第63話

 大精霊が私に白腕を向けるのを確認し、その直線上から体をずらす為にバックステップ。

 直後、目の前の地面が砕かれる。

 覚醒の際にシルバーナを狙った攻撃だ。

 見えたのは元から細い白腕がさらに細く長く変化したもの。とは言っても、私の腕くらいの太さはあるのだが。

 何故断面積が減少しているのに強度が向上しているのかが分からないし、そもそも体積が変化前と後ではどう考えても一致しない。質量保存の法則はどうしたのかと問いたい。

 そんなことを考えている間にも、10を超える白腕の槍が襲いかかる。

 幸い、白腕の速度は時速400キロメートル程度。私の反応速度に比べればあまりにも遅い。

 だからと言ってギリギリで避けるという選択肢が取れないのが辛いところ。

 それは何故か。白腕が伸びたまま蠢いて襲ってくるからだ。

 弾性がどうなっているのか疑問は尽きないが、それ以上に忌々しく思う感情が湧いてくる。

 レムカイトと言う長大な銃を抱えている以上それが大きな的となり、レムカイトを狙われないようにするにはとにかく動き回り、大精霊が捉えられないようにするしかない。

 もっと大人しければいくらでもやりようがあると言うのに。面倒な敵だ。

 それにこうして動き回る以上、撃つタイミングがあまりない。

 私は本職のスナイパーとは違い14キロを超える長銃を抱えて走れるが、槍の飛んでくる中自由自在に狙撃するのは流石に難易度が高いのだ。

 まあ、今回はそれを成功させるしかないのだが。


(まずは、1発)


 立ったまま体勢を整え、レムカイトを構える。

 本来、スナイパーは立射をしない。足腰の筋肉だけで体勢を維持し両腕で銃を制御するこの方法では、安定性があまりにも低い。つまりは当たらない。

 それはスナイパーにとっては致命的だ。

 だが、今求められているのは即応性。

 白腕の槍が襲い掛かろうとも即座に逃げられるという、凄まじく面倒な条件が立ちはだかっている。

 それに、私の身体能力は常人を遥かに上回る。

 全身の筋肉で姿勢を維持し、精密な動作で照準を合わせる。それがある程度は可能だ。尤も、伏射プローンポジションに比べれば、その精度は極端に落ちるだろうが。

 狙いは大精霊の体でギョロギョロ動く目。

 大精霊の変化と能力の向上がどれ程のものかは分からないが、とりあえず弱点を見つけなければ話にならない。

 ドガンッというアンチマテリアルライフルにしては小さな音が鳴り、私ですら捕捉の難しい弾丸が空気を切り裂く。

 その結果を次に知ったのは、大精霊の体が抉られるのを見てから。

 大精霊が叫ぶ。

 流石に、レムカイトから放たれたDIS弾は大精霊に大きな傷を与えたらしい。

 その傷は銃傷とは思えない、小規模の爆散といった方が的確だろう。肉が弾け飛び、夥しい体液が流れている。

 ただ、着弾したのは目ではなくその隣の体表。大精霊に与えた破壊痕はすぐさま修復されてしまった。


「DIS弾でも貫通しないとは、呆れた強度ですね。まあ、そのおかげで破壊力が上がる訳ですが」


 再生能力があって良かったですね、と言葉を掛ける。

 意味が通じたとは思えないが、返答とばかりに白腕の槍が放たれた。

 可視光ですら一部が処理できずに視界がモノクロにまで減色される相対的低速の世界。槍を避けるのは簡単だが、摩擦やら空気抵抗やらの問題からそれほど速くは動けない。

 私基準の話なので、傍から見れば十分高速で動いているだろうが、私としては十分なスペックを発揮出来なくてもどかしい気分だ。

 まあ、スピードを出し過ぎて踏ん張れなくては、そもそも次の行動に移れない為仕方ない。

 天地創造の奇跡すら可能とする真性の悪魔が、物理法則に囚われているのは滑稽だろうが。

 法則の書き換えを使えば良いのだろうが、ここは神秘を知る魔術師の目が多過ぎる。正体を見破られる危険性はなるべく低くしたい。

 『万能者』までならなまだ取り返しは効く。前例が幾らか存在するからだ。

 だが『全能者』と断定されればどのような扱いを受けるものか。

 真性の悪魔と知れ渡った暁には最悪国が滅ぶ。


(また失敗。演算を別のものに回した方がマシか。弾道は体のブレを予測すれば良いけど……知遊値が確定しない。やっぱり構造が分からないからか)


 それに実は、今自由に世界法則を書き換えることが難しくなっている。

 私の法則の書き換えはいくつかの手順を踏んでいる。

 1つ、法則の観測。

 2つ、法則の演算。

 3つ、法則の変化後を演算。

 4つ、変化後の法則を観測。

 5つ、法則の書き換えを実行。

 と、このようにだ。

 ここで問題となるのは法則の観測。

 私は悪魔ではないので法則を《みる》ことは出来ない。だから現象に従ったイメージを脳内で構築そこから法則を特定する。つまりは擬似的に脳内で作り出した法則を観測している。

 この擬似観測の性質上、観測すべき法則は膨大になるし、そもそも私のイメージ出来ない法則は書き換えることが出来ない。

 ついでに、私の演算に過誤かごがあれば書き換えは不可能。

 話を戻せば、大精霊エテルイミナは精霊の名の通り概念生命体、つまりは絶対性を持つ法則を内包している。

 そして、大精霊に関する情報を《解析》や《透視》で知る事は出来ない。つまり、その法則に関する現象や過程はイメージ出来ない。

 よって、法則の書き換えは出来ない、と言う訳だ。

 東京で戦った時にマテイエが持っていた小さな精霊とは違い、大精霊の法則の強制力は段違いに高い。

 正直、このアリーナでは法則の書き換えは難しい。

 無理矢理イメージを固定して法則の観測を行う事も出来なくはないが、その為には大精霊の干渉しない法則で世界を観測しなくてはいけない。

 その為には《透視》によるあらゆる情報の収集が不可欠。

 だが、そんな隙は大精霊相手には晒せない。

 

「と、考えるだけ無駄です……ね!」


 再びDIS弾が大精霊を傷付ける。

 今度は白腕が2本吹き飛び、大精霊は叫びを上げる。

 意外なことに、再生が前よりも遅い。それでも、数十秒後には完全に生え揃ってしまったが。

 体表の復元スピードにそこまで変化は無かった。むしろ早くなっている。しかも、体表の強度はアンチマテリアルライフルですら貫通できない程に硬質化していた。

 覚醒前の大精霊は目以外の復元スピードはほとんど変わらなかった。

 だが、今の大精霊は明らかに白腕の負傷に反応した。

 この性質の変化は何を表しているのだろうか。

 まあ、今は情報が少な過ぎて仮設しか立てられないが。

 順番に試していこう。

 やはり狙うべきは、あの胴体に不規則に並んだ目だろうか。

 ギョロギョロと動く様はなかなかに気色悪い。

 さらには、覚醒してから見開いたように円に近くなっている、それでも割と小さく弾を当て難い。もっと大きければ狙いやすいというのに。

 ひだの裏側に広がる夜空の方が狙いやすいのだが、異形の眷属を生み出していることから考えて神秘の領域に偏り過ぎている。

 正直、刺激したくない。

 神秘の存在に気安く手を出せば、大抵碌なことにならない。

 まあ、大精霊自体が神秘側の存在ではあるのだが。


(反動で体が下がり初速が遅くなってる。弾道に関する知遊値を確定。次で目に当てる事はできるけど、結果次第で狙いを変えなくては……まずは、効果を見る)


 白腕の槍を避けながら、一瞬の隙を突き体勢を整える。

 足を肩幅より広く開き全身を筋力で固定。

 腕力でレムカイトを固定し照準を定める。

 スコープは無い、この距離では邪魔。

 息を止め引き金を引く。

 マズルブレーキからガスが噴射される。

 肩から全身に響く衝撃。

 弾が空気を切り裂く音。

 そこまで確認してから、思考速度を加速させていく。

 シナプスの伝達速度が限界を超え、認識する世界が塗り替えられる。

 音は消え視界は極限まで鈍化し触覚は分子の動きすら捉える。

 私以外の存在が弾き出される、神速に至った者だけが知覚する世界。

 この状態ならば、精霊にどの様なダメージが入ったのか良く分かる。

 DIS弾の弾頭が音速を超えた速度で大精霊の『目』に接触し————


(さあ、どうなる)


 ————夜空の中に吸い込まれた。


「……そう、なりますか」


 思考速度を戻す。とは言っても、まだ常人から見れば断然速いのだが。

 その思考速度でも、結果は明らかだった。

 大精霊の体に傷は無い。代わりに、大精霊が攻撃を止める。それが嵐の前の静けさだと、私は如実に感じることができた。


「失策でしたね」

『そうねェ。星ノ海を狙うのハ、精霊ヲ刺激しちゃウものネ』


 大精霊から声が響き渡る。

 広い閉鎖空間でノイズと共に反響したかのような声。

 だが、私はそれがアガタレイマと名乗った魔術師のものであると、確信を持って受け取った。


『嗚呼、ゴメンなさい。淑女が出ス声じゃナイけど、気ニしないデくれると嬉シイワ』

「話しずらそうですね。聞き取りづらいです」

『だったら普通に喋ろうかしら』


 いや、普通に話せるのか。

 それならさっきまでの会話は何だったんだ。

 まあ、まだ元の声に比べれば違和感が酷いのだが。


『それにしても、見て、エテルイミナが星界の孤児みなしごの召喚をやめたわ。これが何を意味するのか、あなたに分かる?』

「いえ、分かりません」

『正直ね』

「生憎、貴方方の言う精霊の知識は詰め込んでいないので」


 こうして話している間にも、大精霊は静かに、しかし強い敵意を私に向けながら、僅かに体を震わせている。

 アガタレイマの言う通り、眷属の召喚は止まっている。

 既に生み出されていた個体は、闘技場の結界に挟まれながらもがいていた。どうやら、魔術師達は上手くやっているらしい。

 生捕りにしているところを見ると、後で実験体にでもするつもりだろうか。

 まあ、今はどうでも良い。

 私がこの大精霊を屠れなければ、この場の魔術師は蹂躙される。

 金枝の使者の張った結界を破れば逃げられるが、それでも何割かは死ぬ。

 その後はこの大精霊がミタルエラに解き放たれ、魔術都市は大精霊が殺されるまで破壊される事となる。

 ルシルが守れば話は違ってくるだろうが、そんなつもりは毛頭無いだろう。

 あるいは、盟主ならば手もあるだろうか。


『星の海には深さがあるわ。1番最初は浅瀬、さっきまではちょっと水に潜ったってところかしら』

「ここからが本気という事でしょうか」

『そうねぇ、エテルイミナの全力ではないけど、その10分の1ぐらいは覚醒するんじゃないかしら。まあそうね、あなたは殺せるわ』


 大精霊が震えが大きくなる。

 46本もの白腕は大精霊の巨体を持ち上げ、胴体に付いた目は限界まで開かれ、僅かに飛び出してさえいた。

 

「私を殺せる、と。本気ですか」

『もちろんよ。あなたがいかに全能者に近かろうと、根幹たる概念を殺されればそれで終わり。それを、エテルイミナなら出来るわ』

「それは、なかなか興味深い話ですね。それは、私が負けると言っているのでしょうか」

『その通りよ。あなたは負ける。言ったでしょう? 『全力を出せれば』とね。あなたは恐れている。だから負ける。全てを切り捨てる覚悟さえ持てればこの程度どうとでもなるわ。でも、あなたはできない。だって、怖いのでしょう?』

「…………」


 決めた。このアガタレイマという女は必ず負かす。

 私が恐れている? 

 大精霊を?

 魔術師を?

 笑止。

 挑発する人間を間違えたと、その身に刻んであげなければ。

 ……まあ、私は人間ではないのだが。

 だが、そんなことはどうでも良い。

 負けるのはお前だ。

 少々特異な化け物を従えているからといって、私に勝った気でいるのは気に入らない。

 化け物の流儀というものを丁寧に教えてやろう。

 レムカイトのボルトを後ろに引き排莢し、弾を込めた後にボルトを前方に押し弾薬を薬室に装填。ボルトを回転させ薬室を閉鎖する。

 無言の徹底抗戦宣言だ。

 それはアガタレイマにも伝わったのだろう。

 小さな笑いと共に、嘲るような音色の込められた言葉が響く。


『いいわ、そのまま勝てるなんて幻想を抱えてるあなたに、大精霊の何たるかを教えてあげましょう。さあエテルイミナ、小さな敵にあなたの《眷属精霊》を見せてあげなさい』


 大精霊が一際大きく震え、体をあらん限り高く上げる。その高さは13メートル程。観客席でも低い場所ならば楽に超えている。

 そうして静止した大精霊が口を開け絶叫すると、飛び出した目とひだの内に広がっていた夜空が

 夜空が闘技場に広がっていく。

 黒は闇、星は光、灯りは輝石。

 太陽が霧に遮られるように薄くなり、小さな星々がそこら中に散らばる。

 

「あれが、眷属精霊……」


 だが、真の脅威は夜空ではなかった。

 夜空を吐き出した大精霊の目から、白くつるりとした肌を持ったものが這い出してくる。

 体型も形も違うが大精霊との繋がりを十分に感じさせる造形だ。

 ただし、顔にはしっかりと青く輝く目が付いており、背中には青く半透明な翼が生えている。いや、あれは翅と言った方がいいか。

 あえて表現するならば、私たちの世界と隔絶した環境で生まれた、骨格を得た軟体動物の子孫といったところか。


『エテルイミナは動かなくなるし、私もこれから居なくなる。止める人間が居なくなればどうなるか、あなたでも分かるでしょう? あなたの死に顔が見れないのが残念だわ』


 それじゃあね、という別れの挨拶と共にアガタレイマの気配が消える。

 だが、そんなことはどうでも良かった。私にとって最悪の事実を理解してしまったからだ。


(やはり、視え観えないか……名前の通り実体を持つ精霊、法則も解らないなら手段は限られる。まあ、大精霊が暴れるよりマシ、かな)


 眷属精霊の数は20体程度。

 大きさは3〜5メートル。

 標的は全て私。

 まあ、観客席を狙わないだけ扱いやすい。

 だが、《解析》でも《透視》でも何も観え視えない。つまりは弱点も性質も不明ということ。恐らく魔術も否定されるだろう。

 ここに集まっている魔術師の手を借りる事ができない。


「出し惜しみはできませんか」


 幸い、すぐさま襲ってくる様子はない。

 イメージに十分な事象の観測は済ませることはできた。


「『幻想演算・起動ブート。知遊値・確定デフィニション』」


 《透視》によって視覚情報を処理し続け、限界などないと言わんばかりに広がり続ける知覚の一部を、フォーマットを変えてイメージの構築に回す。

 そこまでしても、干渉できたのは私の半径2メートル程の範囲だけ。

 本来、法則の書き換えに距離の概念はそこまで問題にならない。だが、精霊達の周りで起こる世界法則と精霊の法則のぶつかり合いに、流石の私でも解析を諦めざる終えない。

 それでも、最低限の備えは準備できた。

 

「さて、第3ラウンドと洒落込みましょうか」





 構えたレムカイトⅢ−クイーン。

 襲い掛かる眷属精霊。

 高みの見物をする魔術師。

 


 そして、英雄を求めんとする大きな意思。




 高みに立つ者達の余興は続く。


 …………まだ、役者は揃っていないのだから。

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