ライト兄弟に罪はない

1103教室最後尾左端

ライト兄弟に罪はない(本編)

「なあ兄ちゃん」


「どうした。弟よ」


「僕、最近、歳かもしれない」


「歳?」


「うん。昔よりも色が変わるのが早くなってる気がするんだ。同じ色でいられる時間が短くなってるっていうかさ……」



 ライト兄弟は双子の信号である。



 おそらく双子のトラフィックライトだから「ライト兄弟」なのだろうが、本当のところは誰も知らない。誰が呼び始めたのか、いつから呼ばれているのか、そのあたりのことは謎に包まれている。


「おいおい、気味の悪い事言うなよ。お前が早くなってるなら、俺も早くなってることになるじゃないか。俺らは一心同体なんだから」


「兄ちゃんは感じない? 自分の衰え、みたいなもの」


「衰えって……俺らは信号だぞ? 人間みたいに身体が老いることはないし、それに伴って色が変わる時間が長くなったり短くなったりするわけないだろ」


「やっぱり……そうだよね」


 ライト兄弟は歩行者用の信号で、10メートルほどある横断歩道のあちら側とこちら側に向かい合って設置されている。当然のことながら二人は一心同体であり、兄が青ざめれば弟も続き、弟が赤くなれば兄も赤面した。


「お前、ちょっと疲れてるんだよ。そんなこと考えちまうなんてよ」


「そっかなぁ」


「まあ、無理もねえけどな。俺ら生まれてから20年、ほとんど休まずにここで顔色変えてるわけだし」


 ライト兄弟に限らず、信号は必ず双子で生まれる。それは、信号という孤独で退屈な一生が、一人でのりきるにはあまりにも過酷だからだ。


 ライト兄弟は設置されてからというもの、24時間ずっとこの横断歩道を挟んで決められた時間に色を変えている。休みと言えば時々ある定期メンテナンス作業くらいだ。当然ながら一度もこの場を離れたことはない。決められた時間青くなり、点滅し、赤くなる。ただひたすらにそれを繰り返す20年だった。兄弟という話し相手がいなければ、とっくに気が触れてしまっていただろう。


「20年か……ながいねぇ……」


「そうだな。だけど、人間で二十歳なんてガキだろ。俺らだってまだまださ。もうすぐメンテナンスで休めるし、とりあえずそれまで頑張ろーぜ」


 ライト兄弟の兄はどちらかと言えば楽観的な青年、いや青信号であった。物事をあまり深く考えず、自分の一生や存在意義に疑問を持つようなことはなかった。生まれた場所から全く動かず、壊れるまで一生同じ事だけ繰り返し続ける彼らの運命を考えれば、この兄の気楽な性格は信号に向いていると言える。


「……」


「おい、どうしたんだよ。お前ちょっと変だぞ?」


「……ねえ兄ちゃん。僕らって、いる意味あるのかな?」



 一方、青信号らしくブルーなことをつぶやいたのは弟である。ライト兄弟の弟は思慮深く、色々なことに気が付く信号であった。同じ景色の中で、淡々と同じ事だけ繰り返す虚しい生活の中にあっても、歩行者たちの装いに季節を感じたり、自分にとまる鳥たちに話しかけてみたりと自分なりの楽しみを見つけることができる信号であった。しかし、気づきすぎるがゆえに、不必要な心配事まで抱えてしまうことも多かった。



 頭を使うのが好きではない兄にとって、何気ない日常に楽しみを見つけることができる弟の話はとても面白いものだった。また、考えすぎてしまう弟は、楽観的な兄の言葉に何度も救われていた。ライト兄弟は、互いが互いを補う仲睦まじい双子なのであった。


「またお前はそんなこと考えてたのか? 気にしすぎだっていつも言ってるだろ?」


「でもさ、この道わたる人達、僕らのこと見てないでしょ? 皆手元にある機械みたいなの見てるし」


「そりゃそうだけどよ。別にいいじゃねえか。実際に事故起こしてるわけじゃないだろ? アイツら機械見ながらでもなんか上手いこと車避けられてるわけだし。轢かれないならいいじゃないか」


「でも、それじゃ僕らって不要ってことにならない? 僕らがいなくても事故が起こらないなら、僕らがわざわざ立ってる必要なくなっちゃうよ」



 弟のいう事は至極真っ当だった。人々は皆スマートフォンを片手に生活するようになったし、画面を見ながら歩く人々は星の数ほどいた。かつてその行為は「歩きスマホ」などと言われ、マナー違反とされていた。


 しかし数年前、スマホに内臓された高性能カメラと連動し、画面を見ながらでも周囲の状況が把握できるアプリが開発された。人が前から歩いてくれば、画面上にどう動けばぶつからないかが矢印で表示され、近づいてくる車があれば「とまれ」と画面に赤文字が表示される、という具合だ。


 このアプリが登場したおかげで、人々は安心して歩きスマホができるようになった。人々はわざわざ周囲を見回す必要はなく、ずっと画面を見ながら目的地まで行くことができる。そうなってくると、信号の存在意義は徐々に薄れている。


 双子の弟はアプリのことなど知らない。が、人々の変化に敏感に気づいていた。誰もが自分を無視するようになったことに違和感を覚えていたのだ。しかし、悲しいかな、彼らは信号であり、気づいたところで何もすることはできなかった。


「立ってる必要ないって……そんなこと言うなって。俺らを必要としてる人もいるよ」


「そうかなぁ……。例えば?」


「えーっと……ほら、あの婆さん。良くこの道通る、腰曲がった、髪が紫色の婆さんだよ。あの人は手元の機械なんか見てないし、俺らのことよく見てくれてるじゃんか」


 双子の兄は弟を励まそうとそう言ったが、弟はさらにブルーになった。すでに赤信号に変わっているので大層ややこしい。


「……兄ちゃん、昨日のこと覚えてる?」


「昨日のこと?」


「うん。あのおばあちゃん。ここを通ったじゃない。とってもゆっくり」


「ああ……足悪いんだよなあの婆さん。めちゃくちゃ歩くの遅いんだ」


「……昨日、青になってすぐにわたり始めたのに、渡ってる途中で、赤になっちゃったじゃない、僕たち」


「……ああ、そうだな」


 二人の話に出てくる老女は、既に七五歳を超えた、いわゆる後期高齢者だった。腰を少し悪くしてからというもの、歩くのが極端に遅くなり、既にその速度は秒速一メートルを割っていた。老女はライト兄弟のいる横断歩道だけでなく、他の横断歩道でも信号が変わるまでに渡り切れず、そのたびに申し訳ないような、自分が情けないような顔をしていた。


「珍しくそのとき車が来ててさ、横断歩道にとりのこされちゃったお婆さんさ、クラクションならされちゃって、申し訳なさそうにフウフウいいながら渡ったでしょ? 僕、あの光景がちょっと忘れられなくて……」


 双子の弟は大変優しい青年、もとい青信号だった。信号なのに人の心を慮ることができる、とても素晴らしい人間性、というか信号性を持っていた。


 しかし、自分の手の届かないことにまで苦しさを覚えてしまう性格に生きづらさがつきまとうのは人間でも信号でも変わらない。


「僕らのことを必要としている人のために、僕らは働けていない。むしろ僕らを頼ってくれる人達を、僕らはないがしろにしているようにしか思えないんだ。そんな僕らが存在する意味って何なんだろうね」


「……」


「多くの人に無視されて、必要としてくれる人を大切にできない。僕らって本当にいる意味あるのかな?」


 弟の問いかけに、兄は口ごもった。兄はそんなこと考えたこともなかった。そう言われてみれば、どうして自分がここに立っているのか、毎日顔色を変えているのか、それにどんな意味があるのか……。そんなこと考え始めたら頭がチカチカしてしまいそうだった。兄の動揺に合わせるように青信号が点滅した。


 しかし、双子の兄を責めることはできない。そんなことに悩み始めてしまえば、生きることがあまりにも苦しくなってしまう。結局のところ彼らは信号に過ぎず、信号にできることはひたすらに決められた時間に色を変えることだけだ。それ以上のことはできない。なにもできないのだから、悩むだけ無意味だった。


「……だから、考えすぎだ。そんなことで悩んだって、俺らにできることは何にもないだろ。そんなに思いつめても苦しいだけだ」


「そうなんだけど……ねえ。僕らにできることってないのかな。せめて、あのお婆さんだけでも渡り切らせてあげたいよ」


「……でも俺らは決められた時間に色変えるだけだ。俺らの色を変えるタイミングは車道用の信号とつながってるし、隣の信号への合図でもある。その隣の信号も次の信号につながってる。そういう大きな流れがある中で、俺らだけ勝手に時間を動かすなんてできないんだよ」



 兄は諭すように言った。兄の言う通り、果てしなく続く車道に併せて、信号もまた果てしなく続いていく。彼らは互いに連携しており、そのネットワークが道路の秩序を守っていることは言うまでもない。ライト兄弟の独断で、この流れをゆがめることはできなかった。



 人間の社会同様、信号の世界にも流れがあり、仕事の意義や必要性などはさておいて、ともかく色を変え続けなければならない。それが信号の一生だった。


「……でも、それじゃあ。あのお婆さんは、どうすればいいの? 僕らは僕らを必要としてる人を、守ってあげられないの?」


「……流れがある以上、それについていけなくなるヤツが出てきてしまうのは仕方がないだろ。多分、世界には求められる速さがあるんだ。俺らはその速さを守るしかないんだよ」



 兄の声はとても優しい。諦めも突き詰めると優しさを帯びるらしい。どこまで言っても彼らは信号に過ぎず、出来ることは限られる。繰り返しになるが、手の届かない物事をあれこれ考えすぎることは精神衛生上良くない。


 双子の兄は、兄らしく弟の悩みをどうにかしたいと思っていたし、弟もそのことを痛いほど感じていた。


「そう……だよね。ごめんね、兄ちゃん。愚痴みたいなこと言っちゃって」


「おう。気にすんな。俺もこんなことしか言えなくてごめんな? でも、話聞くくらいだったらいくらでもするからよ」


 双子はとても良くできた兄弟だった。お互いの気持ちがわかるから兄は四角四面なことしか言えない自分に申し訳なさを感じていたし、弟は兄に責任がないことを知っていたから自分の疑問をおさめた。




「さ、じゃあ仕事続けるぞ。赤は後30秒だ」


「うん……って、あれ?」


 弟は、兄の足元にいる車椅子に乗っている老女が目を留めた。老女の髪は紫色だった。


「ねえ、兄ちゃんの方に車椅子乗ってるお婆さんって……」


「ん? ああ、さっき話に出てた婆さんだな。車椅子乗ってんのか」


 話しているうちに二人は青に変わった。お婆さんは、車椅子の手元についていたレバーを進行方向に傾けた。


 ぶーんという低いモーター音と共に車輪が回り、車椅子は走り始めた。車椅子は結構なスピードで進み、老女は二人が青のうちに横断歩道を渡り切った。老女の表情は、どこか晴れやかですらある。


 その光景を、ライト兄弟はぽかんとした顔のまま見下ろしていた。


「……弟よ」


「なに? 兄ちゃん」


「……杞憂、だったな」


「……そうだね」



 しばらく二人は黙り込んだ。その間も双子の色は変わり続けた。


「……お婆さんは僕らを守ろうとしてくれたんだね。僕らが作る、世界が求める速さに、合わせてくれたんだね」


「……そうだな」


「僕らがあの人を守ってあげなくちゃって思ってたのに、守られちゃった。なんか変な感じだね」



 弟はそう言って笑った。兄もつられて笑った。



「そうだな。人間って、結構たくましいな」


「うん。みんな世界の速さに遅れても、いろんな方法で追いついてくれるんだね。すごいね、人間って」


「だな」



 双子は顔を見合わせて、また笑いあった。

 その時の信号の光はやけに明るく、青々として楽しげだった。


 歩行者が信号を守って、信号が歩行者を守る。

 二つがつながって、道が安全になる。


 もしそうなら、もしそれが正しいのなら、

 まだ、自分たちはここにいていいのかもしれない。



 ライト兄弟は、そんな前向きなことを考えていた。


 既に紫髪の老女の姿は、双子の笑い声が聞こえないくらい遠く、小さくなっていた。

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