第60話
ルピエイトの屋敷に行ってから2日。
決闘会出場者に与えられる控室。
僅かに発光する不可思議なコンクリートで造られた部屋で、私たちは向かい合っていた。
「さて、これでどこまで対応できるか……」
「1日で準備したにしては上出来じゃないか? アバルハクラ卿からどんな手段が使われるかは教えてもらったしな。結界の敷設も終わってる。流石はアハトラナの影響力だ」
「……さて、それが吉と出るかどうか。外部からの侵入はある程度防げる筈ですが……」
「後は……空、だな。結界に大穴ぶち開けられればどうしようもない。そっちの対策はお前に任せたが、一体どうしたんだ?」
「確実性を取ってルシルにお願いしました」
「……お前、トップメイガスなんてどう動かした」
「少しお高めのお酒をプレゼントしました。私の秘策だったのですが、まあここで出し渋って死人でも出たら申し訳ないので」
『酒なんかで動かせるのか?』と懐疑的な目を向けているが、私の使ったお酒はただの酒ではない。
最高の年に作られ何十年もの月日を一切の揺れなく管理された、文句無しの至高のワインである。
「ワインなんかで動かせるなんて、トップメイガスも案外安いな」
「シャトー・ディケムの中でもルシルの好みに合う年を選んだので、200万円程しましたが」
「はあぁ————っ!!」
おっと、どうやら私の出番が近いらしい。
後ろから途轍もない動揺に揺れる言葉も聞こえるが、行ってきますの一言だけ言って部屋を出る。
パトリアはしばらくここでお留守番だ。
彼の力量では危険過ぎると判断してのことだ。
(さて、出来るだけやって、絶対的勝利を得ようか。その為に必要なのは……)
通路を歩きながらこれから起きるであろう事件の対処法を思い描く。
金枝の使者、その上位会派である精霊会。彼らが最初に狙うのは間違いなく闘技場の舞台に立つ私と対戦者だ。
残っている決闘会選手は6人。だが今日は私と私の対戦者以外は来ていない。
この7日間を勝ち抜いた強者は不確定要素たり得る。
だから精霊会がどの様な手段を用いても最優先で潰そうとするのは目に見えている。間違いなく、確殺の切り札を初手で切ってくるだろう。
ならばその切り札を私が捻り潰す。
対戦者には悪いが、逃げることも戦うことも諦めてただ待っていてもらうしかない。
精霊会の性格を考えるに、圧倒的戦果を欲してまとめて屠ろうとする筈。
これは魔術協会への宣戦布告。生半可な結果など望まない。
少なくとも、どちらかが弱ってから、などという定石を打ってくる様なことは考えられないだろう。
(問題は規模だけど……闘技場の魔術師を皆殺しにするなら規模は最大限見積もっておこう。そのためにミリセントやルシルに協力してもらったのだから)
控室を出て通路を歩きながら、そんなことを考える。
肩にかけたスポーツバッグの重さと硬質なものが擦れ合う音に意識を向ければ、どんな状況でもどうにかなるような気がしてきた。
ここにある物の大半は幻獣すら殺せるのだから。
やがて、出場口に近づくと、観客たちのざわめきと熱気が強く感じられるまでになった。
闘技場に足を踏み入れれば、強い日差しが目を刺激する。
相手はすでに来ているようだ。光に慣れていない目でも反対に人影が見てとれた。
『続いて来たのはアサガミ! 連戦無敗! トップメイガスの娘の名は伊達じゃない。いつもは武器1つを持ち込んでいましたが今日は違う。申請された武器はなんと16。しかも全てが魔術礼装! 本気の本気です』
観客の熱気を煽るような解説に耳を傾けつつ、闘技場の中心へと歩を進める。
決闘前に相手と言葉を交わす。それが決闘会における流儀だ。
「……大丈夫ですか」
「は、はひっ! だ、大丈夫ですとも! ちょっと、少し、いやかな〜り痛いだけです。それも我慢できますから問題ありません!」
小動物を彷彿とさせる仕草に白人特有の白い肌。薄い茶髪に彩られた、それよりも少しだけ濃い瞳。可愛らしい顔には黒縁メガネをかけられている。
胸に下がった掌サイズのカメラは、彼女の魔術礼装だろうか。
そんな相手の少女は……なぜかすでにボロボロだった。
手や足には包帯と幾つものガーゼが覗いているし、中には血が滲んでいるものもある。動く毎に傷を庇う仕草がさらに痛々しい。
「私、魔術はそんなに得意じゃないので……えへへ、見苦しくてすいません」
少女の言葉は嘘ではないのだろう。
魔術を纏っている訳でもないし、そもそも簡単な傷も治せない時点で力量は幾らか分かる。
それ自体が偽りである可能性もあるが、瞳孔や息遣いから押し測るに、私の経験上偽りは吐いていない。
つまりは、彼女の傷は全て決闘会で勝ち上がるために負ったものなのだ。
「なぜ、そこまでして決闘会に出たのですか」
「そんなの! スクープがあるからに決まっているじゃないですかっ!」
頬を赤くしながら興奮を露わにした少女は、胸に下がるカメラを掲げながら、高らかに声を上げる。
「これまで謎に包まれていたトップメイガスの養女! アハトラナ卿との関係! 完璧に隠匿された魔術! どれもがスクープなんですよ。どれか1つでも記事にすれば読者は泣いて喜びます!」
恍惚とした表情で声を上げる少女は、側から見ても大分普通からかけ離れている気配がした。
それは良いとして、この闘技場での会話は観客たちにも聞こえるようになっているのだが、気にならないのだろうか。
発言から考えて少女は記者なのだろう。ここまで盛大に自己主張しては、今後警戒されて調査がしにくくなると思うのだが。
まあ、魔術世界の記者がまともだとは思わないが。
「そうですか。私の記事を書くのはかまいませんが、ルシルについては書かないほうが良いですよ。下手に機嫌を損ねれば碌なことになりませんから」
「えへへ、忠告感謝します。そうですよね。流石にダメ……え? 勝手に書いても良いんですか?」
驚くのはそこなのか。ルシルについて書く気はないのだろうか。
「私だけならば。取材も時間があれば応じましょう」
「良いですねぇ。実に良い。こんなに協力的な人もいるというのに、魔術師といえばちょーっと記事にしただけで怒り出すような人ばっかり。あなたみたいな人は記者の救世主。いや、女神ですよ!」
崇めるように跪いて手を組み目を輝かせる少女を、私はどうすべきなのだろう。観客席から少女に対する罵倒が幾つも飛んできていることを指摘した方が良いのだろうか。
罵倒に内容から鑑みるに、少女はかなり好き勝手にやりたい放題して来たようだ。
となれば、私が先ほど何を言おうが、スクープを手に入れた少女は勝手に記事を書いてばら撒いたのだろう。
まあ良い。
私に関する評判などばら撒かれたところで大したことはない筈だ。
流石に悪評は勘弁してほしいところだが、それ以外ならば何を言われようと私は気にしない。
しかし、それだけを求めて上位の魔術師すら下してきたのだから、その信念は本物だ。
彼女からは強者の空気を感じられない。
所作が整っていないのはいい、元来戦士でない魔術師には不必要なものだ。
だが、魔術さえ纏えずにここに立つとは、一体彼女はどうやって勝ち上がってきたのか。
強大な魔術を持っている可能性もあるが……どうもピンとこない。
対峙する相手の力量を勘で当てるのは得意だが、こと魔術師には不確定要素が多過ぎるか。
「知っていると思いますが一応名前を言いましょう。麻上永です。貴方は?」
「これは失礼! 私はシルバーナです、どうぞご贔屓に。えへ」
「シルヴァーナ……イタリア系の方でしょうか?」
「あ〜、本当はウウェル・フキイヒニイットって名前なんです。でも! 嫌いなので! 呼ぶ時は是非シルバーナ、と! あ、あと、『ヴァ』ではなく『バ』ですよ!」
シルバーナのテンションが高過ぎて、傷だらけにも関わらずいささかも弱って見えない。
「うふふ〜……イテッ、き、傷が……!」
訂正。オーバーリアクションで傷が開いて血が滲み出した。
気力はともかく体は大丈夫ではなさそうだ。
「好都合ですね」
「え、始めちゃいますか? 蹂躙しますか? せ、せめてスクープの1つでもくださいよ〜!」
「では、会場の端まで行って自分の安全を確保してください。そうすれば、とっておきのスクープがやって来ますよ」
「えぇ〜、離れちゃうと良い写真が……」
「魔術協会を揺るがすほどのネタなのですが、要らないのならば——」
「イエスマム! 全力全霊で従いますっ!」
嘘は言っていない。
ただ、私が与えるか外部からやって来るかという違いがあるだけだ。
観客達をぐるりと見渡す。
私達の行動にざわついているのが大半だが、私の探している人物は貴賓席にふんぞり返っていた。
私の視力では、その人物が酒瓶を転がしタバコを吸っているところまではっきりと見える。
5秒程責めるように視線を向ければ、タバコを潰して指をちょいちょい動かした後、面倒そうに腕を上げた。準備完了の合図だ。
さてと、始めようか。
「皆さん、聞こえていますか」
私の声が想像以上の大きさで聞こえたのだろう。観客達がざわめいた後に静まり返る。
流石はルシル。完璧な仕事ぶりだ。
結界を通じて声の振動を増幅する。その機能自体は元々組み込まれていたが、それをルシルに強化してもらったのだ。
実況の人間には既にタムリアが手を回している。私の言葉を遮ることはない。
「今からここでテロが起こります。皆さんは慌てず冷静に行動してください。自己防衛も必要になるでしょう。これには一切の偽りはありません」
この闘技場に集まった魔術師達がざわめく。
疑っている者も多いようだが、これ以上言うことはない。後はタムリアとセントジョン調査官の仕事だ。
次に私の言葉を向ける相手は決まっている。
「金枝の使者の皆さん、聞こえていますか。早々に出て来なさい。そちらの方が、貴方達の目的にも沿っているでしょう?」
金枝の使者は間違いなく聞いている。
だから、私はここで煽るだけで良い。
そのための文言は、ルシルが考えてくれた。
「それとも、怖いのでしょうか。まあマテイエさんは私に手も足も出ませんでしたからね。それに、出来損ないの精霊もどきを使うのは、恥ずかしいでのではないですか? こんな小娘如きに負けるような廃棄物に、貴方方は何を期待しているのでしょう」
流石はルシルが台本を書いただけある。スタンダートながらも的確な挑発だ。
まあ、原本ではもっと苛烈な妄言や意味の分かりずらい皮肉が盛り込まれていたため、結構削ったのだが。
原本を一度聞いただけで意味を完全に理解できる人間はそう居ない筈だ。
ただし、内容は挑発のテンプレートだったので採用した。
…………スタンダートな挑発? 挑発のテンプレートって何だ?
冷静になるとよく分からない。
ただまあ、効果があるのならばそれで良い。
「さあ、私を殺してみてください。出来るはずもありませんがね。宇宙生命体に縋らなければいけなかった落第者の貴方達が、今更行動しようとして何か変わりますか? 大人しく
異様な気配を感じて、言葉を切る。
これから4000文字程扱き下ろそうとしていたのだが、どうやら無駄になったようだ。
気配を追って上空に視線を向ければ、そこには訳の分からない歪みが見えた。
結界の外ではなく内に直接現れるらしい。
一応そういう干渉を防ぐ術式も組み込まれていた筈なのだが、未知の宇宙生命である精霊は防げないのか。
「さて、どんな怪物が出て来るのでしょうか」
声音増幅は既に切られている。聞こえるのはいつも聞く自分の声のみ。
観客に目を向ければ、一向に人が減っていない。
まあ、当然か。
精霊会の目的は魔術師の殲滅。逃げられないように細工をしていて当たり前。
よく眼を凝らせば、新しい魔術の波が闘技場を覆っている。
恐らくは結界。
額縁と絵の関係の拡大。物語の劣化を防ぎ、より鮮明に色を錯覚させる術式か。
よく見れば、観客用の出入り口が塞がっている。こっちはモダンマジック。簡単な性質変化に形状変化。
成程、これならば逃げることは出来ない。
額縁を扱うのは持ち主だけ。中の絵はただ動かされるのを待つだけ。
まあ、ここの観客の中には当然この魔術を破るような存在が居てもおかしくはないが……居てもいざという時まで傍観を決め込むだろう。
それが魔術師として正しい在り方だ。
真っ当に強い魔術師ほど、その正しい在り方に縛られる。
「来ましたね」
歪みは内に収束するように風景を捻じ曲げると——次の瞬間、白い腕が歪みを突き破って現れる。
音は無い。
強いて言えば、穴を広げて体を出そうとするナニカが体を動かす音がするだけだ。
何本もの腕が這い出したかと思えば、次は上半身が現れる。
顔……と言って良いものか。
ヒダのある首の先につるりとした表面を持った顔らしきものが見えた。
口はある。むしろ口しかない。
それ以外の器官は無かった……と思ったが訂正だ。
徐々に見えてきた胴体に無数の目が不規則に並んでいた。
真っ黒な下地に白の散らばった、『目』と言って良いのか困る造形だが。まあ、動きからして光を知覚する器官だろう。
真っ白でつるりとした不気味な体表に目と軟体動物のようなヒダがいくつも垂れ下がり、胴体の横に幾つも並んだ腕は人間のものとよく似ている。
やがて全身を表した化け物は、誕生を喜ぶように咆哮を上げた。
ぎょおおおおおぉぉおおぉぉおお!!
《解析》で視たがこの化け物に関連するものは何1つ見えない。
《透視》ですら、姿以外の情報が得られない。
この特性から考えるに、この化け物はマテイエ達の持っていた精霊と同じものだろうか。
と、《透視》に異物が映り込む。
《透視》を切って右手を向くと、そこには先程まで居なかった人影があった。
「どうかしら? これが魔術師を殺し尽くす星の海からの贈り物。美しくはないけど、猛々しくはあるでしょう?」
観えた情報から人間だということは断言できるし、発言から金枝の使者の一員だと言うことも分かる。
この女性が何処から現れたのかは分からないが、まあ、魔術師に問うだけ無駄か。
「貴方は誰でしょうか」
「マテイエの同僚、と言えば分かるかしら」
「私と戦うつもりでしょうか」
「いいえ、残念ながら悪魔と張り合うつもりは無いの。あなたの相手はこの大精霊エテルイミナ。私はあなたが殺されるまで、闘技場の魔術師を間引きしておくわ」
成程、私が真性の悪魔と知って尚、この大精霊とやらの方が強いと考えているのか。
その驕りはこれから叩き潰してやろう。
なんせ、私は負けることが大っ嫌いだからだ。
そんな私の心情など気にせず、女性が右手で小さな精霊を掲げると、その姿がノイズに覆われ始める。
「ああそうだ、名前を言って無かったわね。私はアガタレイマ。よろしくね、小さな悪魔さん?」
それだけ言うと、アガタレイマは姿を消した。
最後に見せた笑みは、これから死ぬ者への憐れみだろうか。
だったら彼女は使い方を間違った。
なぜなら、勝つのは私だからだ。
ぎょおぉぉぉおおおぉ!!
大精霊と言われた化け物が絶叫する。
それは魔術の世を呪う鈴なりの呪詛。
神を冒涜する
だが、だからこそ永は自分の勝利を疑わない。化け物を殺すのは、同じ化け物か英雄と相場が決まっているのだから。
当然、永は自らを化け物と断じ心の中で自嘲を燻らせる。
彼女を『英雄』にしようとする大きな意志を僅かなりとも感じながら。
それでも止まることは許されないと、自らを戒めながら。
誰よりも恐れているのが自分だと気付かないまま永は走り出した。
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