第59話

 宝物溢れる部屋で、その輝きさえ霞ませる貴人と対面する。それも、魔術世界の実質的な頂点である魔術卿と。

 それだけで、普通の魔術師ならば萎縮してしまうことだろう。

 実際、パトリアとセントジョン調査官は緊張した面持ちのまま視線を外している。

 月光を反射する金を溶かし込んだかのようなホワイトブロンドの髪。財宝の色を反射して神秘の色に輝くヘーゼルアイズ。銀細工の様に美しいかんばせ。夜空の様に謎めいた笑み。そして、それらから生み出される支配者の威光。

 彼女こそは貴族派の頂点に立つ魔術卿が1人、ルピエイト・アバルハクラ・アラダードその人。

 彼女の前でこうべを垂れぬ不敬者は、魔術協会の総本山であるミタルエラでもそういない。


「貴方は、このミタルエラで起きていた『敗者狩り』を知っていますね」

「知らん」

「では、説明が必要でしょう。犯人はすでに捕まっていていますが……」


 だがここには、そんな不敬者が1人いた。

 畏れなく、憧れなく、崇拝なく。

 魔術卿たるルピエイトと言葉を交わす、魔術師ならざる者が。

 と言うか、人ですら無いのだが。それはまあ、関係のない話か。

 それは当然のこと、私、麻上永だ。

 相も変わらず自殺願望者の如き目と、死体どころか白紙のキャンパスもかくやという髪と肌。加えて異質な黄金色の虹彩。

 単純な美しさでルピエイトに負けているとは思わないが、何分なにぶん表情が死んでいるし、雰囲気も鬱々とし過ぎている。

 集団に投げ込まれれば空気を悪くすること請負だ。

 尤も、美容整形の技術が進んだ現代の繁華街ならば、私の様な見た目の人間も見つかるだろうから、まあ珍しいな位の反応しかされない可能性もある。

 いや、さすがに希望を込めすぎか。私を遠巻きにしないのは、余程の善人かあまりに空気が読めないかのどちらかだろう。

 それに、年齢を考えればその異質さはさらに際立つ。

 とまあ、そんなことを並列思考で考えている間に、ルピエイトへの説明が終わった。


「それで、それがどうした?」

アレトラの祭祀アレトネラの数日前に、バラガルデのカイトと名乗る青年と会ってはいませんか? それも、誰の目にもつかないように」


 ルピエイトがうっそりとした笑みを変えずに、僅かに首の角度を変える。


「さて、な。会っていたとしても覚えていない。上に立つ者でもなければ上に叛逆や献上する者でもない、そんな凡庸な者をなぜ私が覚えていると?」

「臣下でもなく対等でもなく、はたまた英傑でもない方は覚えていないと、そういう事ですか」

「肯定、と返そう」


 成程、ルピエイトの考えは分からないものではない。

 事実、魔術師ならざる貴族の仕来りの中にも、使用人や奴隷を居ないものとして扱う、というものもあったのだから。


「では、質問を変えましょう。


 ルピエイトのヘーゼルアイが細められる。

 ただそれだけの行為が夜の月が欠ける様な神秘性を持つのは、流石は魔術卿と言ったところか。一挙一動に見出せる魅力が常人の域ではない。

 さてはて、その仕草に含まれた意思は如何なるものだろうか。反応を返した以上、頭の端には思い当たるものがあるだろうが。

 無ければ困る。


「ああ……いたな。黒いボロきれを着た見窄みすぼらしい物乞いが」


 知っている。私は本人から聞いたのだから。

 そして、この後の言葉もある程度は分かる。

 気まぐれに施しを呼びかけると真っ先に来た、だろうか。


まれな酔狂で施しを呼び掛ければ、その物乞いが1番に足元に這いつくばる。それがあまりにも哀れで、少々願いを聞いてやった。ただそれだけのこと」

「施しの内容を聞いてもよろしいでしょうか」

「忘れた」


 ああそうだろう。

 虚実は問題ではない。彼女が発した言葉こそが事実と成るのだから。だから、彼女が忘れていると言ったことを疑う意味はない。

 ならば、新しい視点から物事を見るしかないだろう。


「施すことによる貴方のメリットは何でしたか」

「富める者の義務、ではいけないかな?」

「貴方は貴族である前に魔術師です。外の作法に従う道理もない。それに、施しは貴方より下の貴族がすれば良い。貴方は、あまりにも地位が高過ぎる」

「ふ、ふ、それは正しい。だが、酔狂、と言った筈だが?」

「見返りの無い施しはある意味諸刃の剣。他者を容易に堕落させる甘い毒だ。それに、貴族派の頂点に立つ魔術卿ともなれば、周りが許しませんよ」


 ルピエイトは小さく笑うと、「その通り」と肯定を返してきた。


「ふ、ふ、流石に、木の葉ともなれば話ていて誤魔化すこともできない、か。ああ、あったとも、私が得るメリットが」

「それは、聞いてもよろしいでしょうか」

「樹と話していては、少々面白みに欠けるものだ。良いとも、答えよう」


 ルピエイトの視線がチラリとパトリアに向けられる。

 その一瞬だけでも、パトリアは肩を跳ねさせた。どれだけ敏感なのだろうか、彼の感覚は。

 

「その物乞いはとある下賎な者たちと繋がっていてな。酔狂のついでに恩を売るのもまた一興かと思っただけよ」

「その恩を売る相手とは」

「さてはて、どのような者たちだっただろうか。あなた達とは違う意味で枠からはみ出そうと足掻く、無様な敗者どもだった気がするが……どうだか、忘れてしまった」


 さも当然のことの様に、ルピエイトは覚えていないと口にする。

 恩を売ろうとしているのに相手を知らないというよく分からない状況。だが、彼女が口にするだけでそれが必然の事と錯覚してしまいそうだ。

 それだけの偉力が、彼女には何をするまでもなく備わっている。

 だが、ルピエイトが思い出さなければ話が進まない。


「ふ、ふ、何をするまでもなく枠の外に飛び出しているのはあなただろうに。その『無知』は周りにはさぞ眩しかろう」

「口に出していましたか?」


 分かりきった事だが、求められた道筋はできる限り応えるべきだろう。


「いや? 私には視えただけ。故に、気にすることはない。それで、あなたは次に、どの様な視点をくれる」


 その言葉を聞き、私は確信した。

 彼女にとって、これは戯れに興じているに過ぎないのだ。

 手早に済ませよ、と言っておきながら、ルピエイトはこの状況をより長く楽しもうとしている。

 そうか、ルピエイトは自分をゲームを支配できると思っているのか。

 

(それなら、こちらも応える。私は、絶対に負けない)


 ルピエイトがこれをゲームと言うのならば、私はそれに全力で乗る。

 魔術卿という肩書きに敬意を表して勝負を譲るなどといった気持ちは、私には毛頭無い。

 不敬? 当然だ。

 唯一無比の輝ける全能者の敵対者である私なのだ。ならば、この場で彼女を貶めるのは私だろう。

 傲慢にも上に立つ者を撃ち落とすのは、化け物わたしと神話の英雄の専売特許なのだから。


「その相手を知ったのはいつでしょうか」

「4月だな。格ばかりが高いアハトラナの怪女が、気が触れたのかのように祭儀局を操り、わざわざ極東まで殲滅に乗り出していたからだ。品位を疑う行為だが、彼の民を従える者クイーンも耄碌したのだろう」


 隠す素振りもない。

 彼女の言う恩を売る相手とは、ほぼ間違いなく『金枝の使者』のこと。

 となれば、彼女はいつ金枝の使者の詳細について知ったのだろうか。

 タムリアは何処から仕入れたか、金枝の使者を最初から知っていた風に見えた。

 ということは、金枝の使者が魔術世界で有名かといえば、決してその様なことはない。むしろ、無名と言って良い。

 どのような文献を探ろうとも、金枝の使者に関する情報は一切出てこなかった。

 アンダーグラウンドを根城にしていようと、情報屋のジャックですら知らないということはあり得ない。

 ジャックは余程マイナーな情報で無ければ、いやマイナーな情報であっても、大抵のことは時間を与えれば情報をかき集める。

 それが出来なかった。その事実だけで、金枝の使者の知名度は押して知るべきだろう。


(ルピエイトが初めて知ったのがその時なら、その後に接触があったのか? いや、魔術卿……それも貴族派のトップともなれば、接触する機会がない可能性が高いはず。いやそれすら間違いなのか? 事実、私たちはこうも簡単に顔を合わせている)


 際限のない思考を打ち切り、ルピエイトへと意識を集中させる。


(考えるだけ無駄。状況証拠と証言を繋ぎ、そこから彼女の望むシナリオを解き明かす。彼女は嘘を吐かない。ならば、最速で言葉を引きずり出す)


 それが、私がゲームに勝利する条件。

 時間を掛け過ぎれば、話は途中で終わるだろう。

 強引過ぎて礼を欠けば、彼女は話を打ち切るだろう。

 期待に添えなければ、失望だけが土産となるだろう。

 難易度は高い。だが、負けない。

 

「その下賎な皆さんは『金枝の使者』と言います」

「ふ、そうだったかな? ……ああ、そうだったな。たった今思い出した。愚かにも偉大なる盟主に反旗を翻そうとする、愚者共の巣窟。思い出させてくれたことに、感謝を与えよう」


 白を照り返す黄金の様な髪を揺らし、ルピエイトは尊大に告げる。

 これで、金枝の使者は思い出した事と

 手札は未だ少ない。

 このゲームはルピエイトの情報に重きを置いている。故に、こちらはあまりにも不利。全てはルピエイトの采配次第。

 直接的に情報を求めることはできない。

 それでは彼女を楽しませることはできないのだから。

 期待を下回ることは許されない。

 金枝の使者といつ会ったのか、といった質問は悪手。

 繋がっていることは私たちも彼女も既に心得ているし、『いつ』という情報は大局に何ら影響しないからだ。

 だとすれば、ここで確認すべきことは————


「——貴方が最初に繋がったのは、

「……ふ、ふふ」


 神秘的な色合いのヘーゼルアイズが、初めて私を真正面から貫いた。

 綺麗だ。息を呑む程に神秘的。

 だか、それ以上に……


(……異質だ)


 そう思うのは私だからか。

 他の知性あるものならば、こう思うはずだ。

 恐ろしい、と。


「ふ、ふ、あなたは木の葉だが、枯れて朽ちたものだと思っていた」


 人間的なのに、人間から離れ過ぎている。

 私は最初、彼女を至高のジュエリーフラワーと称した。

 間違っていた。ルピエイトはそんなものではない。もっと異質なものだった。


「違った。あなたは望まれて存在するのだと、なぜ私は忘れていたのか。愛でられるねじくれた異形花だと、なぜ気付かなかったのか」


 彼女は、ルピエイト・アバルハクラ・アラダードという魔術師は、生まれながらの支配者だった。

 支配者に成ったのではない。

 支配者に望まれた訳でもない。

 正しいとか、優れているとか、適性があるとか、そんな話ではない。

 文字通り世界の全てを享楽と見なす、

 ルピエイトが望めば、それが支配の形となる。

 魔術卿だからと思っていた私は何と気楽だったのだろうか。

 逆だ。魔術卿だからこの程度だった。

 魔術卿、魔術世界の頂点という称号さえ、ルピエイトを戒める枷でしかない。

 その枷すらなければルピエイトは、新たな枠組みを創造し、国すら超えた支配を成し遂げたかもしれない。

 何故か、それがはっきりと判った。

 それはルシルという超越者を普段から見ているが故の慣れからか、はたまた

《傲慢》を司る悪魔の本能からか。


「答えをください」


 だが、そんなものに気圧される私ではない。

 支配者がどうした。こちらは、世界を創り握りつぶす化け物だぞ。


「ふ、ふ、大仰にも精霊などと名付けられたナメクジを持てはやす、視るも不快なもの達だ」

「何故接触してきたのでしょうか」

「さて、な。だがまあ、私の興味を引くものだったのだろう。そうでなければ、即刻処刑しているであろうな」


 これで確定だ。

 ルピエイトの最初に会った金枝の使者はカイトたちの属するアルボス学派ではなく、マテイエたちの属する精霊会だった。

 そして、ルピエイトは精霊会と何らかの契約を結んでいる。ともすれば、魔術協会を脅かす程の。

 そうだとすれば、精霊会の企む計画を知っている可能性も高いだろう。

 私たちがここに来た理由の1つも計画に関する情報を手に入れる為なのだから。

 だが、彼女の中でそれは忘れている情報。

 それを引き出すには、彼女を楽しませながら追い詰める必要がある。

 だったら多少遠回りでも、完璧なプレイを見せて見せよう。

 これがゲームだと言うのならば、負ける覚悟はできているだろう?


「アラダードさん。英雄譚に憧れた事はありませんか。英雄に成りたいと、または英雄を見たいと思ったことは?」


 ルピエイトはうっそりとした笑みを変えず、数ミリだけ顎を引く。

 

「あるとも。成りたいとは思わんが、本物を見たいと、一体何度夢見たか。ああいや、本物はすでに見た。他ならぬ、あなたの義母だ」


 笑みは変わらない。だが、そこには僅かな変化があった。

 声音が上がった、数ミリだが体が動く、視線が私を捉えて離さない。

 なんてことない、だが明確な、支配者が見せた揺らぎ。


「だが、あれは並の英雄には収まらん。まさしく神域、神の領域を侵す超越者。彼の者は人でありながら空前絶後の神威を持つに至った。それはもう、人の英雄とは呼べまい? ルシルはあまりにも高まり過ぎた。それではいけない。私が見たいのは、目標となるべきの英雄なのだから」


 彼女の言葉に嘘はない。だから、これは彼女の本心そのものだ。

 ああそうか。だから彼女は嫌悪する金枝の使者という組織に契約までした。

 全ては、舞台を整えるために。


「貴方は……精霊会にこう持ち掛けられたのですね、『英雄を作る機会はいらないか?』と。そして貴方はそれを快諾した」

「ふ、ふ、そうだったな、思い出したとも。少なくともあなた達の求める事程度は、な」


 認めた。そして、私を捉えていた意識が外れたのが雰囲気から分かった。視線は外れていないが、それは私を見ているようで見ていない。

 今ルピエイトが意識を向けているのは、未だ緊張に囚われているパトリア1人のようだ。


「精霊会が何処で何をしようとしているのか、教えていただけませんか」

「ギアスロール分の情報は渡した、話はここまでよ。詳しいことはイトルムに聞くと良い、大抵のことは答えられるだろうよ。安心すると良い、不備はない筈だ」


 まあ確かに、あの契約内容にしてはそこそこ情報を得ることはできている。

 だが、肝心な情報を聞けていない。

 とは言っても、ここで粘ってもルピエイトの口から何かを聞くことはできないだろう。

 何が出来る?

 私はどうすれば彼女の興味を引ける?

 どうすれば勝負に勝てる?

 と、1つだけ手が思い浮かんだ。


(こんな手が通用する筈が……いや、これしかない)


 それはあまりにもか細い可能性。一笑されてもおかしくはない行動だ。

 彼女が私の正体に欠片でも気付いていれば効果は期待できない。


「私が成ります」

「ほう? 何になると?」


 それでも、私の口は滑らかに言葉を紡ぐ。

 小さな確信があった。

 ルピエイトならば、私の予想通りこの支配者がと繋がっているのならば、乗ってこない筈がないと。


「貴方の望む英雄の1人に、私が成りましょう」

「……ほう」


 ルピエイトの意識が、再び私に向けられる。

 今度は圧力さえ感じ取れる程に、彼女の威光は私を捉えて離さない。

 ヘーゼルアイが、僅かに細められていた。


「ふ、ふ、ふ、あなたの酔狂は、未だ治まらないのか。よい、実によい。だが、あなたが英雄になれるものか、誰が保証する」

「誰も保証はしません。ですが、私は宣言しました。必ず勝利すると。たとえ精霊会が何をしようとしていても、私はそれを止め彼らを敗北させます」

「出来るのか?」

「出来ます。最後まで完膚なきまでに、私は勝ちます」


 そんな私の言葉に、ルピエイトは顎を数ミリだけ横に振る。


「私が聞きたいのは、あなたが手を抜かないか、絶対の勝利を逃さないか。それだけよ。……ふ、ふ、、な」


 ああやっぱり、ルピエイトは視えていたのか。私が、人でない怪物であるということを。

 だが、私の答えは決まっている。


「ええ、私の求めるのは、絶対の勝利です」


 ヘーゼルアイズが煌めく、主人の期待と納得を表すかのように。


「ふ、ふ、あの怪女が認めた価値はある、ということか。天には遠いが、星には近い。大樹は生命の本質故だろうか?」


 何を言っているのかは分からないが、心象は悪くないようだ。


「よい、私直々に聞かせてやろう。……我が愛しき人と大樹の先を示す道標として……英雄と共に来る、新たな星を祝して」


 ルピエイトはたおやかに言葉を紡ぐ。

 それは、彼女なりの祝福だったのだろう。

 そして私はこう思ったのだ——


(——私の勝ちだ)


 と。

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