第62話

「アサガミさん! 首が……首がっ!」


 シルバーナが悲壮な声を上げている。

 

「ああ、すいません。血が掛かってしまいましたね」

 

 視線を向ければ、私の首から垂れた血がシルバーナの頬を濡らしていた。

 確かに、いきなり血が顔に掛かれば驚くだろう。

 これは失礼な事をしてしまった。

 袖で血を拭えば良いだろうか。生憎、ここにはハンカチを持ち込んでいない。

 ああでも、血の付いた服は後で弁償しなければ。


「そんなことはいいんですっ! き、傷が、血を止めなくちゃ!」

「ああ成程、大丈夫です」

「そんな傷があって大丈夫な訳……っ! あ、あれ、傷が……」

「ほら、もう大丈夫でしょう」


 首にべったりと付いていた血を拭う。そこには滑らかな肌が既に再生し、傷跡1つ無なかった。

 首の肉をごっそり削られたし、なんなら脊髄にヒビが入っていたが、私の再生力の前にはそう大した損傷ではない。

 未だ呆然としているシルバーナを立たせる。


「ここから離れていてください。何なら、控室に戻っても構いません。とにかく自らの安全を第一に行動をしてください」


 立ち上がった大精霊はこちらを警戒してか動かないが、新たに生み出されている異形の眷属は元気に観客を襲おうとしている。結界もあるのでそう無造作に観客を襲える訳ではないが、1枚目の結界を抜けた個体も何匹か確認できた。

 大精霊が動くまでそう時間は無いだろうし、眷属がシルバーナを標的にするのも避けたい。

 シルバーナは顔を下げたまま何故か私の前に立ち、カメラ構えると大精霊に向けてシャッターを切る。


「『あなたは私、私はあなた。止まれよ歯車、お前は永遠に美しい……時の記憶コール!』」


 カメラの上から写真が排出される。


「……うそ」


 それを手に取ったシルバーナは絶望を浮かべた。

 後ずさって私にぶつかると、縋るように私の腕を取る。


「アサガミさん……あの怪物には魔術が効かない。強いとか相性が悪いとかじゃない。……!」

「それは、概念が繋がらないという事ですか?」

「違いますっ。繋がっているのに干渉できないんです!」

「ああ成程、魔術を否定する大精霊……魔術師に対してこれ程有用な手段もありませんね」


 正直、この程度の怪物ならば闘技場に集まった魔術師でも対処できると考えていたが、それは前提からして成り立っていなかったのか。

 確かに、《精霊》という名が正しいならば、それは《概念》を内包した完成された生命体だ。

 魔術師では精霊を使った魔術が難しい理由がここにある。

 魔術師が如何なる概念を以て干渉しようにも、精霊の持つ法則の絶対性がある限り跳ね除けられてしまう。

 仮にこの大精霊が上位精霊に比する存在だとしよう。その強大な強制力を持った法則を前には、如何なる魔術師であっても魔術の形を成すことすら困難だ。

 だから、魔術が効かない。そもそも、魔術が形を成す事すらない。

 これは間違いなく『魔術師殺し』と呼ぶに相応しい。

 だが、付け入る隙がない訳ではない筈だ。


「シルバーナさん、眷属の方はどうでしょうか」

「え、眷属、ですか」

「魔術を否定する大精霊から生まれている眷属は、なぜ結界に引っ掛かっています。つまり、あれらには魔術が通じるのではないかと思いまして」

「た、試してみます!」


 今度は上空にカメラを向け詠唱すると、そのままシャッターを切る。

 写真が排出されると同時に、カメラの画角がかくに入っていた眷属がバタバタと落ちる。

 シルバーナが写真を投げ捨てると、写真はいきなり火が付きそのまま燃え尽きてしまった。

 しかし、欲しい結果は見えた。


「き、効きますっ! 眷属なら魔術で対処可能です!」

「聞いていますねルシル。この結果を全魔術師に伝えてください」


 貴賓席に目を向ければ、ルシルが面倒そうに右手を上げるのが確認できた。これで観客席にいる魔術師は自衛できるだろうし、大精霊に手を出す阿呆も出てこない筈だ。


「シルバーナさんは安全の為に控室に戻っていてください」

「こ、ここ断りますっ!」


 まあ、そう言う気はしていた。


「アサガミさんこそ、魔術が効かない相手にどう戦うつもりですか! 私の写真で干渉できないならば、身体強化ですら触れば魔術が否定されます。礼装である限りその銃だって有効打にならないんですよ!」


 確かに銃本体は兎も角、対魔術式弾アンチマジックバレットなどの魔術式を組み込んだ弾薬は意味がない。純粋な物理法則の範囲内の攻撃で有効打を与えるのは難しいからだ。


「私にも考えはあります。私ならば確実に勝てるという手が。だから貴方は自分の安全を……」

「いやですっ!!」


 シルバーナが力一杯声を上げる。

 

「私は逃げない! 人を見捨てたりなんてしない、誰かに置いていかれるのはもう嫌だ!」


 目尻に涙を溜めながら、声を震わせながら、それでも私を真正面に捉えながら、シルバーナはカメラを構えた。


「もう誰も目の前で居なくなるなんてさせない! その為だけに私は魔術を覚えたんだ! 自分の安全なんてどうでもいい。あの大精霊に勝てないのなんて分かってる……それでも、私に出来る事があるなら! 死んだってその役目を果たしてやる! 誰かが知らないから傷つくなんて許さない……私が! 知ってるなら! 勝てるなら!! …………それが、私の仕事なんです」


 そう言って、シルバーナは笑みを浮かべた。

 きっと、それは彼女の誓いだった。祈りだった。決意だった。魔術というものに縋った、愚か者と言われる覚悟を持ってまで手を伸ばした、願いのカタチだった。


「……分かりました」


 だから、それに応えたいと思った。

 その心に報いる為ならば、私は道理すら捻じ曲げようと構わないと感じた。

 それは私には無い、人としての信念だ。それに応えねば、私はきっと大切なものを見落としてしまう。


「では、眷属達の足止めをお願いします。なるべく遠くの眷属を狙い、決して自分が標的にされないようにすること。約束出来ますか?」

「は、はいっ!」


 だから、ここが妥協点だ。誰も死なせないと決めた以上、破ることは許されないのだから。


「それと、これを貸します。貴方の魔術は隙が大きいようですから。いざという時には、決して外れないと自分に言い聞かせながら引き金を引いてください」


 スポーツバッグから一挺の拳銃を取り出し、シルバーナに握らせる。


「S&W M&P9 シールド、弾数は7発、当然礼装で効果は『必中』と『呪詛』。威力は……人ならば即死です」

「私殺す気でしたか!?」

「いえ、本当はアロさんに持たせるつもりだったのですが、彼はまあ役立たずなので、余っていたのです」

「へ、へえ〜、大切に使わせていただきます」

「それでは、頑張って下さい。必ず、返しに来るように」

「イエスマム!」


 遠ざかっていく背中を見送り、私も準備を整える。

 20式5.56mm小銃を肩から外し、バッグの中へ仕舞う。対魔術師に特化したこの小銃では、人を殺すことは出来ても怪物を殺すには力不足。

 あの大精霊には魔術的な攻撃が効かないらしい。つまり、私は純物理的な攻撃であの巨体を傷付ける必要があるのだ。

 ならば、私に出来ることは最大の破壊力を叩きつけるのみ。

 スポーツバッグの中から一際長大な銃を取り出し、銃床ストックを伸ばしてさらに全長を伸ばす。

 その全長は1300mm。分かりやすく言うと130センチ。

 私の身長が154センチなので、その85パーセントにも及ぶ長銃だ。


「さて、待ってもらってすいません。第2ラウンドといきましょうか」


 ウェストポーチを付け替える。

 SPAS-12ショットガンのシェルを詰め込んでいたものよりも大きく、なおかつかなりの重量だ。

 当然だろう。そこに詰められている弾薬は12ゲージのシェルなんておもちゃに見える程の代物なのだから。

 DISディープ・インパクト・システム2028弾。

 数キロ先の標的が最新の防弾チョッキを着けていようと確実に殺す。装甲車だろうと撃ち抜いてスクラップにしてやる。そんな傲慢を現実へと現す為、人が作り上げた天から降り注ぐ星の欠片にも例えられる破壊の申し子。

 当然、それを撃ち出す為の銃器も化け物に違わない。

 私の身長の85パーセントに相当する全長。

 14.4キログラムもの超重量。

 特殊複合素材と強化合金で作られた躯体。

 あらゆる点で精密性を追い求めた工夫。

 旧世代のアンチマテリアルライフルシステムを置き去りにした、常識すら塗り替え異次元とさえ謳われた至高の狙撃銃。


 『レムカイトⅢ−クイーン』


 今回用意した銃器では間違いなく最強のスペックを誇る代物だ。

 尤も、魔術的な強化が施されていない訳では無いのだが。

 ただそれも基本的な性能には影響を及ぼしていない。故に、魔術を否定する大精霊相手でも十分戦えるだろう。


「これで、貴方を仕留めさせていただきます」


 ボルトハンドルを起こしてボルトを回転させ薬室の閉鎖を解き、ボルトを後ろに引き薬室を解放。弾を込めた後にボルトを前方に押し弾薬を薬室に装填。ボルトハンドルを倒してボルトを回転させ薬室を閉鎖する。

 回転式ボルトアクション方式と言われるタイプだ。

 オートマチックと違い1発ずつしか撃てないが、昔から信頼性と精度はボトルアクションが勝ると言われてきた。

 まあ、2050年現在においては、余程の長距離狙撃でない限り精度の違いは微々たるもの、と結論付けられているが。

 だが、この方式は私の手によく馴染む。

 信頼を込める、とでも表現すれば良いのだろうか。弾を込め次の射撃へ意識が切り替わる瞬間が、どうにも心地良いのだ。狙撃を外すことすら忘却する程の、深い没入感が。


(まあ、今回は“狙撃”と言える程のものではありませんが)


 最高の銃が手の中に在る、それだけで負ける気が綺麗に無くなってしまうのは、一体なぜだろうか。


 ぎょおおぉおぉぉおぉおおぉ!!


 長い睨み合いを得て、大精霊が絶叫する。異形の体躯が躍動する。神秘が広がり蠢き出す!

 それに返答するため、冷静に、昂り、悠然と、私はレムカイトを構えた。





 

 さあ、ここからが本気の勝負。

 2つの怪物が勝者を決める洗礼を始める。






 そして、『英雄』を選別する力ある者達の饗宴が始まった瞬間でもあった。

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