第2話


 今から三年前、世界的に有名なピアニストだった父は、突然の脳梗塞であっさりと息を引き取った。朝のニュース番組で、女子アナが無感情を装って、父の死を全国に告げているのに虫酸が走った。葬儀には沢山の人間が訪れ、有名なミュージシャンや、芸能人、政治家の姿もちらほら見かけたが、普段テレビの中でしか見る事の無い人達が目の前にいると言う事が、寧ろ現実味を奪って行った。そんな人達が、生前は父に世話になった、とか、本当に惜しい人を亡くした、とか、どうしてこんなに早く、とか言っているのだ。

 私はそれを兄の隣で、親族関係者と言う席に座りながら眺めていた。

 マスコミも多数来ていて、それらの受け答えは専ら兄が担当していた。双子の兄の洋は、その時既に、そこそこ名の知れたピアニストになっていたからだ。

 父の才能を最も色濃く受け継いだ兄。カエルの子はカエルだと世間に知らしめた兄の横で、じゃあ私は何なんだ、突然変異のゾウリムシか、なんていじけた考えを巡らせていた。

 父が亡くなった後、その穴を埋めるべく兄は世界中を飛び回った。一部の人間は、やはり父の演奏には程遠い等と揶揄したが、同情もあってか、概ね世間には受け入れられていた。

 そして私は、その葬儀で、実に六年振りに父の顔を見る事になった。怒鳴り声からは想像もつかない、安らかな寝顔に、非常に腹が立った。


『あら、じゃあ連れて来るのね?』

「うん、結果的に、そうなっちゃった」

『いいじゃない。たしか、達也さんだったわよね?』

「うん、そう」

『達也さん、何か食べれないものとかあるかしら? 何作ったらいい?』

「なんでも、適当でいいよ」

『あのね、お母さんだって、色々と準備があるのよ? いいから、達也さんは何が好きなの?』

「達也さん達也さんって、なんでそんなにテンションあがってんのよ?」

『いいじゃないの。あんたが家に男の子連れて来る事なんて初めてじゃない』

「……悪かったわね」

『それにしても、いい人そうじゃない。あんたはぬぼーっとしてるんだから、達也さんくらいグイグイ引っ張ってくれる人の方がいいわよ』

「会った事無いのに」

『いいのよ。じゃあ、明日、待ってるからね』

 母との電話を切り、思わずベッドに倒れ込んだ。

 結局達也に押し切られる形で、実家に帰る事になってしまった。面倒くさい訳ではない。まだ父の匂いの色濃い実家に、足を踏み入れたくないのだ。

 萎えた気力を励ましてくれるように、サイフォンが電子音で、コーヒーが出来た事を教えてくれた。

 出来たてのコーヒーをカップに注ぎ、それを持って作業机へと向かい、仕事の続きに取りかかる。来週締め切りのカット絵は、私が毎号受け持っている女性誌の占いコーナーのイラストだ。その週の星座のキャラクターを、占いの結果に合わせて描いていくのだ。

 絶好調の蠍座は、特に金運がいいらしく、尻尾にコインを刺して笑っているイラスト。最悪な山羊座は、体調不良に気を付けて、と言う事なので、熱を出して頭に氷嚢を乗せているイラストだ。デザインのラフ画は既にOKを貰っているので、それに従って描いて行く。これが、三週間後に本になって店頭に並ぶのだ。

 ――そう言えば、私の今週の運勢ってどうだったっけ?

 二週間前の仕事なんてすっかり忘れてしまっていた私は、先日届いた見本誌を本棚から抜いて、捲った。

「えーっと、何々? 乙女座の貴女は、ほどほどラッキー。ずっと失くしていた探し物が見つかるかもしれません、ねぇ……」

 女神様がハートをギュッと抱きしめているイラストが、解説の横で佇んでいた。

「こんなん、当てになるのかしらねぇ~」

 関係者が言ってはおしまいである。


「すいません、お邪魔します」

「まぁまぁ、いらっしゃい」

 達也の来訪を実に嬉しそうに受け入れる母。電車でもそうかかる距離では無いのだが、達也が車で家まで迎えに来てくれたので、そのまま彼の運転で実家へ辿りついた。

「とりあえず、お茶でも飲んで下さいね」

「あぁ、いえ、お気づかい無く」

 目の前で繰り広げられるのは母と達也のお約束のようなやりとり。自分の生まれ育った家に彼が足を踏み入れていると言う光景が、何だか私には擽ったかった。


 達也の仕事は、雑誌の編集者だ。

 とは言え、仕事の上で関わりを持った事は一度も無い。

 私を担当してくれていた女性編集者に無理矢理持ちかけられた、出版関係の人が集まると言う合コンで、私と達也は出会った。徹夜明けもあってか、非常に面倒くさいと感じていたのだが、今となっては感謝している。ちなみにその女性編集者は、未だに私の担当で、生憎未だに独り身で、達也の同僚でもある。彼女が実は達也を狙っていたのかどうか、それは流石に怖くて聞けなかったが、今では事あるごとに、先生はいいですよねぇ、と不満を垂らす。自分で誘っておいた癖に、よく言う。

 仕事の幅でも広がればと、合コンの二次会で名刺交換をして、後日二人っきりでのデートのお誘いを受け、お付き合いを始め、2か月前、プロポーズをされた。

 その日、締め切りと言う名の修羅場を超えた私の元にやって来た彼は、普段と変わらぬ様子で私の肩を揉んでくれた。

「お疲れ様」

「疲れたわよ~。あんたんとこの雑誌、特集やるならもう少し余裕持ってスケジュール組んでくれない? 普段通りとかマジで死ねる」

「でも、この後は少し余裕出来るんだよね?」

「とりあえずはね~。3日位は寝倒せる予定~」

「そんじゃ、元気になる差し入れ」

 そう言って彼は、私に紙袋を手渡した。

「お、気が効くじゃない」

 チョコレートか、シュークリームか、甘い物を想定して袋に手を入れた私の手に収まったのは、小さな箱だった。開くと、それ以外のものは受け付けませんと言うように、スッポリと、指輪が収まっていた。

「達也、これって……」

「結婚しよう」

 言葉はサラリとしていて、だけれども、緊張した満面の笑みを浮かべる彼に、逆らえる者などいるのだろうか。

「……いいよ」

 達也の真似をするように、サラリとそう応えると、彼は揉んでいた私の肩から手を離し、そのまま私の身体を抱いた。

「よかった~、断られたらどうしようかと思った」

「よしよし、頑張ったね~」

 彼の頭を撫でてやると、彼は「元気出たか?」と言って笑った。

「出た出た」

 それがもう、二か月も前の事だなんて信じられない。今でもその時の事を思うと、頬が緩んでしまう。

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