第11話 ミスワットソンと幸子先生

「Good morning, Kurumi!」


「グッドモーニン、ミスワットソン!」



今日から毎日ミスワットソンに個別で英語を教えてもらうため、午前中の一時間半だけ別室に移動する。



「Okay then, let's get started. Please have a seat.」



……?さっそく分からない。



「Hmm......Ah-ha!」



ミスワットソンが何かひらめいたようだ。


英和辞典を取り出して、英単語を調べてくれる。


普段から私が辞書を所有するのではなく、彼女自身が都度英語を調べて日本語訳を教えればいいと思ったのだろう。


これでどうだと言わんばかりに、私に見せてくる。


だが開かれたページを見て、私の表情が晴れることはなかった。

彼女も困惑していた。


日本語で書かれているはずなのに、なぜ理解できないのだろうと疑問に思ったに違いない。



その英和辞典には「座席」と書かれていた。



もし「いす」と記載されていたら、七歳の私でも分かったはず。

だが「座席」という表現を理解できるほど、私の日本語は上達していなかった。ましてやフリガナのない漢字を読み取ることができなかった。



彼女は状況を理解できず、英和辞典を使用することを一旦諦めた。


椅子を指でさし、実際に座って教えてくれた。



「Seat! You. Here. Sit.」



……椅子に座れってことか!



席に着く私を確認し、彼女は意思疎通できたと安堵の表情を見せる。


だが英和辞典の日本語はなぜダメだったのだろうと気になったのか、もう一度私に見せて表情をうかがう。



ミスワットソンが「Same?」と言って文字に指をさす。



私は黙って首をかしげた。



これって座るって意味なのかな……。覚えとこ。



もはやジェスチャーで英語を覚えて、英語で日本語を覚えるという本来期待していた流れとは真逆になっていた。



ミスワットソンは何度か同じことを他の単語でも繰り返した。だがやがて効率が悪いと徐々に気づき始める。

そして彼女は、英和辞典の使用をやめた。


一から英語を覚えるという点に着目し、英語の絵本とペンを渡された。先生がページに指をさし、私は指示通り該当箇所をペンで押す。すると、英語の音声が流れた。本来は幼稚園児が使用する本だったが、情景が非常に把握しやすい。英語の発音がはっきりしていて、聞き取りやすかった。



これを機に、現地校で日本語を考えることが一切なくなった。英語だけに意識を集中させ、感覚で覚えるというスタイルが定着する。


私の想像だけで覚えた英語と日本語訳が一致しているかは、分からなかった。

その場で確認してくれる人もいなかった。

結果として高学年になってから間違いに気づくことが何度もあったし、英語と日本語どちらの解釈が正しいのか混乱することもあった。

しかしこのときの私にとって英語のみで考えることが、最適な勉強方法だったと思う。



下校してから三十分休憩し、四時に幸子さんの家へと向かった。

綺麗な緑の芝生に囲まれた私の家の三倍ぐらい大きい豪邸。

道路に車を止め、玄関まで約十五メートル続く道を歩いていく。



ベルを鳴らし、きれいなタイトワンピースを着た幸子さんがでてくる。



「Hi ! くるみちゃん!ウェルカーム!」



中へ入ると広いリビングに高い天井で、幸子さんの声が響いている。家具すべてがやたら大きい。豪華な絵画やシャンデリア。棚にブランドのお皿やワイングラスなどがずらりと並び、自分と同じ大きさの高級花瓶に大きな花束が添えられている。



以前家族でホームパーティーに誘われ、ドレスアップして訪問したことが何度かあった。

だが、いまだに慣れない。少し緊張する。



ダイニングテーブルに幸子さんと並んで座る。

今日は初日なので、母が離れた席に座って付き添ってくれる。



「では、挨拶から始めましょうか!よろしくお願いします。」


「よろしくお願いします……。」


「もっと元気よく!」


「はい!よろしくお願いします。」


「教科書は、私が用意したものを使用します。まずは、お口の運動から始めます。」



顔の運動……?そんなこと日本の学校でもしなかったけど……。



私の少し曇った表情を見て、幸子さんが説明をする。



「くるみちゃん。お口の運動は大切なことなの。アメリカの方は、英語で話すときお口が大きく開くでしょ?だから、発音がきれいなのよ。表情も柔らかくて、笑顔が素敵な女性が多いと思わない?表情筋を鍛えることはとても大切なことなのよ。くるみちゃんも将来は立派なレディになるんだからちゃんとしないと。」


「そうなの……?」


「くるみちゃん、前も言ったでしょ?私はお友達じゃないの。目上の方とお話しするときは、敬語を使いなさい。」


「はい……。」


「では、真似してください。お腹に手を当てて、大きく息を吸ってー……あー!いー!うー!えー!おー!はい、どうぞ。」


「あー!いー!うー!えー!おー!」


「はい、次からもっと口を開けてね。次は……あっ!えっ!いっ!うっ!えっ!おっ!あっ!おっ!」



口の運動を、十分ぐらいした。

やっと英語の勉強が始まる。


英語の教科書を開くと、絵が豊富で日本語訳も全部載っていた。

フルーツの名前や挨拶の種類。This is やThat isなど。


私は、英語の基礎を少しずつ習得していった。

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