第74話
大宮で乗り換え着いたのは、近代的な中にも雅さ溢れる、見た者の心に響くような駅だった。
世俗と古風の混じり合い調和した空間が、佇まいだけで立ち入る人々を魅了している。
「この柱、金が使われているぞ」
「ほー、これって、かなりの純度なんじゃないでしょうか」
外国人組兼魔術師組は、早速その物珍しさに目をキョロキョロさせている。
気持ちは分かる。この駅を初めて見た人間ならば、目を奪われるのも無理はない。何度も見ている私でさえ、素晴らしい建築だと思うのだから。
「金箔ですね。名産品なので、駅の中には至る所に使われていますよ」
十歩もしない内に、駅はより一層の艶やかさを見せつける。
柱は加賀友禅や和紙で彩られ、飾られた工芸品が目を惹き、歩く人々もどこか空気に合わせて佇まいが変わっている。売店一つ取っても彩り豊かなものだ。
ここが日本で最も雅な駅と呼ばれるのも、分かる気がする。
しかし、金沢の魅力は駅だけではない。
むしろこの駅に引けを取らない魅力に溢れることこそ、ここが多くの人々に愛される理由でもあるのだろう。
「うーん久しぶり。ここは年中人が多いなぁ。ま、観光名所が多いから人は分散しますけどね」
「そうですね。向かうのは西側なので、あまり人の流れは関係ないのですが」
駅の外に出れば、予約しておいたタクシーの運転手が、手を組みながら待っていた。
「お待ちしておりました。麻上永様と桜華様はお久しぶりでございますね。他の皆様も、短い間ですがわたくしが勤めさせていただきます。どうぞ、お荷物はこちらに」
物腰は柔らか、かつ仕草は洗礼されていた。
流石に毎年来る上客には、それなりの人材を寄越すものだ。事実、2年前から運転手は変わっていない。
それ以前の運転手は私を軽く見た発言をした結果、桜華が激怒して会社に何らかの報復をしたらしい。詳しくは聞いていないが、それはもう恐ろしかったと、この運転手から聞いている。
「な、なあ、このタクシー高そうなんだが……」
「ローリエ・サードの最新モデルですね。新車を買うと1600万ぐらいでしょうか」
「それってどれくらいだ?」
「標準の車が4〜5台は買えるかも知れませんね」
「なんでそんな車が来てるんだ!?」
まあ、パトリアがそう思うのも仕方のないことだろう。実際、私もこんな車で移動する意味が良く分からない。正直無人タクシーでも全く問題はない。そちらの方が圧倒的に低価格でもある。
しかし、私がこの駅周辺でタクシーを頼もうとすると、必ずこの運転手が来るのだ。それも、やたらと高価な車と共に。
まあ、その原因は桜華にあると私は思っているが、実害もないので気にしないで問題ない。どのような事をしたのか知ろうともしたが、会社が潰れたという事実を見て調べるのをやめた。
知らぬが花という言葉もある。知ることが正しいとは限らないのだ。
「ほおー、座り心地が違うな。新幹線の座席にも負けていない」
「写真は撮ってもいいでしょうか。ぜひ記事にしたいのですが」
「恐縮です。申し訳ございません、撮影はご遠慮ください。それと、運転中はわたくしはいない者としてお考えください。無人タクシーと同じでございます」
それだけ言って運転席についた運転手は、柔和な笑みを浮かべたまま運転を始めた。本当に何を話しかけられても反応しない。自分の仕事を果たすのみだ。
「彼は気にしないでください。仕事は完璧ですからね。たとえテロに遭っても何とかしてくれます」
「そうか……は? なんて言った?」
パトリアが何やら気の抜けた顔をしている。
力の抜けたぽかんとした表情。これを世間では間抜けた顔という。
「誰がマヌケだ!? その程度の日本語なら流石に分かるぞ! いやそんなことより、テロに遭っても何とかするって、どういうことだ?」
ああそういうことか。今日新しい発見をした。
「最近買った和英辞典。時々読んでいると思ったら、罵詈雑言や危険物の言葉を積極的に調べていたのですね」
「なっ!?」
「いえ、気にすることはありません。そういう方向に興味が向くのは、健全なことなのですから。分かっています。言いふらしたりはしません」
「今早速暴露してるだろうが!」
「そんなことはありません。ですよね」
桜華とエマに目を向ければ、2人はお互いの耳を塞ぎ合い首を縦に振った。可愛いし尊い。やはり最高の妹達だ。
シルバーナは返事をした後、パトリアに同情の視線を送っている。大丈夫、彼女も何も聞いていない。
運転手は首の角度一つ変わらない。彼は存在しない人間だ。
「ほら、誰も聞いていません」
「そんなわけあるか!!」
何が気に入らないのか、問題は何もないというのに。
……いや、少々揶揄い過ぎた。パトリアの反応が面白過ぎて、ついやり過ぎてしまう。
「すいません。秘め事を安易に暴くことは推奨されない行動でした」
「ふん、分かれば良いんだ、分かれば」
「ええ、必死にシンボルの言い方を調べていたのは忘れましょう。隣の部屋から聞こえた事実などありません」
「いつまで引っ張る気だこのやろう! その話は忘れて、テロがなんたらっていう話を聞かせろよ!」
まあ、話して良いのだが。
正直知らなくても問題のない事実。それを知ることでパトリアに悪影響が出る事を、私は懸念しているのだ。
「彼はアスリート並みの身体能力とIQ130以上の知能を備えた、タクシー業界の最終兵器なのです。いかなる状況にも対応し、任された任務は完璧にこなす。30分16000円の価値があると言われるだけはありますよ」
だから私は、彼に全てを話さなかった。
その方が良いだろうと、危険には晒せないと、勝手な思いで決めつけた。
「なんだそれは? 都市伝説か何かか」
「さて、どうでしょうね。都市伝説じみた人物ではあるでしょうが。私はまだここでテロに遭ったことはありませんが、彼ならばどうにかしてくれると確信しています」
「そいつは本当にホルダーじゃないんだろうな」
「ええ、
「ただの人間がそこまでかよ。ジャパンは魔境か?」
呆れた表情のパトリアを見て、私は内心安心していた。
この様子ならば、彼がこれ以上追及することはないだろう。
幸い運転手の仕事は送り届けることのみ。帰りを気にしなければ、これ以上のボロが出ることはない。出たならば、私がフォローすれば良いだけだ。無論、ボロが出ないのが最良なのだが。
そのためにも、少々話題を逸らした方が良いだろうか。
「そうそう、行き先は話したと思いますが、大事なことを言っていませんでしたね」
「児童養護施設だったな。いろんな問題を抱える子供がいるから配慮しろってことだろ?」
「さすがはパトリアさん。昨日しっかり調べているだけありますね。夜遅くまでご苦労様です」
「だーかーらーそういうのをやめろって言っただろ」
不満顔のパトリアも見ていて面白いが、着くまでにそれほど時間はない。手短に話した方が良さそうだ。
「児童とは付いていますが、実際にはパトリアさん達より年上の人もいないではありません。まあ、あそこは圧倒的に18歳以下が多いのですが。それでも、20歳を超えた人もそれなりに入居しています」
「それが問題なのか?」
「いえ、上の方々は英語ができる方が多いので、貴方達も接しやすいでしょう。問題は幼い子供達の方です」
そう問題は幼い子供達の方だ。
あそこにいる子供達がどのような行動で出るのか、私は正確に想像できる。それはもう、アニメーションが作れるレベルで。
桜華の方を見れば、彼女も同じ事を思っているのだろう、微妙な笑みを浮かべていた。
それは彼女にとって嬉しいのだろうが……なんと言えば良いものか。あえて言うならば、嬉しいが歓迎できないのだろうか。
「心の傷で人と喋れないとかか?」
私達の反応から何を感じ取ったか、パトリアがそんなことを口にする。
「いえ、違います。むしろ逆です」
「逆?」
これはもうはっきり言った方が良いだろう。
「全力で歓迎されます」
「は? 全力で?」
「そうです。全力全霊で」
「僕達は会ったことすらないんだぞ。見ず知らずの人間をそう歓迎するものか?」
「関係ありません。桜華が隣にいれば、貴方達もクマのぬいぐるみのように興味を向けられます」
私の言葉が信じられないのか、パトリアは胡乱気な目を向けてくる。
「あのなぁ、人間っていうのはそこまで純粋にはなれないんだよ」
「そうなれるのが、あそこの不思議の一つです。善性や悪意など関係なく人と関われる。……まあ、例外を除いて、ですが」
「簡単に言うな。それができるなら、世界から争いは消えてるぞ。僕が一体どれだけの資料を漁ったと思ってる。そんなことは不可能だ。今の世の中、純朴さがどれほど残っているかな」
パトリアの言っていることは正しい。正し過ぎる程に正しく真っ当な意見だ。
信じられないのも当然のこと。言っている私でさえ、その光景を目にしたことがなければ、奇跡でもなければ不可能と断じていたかもしれない。
私の知る限り、あそこは唯一無二の聖域と同じだ。
だがまあ、流石に全てを受け入れられるわけではない。
尖り過ぎた異物であるならば、いくらそこで奇跡が起きようとも、受け入れられないこともある。
何事にも、限度いうものがあるのだ。
と、そんなことを言っているうちに、車が止まった。
しまった。言うべきことが残っていた。
「パトリアさん。最後に一つ」
「なんだ」
これだけは言っておかなければ。
「私がどれだけ不憫に見えても、決して周囲を責めないように」
私を英雄と言ってくれた彼ならば、きっと怒ってくれてしまうだろうから。
「何があろうとも、それは私の業です。私だけのものです。それに、私には貴方達がいますからね」
これで良い。
エマは気にもしないだろうし、シルバーナは弁えている。問題はパトリアだけだった。
「おい、それはどういう——」
「さあ、降りてください。私が降りられません」
「——……分かった」
何か言いたそうな顔をしながらも、パトリアは私に従って降りる。
それに、私はホッとした。
私からの言葉ならば、彼はきっと守るだろう。
これは、私からパトリアへの一種の呪縛だった。一方的に守らせるための、一方的な我が儘。
「よろしかったので」
前の座席から、柔らかな声が届けられた。
妹組と魔術師組はすでに車を降りている。残っているのは、私とあと1人だけだ。
目を向ければ、そこには柔和な顔の半分があった。会った時から何一つ変わらない、全ての人間に等しく向けているであろう、作り物じみた笑み。
「初めてではないでしょうか、貴方からそのような事を言うとは」
「わたくしの気まぐれでございます。麻上様にはご贔屓にさせていただいていますので」
「任務以外のことは口にしないと思っていたのですが」
「わたくしとて人間でございます。麻上様は違うのですか?」
「……そう在りたいと思っています」
変わらない笑みの中、これまた変わらなかった瞳の色が、僅かに動いた気がした。
彼の感情が動いたとは思えなかったが、何故色が変わったのかは分からなかった。彼を知っていれば、感情に振り回される人間だとわかるだろうから。
「それでは……」
「交換ですね」
互いに全く同じカードを取り出す。
それは名刺であり、交換した二枚の名前の欄には運転手の名が書かれていた。
無意味にも思えるその行為の意味を知っているのは、私達だけだ。
礼を言って車を降りる。
その瞬間、目の前の建物から元気で大きな声が響いた。
「「「いらっしゃいませーーーっ!!!」」」
ああ早速、歓迎を受けているようだ。
私が一緒に行かなくて正解だった。
去っていく車を眺める。
また、喜ばしくも昔を思い出す時期が来た。
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