第6話 悪夢のような

 深夜の、王宮。

 胸騒ぎ、だろうか。

 ふと目覚めた時に、何故か気になって、こっそり寝室を抜け出した。

 夜着の上にショールをはおり、快適な温度を保証されている廊下を隣りの部屋へ。

 常日頃は使われていないはずの隣から、物音がした所為だっただろうか。

 明かりが漏れ、ふわりと父皇が好む香りが漂ってきたので、驚かそうと、そっと扉に手をかけた。

 彼はここのところ多忙を極めているようで、よく弟君であるフォシオを伴い、夜遅くまで執務から戻らない事が多々ある。朝はかろうじて挨拶をしに行くと会えるのだが、夜の挨拶は多忙な彼の都合で省略されることもしばしばだった。

 今日も今日とて、ほとんど会話もしていない、と気付いたのだ。

 幼い頃のかくれんぼのように、久しぶりの高揚感。

 ユリスあたりが見ていたら、こんな格好で、なんてはしたないことを! と真っ青になって、淑女たるもの、と説教が始まりそうだが、幸い彼女も下がっている。

 それに、優しい父皇は自分の小さな悪戯に笑ってくれると思うのだ。

 反応を思い描き、高揚感に自然緩む口元を抑えつつ、扉に手をかける。

だが。

「ヒ……ッ」

 扉を開いたところで、あまりの光景に言葉を失い、立ちすくんだ。

 元々緋色の絨毯が敷き詰めてあったその部屋は、ぼんやりとした灯りの下、はっきりとわかるくらいの水溜りができていた。

 その水溜りの上に、父皇が倒れ臥している。

 いや、違う。

 水では、なくて。

 緋色の絨毯を黒く染める、それは。

「レ……、来る、な」

 彼が、いつになくたどたどしく言った。

 紅く染まったその手からすべり落ちたのは、清らかな蒼。

 常日頃は、彼の右の人差し指にはめられているインデックス・リング。

 何故、それが指から外されているのかと、疑問に思い。

 それを目で追って、来るな、という言葉に反して一歩、足を踏み入れたところで。

 扉の死角から飛び出した気配と。

 後頭部に、鈍痛と……。

 意識を失う寸前に振り返り、見たのは。

 禍禍しく紅い。

 紅玉の、胸飾り。

 同じ色に濡れた剣を持つ手と、

 それから、インデックスリングをゆっくりと取り上げる、指先。



「ユークレイス! くそ、この身体じゃ支えきれないぞ。エディン!」

 意識を手放し、重力に従い傾いた体を、キストがステッキを手放して抱きとめた。

「言われなくてもわかってますって! よっと、失礼!」

 エディンが血相を変え、少女の体重を支えきれずふらついた彼からその体を受け取り、その場に膝をつく。

「レディ! レディ!」

 色が変わらぬ程度に頬を叩いてみるが、ぐったりと深遠まで沈み込んでいるらしい意識が戻る気配はない。

 淡い色の睫が、青白い頬に影をつくっていた。

「エディン、やめろ」

 なおも力を強くして頬を打とうとする手を止め、キストがエディンを制した。

「でも、マスター」

「無駄だ、しばらくは目覚めない。ペルフィールドさん、どこかに婦人が横になれる場所はあるだろうか」

「は、はい、あの、手前の部屋に長椅子がありました。ですが、こ、この方ほどのご身分の方が横になるにはあまりにも」

「ペルフィールド」

 儚げな少女の身分を知ってしまい取り乱すペルフィ―ルドの正面に、少年はつかつかと歩み寄る。

 そのオニキスの目に漂うのは、凍てつかんばかりの冷ややかさ。

 息を飲む男の前で低く囁くのが、

「彼女は、ユークレイスというだ。そうだろう?」

 彼女の、身分も、名も、その一切を、聞かなかった事にしろ、と。

 目が、そして、少年のものというにはあまりにも老成した声が、ペルフィールドに命じる。

 ペルフィ―ルドは顔を引きつらせ、巨体を、ブルリ、と震わせた。

 ふりしぼるように、

「Yes,Sir」

 敬礼までして見せたペルフィールドに、キストはようやく口元をほころばせた。

 浮かんだのは、穏やかな微笑。冷ややかさを微塵も残さず、

「ありがとう。その言葉、信じよう。さあ、エディンをその部屋へ案内してくれ。エディン、お前はしばらく彼女についていろ」

「了解。マスターはどうされるんで?」

「この石を調律してしまうさ。見たところ、核が失われているから、すぐに済むだろう。残滓とはいえ、放っておけば、更なる負を呼びかねない。ああ、ライア嬢に電話を入れるのを忘れないでくれ、寝台の用意をしておいてもらわなくては」

「わかりました。じゃあ、後ほど」

 細い体を軽々と抱き上げ、ペルフィールドに先導されたエディンが大股で扉の向こうに消えた。

 一人取り残されたキストは、見送っていた瞳をすい、と紅玉へと戻す。

 幾人もの主の首を飾ってきたであろう、禍禍しくも美しい紅玉。

 手袋をしたまま、その表面を撫で、彼は静かに微笑んだ。

血塗れのブラッディマリア。哀れな女の名を持つお前。……核をどこへやった?」

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