第2話
大学3年。
引き続き、童貞である。
それとは別に、忘れもしない、衝撃の日があった。
友達の紹介で、現役の漫画家の先生にあって、話す機会をもらったのだ。
東雲先生。
おまえはその漫画家の名前を知らなかったから、すぐさまスマホで検索してみた。
現在、30歳。美大中退。大学時代に、一回、某有名月刊誌に読み切りが掲載されたことがある。
その後、何回か連載をするも打ち切り。雑誌を点々とし、いまはWEB媒体で連載をしているようだ。
正直、売れているとはいえないが、漫画一本で食べているらしいから、紛れもない漫画家だ。
絵をみてみた。ため息がでるほど上手い。圧倒的な写実力。ストーリーはみていないが、
これで打ち切りとなっていたとすると、話作りが下手なのだろうか。だが、話を聞く価値はありそうだ。
おまえには、少し焦りが生じていた。
すでに大学3年、目立った創作はできていない。大学4年になると就活が始まってしまう。
それまでには、何かしら行動を起こさなければならない。モラトリアムのうちに、なにか実績を作っておかねば。
今回、せっかく漫画家の先生に会うことになったのだ。モチベーションをもらおう。おまえはそう思っていた。
当日夕方。
ルノアールで会うことになった。
紹介してくれたのは大学の友人。彼も創作仲間で、つてがあったようだ。おまえに声をかけてくれた。
「や、こんにちは、東雲です」
先生がきた。第一印象は、イメージと違っていた。
もう少しひょろっとした痩せ型メガネの男性を想像していたのだが、
東雲先生はがっちりとした体型で、長身だった。
ビジネスカジュアルな服装で、革のカバンを持っていた。
先生はアイスコーヒーを頼んだ。おまえや友人も同じものを頼んだ。
友人が先生に来てくれてありがとうございますというようなことをいって、
世間話を初めた。話を聞くに、どうやら今日はコミティアで、先生はその帰りだったみたいだ。
先生と友人の会話の最中、
おまえは、何気ない質問のつもりで、
先生に話しかけた。
「東雲先生は、どうして創作をしているんですか?」
「うん、なんでそれを聞くの?」
「えっ?」
「それを聞いてどうするの?教えて」
おまえの心臓は高鳴る。
「あ、はい、私も創作をしていまして、東雲さんの…」
「うん、だから僕の情報が君の創作にどういう影響があるの?」
「失礼ながら参考になるかなと…」
なんだこの人。
「うん、君は自分の作品をよくしたいんだね。じゃあコメントをあげるよ。見せてもらっていい?」
「あ、いまは…」
いやなところを突かれた。
「うん、もちろんいまはないだろうから、スマホでさ、ピクシブとか、なろうとか、tinamiでもなんでもいいよ。みせて」
いままで必死に守ってきた領域に他者がはじめて侵入してきた。
「アカウントはあるんですけど、全然載せてなくて。これから載せるつもりなんです、ごめんなさい」
おまえのpixivアカウントには、数枚の絵が乗っけてあるだけだった。
数ヶ月に一回、創作の意欲が高まった時に描いた気まぐれの作品。
東雲先生の作品には、クオリティも量も遠く及ばず、みせるのが気後れした。
「じゃあ、いつから創作しているの?」
「大学入ったくらいから…」
嘘だ。
「いまはいくつ?」
「21です」
「どういう作品がつくりたいの?」
「は、はい、まだ方針は固まっていませんが、少しずつできるところからやっていっている段階です。日常を過ごしていて、これはネタになりそうだな、というのを集めて、いや、スピードが遅いのはわかってるんですけど、それから…あの…」
先生はすでに、価値のないものでも見るかのようにおまえをみていた。じっとみていた。
「具体的にはどういう作品になりそう?SF?ファンタジー?あらすじを、できたとこまででいいから聞かせてよ」
「あ、は、はい、舞台としては、『ディール共和国』という架空の国の話でして、基本的にはSFにしようと思いますが、中世ヨーロッパ的な要素も含めて…」
おまえは馬鹿にされたくない一心で、おまえの考えた設定を事細かに説明した。ちゃんと創作をしている。まだ形になっていないだけだ。
しかし、考えているのは断片的な設定の塊で、一本の筋の通ったストーリーではない。誰かにあらすじを説明したこともない。脳細胞をフル活動させて、必死に、細かいパーツから、一つのストーリーを組み立て、説明していったつもりだった。自分の創作のアピールをしたつもりだった。だが、
「うん、もういいや。自分で自分の言ってるストーリー、意味わかってる?」
「…」
お前は体内に冷たいメスをいれられた気分だった。
必死に守ってきた自分の創作。宝。財産。それが全てゴミに感じてきた。
「きみのこと、大体わかったよ」
「…」
「例えていえば、『旅行に行きたいです。でも行き先はわかりません。でも旅行にはいこうと思って、世界地図は眺めてます。とりあえず旅行のために、荷造りはしてます。でも終わってません。いつかする旅行のために他のトラベラーの意見は聞きたいです…』そんなかんじ?」
言葉のひとつひとつが発せられるたび、おまえの心は傷つけられた。
まるで外来種が固有種を蹂躙し生態系を破壊するかのようだ。
相手はおそらく不断の努力を積み重ねてきた肉食動物。おまえは温室でずっとぬくぬくぬるま湯でそだった草食動物。蹂躙されるなど一瞬だ。
「…は、はい、そうかもしれません…すいません…」
ふと横をみると、友人は気まずそうに下を向いていた。
おまえの視界はゆがんだ。
おまえは他人がなにを言おうと、おまえの人生は救われ、サブカルチャーによって何億という大金を稼ぎ、性的にも満たされ、若いうちから豪遊できると思っていた。
創作で食べていきたい、という素朴な欲求が、時間経過とともにどんどん背鰭と尾鰭がついていき、巨大な欲求へと変貌していた。
おまえには、この根拠のない夢がひとつあるっきりで、努力をしていなかった。
おまえは中身も価値も存在意義もない空虚マンであり、実は自分に価値も才能もないことがバレるのが怖いので、覆い隠すように秘密主義をとっていた。だから創作を発表することに抵抗を感じていた。
2chで他人の絵に対してデッサンが狂っているという指摘をすることで安心した。
だが今日、先生によっておまえの隠れ蓑が吹き飛び、本質を暴かれると改めて自分の価値のなさを認識した。
おまえは、自分へのとめどない怒り、情けなさを感じた。
恐ろしい夢をみていたと思った。創作は自分が一生を捧げられる存在だと思っていた。
優しい女神の顔をしながら近づいて来て、気づいたらおまえの何もかもを奪っていた。
おまえはこの悪魔を、なんにもしらずに可愛いペットだとでも思い込んで胸にだき続けていたが、よくみるとそれは恐ろしい顔をした悪鬼だった。
おまえが中学から育て続けて来た、恐ろしい悪魔の芽だった。なにもせずにいつのまにか21になっていた。
それというのも、怠惰だ。七つの大罪の一つ。
おまえはこの怠惰に、幾千の時間が吸われたか。いつやるか?明日でいいでしょ、を繰り返し、時間は過ぎ去った。
おそらく、こういう人種はおまえの他にもいくらでもいると思った。いつかサブカルチャーで食べていくことを夢見て、その癖自分は怠惰によって行動せず、それでもいつか奇跡や神の見えざる手で特別な自分だけは救われて、救済されると。
pixivやツイッターではろくに絵を書きもしないのに、偉そうな顔をして他人の絵を批判する。
ただ、こういう人間はろくに絵もあげないので、拡散されることはなく、おまえの目に触れることはない。
しかしサイレントマジョリティとして、見えないところで蠢いていると思った。
ルノアールの話に戻る。
おまえはもう一言も発する気力がなくなっていた。ひたすら、友人と東雲先生の会話を聞き続けることしかできなかった。
怖くて、口を開けなかった。一刻も早く、その場から立ち去りたかった。
最後に東雲先生は「また会おうね。時間があれば」と笑顔で去っていった。
一ヶ月は、この日が永遠にリフレインしていた。自己嫌悪と焦りに陥った。
そうこうしているうちに、就活が始まった。
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