第67話

 風も無くはためくヒダを翼のように広げ、多数の腕で宙を掴む。ヒダの裏と胴体についた目からは、夜空が世界を侵食していた。

 周囲一帯は全て夜空……否、ここまでくるとだろう。

 最初は僅かながらも見えていた太陽は存在しない。

 黒は闇、星は光、灯りは輝石、そして法則は白き精霊に。

 巨体が動き出すと同時に、人では理解できない法則がそこら中に蔓延り、世界の法則が歪んでいた。

 ここはもはや大精霊の故郷に成りかかっている。

 宇宙の中を平べったい体で宇宙を悠々と泳ぐ姿は、神話に出てくる竜のようにも見えるだろう。

 そらの代わりに宇宙ソラを移動する巨体。大精霊はもはやこの場の支配者だ。

 口だけの顔から咆哮が発せられる。

 我こそはお前達の終わりだと、蹂躙は今ここから始まると、大精霊は小さき者達を睥睨していた。

 だが、その目無き顔はたった2人の敵にこそ向けられている。

 仔にして分け身を殺し尽くし、今規模だけで言えば上位精霊にも匹敵する法則を持つ大精霊の玉体までをも狙う、許されざる蛮族共。

 大精霊の意識はその蛮族を殺すことに向けられていた。

 1度は自らを殺し、2度目は夜空へと無粋な贈り物行い、3度目は我が仔に蛮行を働いた。

 これを殺さず何を殺す。

 これをちゅうさずして何に罰を与える!

 大精霊は全身を震わせる。

 それは、人の尺度に合わせるならば、『怒り』に近いものからの行動だっただろう。

 大精霊にとって初めての感覚。

 だが、それによって必要なものを見失いはしない。

 まずは命令通りに最も低い位置にいる蛮族を殺す。

 次に見下ろす不敬者を惨殺し尽くす。

 そして最後に、この狭い場所から出て感じる全てを破壊する。

 簡単なことだ。

 ただ、やるべき事に理由が増えただけ。

 故に、大精霊は最初の命令をこなすために空より咆哮を向ける。

 ただ2人の敵に向けて。次こそは粉砕できると確信しながら。

 しかし、何故か大精霊の意識には引っかかるものがあった。

 ほんの少しの、不確定要素とも言えるであろう取るに足らない違和感。それは行動を鈍らせる程ではなかったが、確かな澱みを生んでいた。

 あの白い方が最後に見せた、3体の仔の概念を打ち砕いた一撃。あれは何だったのだろうか。

 内2体の概念強度はまだ完全だった。

 白い蛮族は2回概念を歪めることで我が仔を星に還していた筈なのに、最後は3体まとめて星に還っていった。

 それは確か、あの背の高い蛮族が出て来てから。

 蛮族には数が揃うほど力が増す性質でもあったか。完全なる生命である精霊には考えられない特性だ。

 いや、それ以上に大精霊が気になることは別のものだった。

 だが大精霊は浮かんだその考えを否定する。

 当然だ。

 至高の存在の分体である大精霊。その玉体を以てすら叶わない、全能者の領域にある御業。

 すなわち、

 ありえる筈がない。あり得てはいけない。疑うことすら不要。

 そう大精霊は意識の方向性を定める。

 完全な生命である大精霊にとって、それは何の矛盾もない結論だったのだ。

 故に、することは変わらない。

 何1つも、変わらないのだ。





     †††††





「さて、敵はもう1匹。しかしあまりにも強大です」

「ああ、痛覚を抑えていても肌が泡立ちそうなぐらいだ。ああクソ、本物の精霊ってこんなにヤバいのかよ」

「魔術世界で言う精霊とは少し違いますがね。あれは限定的な上位精霊と言ったところでしょうか」

「上位精霊なんて……本気か? そんなもの、勝つなんて不可能だぞ」

「言ったでしょう、限定的と。大精霊の概念規模は上位精霊に匹敵しますが、スペックでは全く及びません。つまりは劣化版です」

「その劣化版ですらこれかよ。本物は絶対に会いたくないな」

「本物に会う時は世界の終わりか何かでしょう。それで、勝てるイメージは湧きましたか?」

「まっったく湧かないんだが? むしろ逃げ出したい。逃げていいか?」

「ダメです」

「そうだよなぁ。ははは、僕って今かっこ良くないか?」

「一瞬前の言葉を思い出せませんか……これは一度医療機関に連れて行かなければいけませんね」


 白き巨体を前に、私達は軽口を叩き合う。

 繋いだ手はそのままに、力強く握り合う。

 血線と魔術はそのままに、心を重ね合う。

 周囲を覆う闇さえも、私達を恐怖させることは敵わない。

 ここに立つのを誰だと思っているのか。

 勇者が望んだ英雄あくまと、英雄を救った勇者ぼんじん。揃ったピースはピタリと嵌まり、もはや外すことさえ難しい。奇跡的な運命は今ここで、軌跡の果てに最も離れながら最も近き者同士を繋いだ。


「ははは、はぁ…………さて、最後の仕事を終わらせるか。まあ、僕はせいぜい痛みで悶えてるよ」

「……私を、疑わないのですか?」


 私の問いに、パトリアは「ない」と即答する。

 その声音からは、私に対する大き過ぎるほどの信頼が聞き取れた。


(イメージも無いのに、疑わないのか)


 そう思った私は、呆れと喜びを感じている。

 私は大精霊が動き出すと同時に、1つの宣言と質問をしていた。


『貴方が力を貸してくれるならば、大精霊を確実に消して見せます』


 そして、


『貴方には私が大精霊を倒すイメージはありますか?』


 と。

 私が眷属精霊を一方的に消した事実から、大精霊を圧倒するイメージを浮かべるのは、人間として当然の話だ。

 人間とは、都合よく現実を捉えようとする生き物なのだから。

 いや、私も含め、知性ある生命は得てしてそういうものだ。

 だが、パトリアは違った。

 痛みから法則を感知する。その力によって大精霊の強大さをある程度測れるとは言え、パトリアは冷静に状況を見て結論を出した。

 自分ではイメージはできない、と。

 自分は自分でできる事を果たすと。

 そして、私に託したのだ。

 それが……


(……何よりも嬉しい)


 贋作に過ぎない心でさえ……借り物の感情でさえ……こんなにも暖かい。

 満たされている、薄っぺらな精神が、感じたことが無い程に。私が人間だという錯覚すら抱いてしまいそうだ。

 何者でも無い私が、誰かになれた様に感じることが許されるのか。そんな罪悪感が湧くほどに、今満たされている。

 

(だったら……!)


 応えて見せる。

 私にたった一つの命さえ預けた仲間に、最高の幸福な終幕ハッピーエンドを捧げよう。

 私は、私に与えられた全てを以て、この厄災のを打ち砕く。

 その為ならば、私は手に残った全てさえ手放そう。

 後悔するかもしれない。

 未練だってある。

 不安だって隠せない。

 それでも、覚悟はできている。

 これは、私達の戦い。

 そして、私達の求める勝利なのだから。




 だから、ここで私の何もかもを終わらせるのだ。





     †††††





 痛い。

 魔術で痛みを麻痺させてさえ、錆びた剣山で肌を甚振いたぶるような痛みが、ジクジクと全身を苛む。

 肌から感じる感覚は、痛いと言うよりも『熱い』と言った方が的確だろう。

 だけどそれは本来の痛みの一部に過ぎないのだ。

 本当の痛みは、肉は焼かれたように、骨は直接彫刻されているかの如く、臓腑も捻り潰されているみたいに、脳ですら砕かれるように痛い。

 自らに催眠をかけて痛みへの耐性を付けていなければ、眷属精霊の時でさえショックで気絶していたかもしれない。

 だがそれも所詮は凡人の悪あがき。

 痛みを何の枷もなく受け入れれば、ショック死ですらあり得るだろう。

 そして、この戦いが終わって催眠を解けば、焼き付いた痛みの記憶で、僕は今まで通りはいられない。

 僕に長時間魔術を維持できる程の腕はない。

 だから、僕が廃人になるのはほとんど確定の未来。こうしてアサガミと話していられるのも、これが最後だ。


(それでも……僕は、僕が誇れる事をしたいんだ……!)


 僕は善が好きだ。

 顔も知らない誰かを救う。そんなお伽噺を実現できる誰かが好きだ。

 たとえそれが偽善でも、結果でしかなくとも、僕はそれが善であるならば肯定しよう。

 英雄がいた。

 たった1人で化け物に立ち向かい。何度壁が立ちはだかっても諦めなかった、不屈の英雄が。

 でも、その英雄が完璧じゃない事なんて分かってる。

 その不安そうな声を聞いた時から、僕は彼女が感情を持った人だと、そう理解していたんだ。

 神秘祭儀局でアイツは彼女を『満たされた者』と呼んでいた。

 僕にはそうは見えなかった。

 英雄は強くて、深くて、強欲で、強情で、意地っ張りで……き、綺麗で。それなのに、不自然なほど不安定だった。

 時々幼子のように振る舞う彼女は、僕が見てきた中で1番危なっかしくて……でも、それを感じさせない程に落ち着いていた。

 だから僕は結局は彼女に全てを任せてしまった。何から何まで押し付けて、責任から逃げた。

 何かできたのかと言われれば……何もできなかったかもしれない。

 それでも、僕は逃げるべきじゃなかった。

 僕の輝きが見たいなら完璧な結果を出してみろなんて、馬鹿言ったものだ。自分の愚かさに呆れを感じる。

 あまりにも馬鹿過ぎる。

 僕は悪が嫌いだ。

 顔のある誰かを傷つけ、負を押し付ける、そんな人間が嫌いだ。

 たとえそれが無知や諦め、恐怖からくるものでも、僕は悪を否定したい。

 なのに……


(……僕は、痛みも責任も全部押し付けて……こんなの悪と同じだったじゃないか)


 笑えてしまう。

 僕は悪だった。僕が何よりも嫌う、悪だった。

 でも、それなのに……


(……彼女は、僕の輝きを見たいと言ってくれた)


 僕にそんな価値があるなんて信じられない。

 僕は、悪であった僕を信じられない。

 でも英雄のことは信じられる。

 彼女と繋がった右手から流れてくる、幾つもの感情。

 僕から送るために特化させた術式では、大した情報は伝わってこない。

 でも、英雄から送られて来たのは、ただただ暖かいものばかりだ。

 僕は知っている。

 人の感情はそれぞれ違いが大き過ぎて、細かな参照やはできない。特に彼女の感情は整っているのにバラバラ。まともな読み取りすら難しい。

 なのに、暖かい。

 喜びが伝わってくる。

 痛みに苛まれながらも笑みを浮かべてしまう程の、強烈な喜びが。

 こんなもの向けられて、奮起しない理由がどこにある!


(痛みなんて幾らでも受けてやる。僕は最高の贈り物を貰ってるんだぞ!)


 大精霊がどうした。

 そんなもの何も怖くない。

 ここにいる。

 僕の英雄はここにいるんだぞ!


(エイ・アサガミって言う僕の英雄は、誰にも負けさせない!)


 その為ならば、どんな痛みだって耐えられる。

 僕がこの戦いで二度と立ち上がれなくなっても、優しい彼女ならきっといたんでくれる。

 なら、立ち止まる理由などどこにある!

 痛みを麻痺させる為に使っていた魔術を解いていく。

 痛みが僕という全てを蝕んでいく。

 凡人の僕には到底受け入れられない、痛みという負債が積み上がっていく。

 

(後は任せた……僕の……一番惹かれた英雄……)


 これが僕の渡せる、最後の贈り物。

 英雄へと最後に渡すには味気ないけど、勝つ為にはこれが必要だ。

 ……それに、


(お前なら、いつまでも覚えてくれるだろう?)








 痛みの中で、喜びが輝いていた。

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