなくなりました。こうなれば三日かかるエアメールなど使うものはいなくなります……。どうして早く、そして便利な方法があるのに、そちらを使わないんだってね。社長さんだって、取引先がメールじゃなくてFAXを使ってくれって言ってきたら腹が立つでしょう?」


「ははは、その通りですね」



 市長の声は政治家らしくとても良く通った。声が良く、自信たっぷりに、理屈が通っているように見せれば、政治はほとんどうまくいくとこの市長は考えていた。実際、この社長は、市長のカリスマ性に心酔しているようだった。


「つまり、世界で求められる速さが変わったら、もう早い方に合わせるしかない。そしてそれは不可逆的な進化になるってことです」


「ははぁ……」


「今回の件はこれを応用しました。まず、信号が変わるのが早くすることで、横断歩道を時間内に渡れない高齢者を増やす。高齢者たちは自分が信号を渡り切れないことに愕然とします。自分の老いを実感するのです。中には開き直るものもいるでしょうが、多くの高齢者は、自分のせいで車を待たせることを申し訳なく思うでしょう。ただでさえ高齢者は家の中で肩身が狭いですから。そういう人々に、御社の車椅子をご提案すれば、ご購入いただける可能性はぐんと上がります」


「ええ、すんなり売れて驚いていると営業部の社員が申しておりました」


「そして、この電動車椅子の速度や、便利さがスタンダードになれば、もう元にはもどれない。信号を渡り切れない高齢者の肩身はさらに狭くなる。よちよち目の前を横切る老人たちを見て、車のドライバーたちはこういうでしょう。『なぜあの電動車椅子に乗らないんだ』ってね」


「なるほど……」



 話をまとめるように、市長が強調する。


「ビジネスの基本は『人間の出来ないことを増やす』ことです。できないことを増やし、それを代わりにやって差し上げる……。言い換えれば、人間のできないことが多ければ多いほど、ビジネスチャンスがあるってことなのですよ」


「ははぁ……感服いたしました」



 一連の演説を終え、自分の説に悦に入っている市長と、その様子に完全に飲み込まれている社長。二人の中年男の醸し出す雰囲気は、夜の横断歩道にはどうにも似つかわしくないものだった。


「それでは、今回のメンテナンスでも、青信号の時間は短くなさるんですか?」


「いえ、あまり露骨にやってバレても面倒ですからね。車椅子の普及率がもう少し上がったらまた短くしましょう。まだまだこれからですよ。社長」



 市長が背中を叩く。社長の背筋がピンと伸びた。



「はい。これからもよろしくお願いします!」


「こちらこそ……で、次の選挙なんですけれども……」


「ええ、万事抜かりなく……」


「ありがとうございます。これからも持ちつ持たれつでいきましょう」



 二人は高らかに笑いながら去っていった。信号のメンテナンス作業はまだ続けられている。電気の流れていない真っ暗な信号は、やはりとても不気味だった。もちろん双子の信号は二人の会話を聞いていない。メンテナンスが終われば、彼らは明日も元気に横断歩道を照らすだろう。



 しかし、仮に聞いていたとしても、双子の信号にできることはなにもなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ライト兄弟に罪はない 1103教室最後尾左端 @indo-1103

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説