第57話

 最初に移動へと使った《大術式交差移動陣インターセクション》から見れば規模は小さいものの、やはり白亜の巨壁に相応しい威容を誇る、神秘祭儀局のインターセクション。

 数少ない使う者の所作にも光るものが見える。

 まあ、良く見れば少々どころではない訓練の痕が見え隠れしているが。

 来る時は気のせいかと思ったが、何人かまとめて見ればその画一的な所作が染み付いているのが良く分かる。誰も彼もが一目で分かる程とは、一体どれだけハードな訓練を積んでいるのか。自衛隊を上回っているかもしれない。

 となれば気になることもある。


「セントジョンさんは彼らとは違う訓練を受けているようですね」


 そう、セントジョン調査官の所作は周りを歩く彼らには似ても似つかない。もっと大ぶりで、なおかつ自信に満ちている。

 どちらかと言うと、実践よりも儀礼に重きを置いている。そんな意思を感じるのだ。


「……そうですか……そこまで分かりますか」


 何故か眉間に皺を寄せたセントジョン調査官は、次瞬間には表情を戻し、淡々とした口調で言葉を紡ぐ。


「私は中央所属ですので彼らとは管轄が違うのです」

「つまり貴方はエリートということですね」

「その認識で間違ってはいません。ここで言う中央とはタグムスのことで、神秘祭儀局の本部を指します」

「タグムスといえば……」

「4大魔術都市の1つで民主派……アハトラナの本拠地だ。同時に神秘祭儀局の本部があるんだ。あそこは民主派の独裁なんて言われているが神秘祭儀局の影響も強いからな。実際はドロドロとしたものだよ。表面上は仲が良いようだが、腹の中ではどうだかな」


 横からパトリアがが補足をくれた。

 そういえば、地下教会の聖堂騎士団には及ばずとも、以前に金枝の使者の拠点の掃討戦で宮城にあった拠点を見事攻略したと聞いた。確かその時動いたのは神秘祭儀局の殲滅隊だっただろうか。

 それ程の戦力を保持しているのだ。魔術都市1つ分の区画を手にしていることからも考えて、私の想像を超えた勢力を誇っているはずだ。

 そうでなければ、現魔術卿を頂く派閥と渡り合うことなどできないだろう。

 そんなことを考えている間にも目的の場所に来たらしい。セントジョン調査官の足が止まる。


「着きました。この扉から向かいます」


 ここの来る際使ったインターセクションの扉よりも豪奢な飾り付けが目に付くが、基本形は変わっていない。今回は『ルート39・211』と刻まれたシンプルなプレートもそのままだ。


開けOpen


 セントジョン調査官の言葉と共に開いた扉の先には、極彩色の光が漂う移動機構が広がっていた。

 通常ならば真っ直ぐに進むはずの光が幾重にも分散された結果生まれた、通常ならば見ることの叶わない神秘のカーテン。

 確かパトリアが言うには、擬似的な神代の現象の名残、だっただろうか。

 何度見ても訳の分からない現象だが、まあ、魔術に一般常識を求めることが間違いなのだろう。


「それではお先に失礼いたします」


 セントジョン調査官はそれだけ言うと、極彩色のベールへと姿を消す。

 それ続いて、パトリアも迷いなくセントジョン調査官を追った。

 私も少しだけ間をおいてから、歩を進める。

 音は遠のき、目に痛いほどの光が視覚を刺激する。

 点滅しては揺蕩う極彩色の光たちは、相も変わらず人間には極端すぎるように感じた。

 これで光過敏症発作が滅多に起きないと言うのだから、魔術師というのは不思議なものだ。

 何か対策が確立されているのだろうか。

 いや、確固たる原因が科学的に立証されていない光過敏症なのだから、むしろ魔術とは相性が良いのかもしれない。

 それでも如何なる概念を用いれば可能なのかは、私では断定できなかった。

 霊薬の類でないならば、アポロンの光と医療の概念だろうか。

 いやそれならばむしろ、アスクレピオスで人体に対応させた方が術式がコンパクトで済む、のだろうか?


「と、これはまた雰囲気が変わりましたね」


 と、魔術の解析は一旦置いておこう。どうせ私は使えないのだから。

 極彩色のベールを越えた先には、セントジョン調査官とパトリアが距離を離しながら待っていた。

 その距離が2人の心の近さを表しているのならば、両者はすこぶる仲が悪いのだろう。

 まあ、2人の相性の悪さは既に感じていたのだが。

 それも実害がないのならば放っていこう。双方が親密な関係を望まないのならば、無理に近づける意味もない。

 それよりも注目すべきは、このインターセクションの内装だろう。


「ああ全く、こんな場所だから近づきたくないんだ……」


 パトリアはここが気に入らないらしい。不快感をにじませて呟いている。


「随分と豪奢ですが、これがの趣味ですか」

「趣味と言うよりは、権威を示すための分かり易い飾りでしょう」


 セントジョン調査官も少しだけ辛辣だ。

 まあ確かに、ここはあまりにも民主派アハトラナの色とは違う。

 ミタルエラの《大術式交差移動陣インターセクション》の中で唯一アハトラナの管理を受け付けない、白亜ならざる巨壁。

 その内装は黄金と真紅、そして宝玉に彩られている。

 天井を支える支柱の1つ1つにいたるまでが、宝箱をひっくり返して整理したかのような輝きに満ちていた。

 華美な彫像や鮮烈な意匠は、それ自体が宝物庫のようだ。

 それ1つで家が買える程にもなろう宝物が溢れかえる様は、異様なまでの虚栄心と背徳的な空気に満ちている。

 通りすがる者たちも豪華な服を着飾り、顎を上げた視線からは過剰な自信に満ちていた。

 まあ、権威を示すのが悪いとは言わないが、これは些かやり過ぎではないだろうか。


「今度はショートルート89の4に向かいます。そこからアバル……」

「ん? あれは……ルシルの娘か!」


 セントジョン調査官の言葉を遮った声に、周りにざわりと波が走った。

 足を止める周りから一斉に向けられる視線が私たちに突き刺さる。

 見定めるような色に溢れかえる魔術、何処かに繋がる糸が幾つも視えた。恐らくは確認と通信の魔術だろうか。

 セントジョン調査官は涼しい表情を保っていたが、パトリアは苦虫を噛み潰したような顔をしている。

 私はまあ、自殺願望者の顔がデフォルトだ。


「どういたしましょうか」

「いえ、何の問題もありません」


 私の言葉に、セントジョン調査官はすぐさま答える。

 何の問題もない、とは思えないのだが。

 その場のほぼ全員がこちらに注目しているのが見えないのだろうか。


「本当か? 射殺さんばかりの視線を感じるんだが」


 パトリアも似たことを考えていたのだろう。私の思いを代弁してくれた。

 そんな私たちにチラリと視線を寄越してから、セントジョン調査官は淡々と言葉を続ける。


「彼らは私たちに関わってきません。彼らも


 その言葉に、着飾った人垣から刺々しい視線が飛んできた。

 何故、わざわざ挑発するようなことを言うのか。そんなにも事件を起こしたいのだろうか。

 ここは魔術都市。

 人殺しさえ軽犯罪程……否、軽犯罪にすら問われない魔境だと言うのに。


「大丈夫ですよ。彼らは近づいて来ないでしょう?」

「それは、そうですね」


 確かに、貴族派と思われる魔術師たちは遠目にこちらを伺うばかりで、話し掛けてきたりはしない。

 ただ少々鋭い目を向けるだけだ。

 魔術を使っている者も多いが、直接的に干渉してくるものはない。


「怖いのですよ」

「何が……もしや、セントジョンさんですか?」


 彼は神秘祭儀局の調査官。並の魔術師よりも権力的には上。

 しかも、セントジョン調査官は魔術卿近辺の事件にすら声がかかるエリートだ。如何に貴族派の魔術師といえど、そう易々と突っかかることはないだろう。


「いえ」

「違うだろ」


 違ったらしい。セントジョン調査官だけでなく、パトリアからも否定が飛んできた。

 呆れた雰囲気を感じるが、何故私はそのような感情を向けられているのだろうか。

 そんな私の不満と疑問に構うことなく、セントジョン調査官は目的地に向けて足を動かす。

 少し遅れて着いて行きながら、思考を深めようとして————するまでもなく答えに辿り着いてしまった。

 成程、そう言うことか。

 これは真っ先に思い付かなかった私がおかしい。

 高貴なる血筋ノウブルブラッドに重きを置く貴族派が最も恐るものとは何か。

 魔術師の大部分を占める貧しき血筋ロウリーブラッド……つまりは民衆だろうか。

 それとも、外の人間。魔術世界的に言えば非魔術師アンホルダーと呼ばれる者たちなのだろうか。

 確かにそれらも脅威となることもあるだろう。

 資質の差さえあれ、同じ魔術師であれば危険性はあるだろう。

 たとえ魔術を使えずとも、科学文明を発達させた外の人間たちも脅威としては十分だ。

 だが、貴族派が真に恐れるものは違う。

 彼らが真に恐れるのは、自らを血筋以外のあらゆる面で上回る者たちではないだろうか。 

 血に依らぬ異常なまでの力。

 これまでを過去の遺物とする飛躍の化身。

 天から才を授かった申し子。

 新たな血脈を生み出すに足りる、時代を生み出す神に愛された者たち。

 すなわち、血に依らざる者イレギュラーブラッド

 そして、その異端者たちの中で頂点に立つ者と言えば、魔術世界に限った話だがこの時代ではほぼ1人の名しか上がらないはずだ。

 神代返り。

 到達者。

 トップメイガス。

 番外魔術師エラーナンバー

 神の血を引かぬ英雄。

 彼女を讃える名は数あれど、畏怖は常に真の名にこそ向けられる。


「そう言うことですか。彼らはルシルを恐れているのですね」

「ええ、貴族派にとって最も恐れるべきはトップメイガスですから」

「むしろ何で真っ先にその答えに辿り着かなかったんだ?」

「いえ、普段のダメ人間っぷりの印象が強かったもので」


 ルシル・ホワイト。

 神の炎すら隷属させる、異常者てんさいの筆頭だ。


「トップメイガスにダメ人間なんて言えるのはお前ぐらいだよ。……後で聞かせてくれないか?」

「人の悪口は広めない主義なので」


 「そうか……」と少しだけ残念そうなパトリアは、だがそれ以上求めることもない。引き際を弁える事ができるとは、マナーが分かっている。

 強欲な魔術師の中で、その資質は素晴らしいものだ。

 まあ、こちらも院長と妹にいやと言うほど言い聞かされているのだ。そう簡単に口を割ることも無い。

 と、前を歩くセントジョン調査官がこちらに歩幅を合わせた。

 どうやら、会話を続けてくれるらしい。

 それは良いのだが、私たちの進む方向にいる魔術師がモーセの奇跡の様に割れるのは何故だろうか。

 いやまあ、危険視する存在の養女むすめに関わりたくないのはわかるのだが、それにしても反応が露骨過ぎる。

 私たちはレベル4に分類される病原菌にでも感染していると言うのか。

 この状況で眉1つ動かさないセントジョン調査官は流石だ。伊達に魔術卿の敷地に呼ばれたわけではないようだ。

 

「ホワイト殿が民主派……というよりはアハトラナ卿と親しいことは公然の秘密です」

「あれが……親しいのか?」


 パトリアが疑問符を付けて首を傾げている。

 まあ確かに、あれだけ見ればタムリアは兎も角、ルシルに思いやりや親愛など見つけることは難しいだろう。

 だがそれは普段のルシルを知らないからだ。


「親しい仲でしょう。娘たる私が保証します。ルシルが会話を楽しむ時点で十分そう考えることは可能です」


 そう、タムリアと会話するルシルは楽しんでいた。あの自己中心的性格の権化が、相手からの主張に僅かでも応じていた。

 普段のルシルは無駄な会話をさせられた時点で苛立ち、酷ければ攻撃する事もある。気分を害していれば、最初から撃破を試みる事もあるだろう。

 実際、私は何度も被害に遭っている。

 まあ、今はそんな事はいい。セントジョン調査官の話に集中しよう。

 パトリアにそういった思考を込めて視線を送ると、正確に読み取ったようで返答に鼻を鳴らした。

 続きをどうぞと、ジェスチャーを送る。


「貴族派には7大家門の内3つの家門が所属しています。ですが、その格はいずれもが第4位以下。対して、民主派の中心たるアハトラナは第2位の格を誇っています。数でこそ優ってはいますが、民主派を本格的に敵に回すことは貴族派にとっても避けたいのです」


 成程、確かに事前に調べた情報と違いはない。

 だが、貴族派の家門が見ているのは家門の格だけではないだろう。


「大勢の階位の高くない魔術師は、確か民主派を主に支持していましたね」

「その通り。純粋な人員数においても、民主派は貴族派を凌駕しています。尤も、あくまで数の話なので、質ならば貴族派に敵うことはないでしょうが」


 それはそうか。

 魔術の才はある程度遺伝する。

 であるならば、高貴なる血筋ノウブルブラッドに多くの支持者を持つ貴族派は、質において他の派閥を圧倒することになるだろう。

 しかし、それは特筆すべき異常者てんさいがいない場合。

 事実、彼女は世界のバランスを傾ける力を持つ。


「そうです。話は戻りますが、貴族派の最も恐れるのはルシル・ホワイト殿。その力は限りなく最小に見積もっても魔術都市1つと同等。最大限大きく見積もれば魔術世界そのものとタメを張る可能性もあります」

「そ、そこまでなのか?」


 流石に言い過ぎだろう、とパトリアは笑う。

 セントジョン調査官は視線さえ向けずに無反応。

 パトリアは顔を赤くして怒りを発露させかけるが、周りにいる貴族派を思い出して自制。

 セントジョン調査官に瞳には嘲笑が。

 ここまでくると、この2人が示し合わせているのではとすら思える。

 私はあまり見たことはないが、これが『コント』というものだろうか。


「お前はどう思う。一緒に住んでいるなら何かわかるだろうが」


 セントジョン調査官に相手にされないから、こちらに話を振ってきた。

 まあ、少し気の毒でもあることだし、私で良いならば話し相手になろう。

 それにしてもルシルの力量についてか。

 それならば言えることは——……


「……過小評価が過ぎますね」

「……は?」


 隣に目を向けると、パトリアが何を言われたのか分からないといった表情を浮かべいた。。

 セントジョン調査官も僅かに目を見開いている。

 そんなにおかしいことだろうか。

 至高の魔術師。

 その名が正しいならば、

 神話においても、神にも等しい魔術を行使する人間は何人もいた。

 ルシルがそれ以下である道理などないはずだ。

 いや、それすら生ぬるい。


「そうですね。仮にルシルが本気を出せば、


 聞き耳を立てていた周囲の人間すら、目に理解不能の色を浮かべる。

 私の言葉はそれだけ彼らの思考とそぐわないものであり、同時に突拍子の無いものであるようだ。

 それにしても、ルシルの力が魔術世界と同等?

 私にとってはそちらの方が違和感を覚える。

 ルシルは真性の悪魔である私を殺し切る偉業を成し得る魔術師。惑星ほしの法則にも等しい私を殺し切る存在ならば、星を焼き尽くすことに何の矛盾があるだろうか。

 魔術世界では盟主と同等と言われるルシルだが、私から見るに『破壊』ならばルシルが上回ると予想している。

 人の魔術の始まりである盟主。

 この魔術都市の原型は盟主が確立したと伝え聞く。それは天地創造とはいかずとも、古き法則を留めるには足りるものだった。

 これほどの箱庭を創造したのだ。その強大な力は測るにあまりある。全能者には及ばずとも、万能者の領域には到達していてもおかしくはないだろう。

 少なくとも、『創り維持する』という点においてはルシルを凌駕している。

 だが、ルシルは全能者を殺す。

 それはすなわち、世界を殺すことと同義。

 

「まあ、私もルシルの本気は見たことがありません。これはあくまで予想であり、私の個人的意見です」


 とはいえ、そんな事は私だけが知っていれば良いのだ。

 ルシルが全力を出すところなど、考えるだけでも恐ろしい。

 その引き金をこの場にいる魔術師が引かせる可能性は皆無に等しいだろうが、どんな小さな火種だろうと危険なことに違いはない。今は下手なことをさせない程度に脅せばいいのだ。

 と、セントジョン調査官が躊躇いがちに口を開く。

 その瞬間————私は何か選択を間違えた事を察した。


「その予想には、?」


 自分の過ちに気が付く。

 ああ失敗した。こうなる事は十分に考慮できただろに。

 だがもう手遅れだ。

 そして私は、その答えを正確に答えるしかない。

 

「……ええ、あります」


 こう答えるしかない。

 セントジョン調査官の右手。その形を見た瞬間、私の眼は魔術を捉えていた。

 人差し指だけを伸ばして、他の指を軽く握る印。

 真実を指し示す術式で、嘘をつけば術者に伝わってしまう。

 周りから上がるざわめきを背に聞きながら、セントジョン調査官の反応を待つ。

 セントジョン調査官は印を解いて一息吐くと、私たちより一歩前に出て1つの扉の前に止まった。


「この移動機構から目的地まで直接移動できます」


 先ほどまでの会話は打ち切ってくれるらしい。

 気持ちを入れ替えて金銀宝石で飾られた扉に目を向ける。

 これまた豪奢なプレートには『ショートルート89・4』と刻まれていた。

 私的には目が痛くなりそうなのだが、貴族派の人間は気にならないのだろうか。

 とはいえ、これをくぐれば目的地。

 セントジョン調査官が一言唱えれば、扉はゆっくりと開いた。


「それでは行きましょうか」


 さて、ここからは気を引き締めなければ。

 なんせこれから会うのは、

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