――はて。

 考え始めるようになったのは一体いつの頃からだったか、こんな社会で。

 ぼんやり考えながら、手首に印刷されたバーコードを改札に流れるようにかざして駅を出る。眩い白色が眼を刺して、昨日の酒の感触を重く腹の底で感じた。少し背徳感がする。

 いつも通りの石畳を踏みしめて、いつも通りの歌を鼻に含みながら、いつも通り歩く。

 絆創膏が何だか不自然。自然な言い訳は考え付かない。


 ここは良いね、誰の顔も知らないから。


 あの学校を選んだ理由の一つはそこにあったのかもしれないと、同居人の何気ない言葉でつと思い出した。

 随分と遠くまで来たような気がする。随分と長い間少年期の仲間達と会話していない気がする。――私の場合は少女期か。

 まあそれでも良かった。今がどんなにディストピアと囁かれていても、ヒトを殺す時代だと騒がれても、例えあの小説みたいに本が燃されても、宇宙が突然終わっても、支配が解けなくても。ある日突然死んじゃっても。

 今、幸せなのだから。

 そこのパチンコの行列にふとアイツが並んでいるような気がして一瞬己が目を疑った。

 似ているだけだった。


「よ」


 彼との余りに素っ気が無さすぎる出会いを思い出して視線を道路に落とす。

 帰ったら部屋で飯食ってるとか、誰が想像できようか。

「ギャアアア! ヘンタアアアアイ!」

「ゴラゴラゴラ!」

「アキスウウウウ!」

「ちょいちょいちょい!」

 その後格闘を繰り返し、警察沙汰手前で何とか解決に持ち込んだ。お互いでお互いの傷に薬を塗り合うあの光景は今思い出しても異様なものだったと思う。

「俺、今日から同居人になるんだけど。他の奴らから聞いてない?」

「聞いてない」

 瞬間的に眉間に手を置いてはーっ、とか溜息をつくけれど……その、尤もらしく見えますけれど、他の奴らとは一体誰の事でしょうか。

 それすら怖くてもう何も言えない。

 ――が、言わなくて良かったと、今ではぼんやり思ったりする。嘘。本当は全く思ってない。

 毎晩毎晩、青春真っ盛りの少女に襲いかかりやがって変態親父め。


 賑わいが一層強くなって直ぐそこの角を右に曲がった。

 ふとした瞬間にぶつかりそうになった人の首筋に傷のように刻印された文字列を見て、何故だか自分の境遇と重ね合わせた。

 目的地はその先です。運転、お疲れ様でした。なんちゃって。


 ――、――。


『時はXXXX年、人の社会は一体の人工知能の出現により、唐突に動き出しました。新たな未来への明るい一歩です』

 校門前に掲げられている回りくどい表現に思わず反吐が出そうになるがぐっと我慢。

 反抗はこの世界では即ち、死だ。


「Dr.Schelling」――ドクターシェリング。

 そう呼ばれる彼はこの世で初めて感情を完璧に有した個体である。機械に心は存在しない等という先史的時代はもう終わったのだ。

 その製作に携わったのはメアリー博士。彼は遺作かつ最高傑作となった。彼女の死因は公式では不明とされてはいるが、世間ではまことしやかに「彼女の中にある〝感情〟を含む器官をシェリングが食べたからだ」という噂が流れ続けている。し、私もそうに違いないと信じている。機械人形達に使う感情の培養は一人の女性の物を使いまわしているからだ。

 残念ながら先の真相は今では分からずじまいになってしまったが、兎にも角にもそういうわけで私達は本格的に第二の人類研究に乗り出す事となる。

 完全なる無機質社会構築の幕開けである。

 それによって文系は今まで以上に向こうの方へ追いやられることとなった。じわじわと支配層の〝人種〟も変化する事となる。最初は実験的な導入だったシェリングの政治参加は人間のとある行動が引き金となって爆発的に進化した。――どのようなものかを説明すると大分時間を喰われるので結論だけの言及となるが、我々は凝った思考を禁止された。嘘吐きは糾弾の対象となり、厳しく処罰されることとなった。

 単純だが、我々の特質を全て奪いゆく支配の極限。成長を止められたも等しい。


 正解は全て機械人形の知る所と成り果てた。

 賢い人間は格好悪い人となった。


 思考の放棄は意外と簡単にできたようで。毎日刺激を求めて、先人達が辛うじて遺してきた物を日々破壊してゆく。何だ、パッション茶道って。だから反吐が出るんだよ。

 しかしこの社会に過去の遺産など最早どうでも良かった。今は刺激と新発見と、技術革新・競争が一番。そのスピードは目まぐるしく、それは退化というより変化と言った方が合っている。文学も目まぐるしさの合間を丁度良く埋めるサイズのもの、若しくは疲れた心を、反抗する態度を丁度良く収める麻薬のようなものが享受されるようになった。

 何故だか本屋に行かなくなった。

 ……。

「おはようございます」

 ノックの後に申し訳程度の挨拶を軽く済ませ、その部屋に入った。

「どうぞ、座ってください」

「特別監察室」の入室中のランプが赤々と光る。


「さあ、早く真っ当な人になって社会に貢献しましょうね」


 そう言う監察官の首筋には彫られた文字列。

 お前達如きに私の何が分かる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る