第68話
《レルム》
私が今から使う世界創造の御業にして、幻想を現実に貶める至高にして最悪の神秘。
《レルム》とは神の領域に身を置く全能者のみ手を伸ばす資格を与えられる、カタチ有るものカタチ無きもの全てを世に現すこと、すなわち自らの全てを世界に表現することを許される資格。
その在り方は千差万別。
時にそれはあり得たかもしれない未来であり、またある時は別の選択をした
私のそれは、私ですら完全に理解はできていない。
私は所詮、あったかもしれない少し先の未来であり、形ある今に過ぎないからだ。
これが
ただ分かることもある。
それは聞かされたことであり、私が本能的に察していること。
私の《レルム》は7つの罪源の内の1つを担う唾棄すべき奇跡。
驕り高ぶった人間の象徴にして、決してなくなることのない悪行の根源。
私の司る《傲慢》の概念によってカタチ取られた1つの世界。
最大宗教において定義される7つの恵みから外れた、人の積み上げた罪の集積にして、人の求めた望みの最果て。
故に私は、これを最悪の神秘と称する。
だが、今はその最悪の神秘に頼らなければ大精霊には勝てない。
世界の法則を書き換えた程度では、異界の法則を撒き散らす白き巨体を屠る事は叶わないのだ。
(でも、使ってしまえば後戻りはできない……)
私は《傲慢》の真性悪魔。
それが魔術世界で広まれば、もう今まで通りではいられない。
正確にどうなるのかは分からない。だが最悪は想定できる。
争いが起こるだろう。魔術世界も現代文明も巻き込んだ、世界大戦とも言える果てなき戦争が。
魔術協会も地下教会も表の人間も分け隔てなく、命を減らすだろう。
私が姿を消しても意味が無い無い。一度始まった大戦争は止まらない。
人々という集団の欲望に限りはない。上に立つ者が愚かならば尚のこと。
そして、真性の悪魔を求める者がいる限り、従う者が意味を見失っても乱戦は続くのだ。
他ならぬ私がその原罪の一端を身に秘めているのだ。その程度は容易く理解できる。
だから、最善の結果は決まっている。
私が死ねば良い。
はっきりと、疑いの余地なく、多くの目に晒されながら、粛々と私は処刑されなければならない。
ルシルならば、他ならぬ私の“真の枷”ならば、その事は良く分かっていることだろう。
ルシル・ホワイトになら任せられる。
私を殺し切るという偉業を果たすことを。二度と蘇らぬ永遠の安寧を与えてくれることを。私の身体を欠片すら残さず燃やし尽くすことを。
そして……残った者達を守ることを。
院長には申し訳なく思う。貴方よりも長く生きると約束したというのに。
妹には謝らなくてはいけない。まだ大した恩返しもできていなかったのに。
美緒と京介はあれでも刑事、人の死くらい軽く受け止められる。少しくらい悲しんでくれればそれで良い。
エマには悲しい思いなど感じて欲しくはないが、これも成長に役立ててくれるだろう。きっと私がいなくなればあのビルから出ることになるが、ルシルならば完璧にサポートしてくれる。
結局、私にできる事など何も無かった。
ああ、こう考えると私は何て薄情なのか。
まあ、借り物の感情ではこれが限界……それで良い筈なのに……何故、心が冷えている? そんな資格は無い筈なのに、これが後悔なのか。
終わりが望ましくない。だが、そんな考えを見えないように思考をずらす。
後悔は置いてきた。それで……それで良い。
私が死んでも私の代わりは幾らでもいるのだから。
だから今は、死んだ後など考えない。
「クッ……ソ……
「ええ、奇跡を見る準備は出来ましたか?」
「……分かった。死んでも見といてやる……だから、勝てよ」
答えはパトリアの右手を握る事で返す。
もう、言葉は要らない。
血で描かれた幾何学模様から、情報が流れ込む。
眷属精霊とは比べ物にならない程の量の、小さな世界にも匹敵する法則の奔流を、思考加速と演算拡大を使って処理していく。
パトリアが膝をついた。それでも、手からは力が抜けていない。それは即ち、パトリアは諦めずに耐えているということだ。
だったら、私が躊躇する必要が何処にあると言うのか。
祝詞を思い浮かべようとすると、僅かな異物感と共に私が何をすべきかという情報が、勝手に頭の中に浮かんでくる。
だが、以前とは違い不快感は少ないし、意識が塗り潰されもしていない。せいぜい身体の中に蠢くスライムを詰められた感覚がある程度のものだ。
それ以外の違いと言えば、首についているチョーカーが熱を持ち始めた事ぐらい。悪魔の権能に反応しているのだろう。
「『
だが意識が乗っ取られていないにも関わらず、自分の意思とは無関係に祝詞が喉を震わせ、口から溢れる。
これは未だあちらの意思の役割ということか。
教会の《枷》を緩めての行う《レルム》は初めてなので、これから起こる事は私にとっても未知だ。
それでも、この世の全ての不快感を煮詰めたような感覚が無いだけで幾分心は軽い。あれは生命が受け入れられるものではない。私があれを気軽に受け入れられるように成ることは、人生をやり直してもないだろう。
意識の侵食も無い事には驚いた。
あれは教会の《枷》とは関係ないものの筈だが、一体何が影響しているのか。
まあ、今は関係ない。早く祝詞を上げてくれればそれで良い。
「『…………』」
だが、それ以上の祝詞が口から溢れることはなかった。
自分から発しようにも、私は自分では行えないのだ。
私はありえざる者だから。
一個の生命と認められていないから。
原罪に値しないから。
私だけでは、その資格がない。
だからこそ、権能を行使するためには協力がいる。《傲慢》を背負うに足りる
だがそれは半ば機械的なものの筈なのだ。
少なくとも、私を勝手に動かす程度には。
(……っ、一体何がいけない。なんで今……!)
パトリアはこの一瞬にも耐えている。なのに私は突っ立ったまま。そんな事は許されない。
私はパトリアに報いなければならない。
私に憧れたと言ってくれた者に、失望は与えられない。
なのに何故私は応えられない!?
(苦痛が足りないからか? 私が傲慢にも代償なく求めたからか? ふざけるな! なら私の全てを持っていけ……何もかもを捧げる……だから今だけは! この瞬間だけは叶えてくれっ!)
だがその懇願も、応えられる事は無かった。
ただ、空白が続くだけ。
何故……私は誰かの願いに応える事はできないのか?
贋作の心では、借り物の体では、偽りの力では……誰かに希望を与えることすら、許されないのか。
(私が……私が悪魔にすら成れないのは、知っている。でも、今だけは。負けても良い……消えても良い……誰かの為なんて言わない……ただ今だけは、私に運命を覆す力を許してほしい。いくら醜い幻想でも、叶えてほしい願望がある。……私はそれで、死んだって良い。だから……!)
人生で初めて抱いた望み。
誰に言っているのかも分からない嘆願に——
『わたしは、死んでほしくないなぁ』
——幼い声が応えた。
「え……?」
灰の世界で、時間が止まったように錯覚した。
光景は見える。なのに、あらゆるものが動かない。
ただ、その光景は何処か見覚えがあった。
モノトーンで表現された世界。それは、私が極限まで意識を加速させた時の光景に似ていた。
ただし、何故か空からは白い欠片が降り注ぎ、色を保った者が2人いる。
1人は私。低すぎる体温も白すぎる肌もそのままだ。
『久しぶり? それとも、初めまして? とにかく、会えて嬉しい、お姉ちゃん。お姉ちゃんは、違うの?』
もう1人、星も観客も大精霊も隣のパトリアさえ微動だにしない中、少女は悠々と私の前に立っていた。
ともすればモノトーンの世界に溶け込みそうな、異様な程純度の高い真っ白な髪と肌。
身長は私よりも大分低い。130を超えた程度だろうか。
だがそれよりも驚いたのは、その造形だ。
白紙のキャンパスもかくやという髪や肌は勿論。目の形が、スッと軸の通った小振の鼻が、唇の比率が、顔の輪郭が、無関係とは言い切れない程に重なる。
(……似ている、幼い私に)
鏡に映したようにそのままという訳ではない。だが、血の繋がりを感じる程度には、私と少女は似ていた。
『ん、この姿? わたしは妹だから、似てるのは当然だよ』
「私の妹は桜華だけです。貴方のような妹は知りません」
少女の言葉に、私はほぼ反射で言い返した。
そんな私に少女は少しだけ驚いた顔をすると、次に寂しそうな笑みを浮かべて頷く。
『……そうだねぇ。でも、わたしも妹。それだけは、忘れないで?』
頭にしっとり馴染む声で、少女はそう言った。
その感覚に似た効果を持つ声を、私は知っている。ミラーとの最後の戦いで、私はその声に呑まれかけたのだから。
「その声……貴方は異形の意識なのですか? 私を導き邪魔をする、私を操ろうとする悪の概念。それが貴方なのですか?」
私の問いに、少女は苦笑を返してきた。
『異形って……それに、邪魔をするつもりも、操ろうとした事もないのになぁ。まあでも、わたしがお姉ちゃんの代わりに、祝詞を唱えてた。それは、間違いじゃないよ』
その言葉に、私は納得と共に怒りを覚える。
少女が、私を使って祝詞を唱えなかった。
ならば、先ほどまでの理不尽は全て、少女が作り上げたものだということだ。
私の嘆願を聞きながら、少女はそれを無下にした。
少女は私の願いを感じていた筈だ。それなのに何故、私に応えることを放棄したのか。
怒りで、体が熱を帯びていくかのようだ。
「貴方は、貴方は何故、先程祝詞を唱えなかったのですかっ……!?」
『お姉ちゃんが、悪魔だって知られない為』
少女はなんてない事のように告げる。
なんだそれは。それだけの為に仲間を危険に晒したと、そういうことか。
「それの何がいけないのですか。貴方がそれを気にする理由はないでしょう?」
『あるよ勿論。まあね、ただ知られるだけなら問題ない。けど今は、見過ごせないなぁ』
「何故今なのですか……前と何が違うと?」
『ぜっんぜん違うよ。だって、知られちゃうでしょ?』
「私は知られても良かった……!」
その私の言葉に——少女は全ての表情を消した。
年相応の笑みが、虚無へと変貌したのだ。
あまりにも突然起きたソレに、モノトーンの世界が暗くなったかのような錯覚すら覚える。
その無表情は世界に空いた穴のようだった。
だが、その貌は見覚えがあり過ぎた。
それはまるで毎朝見ている、私の貌のようで……
『そうしたら、お姉ちゃんは死んじゃう。違う?』
小さな金管楽器のようだった声は、平坦でワントーン下がっていた。
その声が耳に入る言い知れぬ感覚に、私は息を呑んだ。
「そ,れは……」
『死んでも良い。さっき、そう思ったでしょ。その隣にいる男に感化されたからかな、今のお姉ちゃんは自分を……ううん、自分の願いを軽視してる。それで得られる物は何か知ってるくせに』
少女の言葉が刺さる。目を逸らしていた現実を、的確に狙いながら。
何故か、鏡を見ているような感覚に襲われる。
心の何処かで、私は少女の言いたいことの輪郭を捉えていた。
「ですが……私が死ななければ」
『大勢が死んじゃうって? そんなこと、どうでも良いことじゃない? お姉ちゃんが死ななくちゃいけない理由にはならないよ』
「ですが、アロさんに報いなければ……!」
そうだ。忘れてはならない。
彼は私に人の輝きを示した。それに報いないという選択は……ない……筈なのだ。
だが、少女は表情も変えないまま、止まったままのパトリアに目を向ける。
『ふうん? アロさん……パトリア……そこの男、随分人たらしだね。まさかお姉ちゃんが絆されるなんて、わたしも驚いた。流石は、望まれた英雄ってやつだね。それが一方的なものでも、応えてみせるなんて。まあ、どうでもいいけど』
少女は視線を私に戻す。
ヒュッと喉が鳴った。
鏡の中と一体化したかのような言い知れぬ感覚の中、一箇所だけ全くかけ離れた違和感が、私の目に飛び込んでくる。
目が、焔のような赤い瞳が、私を捉えて離さない。
『お姉ちゃんはさぁ、忘れてないよ。ただ、見ないようにしているだけ。折り合いをつけている。そう言っても良いかも』
少女は私の目の前まで歩を進めると、私の全てを見透かすような赤眼を以て見上げてくる。
視線を離してくれない。いや、私にはその動作が許されていないかのようだ。
だが、その瞳は一見冷たいものに見えて、決して私を責めてはいなかった。むしろ幼い子供を導くかのように、愛情の光が奥に見え隠れしている。
「私には……」
『そもそもさぁ、お姉ちゃんじゃなきゃいけない理由なんて無いよ。あの神代返りが向こうにいるでしょ? 全部任せたって良かった。あの支配者気取りの造花との約束だって、破ってもお姉ちゃんは悪くない。あの造花が見たいのは、そこの男だけなんだから』
「でも、約束が……」
何かを言い返そうとして、結局具体的なことは何一つとして出てこない。
言い返そうにも、私には少女の言っていることが、誰よりも理解できしまった。
そして、目を背けられない程に、少女の言葉は優しく、何よりも甘美だ。だって、それは私が見ないようにしていた、紛れもない私の気持ちそのものだ。その言葉を聞く毎に固めた意志が緩む程の、押し込められた感情を捉えた響きなのだから。
『お姉ちゃんの願いは何? 人の輝きに目を焼かれること? 違うでしょ。輝きを見るなんてもの、ただの通過点に過ぎない』
ああ、その通りだ。
必死に見ないようにしていた。
この戦いが始まった当初は忘れていなかった。だが、いつの間にか思考に浮かばないように、鍵をかけていた。
あの冷たい部屋で見出した願いから、何故目を背けていたのか。
『面白おかしく生きたい。それが願いでしょ? お姉ちゃんは誰よりもそれを追い求める、そう在らなくちゃならない。だって、お姉ちゃんが幸せになれないなんて、そんなことは許されないよ?』
少女が再び笑みを浮かべる。
聖母のような、悪魔のような、老女のような、幼子のような、罪人の母にさよならを言うような、熟れた果実を優しく引き裂くような……そんな、私の語彙では形容し難い笑み。
『お姉ちゃんは、世界で一番幸せじゃなきゃいけないんだよ? だって、誰よりも不幸だったんだから。心を失ったお姉ちゃんには、世界が謝って捧げなくちゃいけないなぁ。そうじゃない?』
クスクスと笑う少女の手が、私の胸に当てられる。
愛おしげに線を描く指先は、今まで感じたことが程にしっとりと、それでありながら力強く、私の出来損ないの心にまで浸透してくる。
『だからね、わたしが守ってあげる。ここは《止まった願いの世界》だから、誰も邪魔できないんだよ? お姉ちゃんでもここからなら、《世界の果て》まで歩いていける。そうすれば、手に入らないものなんて何も無い。神様からの邪魔だって、わたしがなんとかすれば良い』
少女の言葉が、私を甘く蕩していく。
ああ……それはなんて……なんて甘い響きなのだろうか。
私の全てを案じる言葉達。
私が少女に愛されていると、一切の疑い無く信じられる。否、刻まれると言った方が、的確だろうか?
なんだっていい。
ただただ心が揺さぶられる。形の無い筈の心が、少女の掌で包まれている。小さな手が、どこまでも暖かい。
『ね? 満たされたいでしょ? 痛みから、苦しみから、運命からだって逃げられるんだよ? お姉ちゃんは十分頑張った。もう何もかも捨てちゃえば良いよ。今度は自分の為に、自分だけの為に求めて?』
「…………」
そっと、少女の手に私の手を重ねる。
私と同じくらいの低めの体温。だけど、確かに暖かい。
少女が安心した表情を笑みの中に浮かべる。
だから私も、精一杯の笑みを返した。
そうして——
『……え?』
——少女の手をそっと胸から離す。
少女は目を大きく開いて、混乱の色に瞳を揺らしていた。
『なんで……? なんで受け入れてくれないの……? お姉ちゃんはもう苦しまなくてもッ……!』
「それでも……私は逃げたくないのです」
未だパトリアと繋がっている左手はそのままに膝を突き、私は少女の手を額に当てる。
私のことを何よりも肯定し、救おうとし、慈しんでくれた。その小さな体に似つかわしくない程に、大きな許しと深い愛情を以て。
嬉しかった。
これ程までに愛してくれたことが、胸が締め付けられる程に嬉しかった。
「ああでも、それには応えられない……」
応えられない事実に、胸が張り裂けそうだ。
「いっそのこと貴方を受け入れてしまいたい……でもそれは、私が敗北を認めた瞬間だ。私は、これまで与えてくれた全ての者に応えなければならない。神になんて祈らない。神になんて頼らない。神の為に捨てない。……貴方を受け入れることは、切り捨てる事と同じだ」
少女の顔は見えない。
怒っているだろうか、それとも憎んでいるだろうか。
それは少女の当然の権利。
少女が望むのならば、どんな罰だって受ける覚悟はある。
どんな罰だって耐えて、再び現実に戻らなくてはならないのだから。
これは裏切り。
数少ない私を愛した者を拒絶する、それは最上級の背信だ。
「私は貴方の望みを受け入れない……分かっています。それは、貴方と私の願いを切り捨てる行為だと」
『…………』
少女は何も言わない。
ただ、額に当てた手から力が抜けている。
だから私は、少女の手がすり抜けないように力を込めた。
「私だって後悔するかもしれない。人として死ねないことが、出来損ないの心を壊すかもしれない。……ですが、お願いです。私に
私に出来ることは少女に許しを乞い、ただ懇願することのみ。
『……消えちゃうんだよ?』
「それでも、守りたい」
『お姉ちゃんには次がない。だって世界から認められてない。どんな奇跡もお姉ちゃんを救えない』
「そうですね」
『なんで……』
少女が体を震わせる。
『なんでお姉ちゃんなのッ!? 英雄なんて幾らでもいるのに、生まれ変われるくせに、失った人に全部押し付ける! だから嫌いだよ! お姉ちゃんだって、それは分かってるでしょ!? ここにいる魔術師が守られている事ぐらい!? なのにお姉ちゃんのことは誰も守ってくれない。
顔を上げる。
少女は、泣いていた。
赤い瞳を涙で揺らし、声を震わせ、それでも真っ直ぐ私を見ながら、気丈にも私の前に立っていた。
胸が苦しい。
少女の涙を見ると、何故だか心臓が締め付けられるようだ。
「私は姉だから、我が儘な姉だから。貴方に何も贈れていないけど、許してほしい。私は消えるけど、私のいた価値は無いけど、私に意味を与えてほしい」
でも、だからこそ、私は笑みを浮かべる。
上手く笑えていないかもしれない。
それでも今できる最大限の愛情を込めた笑みを、少女には送らなければならない。今の私にはそれしかできないから。そして、そうしなければならないと感じたから。
白い欠片が降り注ぐ中、私達の視線が絡み合う。
『……っ、はぁ』
歯を食いしばっていた少女は体から力を抜くと、困ったような笑みを浮かべた。
『いいよ、行ってきて』
諦めと優しさの込められたその一言が、何よりも重く感じる。
『お姉ちゃんって頑固だわふぅ!?』
右手で少女を抱きしめる。
加減しながらも強く、少女という存在を体に刻みつけられるように。
「ありがとう」
万感の思いをその言葉に込めた。
少女もすぐに私の首元へと手を回してくれた。恐らくは、少女に出せる全力の力を込めて。
嬉しい。
その力は、私を想う少女の心そのものだ。
『ほら、離して。別れが辛くなっちゃう』
少女を離して、私は立ち上がる。
少しだけ離れた位置に立った少女が、目を瞑り世界へと一言告げた。
『
降ってきていた白い欠片たちが、時を巻き戻すかのように天へと昇って行く。
その幻想的な現象が進む中、世界が僅かづつ色づいていく。まるで、薄いベールを剥がしていくかのように。
「…………」
『…………』
別れは済ました。
だから私達は、何も言わなかった。
ただ笑みに、今在る想いの全てを浮かべる。
今は、それだけで十分だった。
黄金と真紅の瞳には、何処にも悲しげな色を見出すことはできない。
ただ黄金の中には迷いと後悔、そして罪悪感が渦巻いている。
何者でもないと同時に誰かでしか在れない、そんな悲劇の破綻者は己を嘲笑していた。
自らを愛した者の『名』すら恐れて問えない、そんな出来損ないを、心から蔑んでいた。
同時に初めて、自分に対して『憎悪』得たのだ。
それは、祝福されるべきではないだろうか?
たとえ、それが英雄でも化け物でもない在り方だとしても——
——『人間』としては正しいではないか。
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