第73話
「お姉ちゃん、牛タンあげる」
「はい、萩の月あげる」
「む、お姉ちゃんは牛タンを食べたいんです」
「萩の月の方がおいしい。つまりお姉ちゃんが食べたいのはこっち」
「それはエマの言い分でしょ。それに、今はお弁当を食べてるんです。食べ合わせという言葉を知らないの?」
「む、ならお菓子だけ食べればいい。お姉ちゃんはまだ蓋を開けてない」
「そんなこと許しません」
「許されなくてもいいよ?」
「むむむ」
「むむむ」
2人の視線がぶつかり、挟まれている私の目の前で火花を散らした。ついでに、口元には仙台名物牛タンと、これまた仙台の銘菓である萩の月がせめぎ合っている。迂闊に頭を動かせば当たってしまいそうだ。いや、2人の手がひょこひょこ動いているので、私が何をしなくても当たってしまうかもしれない。
まあ、2人も本気でいがみ合っているわけではない。ただ私に奉仕する権利を巡って競争しているだけだ。
(いや、なんで私に奉仕なんてしたいんだ?)
私には良く分からない。普通奉仕される方が嬉しいのではないのか。それとも2人は、誰かに奉仕することで嬉しいと思うのだろうか。家政婦などに向いている資質と言える。
「(なんか見られていますが)」
「(放っておけ、関わると面倒だ。聞こえてるだろ。こっち向くな。巻き込むな。お前の問題だろ)」
どうやらパトリアとシルバーナは私を見捨てたらしい。私の人望のなさが窺える。寂しい限りだ。パトリアなどは私が聞き取っているのを知っていて、一方通行の声まで使って釘を刺してきた。
とはいえ、魔術師組の言い分もわからなくはない。
妹組に私に関する意見をすれば、何故か彼女達はいつもの平和主義を捨て、過激派になってしまうことがある。それは今日までの短い時間で魔術師組にも理解できたのだろう。
だからまあ、シルバーナは許そう。シルバーナだけは。
だがパトリアは許さない。なんせ今の状況を作った原因の三割は、彼にあると言っても過言ではないのだから。
事の発端は仙台城跡の伊達政宗像の前、パトリアが目眩を起こして座り込んだことから始まる。
原因は単なる脱水症状。前日から水分を摂っていなかったことが原因だ。歩き回る機会がこれまでなかったので、加減が分からなかったとは本人談。
要は引きこもりの弊害が出ただけだ。
なので私はパトリアを座らせ、吸収されやすい飲料を買って飲ませ、しばらく付き添って扇いでいた。
その時、妹たちの目が怪しく光っていたことは、シルバーナから聞くまで気付けなかった。
その後マンションに戻ると、何を思ったのか、エマと桜華が私に対して奉仕を始めたのだ。手伝うとかそういうレベルではない。まさに奉仕としか言いようがなかった。
私の一挙一動に注意を向け、腕ひとつ動かすだけでも何かと理由をつけて世話を焼こうとする。その晩はお風呂で体を洗うことさえ許されない。それどころか、カトラリーの一つさえまともに持たせてもらえなかった。
私を赤子か100歳超えの老婆と勘違いしているのかと疑ったが、どうやらそういうわけでもなく、彼女達はただ私に尽くしたいだけらしい。
行き過ぎな行動も、2人が張り合った結果だ。
「2人とも、朝に私が言った言葉を忘れたわけではありませんね」
「「うっ」」
とはいえ、私もその状況に黙ったままではない。
どんどんエスカレートする行動を止めるため、2人にきつく言い含めたのだ。
愛しい妹達の意思はできる限り尊重するが、流石に行き過ぎた行為は諌めなければならないだろう。そうでもしなければ、今度は移動する際に神輿のように持ち上げられ、その状態で通りを運ばれそうだったので是非もない。いくら私でもそのぐらいの分別はあるつもりだ。
「これ以上続けるなら、反対の席に2人だけで座ってもらいます」
「(言うほど厳しくはないよな)」
「(なんだかんだで優しいですからね。それでも、2人には重い罰かと思いますが)」
反対席に座る魔術師達のヒソヒソ話は聞こえないふりをして、左右の妹達の顔を窺えば、それぞれ衝撃を表していた。
桜華は分かり易い。絶望と悲しみの浮かんだ顔は、それだけで感情の乱れと大きさが見える。
エマは一見いつもと変わらぬ笑みに見えるが、良く観察すれば、いつもと違い仮面のように微動だにしていないことが見てとれた。
「おおおお姉ちゃん! もうしないので許して!」
「大声は出さないでください。他の乗客の迷惑です」
「お姉ちゃん、冗談、だよね?」
「三割本気です」
「(半分にも満たないのかよ!)」
一方通行のツッコミはやめて欲しい。反射的に反応しそうになってしまう。
「そんな……お姉ちゃんが冷たい。水星ぐらい冷たい」
「三割……33.33333以下省略パーセント。最小のメルセンヌ素数がこんなに。高過ぎる」
「(もうこれはどっからツッコめばいいんだ!? こいつらがつい三日前までお互い知らなかったなんて嘘だろ)」
「(ちなみに、水星の最高気温は430℃に達するそうです。最低気温は−180℃らしいですよ。そこから導かれる平均気温は125℃、結構熱いですよね)」
「(エマに至っては意味不明なことを言ってるぞ。最小のメルセンヌ素数は3だけだろうが。それとも『3』っていう数字だけを見てるのか? そもそも、冷静に考えて高くないだろうが。三回やって一回しかしないつもりだぞ)」
牛タンと萩の月が引っ込んでいく。
これでひとまず安心できる。妹達を拒絶するのは私としても心苦しいが、弁当ぐらいは自分で食べたい。
「すいませんね。世間の目を考慮すると、このぐらいが丁度良いのです」
「私は気にしないのに……」
「世間がなければ……」
若干一名、危ない方向に思考が偏っている。なまじ精霊という力を持っているだけ、冗談にもならない。
エマはいつからそんな思考をするようになったのだろうか。前までは儚げな容姿にマッチし過ぎた、表向き優し過ぎる少女だったというのに。教育だろうか、私の教育が悪かったというのだろうか。
私がしたことといえば——……
(……心当たりがあり過ぎる)
どうしたものか、考えるほど私が原因に思えてくる。
いや、まだそうだと決まったわけではない。別の原因があるかもしれない。そう思っておこう。そうした方が、私にとってダメージが少ない。
問題を先送りしているだけに思えるが、今は目の前の弁当を食べることに集中しよう。
蓋を開けると、詰まっていたのは鯖寿司だ。
地域性など知ったことかとばかりの選択だが、正直食事に関心の薄い私に、食に地域性を求めることを期待されても困るだけだ。
他者に渡すものならばともかく、自分のためのものにこだわる意義が分からない。
地産地消が叫ばれていた時代ならばいざ知らず、今は何処に居てもほとんどのものが手に入る。それも、鮮度が落ちない短時間で。
しかし隣を見れば、桜華は仙台在住なのにわざわざいつでも食べられる牛タン弁当を開けていて、エマは銘菓にパクついている。良く見れば、パトリア達も名物を買っていた。昨日まで食べていただろうに。
雰囲気を楽しむという精神の薄い私が異端なのか、それともただ単にそういう人間がこの場で多数派になっただけなのか。
おそらくは、前者寄りの折衷といったところか。
「むぐ、味は変わりませんね」
いつの時期にどれだけ食べても、いつもと変わらない味を味わえる。
今食べたのはゴマサバ。多過ぎる程の脂が口の中に残り、しかし魚臭さはあまり感じない。大多数に好まれる魚の味。
それは東京でも変わらない。いや、日本の何処に居ても変わらないだろう。
私はそれが悪いことだとは思わない。
需要があるからこそ、このさばは作られている。そこには求められる価値が、変わらず存在しているのだ。それを否定することは、人類の進歩と大多数の意見を否定することに他ならないのだから。
「桜華、エマ、美味しいですか?」
「まあ、美味しいかな」
「美味しいよ?」
「そうですか。それは良かった」
きっと、彼女達の言う『美味しい』はただの『美味しい』ではない。何か特別なファクターを得ての、特別な『美味しい』だ。
私のような単純で直線的な『美味しい』とは違う。もっと複雑で、明快で、直線的な曲線とでも言うべき矛盾を孕んだ感覚。
私にはない、混沌としていながら受け入れることの容易い、そんな摩訶不思議な『美味しい』。
それも、人としての『楽しい』の一つだろうか。
「お姉ちゃんは、美味しくないの?」
「美味しいですよ」
「だったら、それでいいよ。それだけでいいよ。美味しそうで実際美味しい。それを忘れてないなら、お姉ちゃんはまだ迷ってるだけ」
「そうでしょうか」
迷ってる。それは、どういう状態を表しているのか。
「じゃあお姉ちゃんは、さばが嫌いになれる? それとも、なれない?」
「それは……」
即答はできなかった。
瞬間の思考が複雑に絡まり、答えになかなか辿り着けない。単純な筈の問いが、何故か難解な壁となって立ちはだかる。
以前ならば、エマと出会う前ならば、私はきっと『なれない』と答えた。答えはすでに定まっていて、それは不変にすら思えた。
だが今は、脳裏に『もしも』が浮かび上がっては消えていく。僅かな、しかし雑多な爪痕を残して。それが、私を惑わせる。不変だった答えに、亀裂を生じさせる。
無言の中、エマはじっと私の答えを待っていた。
「……なれる、かもしれません。もしかしたら、ですが」
そんな曖昧な答えに、エマはふわりと笑って応じた。
「そっか、そっかそっか。良かった。いい音きこえるね。すっごく近い音」
何が気に入ったのか、それは嬉しそうな声音でエマは言葉を零した。
良く見れば、頬には僅かに朱が差していた。瞳の色も、感情に合わせて僅かに変化している。
「お、おお、お姉、ちゃん?」
震える声に首を動かせば、桜華が信じられないものを見るかのような顔をしていた。
桜華は桜華で、何をそんなに驚いているのだろうか。
「嫌いになれるの?」
「分かりません。でも、なれるかもしれません」
「そ、う」
驚愕と困惑で頭の上にクエスチョンマークを浮かべる桜華。
そんな姿に、これまた反対から笑い声が響いた。
「ふふ、桜華お姉ちゃんは、知らないもんね。わかるでしょ、お姉ちゃんは色々と、増やしちゃったの」
謎かけのような言葉に、桜華はむっとした表情を浮かべた。
「知らなくても、知ればいいのです」
「嫉妬だね。でも、当然の音だよ。だって、私もそうだったから。お姉ちゃんが私だけを見てくれないのは、なんだか苦しいもん。他の人に音が向くのは、愉快じゃない」
少しだけ眉を下げた顔で、エマは声を落としてそう言った。
しかしエマは「でも」と続ける。再び浮かんだふわりとした笑みには、影など何処にも見当たらなかった。
「お姉ちゃんが幸せになれるなら、それで良い。ずっとなくて苦しんだなら、私があげて楽にする。応えるんじゃなくて、捧げる。でも、それだけじゃ足りない。周りがなくちゃ、始まってすらくれない。なら我慢する。それで、お姉ちゃんが自覚するなら」
柔らかな声に含まれた、強い意志。栗色の瞳には、固い決意が輝いている。
会った当初にはなかった、強烈な自己主張。
「……私もそうかも知れないです」
桜華は悩むような表情で、瞳には苦々しい色を浮かべていた。
吐かれる言葉には、負の感情が見てとれる。まるで、自らの罪を告白するかのように。
「でも、私はお姉ちゃんがそのままでいて欲しいと、願ってしまった。増やさない内は、私を見てくれるから。大切なものが、お姉ちゃんを苦しませるかも知れないから」
そんな桜華に、エマは変わらぬ調子で語りかける。
慈しみの眼差しは、愛しい者を放さない。
「でも、桜華お姉ちゃんは私を受け入れた。同じ苦しみを見た気がしたから。ただ1人の、数少ない救世主。愛してもらいたいのは、誰だって一緒だもん」
「でもそれは、結局私の願望で……」
「なら、変わらないものを言ってみれば良いよ」
桜華が、知らず知らず下ろしていた視線を、私とその隣のエマに向ける。
「……変わらないもの」
そう呟く声に、暗さはなかった。
桜華の中のモヤがだんだん晴れていくのが、私にさえ分かる。それは劇的で、しかし穏やかな変化。目的地を知った船の漕ぎ手のような、迷いのなくなったそれは、桜華に何を見せたのだろうか。
「私達が目指すのは、至って欲しいのは——」
エマの導くような言葉に、桜華も自然に応じた。
「「——お姉ちゃんの幸せ」」
異口同音に放たれた言葉に、2人は笑い合った。
心から嬉しそうに、溢れた笑み。
私には何が起こったのか分からなかった。エマと桜華の謎かけのような言葉は、私には難しいものだ。でも、彼女達の笑顔は、私に幸せを運んでくれる。これほどまでに胸が満たされる。暖かい感情が、私を掴んで放さない。
だから、珍しくもこんなことが起こった。
「あ、お姉ちゃん笑ってる」
反射的に頬に触れるが、そこには変わらない無表情があっただけだった。
しかし、エマと桜華は見たようで、2人で顔を突き合わせて笑っている。
しかし、言葉を交わす内に何故かむっとした顔をして、お互いどこか誇らしげに私の話を始めた。
どうやら、私の笑みを見たとか向けられたとかで張り合っているらしい。
まあ、私が自分の笑みを確認すること自体が少ないのだ。きっと彼女達の中では、ツチノコを見たとかそういう類の話になっているのだろう。見たら幸せになれるとかそういう迷信だ。
「2人とも、周りの迷惑になります」
「大丈夫。吸音材があるからあんまり響かないよ」
「ごめんなさい、お姉ちゃん。もうしない」
「あ、ずるい」
「前に顔があると、食べにくいね。それとも、私が食べさせてあげようか?」
「むむっ、それなら私が」
「桜華お姉ちゃんは、まだ食べてる途中でしょ」
「それならエマだって」
「私は、むぐ……もう食べた」
「公平じゃないですっ」
桜華とエマでは、狡猾さに差があるようだ。どちらがどちらとは言わないが、最後に勝つのが誰か分かり易い。
無論、それが悪いわけではない。が、誰から学んだのか気になるところだ。
ルシルか、ルシルなのか? まさか私ということはないだろう。ネットから学んだ可能性も高い。むしろ最有力候補。
まあ、今はいいか。
これは仲の良さを表してもいる。信頼や、優しさや、守りたいと思う心などだ。
「北陸新幹線では、パトリアさんと場所を変わりましょうか」
「「「「え」」」」
だから、こんな意地悪もしてみたくなる。
「(や、やめろ! 僕を殺す気か!?)」
「私の妹達は可愛いくて優しいでしょう? まさか違うとは言わせませんよ」
「(あ、あの〜、私もついでに殺されるので遠慮したいな〜。なんて」
「質問に答える程度ならお付き合いしますが」
「あ、それなら」
「(おい馬鹿やめろ。死にたいのか)」
そこまで言う程のものだろうか。
「……お姉ちゃん? アジ・ダハーカが許しても、私は許さないよ?」
「私が嫌い? それなら、明日にでも首を吊るけど」
訂正。重すぎる程に危ない。
エマはルシルの蔵書でも読んだのだろうか。表現がその意志の強さを示している。桜華はストレートに重い。目から光が消えている。
「じょ、冗談です」
声が震えている気がする。
大丈夫だろうか。私は院長に会うまでに機嫌を直せるだろうか。
それと、桜華が物騒なことを言うものだから、周りの視線が刺々しい気がするのだが。通報などされないだろうか。
「そう、よかった」
「うん、よかった」
ホッとする。どうやら簡単に機嫌は直せそうだ。
あとは周りの誤解を解かなけれ————
「「許さないけど」」
————これは、我が身を差し出さなければならない状況のようだ。
「申し訳ございません」
この後、私が抱き人形になることで、2人に許してもらった。
迂闊に軽々しい発言をしてはいけない。私は今一度学んだのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます