第52話

「ここは……本当にミタルエラか?」

 

 街並みに目を奪われていた私は、パトリアのそんな呟きに意識を戻す。

 隣に視線を向ければ、そこには呆然としたパトリアが目を見開いていた。

 どうやら、この街並みはパトリアをして目を疑う光景であるらしい。


「ええ、ここはミタルエラ西部のです」

「……驚いた。風情も何もないビル街じゃないか。それもシドニーみたいなものじゃなくて先端科学機械都市ニューマキナシティに近い」

「同感です。東京の浪川区に非常に似ています」


 魔術師たちの集う白亜の魔術都市には似つかわしくない、効率を突き詰めた先にある整然とした白亜の石柱たち。

 規模こそ浪川区の灰色の建築物たちには及ばないが、白一色で纏められている分統一感自体はこちらが優っているかも知れない。

 それは、ある種の固定観念を持っていた私たちを驚愕させるに足りるものだった。

 そんな私たちに、セントジョン調査官は淡々と告げる。


「時間が惜しい。都市観光は後にしてまずは目的を処理しましょう。案内します」


 流石は神秘祭儀局の調査官。

 的確な言葉で私たちをリードしてくれる。

 メガネの奥にある目の鋭さと硬い声音のせいで高圧的にも思えるが、それでも最低限の礼節を失わないのも流石だ。

 まあ、多少の慇懃無礼いんぎんぶれい感は否めないが。それもプライド故だろう。

 端然たんぜんと歩くセントジョン調査官に続き、一棟のビルに足を踏み入れる。

 内装も余計な装飾は殆どなく、壁に埋め込まれた時計と神秘祭儀局の紋章が目を引く。

 受付カウンターがあることから連想するのは……警察署だろうか。

 まあ、無人である事はともかく、謎の石板が置かれているのが魔術都市らしいと言えるだろうが。

 セントジョン調査官はカウンターに進むと、石板に手を翳す。

 すると石板に複雑怪奇な幾何学模様が浮かび、その光が光線となって束となり、空中に象を結ぶ。

 原理的にはレーザー式立体映像投影装置と同じだろう。

 光を生み出しているのが科学エネルギーか神秘エネルギー、という違いはあるだろうが。

 少なくとも、映像を作っている光はほぼ純物理的なものだろうと考える。私の眼に映る歪みの少なさがその証拠だ

 多少神秘の色が強いように視えるが、それはこの白亜の都市の特異性故のものだろうか。


「ミリセント・セントジョン。3rdまでの権限を申請。同行者への第3種許可を申請。以上アーフ

『申請を確認。第5異常個体フィフスイレギュラー、エイ・アサガミ。重要監査対象ミシュルティン、パトリア・アロ。両名を確認。開廷……申請を許可。19時間の権限付与を認める』

「ちょっ、ちょっと待て! なんで僕が神秘祭儀局指定監査対象ミシュルティンに入ってるんだ? 身に覚えが全くないぞ!」


 パトリアが喚くが、セントジョン調査官は気にも止めずにカウンターから離れて1つの扉の前に立ち、傍らにあった石板に手を翳す。

 開いた扉の向こうにあったのは4方向を扉に囲まれた4メートル四方の空間。促されるまま乗り込むと扉が閉まり、僅かな慣性力を感じた。

 どうやらエレベーターに該当するもののようだが、やはり現代的な雰囲気が強い。

 パトリアはまだ不服そうにしているが、セントジョン調査官からは特に言及はないようだ。

 何というか、セントジョン調査官はパトリアに対する尊重が低いように感じる。私に対する態度との違いが明らかだ。

 それでも尚噛みつこうとするパトリアを宥め、代わりに質問を問いかける。

 こういう時は別の目的を与えるのが、興奮している人間への対処として正しい。少なくとも、私はそう学んだ。


「ミシュルティンとは何ですか?」

「……ふん、神秘祭儀局が注意を払うべきと定めた者の中でも特に優先度の高い奴らにつけられる記号だ。強大な魔術を使う奴や強大な権力を持っていたりした奴なんかだな」

「それは、魔術卿などでしょうか」

「いや、魔術卿はそれより1つ上。最上位の特異点指定対象ルフィウスに分類されている……はずだ」

「自信がないのですね」

「バカ言うな! 僕には関係がないから詳しく知らないだけだ」


 それは自信がないのと何が違うのだろうか。

 そもそも、その言い方はパトリア自身が大した魔術師でないと言っているようなものだが。

 まあ、言わぬが花だろう。

 言ったら言ったでパトリアが喚く姿が見えるようだ。


「ということは、アロさんはかなり重要な監視対象なのですね」

「監視はされない。ただ神秘祭儀局にとって注意を払い調査すべき人間というだけだ。使い魔を使われることはある——……」


 言葉を切ってパトリアが苦い顔をする。

 言っていて矛盾に気付いたらしい。


「それは監視されているのでは」

「……ふん」


 バツが悪そうに鼻を鳴らした姿は、まるっきり状況が悪くなって誤魔化す少年そのものだった。

 まあ、そんなことを正直に言えば、これまた噛みつかれることだろうが。


「アロさんはそんな状況に身に覚えがないのですね」

「全くない。少なくとも僕にはそんな大層な身分もなければ権力だって持っていない」

「では、強大な魔術を使えるのですか」


 パトリアが思いっきり顔を顰める。

 まるで、1番聞かれたくないものを無遠慮に問いかけられたかのようだ。


「……使えない」


 苦悩と敵意がはっきりと表情に表れている。

 だが、その苦悩は外に向いたものではなく。同時にその敵意は私に向いたものではない。

 パトリアという人間がどのような思考回路をしているのかを押し測るに、その敵意が向いているのは……魔術師だろうか?

 それも、パトリアより優れた者たちへ。

 まあ、まだはっきりとは分からない。

 所詮私では複雑怪奇な人の心を解するのは難しいようだ。


「財力や政治的な発言力はどうでしょう」

「だから、そんなもの僕にはないんだよ!」


 少しでも意識を逸らしてあげようと残りの可能性を挙げてみたが、どうやら逆効果だったか。

 むっすりとした表情を浮かべるパトリアを見るに、本気で身に覚えがないらしい。

 あと考えられるものと言えば……


「……犯罪などはどうでしょう」

「お前……僕のことを苛立たせるためにわざとやっているのか?」

「そのようなことはありません」


 まあそうか。流石にパトリアにそんな度胸があるようには見えない。

 貶してはいない。ただ客観的な事実というだけだ。


「お前は知っているのか。調査官」

「……いいえ」


 一瞥いちべつを以て答えるセントジョン調査官にパトリアが青筋を立てている。

 なぜこの両者はここまで仲が悪いのだろうか。

 パトリアの態度から感じるのは侮蔑に近い。

 そしてセントジョン調査官の瞳に映るのは……嘲笑、だろうか。

 と、そんなことを考えていると慣性力がなくなり、セントジョン調査官側の扉が滑らかに開く。

 魔術式エレベーターを降りてまず目に入ったのは、冷たい灰色一色の壁。次に3方向の金属光沢を放つ扉。そして最後に部屋の中央に置かれた台座。

 どれもが灰色か鈍色。

 ビルには申し訳程度にあった装飾も、ここには縁もゆかりもないようだ。

 ああだが、そこは私に僅かな拒否感を抱かせる。同時に、懐かしさも。


(……あそこみたいだ)


 嫌な記憶が脳裏をちらつく。

 冷たい灰色の壁。

 分厚い金属の扉。

 淀んだ空気。

 言いようのない圧迫感。

 ああ、似ている。あまりにもそっくりだ。

 明るさが違う、材質が違う、広さが違う。

 だが、根本的な部分で、ここはあそこと同じだ。何者かを閉じ込め管理するための、どこまでも冷淡な隔離施設。

 思わず頭に手を当てた。

 嫌というほど感じた頭部への衝撃が、5年経って尚思い起こされる。

 私に死という安寧と苦痛を与え続けた、あまりに軽過ぎるあの世への片道切符。

 まあ、私は逝くことさえ拒否されたが。

 右手首をさする。

 今では痕跡さえない貫かれ縛められたという事実が、幻の痛みとなってむず痒い。

 あの屈辱いたみが私の思考を僅かに蝕んでいる。

 怒りいたみが。

 不満いたみが。

 慨嘆いたみが。

 歓喜いたみ

 天啓いたみが。

 わだかまりとなって胸の中でおりとなる。


「ダイダロスの術式ですか。しかも、迷宮の概念としては新しいものを採用することでより迷路、何かを捕らえることに特化していますね」


 とはいえ、そんな感情は今は捨て置く。

 私の抱いているものは私の求める『心』ではない。ただの感情でただの感傷。理解した感覚をリピートしているものに近いだろう。

 だから、


「……そこまで解りますか」

「外からでは無理です。ここは対策が不十分だ。まるで、


 そうだ、あまりにもおかしい。

 魔術師を捕らえるための施設に魔術的防護を施さないなど、そんなものは熊を柔らかな針金で捕らえるが如き異常。

 私の言葉にセントジョン調査官は頷くと、部屋の中央に置かれた台座に手を翳した。

 すると台座に魔術陣が浮かび上がり、向かって右手の扉が開く。

 メガネをずらして魔術陣を視界に収めるが——何も視えるものはなかった。

 成程、中央システムには魔術的防護がしっかりと施されている。


「歩きながらでよろしければお話しします」

「お願いします」


 歩き出したセントジョン調査官に並ぶ。

 パトリアは多少不貞腐れているが、まあ、問題はないだろう。

 通路は相も変わらず灰色一色。

 材質は……何だろう。

 あまり聞いたことのない反響に仕方。

 あえて近いものを挙げるとすれば、サファイアなどのコランダムだろうか。

 だが、触ってみればまるでコンクリートのような感触。微細な反発が特徴的に思える。


「アサガミ氏の言う通り。ここは魔術師を収容はしていますが、本質的に絶対収容を掲げている場所ではありません。言うなれば、仮の収容所と言えるでしょう」

「ここにいる者たちは全て規定に触れたものなのでは」

「ええですが、魔術師は。厳密な規定ルールは実質的に存在しません。ですが、最低限の規律は必要です。例えば、決闘でも契約でもない殺人は犯してはならない、などですね」


 それは逆に、決闘や契約であれば殺人を許容しているということだ。

 魔術師の価値観は幾らか学んだが、改めて聞くとその異常性が良く分かる。


 『願いを追う愚者』


 誰が言い出したのか、魔術を知る者たちの間で語られる異名。

 自らの願い、悲願、願望の為ならば全てを炉に投げ込み薪とする。世界を変化させ、打ち壊し、生み出し、消費し、創造する妄執の隷属者。

 尤も、今では志を失った者も多いと聞くが。

 

「魔術協会の中でも4大魔術都市においては魔術師の進化を促すという名目の下、比較的軽い逸脱行為を行なった者はこのような場所に収容されます。その目的は……」

「逃げてもらう為だよ。そして逃げた奴は力を行使し、捕まえる奴も力を行使する。結果として魔術は鍛えられる」


 パトリアが後ろから答える。

 チラリと視線を向ければ、先ほどよりは冷静な顔をしていた。

 セントジョン調査官はまだ気に入らないようだが、少しは頭を冷やしたらしい。

 私の予想だが、パトリアは自己顕示欲が強いがために、1人でいない者扱いされるのが耐えられなかった可能性もあると思う。


「そういうことです」

「殺人は軽い逸脱行為なのですね」

「外から来た貴方には理解し難いかもしれませんが、これが魔術師の価値観です。当然、行使者によっては貴賤きせんの差は存在しますが」


 その通りだ。

 ミタルエラを歩いて確信したことがある。この都市には、富める者と貧しい者がいる。

 いや、それは正確ではない。

 より正しくは、特権階級である高貴なる血筋ノウブルブラッドと持たざる者である貧しき血筋ロウリーブラッド、そして時に現れる血に依らざる者イレギュラーブラッド

 幸い、私は3つとも関わる機会を得た。

 高貴なる血筋の代表たる魔術卿。

 下層街に住まう数多くの魔術師たち。

 ジャックに代表される血に依らざる者たち。

 大きな括りでは私も血に依らざる者に分類されるだろう。

 ともあれ、そんな分類が魔術世界に蔓延っているのは、街を歩いているだけでも理解できた。

 通り1つでも変わる人種にマナー、高く積まれた白亜の魔術都市の階層、身分で分けられた闘技場の座席や控え。

 差別といえばそれまでだし、それを悪といえばそれまでだ。

 だが、元来願いの為に全てを捧げることすら厭わない魔術師にとっては、達成の為に必要だと判断したからこその差別なのだろう。

 それを文化と取るか、それとも悪習と取るか、それは人それぞれだ。

 まあ、私には関係ないだろうが——……


「貴方も望めば貴族になれるでしょう。トップメイガスの娘であることに加え、決闘会でも見せたの魔術技能。貴族派も半分は納得するはずです」


 ……確かに。

 考えてみれば私の後ろにはルシルというビッグネームがいた。しかも魔術卿とも繋がりもある。加えて、周りからは正体不明の強大な魔術を行使しているように見えている。

 意識はしていなかったが、考えてみれば私はかなり微妙な位置にいるのではないだろうか。

 まあ、私は魔術世界で名を残すつもりなど毛頭ないのだが。

 地位もいらない。


「貴族などにはなれませんよ。大派閥である貴族派の半分も反対するのですから。それに、私はそんなもので満たされることはないでしょうから」


 そもそも、もし私が真性悪魔であることが広まれば、どのような厄災が起こるのか想像もできない。

 碌な事にならないことだけは確かだ。


「話がずれましたが、ここはある程度の魔術の腕があれば脱走は難しくありません。実際に都市を歩く者たちの中にも脱走者は多いでしょう。推奨されているとも言えます」

「それでは犯罪率が途轍もないものとなりませんか」

「なりません。そもそも軽い規律破りならばともかく、禁忌破りは滅多に起こるものではありませんから。外とは罪の意識が違うのです」


 灰色の通路に千里眼クレアボイアンスを強めに使う。

 当然、数多の人物や物体、魔術陣に関する情報が津波のように頭に流れ込んで来た。ほとんど流しているだけとはいえ、流石に頭が痛くなる。

 だが、それだけ情報があるということは、ここはそれだけ捻れた繋がりの糸が集中しているということだ。

 視えたものから総合的に考えるに、ここは定期的に改修されているらしい。

 そして意外な事に、ここは逃げることに関しては寛容だが、入ることに関してはあり得ないほどに厳重だった。

 まるで、何かを守るかのように。

 セントジョン調査官の足が止まる。

 壁に手を当てて『終了アーフ』と唱えると、壁が動き奥から部屋が現れる。

 躊躇いなく踏み込んだセントジョン調査官に続き部屋に入ると、そこには光の膜に区切られた40メートル×20メートルほどの広い空間が広がっていた。

 尤も、光の膜に区切られているため実際には人8人が限界の小部屋と、それを除いた大部屋があるようなものだが。

 そして、大部屋からは10人ほどの人間がこちらに視線を向けている。


「しかし、中にはここから出たがらない者も存在します。ここではない本物の永劫収容迷宮ミトスケラミに入ることを希望する者まで。そのような者たちは一定期間収容した後は強制的に出所させるのですが、それまでは絶対に許可なく会うことはできません。なぜならば——」

「俺らみたいのを守る為だよ。ここは神秘祭儀局の管轄。貴族共も手を出すことは難しいからな」


 1人の男が前に出る。

 モンゴロイド、それも日本人に近い特徴が強く現れているが、細かな部位にはラテン系の血を感じる。

 は良く見ていなかったが、こうみれば中々の好青年だ。


「忌々しい怪物が。精霊狂い共の実験体と仲良くやっているのは化け物同士だからか?」

「ガラスに写る花の音の人ですね。エマから聞いた話では『ピンクでしぼんだ卵みたいな花の音』だとか」

「……気味が悪い」


 何か思い当たる事があるのか、青年が顔を顰める。

 だがすぐに表情を変えると、不快さを露わに言葉を発する。


「何の用だ。化け物」

「聞きたいことがあるのです。


 さて、あまり時間はかけていられない。手早くいくとしよう。






 精一杯愛想良く言ったつもりだったのだが、後でパトリアから聞いた時には、感情を捨て去った拷問官の様だったと言われてしまった。

 全く酷い話だ。

 そこまで私の表情は仕事をしていないと言うのだろうか……まあ、確かに仕事はしていない、か。

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