第51話
アハトラナの城を出て《馬車》に乗って暫く。私たちが着いたのは多くの人間が行き来する大通りの末端。その向こうに聳える巨大な白亜の建物だった。
あまりにも巨大。地盤面からの高さは目測で300メートルを超え、横幅は1000メートル近い。
東西を分けるその建造物はもはや白亜の『巨壁』と言っても違和感はない。
壮麗にして華麗。壮烈にして勇壮。
懐古主義を彷彿とさせる周囲に違わずその白亜の建築は変則的なゴシック調を思わせるが、明らかに他の建築とは一線を画した造形美を讃えていた。
それに感じるのは、2030年頃から日本で増えてきていた洗礼された現代建築にも近しい造形観念。現代の効率と技術の集大成とも言える建築に感じるものに近い観念だ。
曲線と直線の調和でどこか不安定さを感じさせながら、それを1つの芸術にまで昇華させている姿には、これを設計して実際に作り上げた人間の飽くなき探究心が現れている。
「ぼーっとするな、この田舎者。さっさと行かないと時間の無駄だ」
白亜の巨壁に見惚れていた私に、隣のパトリアから叱咤が飛んできた。
そうだ。今は僅かな時間すら惜しい。
「それではセントジョンさん。案内をお願いします」
「ええ、ではルート19の102に向かいます。はぐれないようにお気を付けください」
先を歩き始めた背中を追いながら、メガネをずらして《解析》を使う。
今回は見えざるものを見るのではなく、繋がりのあるものを見るためだ。というか、最近は見えざるものを見るために使うことが多いが、本来はこちらの方がより本質に近い。
そして視えたものに——私は一瞬だが思考を断ち切られた。
無論、それは私にとっての一瞬。後ろを歩いていたパトリアすら気がつかないであろう極小の断絶に過ぎない。
だがそれでも、仮にも超人の域に立つ私が一瞬とはいえ呑まれたのは確かだ。
(これは……巨大な魔術陣。これ全てが魔術によって作られたということか)
眼に映ったのは、果てしなく大地を覆うほどの魔術陣。
実際には魔術陣以外のものは見えていないので、大きさは眼に付随する感覚で測ったものだ。それでも、この巨壁が単一の魔術によって成り立っていることは確信出来た。
私の眼は軽くでも魔術的防護がなされていては役に立たない。
それでも見えたということは、魔術で作られていながらこの白亜の巨壁は魔術的弱点を突かれることはないと、設計思想から断言出来るものだったのだろう。
隠されていない。いや、そもそも隠す必要がないということか。
私が思考の片隅で確認した限りでは、この魔術的巨大建造物を魔術を用いて害する手段は思い至らなかった。
あまりにも巨大すぎる術式は、ただそれだけで演算を拒むこととなる。
視えた魔術陣を思い起こす。
果てしなく広大な領域を埋める、狂気的なほど緻密な幾何学模様たち。
視るだけで自分の矮小さを叩きつけられるであろう、圧倒的な
そうやって考えている間にもセントジョン調査官は灰色と白の石畳を進み、迷いなく白亜の巨壁へと入っていく。
「この場所からどのように移動するのですか」
「使える者の限られている《定まらぬ道》とは違い、この《
接触次元の変動を使っている訳ではなく、使われているのは空間の歪曲。
それの表しているのは、これが空間の概念が確立されてから作られたものという事実だ。
ということは——
「お前の考えている通りだよ。インターセクションは16世紀に地動説が確立されてから設計されたものだ。探究派に属するイグラハミトムが作成に着手したのが1688年。完成は僅か3年で成されたと言われているな」
「思ったよりも古いですね。現代的な印象が強いのですが」
隣に並んだパトリアは鼻を鳴らし、それはそうだろうと言って、壁に度々刻まれている意匠を示して見せた。
視線を追って見えたのは、3つの星に絡んだ曲線。
星は2種の星型多角形で構成されていた。六芒星が2つ、七芒星が1つ。
3つの星に複雑に絡まる曲線は、先端に星型多角形があしらわれていることから、彗星か何かを表しているのだろうか。見方によっては植物のように見えないこともない。
この意匠は……見覚えがある。それも、この白亜の都市に来てから毎日のように。
それもそうか。なんせこの意匠は——
「——アハトラナの紋章に同じものが使われていましたね。テリムの城の紋章にも」
「ああ、これはアハトラナに連なる意匠だ」
だが、それはおかしい。
先ほど出てきた『イグラハミトム』。それは、現魔術卿の1人を輩出している家門だ。
確か調べた限りでは遥かな昔より魔術卿を輩出している筈。
家門の格では、現魔術卿のタムリアを当主とするアハトラナに勝るとも劣らないだろう。
それにも関わらず、なぜ製作したイグラハミトムではなくアハトラナの意匠が施されているのだろうか。
私もミタルエラに来る前に事前に情報を調べている。
魔術卿の家門は4つの派閥に分かれていて、それぞれが独自の影響圏を築いているという。
イグラハミトムは『探究派』。
神秘の探究の先にこそ万人を導き、尚且つ個人の救済と安寧が齎される。そういった思想で結束している派閥であるらしい。つまりは、神秘を学問として捉えているのだ
7つの魔術卿家門で探究派に属しているのはイグラハミトムのみ。それ故に、探究派は4大派閥の中では権威的に最も下に位置する。
しかし、探究派には比較的新しい世代の魔術師が多く集うため、規模としてはかなりのものであるらしい。
『らしい』と断定できないのは、私の知識はルシルの数少ない蔵書で手に入れたものなので、確実に正しいものとは決して断言出来ないからだ。
ちなみに、アハトラナの率いている『民主派』は2つの家門を有する、権威的には4大派閥中3つ目に位置する派閥だ。
尤も、魔術卿の家門にはそれぞれの格や権力関係があるため、単純に派閥の力を表すものではない。
事実、イグラハミトムは7つの魔術卿家門の中で第3位の格を誇る。
だがそれを差し置いても、派閥を無視して安易な占有は出来ないはずだ。
4大派閥がそれぞれ別の国に等しいと考えて貰えば良い。
権威のためにも誇りのためにも、そう簡単に互いの領分を犯すことは出来ないのだ。
「私の知っている4大派閥は古い認識だってのでしょうか」
「いや、派閥は数百年前から変わっちゃいない。僕に言わせれば無駄もいいところだよ。魔術師の本分も忘れて情け……」
パトリアが何やら余計な事を口走ると、周りからいくつもの視線がパトリアを貫く。ついでに私たちも貫く。
やはり、パトリアは地雷を積極的に踏み抜く才能を持っているようだ。それが予想ではなく確信に変わった。
自分1人でやらかすのは構わないが、私たちを巻き込むのは出来るだけ勘弁して欲しいものだ。
まあ、フォローぐらいはしてあげよう。
言葉を止めて顔を青ざめさせているパトリアに耳に口を近づけて一言。
「場所と状況を考えて言葉を選びましょう」
「う、うるさい! あと顔が近い! ああもう、さっさと離れろ!」
ぶつくさ言っているが、とりあえず失言には気を配るよう意識してくれたようだ。
若干顔が赤いのは……まあ、指摘しないでおこう。
3大欲求の薄い私にはなかなか共感し難いものもあるが、それでも知識としては修めているのだから配慮ぐらいはお手のもの。
『理解』ならば私の得意分野だ。
「それで、なぜここにアハトラナの意匠が施されているのですか」
「買い取ったんだよ。イグラハミトムから2001年にな。その時に術式に大幅な改良が施されて見た目も変わったらしい」
貴族派との衝突もあったらしいが……、と話すパトリアの声には特筆すべき感情は乗せられていない。
前を歩くセントジョン調査官も私たちの会話に意識を裂きつつも、迷いなく進んでいく。反応からして、興味を持つような内容ではないらしい。
これらが表す事とはつまり、この話は知っていて当然の情報でしかないということだ。
どうやら無知を晒してしまっているようだが、好奇心に任せてもう少し話してみよう。
「これほどの魔術機構をイグラハミトムはなぜ手放したのでしょう」
インターセクションの中を見れば分かる。
行き来する膨大な人間。
所々に見える大量の荷物。
重要なインフラの一端を担っているのは間違いない。
これほどのものならば、手にしているだけで計り知れないメリットがあるのではないだろうか。
例え術式の整備に膨大な資源が必要だとしても、そのデメリットを補って余りあるメリットがあると私は考える。
権威、誇り、そして賞賛。
仮にも巨大派閥を治めるのならばどれも無駄にはならない。インフラを独占することによる実益も大きい筈だ
だが、イグラハミトムは実際に手放している。これはどういうことだろうか。
「興味がなくなったからだとさ」
その答えを、パトリアが早々に言葉にした。
「イグラハミトムは探究派唯一の7大家門。その理念は名前の通り『探究』。探究派にとって隅から隅まで調べ上げサンプルも手に入れ、尚且つ完成されてこれ以上の発展を望めないものは、なんの未練もなく手放せるものでしかなかったんだよ」
「……成程」
それはまた、愚直なまでに理念に沿った行動原理だ。
求めるものに届かないと知ればその瞬間手放し、次の探究へと歩みを進める。
(求道者、というわけか)
そう求道者だ。
求めているのは信仰ではなく、ただ神秘の果てにある真理と願い。
例え探究派に属する全員がそうではないとしても、少なくともトップに立つイグラハミトムの魔術卿は高確率で求道者に相応しい者だろう。
どこか親近感を覚える。
私も求めている。それが如何に遠いものだとしても。
『面白おかしく生きる』。その至上命題に辿り着くために必要な『楽しい』と『幸せ』。
私は何を犠牲にしてでもそれを手に入れなければいけないのだ。
——例え、世界を殺してでも。
「……」
「どうしたんだ?」
パトリアがチラリと視線を寄越す。私の様子が気にかかったらしい。
地雷を踏むのが得意だというのに、一応は空気も読めるようだ。
「……いえ、少々考え事をしていただけです。それよりも、もうそろそろ着くのではないでしょうか」
近くにあった標識にはルート19の98と表示されていた。
確か目指していたのはルート19の102だった筈だ。となれば目標に着くのはすぐだろう。
それは兎も角、標識が空間投影型のディスプレイであるのに、それを成しているのが科学と反対を向く魔術だということには、少々違和感を覚える。
どうやら、アハトラナは科学分野も多少リスペクトしているようだ。
「ええ、もう見えています。……この扉の先がインターセクションの移動機構となります」
セントジョン調査官が止まった前には、高さ3メートルほどの扉が聳えていた。
派手な装飾などはなく、シンプルに『ルート19・102』というプレートが貼り付けられているだけだ。
それでも、洗礼された細かいデザインは称賛に値する。
2001年にここまで現代的なデザインを成した設計者は、余程先見の明があったに違いない。
「
セントジョン調査官が一言呟くと、扉は何の抵抗もなく滑らかに開く。
扉の向こうに見えたのは、極彩色の光が漂う空間。
通常ならば真っ直ぐに進むはずの光が幾重にも分散された結果生まれた、通常ならば見ることの叶わない神秘のカーテン。
「色の違う光の分布が均一なのはなぜでしょう。本来ならばありえないはずなのですが」
「さあ、私も詳しい術式は知らないもので……」
「光の概念はほぼ解明されているからな。神代ではもっと単純で複雑な法則が
成り立っていたとされている。これは魔術都市であるからこそ起こる擬似的な神代の現象の名残だよ」
パトリアの説明は十分とは言い難く、それでいて抽象的なものだったが、それでも彼なりの理解が出来ていることは理解出来た。
やはり、パトリアはそれなりの知識を修めているようだ。
まあ、如何なる手段か法則を感知する彼には、それを見分けるために知識と経験が必要だったのだろうが。
私も似たような理由で魔術を学んだものだ。
「僕は先に行く。お前初めてだろ。……気を付けろよ」
パトリアはそれだけ言うと、何の躊躇いもなく光のベールへと消えていった。
何に気を付ければいいのだろう。少しだけ鼻で笑っていたことと関係があるのだろうか。
「コホン、それではお先に失礼します。酔うことがあるのでお気を付けください」
成程、酔うことがあるのか。
どのような感覚かは分からないが、自然には感じることのないものであることは予想が出来る。
いやだが、ただ空間を通り抜けることには違いないのだ。そこまで異様な感覚を覚えるものだろうか。
例えば、東京で入った拡張された空間。あれも歪曲した空間の一種だ。その時は私以外にも京介と美緒が入ったが、違和感はほぼ感じなかった。
まあ、あれは自然に感じるように調整されていたからかも知れないが。
となれば酔いの元となるのは、感覚と現実の乖離が激しいからだろうか。
魔術によって歪められた僅かな違和感が積み重なり、感覚のずれが大きくなるのだ。知覚が歪められれば、多少の不調は起こることもあるだろう。
さて、いつまでも考察していては時間が勿体無い。さっさと通るとしよう。
極彩色のベールへと足を踏み入れる。
音が遠のき、視覚が光に埋められる。
感覚の違和感はそれほどでもない。体感に異常はないし、五感のずれもほとんどない。
ただ問題なのは、目に痛いほどの極端な光たち。それは点滅してはゆっくりと揺蕩っていた。
(ああ成程、この環境ならば酔う人も出てくるか)
5歩も進めば極彩色のカーテンを過ぎ、待っていたパトリアとセントジョン調査官が姿を見せた。
「どうだった……とは聞くまでもないな。ふん、自慢の視覚は働かなかったのか」
パトリアがつまらなそうに鼻を鳴らす。
どうやら、見え過ぎる私の眼ならば不調が起こると予想していたらしい。
まあ確かに、私の眼は魔眼殺しをしていても一部の紫外線領域も見ることが出来るため、発作の起こる可能性が高かったのは否定はしない。
「酔うとは、光過敏症発作のことだったのですね」
光過敏症発作。
強い光や光の点滅などの光刺激により、異常反応を起こす症状のことだ。
確固たる原因は2050年現在でも詳しく解明されていないが、昔には日本で同じ映像を見た多数の人間が発症を起こしたこともあるという。
尤も、私は昔から普遍的な人々より強い光や点滅を見てきて耐性があるのか、発症したことがない。
「……ふん、さっさと行くぞ」
パトリアが何も言わないところを見ると、私の考察は的を得ていたらしい。
歩く出したセントジョン調査官に続きながら、たどり着いたインターセクションに目を向ける。
先ほどのインターセクションとは少しだけ内装が違う。
向こうは大衆に受け入れられやすいシンプルさを追求したものに感じたが、ここは目指した方向性が僅かながら異なるらしい。
先の場所より明らかに狭い内装に、金銀の装飾に控えめに置かれた美術品たち。
明らかに貴人を迎えるための場所に見える。
パトリアもソワソワしているところから見るに、ここは普段は立ち入ることのない場所なのだろう。
忙しそうに歩いている者たちも、所作が整っていて見事なものだ。
だが、それは貴人が身につけるものではなく訓練によって身についたものに見えるのは、私の勘違いだろうか。
そんな私の思考に関係なく、セントジョン調査官に連れられて私たちは外を目指す。
「これは……」
インターセクションの外に出ると、目に飛び込んできた光景に驚きが口から溢れた。
白い石材で出来ている。窓が小さい。高さが低い。
違いは幾つでも見つかる。
だが、極限まで削りに削った末、効率を求めたが故に辿り着くデザインは、あそこと共通するものを感じずにはいられない。
私がルシルに引き取られてから5年間見続けた灰色の森。
複合素材と強化ガラスで作られた、科学の叡智たちを収納する大小様々な人工の大樹が立ち並ぶ都市。
——そう。私たちの住む『浪川区』に、そこはよく似ていた。
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