支配の歌を銀花に捧げよ

 永が訪れた翌日。ミタルエラにおいても上層に位置付けられる区画にある、魔術卿輩出家門が1つアバルハクラの屋敷。

 その一室に、貴族派の頂点に立つルピエイトの姿はあった。

 昨日客人を迎えた宝石箱の様な応接室とは違い、広い自室は統一感の感じられる家具や装飾がバランスを損なわないよう配置され、一種スタイリッシュなそれは芸術の様な印象を見た者に与えるだろう。

 彼女は壁に備えられた巨大な鏡を前に、僅かにラム酒の香りを漂わせる紅茶を口に運んでいる。

 しかし、その鏡が映しているのはルピエイトの姿でもなければ、見事な調度品でもない。

 戦いだ。

 今現在ミタルエラの闘技場で行われている一戦。それは神秘を競い高めさらには誇りを掛けた、魔術師の為の決闘だ……本来は、だが。

 アレトラの祭祀アレトネラの成立以来最も注目を集めているであろう決闘会。

 だが、他の魔術都市から来た者を含めた魔術師が関心を寄せているのは、魔術師ではない化け物だと、ルピエイトは知っている。

 鏡の中では、1人の少女が縦横無尽に駆け回っていた。まあ、年齢を考えると『少女』とは言い難いかもしれないが。

 そんなことはどうでもいい。今重要なのは、少女……麻上永が相手の魔術師を翻弄しているということだろう。

 決闘会が始まったのは5月30日。今日は6月6日なので、5日の休息日を除いて、彼女は6日間勝ち続けたということだ。

 ここまでくると、決闘会で戦う魔術師のレベルは魔術世界でも上位のものとなる筈だ。なんせ、例年では考えられないほどに質の良い魔術師が大勢参加してるのだから。

 だが、永は連勝記録を伸ばしていく。

 人体に許された人体構造学的限界を容易く超え、それでも決闘が終わると不調の1つもなく、さらには魔力の欠片さえ感じさせない。しまいには剣や槍を振り回すときた。

 おおよそ凡庸な魔術師では身に付かない戦闘技能だ。天賦の才を持っていると周囲に感じさせる。尤もそれは、魔術師としてではなく戦士としてだが。

 そしてそんな姿に、魔術師達は熱狂した。

 惹かれ、期待し、羨望し、畏怖を向け、見極め、刺激される。

 探究者だった元来の魔術師の姿を思い出したかのように。


「ふ、ふ、魔術師でも人間でもない者が導くとは、面白い余興だ。これも人の大樹たる者故か。はたまた人の心解らぬが故の偶然か」


 鏡には、上空15メートル程から撮られた映像が映されている。

 1人は動かず、否、動けず。

 1人は目にも止まらぬ速さで駆ける。

 動いているのは勿論、永の方だ。

 だが相手の魔術師もただ立っているだけではない。そうであれば、永が移動する必要すらないだろう。ただ高速で近づき武器を突きつける、それだけで良いのだから。

 それが出来ない時点で、魔術師の対策にも効果はあったと言える。

 事実、鏡には永に追い迫る僅かな反射光が映り込んでいた。


「金属糸、か。アリーナを隅まで覆うとは、なかなかの演算力。補助術式は大陸系の狩猟に関するもの、しかも術者の認識に依存しない。……ふ、ふ、これ程の者が無名とは、ルティエウは貴族派の末端だったが、これは後で呼びつけねばな」


 ルピエイトの頭の中で1つの魔術家門の扱いが決定している間にも、試合は進んでいく。

 魔術師の操る糸は確実に永を定められた範囲の端に追いやり、次の瞬間には全ての糸が永を切り裂かんと迫る。

 ルピエイトからは判断できなかったが、それは人体を賽の目状に切り分けることなど容易い威力を持っていた。

 いくら怪物じみた身体能力を発揮しようとも、これから逃れることは不可能だ。

 ルピエイトはこの後の展開を思い浮かべ呟く。


「詰み、だな」


 次に彼女が瞬きを終えた時、永が移動を止め1つの動作を起こす。

 行った事は単純、持っていたナイフを投げる、それだけだ。

 だが何が起こったのか波の様に迫っていた筈の糸は永を避け、全てが壁面を傷つけるだけに終わる。

 鏡の映像では分からなかったが、起こったことは単純。

 限界まで運動エネルギーを与えられた糸が切り裂かれ、術者の意思とはかけ離れた軌道を描く。それは他の糸をさらに断ち、ずらし、跳ね上げ、永の周りにだけ安全圏を作り出した。

 それは本来あり得ない現象だった。

 可能性はあるだろう。特に、神秘の法則を扱う魔術が関わっていたならば。

 だが、永は魔術師ではない。魔術など使えない。

 ならば、永は物理法則に沿った行動しかしていないのか?

 それこそ違う。いくら永でも強大な魔術師に抗するには神秘の技が不可欠。

 ネタバラシをしよう。

 永は法則の書き換えを行ったのだ。、という一点において。

 それ以外の現象は全て、永が人間の限界を超えた思考速度と演算力で導き出した結果に沿ったに過ぎない。

 気温、湿度、反発、摩擦、密度、角度などなど、あらゆる情報を総合的に処理した末に、永は自らが糸から逃れ安全な状況を作り出すことに成功した。

 

「本気にさせてはいけない。情報を与えてはいけない。正面から追い詰めてはいけない。解析できる手段ではいけない。……ふ、ふ、全て当てはまってしまった、か。この結果も定められたものか」


 鏡の中で、魔術師が降参した。

 何が起こったのか理解していない筈のルピエイトは、だが永の勝利を当然のものとして受け止める。

 通路に姿を隠した永の映像を最後に鏡は鏡面反射を取り戻し、大半が壁の隙間に消えていく。残りはルピエイトの前まで移動すると、一枚の鏡に姿を変えた。

 その正体は水銀。ただし、気化しないように魔術的処理をされたものだ。

 周りの環境を反射せずに異なる場所の映像を映したのは、同属性・同性質の触媒を使った共感性による魔術を施されていたから。事実、闘技場の結界には水銀が触媒として使われている。


「そうは思わないか? 夜の支配者よ」


 ルピエイトの前にできた鏡は、映る光景をぐるぐると歪ませ、別の光景を映そうと共感を強める。

 やがて鏡面が鎮まると、1人の人影を映し出した。


『今の私は“夜の”じゃない、魔術世界のお姉様だ。それにしても、ルティエウの放蕩息子は中々のものじゃないか。ははは! アレを逃した家は今頃顔を青くしてるぞ?』

「問いには正確に答えよ。あなたの悪い癖だ」


 鏡の中の人影に、ルピエイトは変わらぬ笑みのまま苦言を呈した。

 だが、鏡の中からは悪びれた様子もない声が返ってくる。

 まあ、正確には表面が振動しているだけで、向こうから直接声が届いているわけではないのだが。


『答えるも何も、お前の言う通りだよ。エイ・アサガミに勝ちたければお前の言った条件を満たすしかない。真正面から打ち破りたければ、大魔術使いでもなければ不可能。それも、アサガミが本気を出さないという条件付きでだがな』

「大魔術すらやはり、あの大樹を傾けることはできんか。しかし、彼の聖者ならば話は異なるのでは?」

『はははは! あいつは上位者に滅法めっぽう強いからな。だが、直接干渉は不可能だろうさ。あいつの対象は魔術で届く範囲だけ、惑星レベルの奴なんざ重過ぎる』


 鏡の中には、1人の美しい女性がいた。

 高貴さを感じさせる艶やかな黒髪。

 強い輝きを放つ鮮やかな緑眼。

 日焼けのない白い肌。

 そして何よりも、それらを総括した苛烈なまでの印象。

 その威光を目にした地上に生きる知性ある者は、彼女を太陽と称する。

 

「そうか……アハトラナよ、あなたはどうやってあの人の大樹を、魔術師の憧憬とするつもりだ? 律にまみえた者ですら変えられん定め事を、神秘に逆らってまで打ち立てるつもりか?」

『我が弟子を使うことはできない。となれば、他の超越者を利用するしかないからな。ははは、それでもアサガミは並の超越者ではないぞ? お前の方が視えたものは多いだろうが、惑星レベルの全能者だ』


 タムリア・アハトラナ・アリ・ハナカザ。

 ルピエイトと同じ魔術卿の1人にして、民主派の頂点。

 タムリアが当主を務めるアハトラナは、魔術卿輩出家門の中でも第2位の格を誇る。これは魔術世界の頂点と称えられる魔術卿、カッセルガンドに次ぐ階位だ。

 永達にミタルエラでの居住を提供している魔術師でもある。

 タムリアは太陽の如き快活な笑みをルピエイト向けながら、影など欠片も見つからない声音で語りかける。

 永達に見せていた絶冬の空気など何処にも見当たらない。

 そんなタムリアにうっすらと笑みを向けながらも、ルピエイトの意識は別の場所に飛んでいた。タムリアという同格の存在でさえ興味を引かれないといった様子で。


「そうだな」

『はぁ、宝石姫には興味のない話だったか?』

「そうだな、そうだ。人の大樹は確かに憧憬たり得る。それが人の願いで人への祈り故に。……だが、我ら高貴たる者には関係のない話だ」

『新たな機構システムの上に立つならば、古きままでは死ぬぞ』

「異界に巣食う者が古きを語るか。ふ、ふ、道化にしてはいささか能力が高過ぎるな。それに、古きが死ぬのは新たな世紀が訪れる時だ。たかだか生贄かみが生まれた所で、我々の何が変わる? 盟主は不変。血は力となる。積み重ねられた尊き者は、アレトラの意志を汲み取るだろう」


 表情も態度も変わらないルピエイトの言葉に、タムリアは肩を竦める。

 

『はは、宝石姫におかれましては身近な英雄にご執心か。まあ良い、坊やはこちらにいるからな、最後のピースとして働いてもらうさ』

「アロの子は良い、実に良い。あの者は誰かに縋らねば生きていけない。だが、誰にも譲らぬ心がある」

『思った以上に入れ込んでるな。久々に興味を持ったのが坊やとは、因果なものだ。片や魔術師の頂点、片や凡人ときた。その先に求めるのは、英雄譚か?』


 ルピエイトの笑みが数ミリだけ歪む。

 極限まで整えられた笑みに走った僅かな歪み。それが何を表すのか、言及するような殊勝な人間はこの場にいなかった。


「ふ、ふ、ふ、英雄譚などという華々しいものではない。これより紡がれるは泥に塗れ、這いつくばり、英雄を仰ぎ見る凡夫にこそ相応しき、下を向く者達に送られる冒険譚エフトリよ。ふ、ふ、だからこそ私が愛でるに値する」


 うっとりと零すルピエイトへ、タムリアは呆れたように問いかける。


『一流の芸術は見飽きたか?』

「言葉を選ぶことだ、クイーン。美しいものは悠久の時を費やそうとも測れない。尊き者はそれを看取る資格を持つ、それを履き違えぬことだ。……ただそう、手ずから種を蒔くのも、時には余興となる。それだけ、それだけだが……ふ、ふ、存外悦を感じられるものだ。特に、その輝きが見極められない原石であれば尚更」


 タムリアは小さく溜め息を吐くと、なんて事無いように零す。


『これは心配になるなぁ。


 その言葉にルピエイトは————笑みを消した。


「——……なに?」

『お前はギアスロールを使い小さいながらも波紋を生じさせた。完璧なまでに定まった律に揺らぎが生じた。《円律》は確定する未来を変えまいと狭まり、そして1人分だけの未来が弾き出される。聖者の大魔術は魔神、つまりは世界機構システムにまで干渉する。それは巨大な意思の下確定されたものは保証されることを意味するんだよ。外れた者を切り捨ててもな』


 楽しそうに、愉快そうに、タムリアは饒舌に語る。

 いや、間違いなく今のタムリアは悦びを感じているのだろう。

 知ろうともせずに愚行を犯す考えなしのを貶める愉悦を、彼女は隠そうともせずに笑みに浮かべていた。


『坊やは死ぬぞ。あの自意識過剰の馬鹿共とは言え、白昼堂々魔術師の集まる闘技場で皆殺しを考えるんだ、相応の手札は切ってくるだろうさ。大半の魔術師は《円律》によって守られる、アサガミは殺しても意味がない、エマ嬢ちゃんは精霊の加護がある、我が弟子は……まあ語るまでもないな。あいつらは超越者だ、だから律より外れる。言ってみれば心配するだけ無駄だな連中だ』


 愉悦に濡れようとも、タムリアは太陽で有り続ける。彼女に能面の様な顔を向けるルピエイトとは対照的に。

 あまりにも強烈な太陽光は、時に金属すら溶かす灼熱を生む。

 宝石花は太陽の前に色を失っていた。

 空気は完全にタムリアのものとなっている。どうしようもない程の格差を以てして。


『そんな超越者しか自らの力で生き抜けない戦場に坊やが居ればどうなるか、流石のお前でもわかるだろう? ははは! 守られようと死ぬ、だ。円律を定めた皺寄せが坊やに牙を剥く。聖者は円を抜けた者にまで手を伸ばせない。出来る出来ないじゃない、原理的に不可能なんだよ』


 ルピエイトが下を向く。

 如何なる者にも頭を下げない貴族派の頂点が、鏡越しとは言え、同じ魔術卿とは言え、他者に無防備な姿を見せた。

 魔術世界に衝撃を与えかねない行為だ。

 そんな姿にタムリアは声音にさらなる愉悦を滲ませる。


『ははは! どうした、高貴なる者の象徴たる宝石姫が他者に頭を下げるとは、アマグラダ天秤会の奴らが泡を吹くぞ? 入れ込んでいた坊やが死のうと、お前に何の不利益がある。ああ、あるか。大切な原石が無くなれば、そりゃあ気も落ちる。何なら慰めてやろうか。こっちにも英雄足りうる弟子が——』


 不意にタムリアが言葉を切る。

 その表情からは愉悦の色は薄まり、不思議そうな色が顔に出ていた。

 ルピエイトは声が途切れたのに気が付き、我慢を緩めた。

 

「ふ、ふ……ふふ」


 体が揺れる、息が漏れる、タムリアからは見えないが笑みが深くなる。

 頭を下げるという行為、それは溢れ出る悦を押し留めているに過ぎなかった。

 ルピエイトは内心思っていた。

 アハトラナよ、夜を支配する神秘の体現者よ、一体いつから自らが悦を得る側だと思っていた?


『……お前がそんな笑い方をするとはな』


 顔を上げたルピエイトの表情を見て、タムリアはそう口にした。

 ルピエイトは顔を指でなぞり、自らの笑みを確認する。


「ああ、これはいけない。このような笑みを浮かべるとは、ふ、ふ、怒られてしまうな」


 銀の花が咲いていた。

 花冠は大きくも鋭く尖り、葉は刃を思わせる造形、茎は僅かな歪みも無い。

 触れば傷付くと解っていても目を惹きつけられる、そんな魔力を持った冷たくも目を眩ませる銀花。

 そんな想像……否、幻想を叩き見せられる様な笑みだった。

 華やかさは薄い。

 包み込む様な暖かさも無い。

 重厚さも感じられない。

 だがそれはどこまでも自分の為のもので、万象を傷付けながらも魅せる究極の人間性。

 仮に永が目にすれば、全てを投げ打ってでも手に入れようとしただろう。


「アロの子が死ぬ。そう、あなたは言ったな?」

『言った。ほぼ確実に坊やは死ぬ。《円律》に弾かれたんだぞ? 絶大な力も運命も持たない坊やに何が出来る」

「ふ、ふ、ふ、それが間違いだ、アハトラナ。アロの子には力も運命も奇跡も魔術も必要ではない。心があれば、あの子は何度でも立ち上がる」

『貴族が心だと? どうやら宝石姫はご乱心らしい』

「精神ではない。体でもない。魂の形、調和、秩序、位置でもない。あの子を定めるのは特異な異能ですらない。誰にも測れぬ心こそが真価だ。如何なる泥に汚されようと、それは心を磨く為の研磨材となるのだ。持たざる者を過小評価していないか? 悠久の果てを求めるあなたは、だが絶え間なく磨かれる輝きを知らない」

『…………』


 銀花が太陽を圧倒する。

 刃の様な鋭さを以て、陽光すらも切り裂かんと輝く。


「ふ、ふ、アロの子に刻んだ契約はまだ知らないな? ならば見ているといい、取るに足らぬ俗人の輝きが、運命すらも捻じ伏せる可能性を。私が見出した、敗者の為の人間讃歌エフトリを」


 視野が狭いのはお前だと、ルピエイトは叩きつける。

 超越者すら見通せない輝きを見せてやろうと、彼女は“夜に輝く者”に告げる。

 

「その夜空ひとみに映してやろう。新たなる世紀に生き残る、真なる資格を。……そして——」


 太陽を否定し、超越者を見下し、浅慮を嗤い、鏡に映る尊き者すら嘲る。

 なぜなら彼女は知っている、自分の在り方を……神秘と生に縛られながらも失われない、星を呑むに足りる自らの才覚を。

 故に、銀花は傲慢にも宣言する。

 この瞬間決定されたのだと。

 ルピエイト・アバルハクラ・アラダード、彼の者こそは超越者にすら不要とされた民を導く————


「——その輝きを“支配”するのは私だと」


 ————新たなる支配者だ。

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