第50話
「腎から肝への流転。この術式は木の眷属である鱗……。アロさん。どこかに鱗のある生き物を
「ちょっと待て。……腕のある蛇。ドラゴンもどきならあるぞ」
「脾臓を標的としたもの……となれば『人』という属性そのものを殺す相剋……目の中に何か捩じ込まれていますね……」
「おい、聞いてるのか」
「耳に繋がっている? いや、これは耳が最初……ああ、すいません。次は軟体動物か甲殻類を表すシジルをお願いします」
「……分かった」
「尿路結石ができかけていると言うことは、属性は水。血液が異様に少ないのは大腸と小腸……胆嚢を基点とした相剋の……だから胃が破裂しているのか。となると……」
「あったぞ。これはナメクジだ。穢れを表すものが何を表すのか」
「蛇のナメクジの位置関係を教えてください。方角を含めて」
後ろでビキリッと音がした気がしたが、気のせいだ。そんな現象は確認出来なかったのだから間違いない。
「……この……っ。ドラゴンもどきはお前の見ている死体の手に握られている! ナメクジは東だ!」
遺体の右手に目を向けると、確かにそこには腕の生えた蛇の記号化された紙片が乗っていた。
それにしても、この腕はどちらかと言えば体の端に広がったヒレに近い。それどころか角に見えていたのは……触覚か?
となると……。
「ナメクジは、これですね。……ナメクジ? 良くこれがナメクジだとわかりましたね」
「お前が軟体動物を探せと言ったんだろうが!」
確かにそうなのだが。
下半身に魚のヒレを備えたナメクジをそうと一目で理解したのは、特筆すべき判別能力ではないだろうか。それに加えて、記号として簡略化しているにも関わらず理解したのだから、私であっても称賛を惜しまない解読能力を備えているといえる。
まあ良い。今は解読が先だ。
(ナメクジは水に属する生き物。だけど、魚は木に属する)
これが表しているのは、水が木に生まれ変わる……つまりは相生の
そして腕のようなヒレを生やした蛇はその成れの果て。水から木へと変化するナメクジより後の過程を示している。これには魚が竜の眷属であることも術式に組み込まれているのか。
腎臓と膀胱は水の属性。当然尿路結石は水。これは過剰なほどの水の属性が存在していた証拠だ。
だが、体内の異様なほど拡張された血管を見ていくと、それは胆嚢に辿り着いた。胆嚢は木の属性。これも水から木への変性。
さらには、耳から目に通じる謎の繋がり。魔術的にも物理的にも、本来なら人体にないはずの繋がりが形成されている。
耳は水の属性、目は木の属性。これまた水から木への相生。
「成程、相剋を使った標的殺害の正確性を高めたのですか。となると、数霊は的を絞るための補助……いや、これは全く違う術式と繋がっているのですね。ひとまずは後回し」
木の属性からの相剋は土の属性を滅ぼす。土に属する生物は人そのもの。
だが、本来ならば木の属性は東に置かれるのが普通だ。竜ですらない成り損ないのナメクジ魚が置かれているのは、おそらく相生をより強く表すための概念。
そして、木に属する筈の蛇が東ではなく遺体の体……すなわち中央に置かれているのは、相剋を考えれば当然のこと。
そして土の司る方向は中央。
そこに木に属するものがあると言うことは、木に属するものが
「狙われたのは土に属する脾臓、胃……そして口ですか。良く見れば眼孔の下が溶け落ちて口と一体化してしまっていますね」
「おい」
「となると、口を破壊して胃へと入り破壊。それとは別、胆嚢から血液を通じて脾臓を破壊」
「おい!」
「すいません。もう頼むことはありません」
後ろから歯軋りと共に、今一度ビキリッと音が聞こえた気がした。
流石の私でも怒りの感情を感じたので振り返ると、パトリアは青筋を浮かべながら私を見下ろしていた。
これは
「……僕に伝えるべき情報は?」
「ありませんね」
「……ギリっ」
そんなに歯軋りをしていると奥歯が削れてしまう、というのは言葉にするまでもなく分かっているだろう。
そうであっても感情に伴う行動を合理的に止められないのが人間というものだ。
おっと、パトリアが無意識にだろうが首筋を強く掻きむしり出した。これは相当ストレスを感じているらしい。
揶揄うのも大概にしないといけないようだ。
「すいません、冗談です。揶揄ってしまいました」
「お前の表情から見分けがつく訳ないだろうがっ! せめて声の抑揚でも付けとけ!」
「努力します」
パトリアは感情豊かで観察しがいのあるので、機会があると揶揄ってしまいたくなる。
上質な感情……という表現もおかしいだろうが、人間らしい感情の蒐集も捗るというものだ。
だがやり過ぎるのは良くない。彼が嫌がるのならば、今はこの程度で満足しておこう。
「もういい! さっさと情報を寄越せ!」
「そうですね……まだ五行思想までしか解析出来ていませんが、それでもよろしいでしょうか」
「簡単に説明しろ」
五行に関する基礎的な知識を交えながら説明を聞かせると、パトリアは自ら渡した紙片の情報を補完し、30分ほどで理解したと頷いて見せた。
「……」
「何だ?」
「いえ、流石はハナカザさんに呼ばれた魔術師だと思っただけです」
相生に相剋。五虫、五臓、五腑、五獣に五液、そして五方。
それら全ての意味を理解して、さらに相互関係まで完璧に思い描いて見せたのだ。それも初めて聞いた法則について。
並の人間ではこうはならない。
尤も、頭に電極とチップを埋め込んだ人間ならば、1分もあれば成し遂げるだろうが。
それを差し引いても、パトリアの理解力は高い。
1週間で日本語の読みと発音、文法をマスターしたエマには劣るだろうが、それでもパトリアの柔軟性は特筆すべきものだ。
「……僕には誇れるものがそんなにない。正直なんで魔術卿に呼ばれたのかわからないぐらいだ。……でも、このぐらいはして見せる。お前に負けるのも癪だしな」
「そうですか」
「むしろ、お前がそこまで深い知識を持っている方がおかしいだろ。決闘会は見た。純粋な身体能力と技術で押し切っていくのがお前だ。魔術なんてお前には関係ないだろう」
まあ確かに。言いたいことは理解出来る。
形のない魔術ならばともかく、目に見える魔術など私にとってはただの障害に過ぎない。
そもそも、私には魔術が視える。
そこから魔術の効果を予測することも可能だ。概念の習得は必ずしも必要なものではない。
だがまあ、昔の私はそうは考えなかったというだけだ。
なんせ、そうすれば守れると思ったのだから。
「さて、なぜでしょうね」
……今は置いておこう。関係のない話だ。
「ふん、そうか。良いからさっさと解析しろ。犯人を捕まえるんだろ」
「その前に、何か質問はありませんか」
「そうだな……わざわざ水の属性を木の属性に変えた理由は分かったか? 人間が土の属性ならば直接
「いいえ、私では何故なのかを特定することは出来ませんでした」
「ふん、だろうなっ」
パトリアは口元に得意げな弧を描くと、片目を瞑って私を見下すように眉を上げた。
僅かに跳ねた声音が、パトリアの気分が高揚しているのを伝えてくる。
何だろうか。何となく気に入らない。
相も変わらず仕事をしない表情筋の下で、私は不満に似たものを感じていた。
そんな私を気にもせず、パトリアは位置を移動して一枚の紙片を指し示して見せると、得意げに口を開いた。
「これが何か分かるか?」
「……水のシジルと……東を表す記号、ですか」
「そうだな。だが良く考えろ。死体から見てここはどの方角だ」
「……西です」
先ほどパトリアの示した方角を参考にするとそういうことになる。
尤も、ミタルエラでは特殊な方位磁石以外は正常な方角を示さないようなので、地球の方角と同じかは私では判断できないが。事実ストラップとして付けていたコンパスはイカれてしまっていた。
それはいい。魔術師の巣窟なのだからその程度は起こるだろう。
だが、パトリアの示したものは確かに注目に値する情報だ。
エグリムが殺されたこの場所には祭壇が築かれていたわけではない。それにも関わらず方角という巨大な要素に矛盾を抱えてしまうのは、術式から考えてあり得ない事だからだ。
そもそも、私の眼にはそんな矛盾による破綻は視えていない。
ということは、この矛盾は意味を持って術式に組み込まれているということだろう。
「シジルは何色で描かれている?」
「白です」
言われてみれば確かに、紙片には黒地に白でシジルが描かれている。
遺体の周りに散らされた紙片は白だけでなく赤や青のものもあるので特段意識はしていなかったが、考えてみれば違和感があった。
他の紙片は紙色以外は全て黒で描かれている。これは分かる。
黒は水に属する色だが、古来より記録は手に入りやすい黒で記録されてきた。故に黒には半ば属性に囚われない性質があるのだ。
黒い紙片はこれ1枚だったので、苦肉の策で白で記されたと思い込んでいた。
パトリアの態度から考えるに、これにはしっかりと意味があるらしい。
「西に白、そして水。これで思いつくことはないか? まあお前如きで……」
「ガブリエル」
そうか。
四大天使にして西と水を司る天使、そして白の光線を導く天使といえば、それはガブリエルしかいない。
それならば方角の矛盾もある程度は抑えることが出来る。
ガブリエルはダイモーンに代わり人と神を繋ぐ存在。その中には『調和』を示す力があるのだから。
そしてそれが魔術基盤を成り立たせていると考えれば……まだ少し違和感が残る。記号を読み解くまで断定は浅はかだろう。
「……ふん、そういうことだ」
つまらなそうに鼻を鳴らしたパトリアに、私はしてやったりと胸を張った。
尤も、伝わってはいないだろうが。表情筋が仕事をしないからだ。決して胸がないからではない。ないったらないのだ。
「それにしてもよく気が付きましたね。私では気が付くのに後小1時間はかかりました」
私より早く魔術基盤を解析したわけではないだろうに、ガブリエルに辿り着くのが異様なまでに短かった。五行思想で欠けた情報を補ったにしても、魔術を視ることが出来ない者の理解力ではない。
いやまあ、たまたま知識にあった情報が揃っていたということかもしれないが。それでも、それを確かめるすべを持たないにしては断定が早いのは事実だ。
と、そんなことを考えていた私の思考が、断ち切られる————
「お前、魔術が視えてるだろう」
————予想外の方向からの切り込みに、体が止まった。
「何を言っているのか……」
「魔術だけじゃないな。純粋な構造も視えてるのか? そうじゃなければ説明がつかないものな。それでも、魔術が視えるのはどうしてだ? 単なる魔眼じゃないだろ」
私の眼が特異なものであるのは察せられてもおかしくはない。
切り開いた訳でもないのに遺体の内臓の状態にまでも言及したのだ。むしろ魔術師ならば、魔術師でなくとも異常に気が付いて当然だろう。
だが、魔術が視えると断言されるとは予想していなかった。
理由は簡単、原理的に魔術が視える筈がないからだ。
「……どうして気が付きましたか」
「お前の解析は正確すぎる。単一の原理だけを切り取ってその範囲だけを的確に解体していく……まるで結果と範囲が最初から解っているようにな。殺害に使われた概念は複雑に絡み合っているし、城やあの神秘祭儀局の男が使った魔術基盤もあるのに、五行思想だけを基盤に解析するなんて不可能だろ」
成程、パトリアの言い分も尤もだ。
パトリアは不可能と言い切ったが、そこは時間をかければ可能な筈だ。ルシルならば私に迫る速さでの解析も可能だろうし、恐らくは、ジャックやエグリムであっても多少は時間がかかっても可能なはず。
それを差し引いても、私の解析速度と解析方法が異常なのは認めよう。
普通ならば、魔術基盤の分析は概念を並行して解析・確立を成すのが通常。
私も普段はそうして魔術基盤を暴いている。
それはパトリアにいう通り、通常は魔術基盤に使われる概念が複雑に絡み合って成り立っているからだ。
それを最初から単一の原理で読み取ろうとするのは、絵画を見て使われた絵具、道具、環境、人物、時代を一目で理解するに等しい暴挙。通常はあり得ない。
「それにお前は《概念》を解析していたが、現象は最初から理解していたからな。つまり、お前が視ていたのは概念じゃない。それに加えて過程が解らなかったということは《魔術基盤》を視ている訳でもない。同様の理由で術式でもない。となると、後は結果である《魔術》を視ているとしか考えられないだろう?」
清々しいほどその通りだ。
異論など挟めないほどに、完璧なまでに完成された推察。少なくとも、私から見てそれは正しすぎるほどに正しい。
やはりパトリアは特別だ。
ああ本当に——……
「……素晴らしいですね」
「ふん、当然だろう。なんせ——」
「絶対性を持つ法則を感じることが出来るとは本当に素晴らしい」
パトリアの動きが、ピタリと止まった。
表情は歪になり手は震えて、目は瞳孔が開き視点が彷徨っている。
まるで、予期せぬうちに心臓を直に掴まれ、未だ状況が理解出来ていないかのような表情だ。
……少々具体的過ぎただろうか。
私が経験したことがあったので思い浮かんだのだが、通常そんな状況に陥ることはないため例えとしてはあまり良くないものだろう
まあ、そんなことはどうでも良い。
「——な、んで」
「なぜでしょうね。強いて言うなら……私は昔から思い描いて理解することが得意なのです」
曖昧な言葉で誤魔化したが、予想出来るだけの証拠はいくつかあった。
エマの精霊を感知したこと。
私を人間でないと断定したこと。
五行の結びつきをすぐさま遺体に対応させてみたこと。
ガブリエルの魔術基盤に最初から気付いていたこと。
尤も、最後のものに関してはさっき気が付いたばかりだが。
「使われ終えた概念に気が付いたことから魔術を感知した訳ではない。同様の理由から魔術基盤でも術式でもない。五行思想の知識があっても結果・過程が解らなかったことから概念そのものでもない。となれば、後は法則を直接感知しているとしか考えられません」
魔術を扱うにあたり避けることの出来ない縛り。絶対性を持つ魔術を最も制限するものにして、最も自由を与えるもの。
それはたとえ魔術が果てようとも、それを表す痕跡が消滅するまで消えることはない。
《概念》は『結果』『過程』を内包するが、《法則》はただの『手段』だ。『公式』と言い換えても良い。
だから読み取れても知識がなければ何を示しているか解らない。例え何が起こせるのかを分かってもだ。
「安心してください。誰にも言いません」
未だフリーズしたままのパトリアに言うが反応がない。
試しに近づいてみるが、焦点がブレてしまっていてまともに見えていないようだ。
恐らくは頭の中であることないこと考え過ぎているせいで、現実を上手く知覚出来ていないのだろう。
余程言い当てられたのが驚愕だったようだ。
「大丈夫ですか」
「冷たっ……!?」
パトリアの首に手を当てると、驚いたように飛び跳ねてから、私に向けて感覚の焦点を当てる。
冷たい……まあ、確かに私の平均体温は通常よりも低いから、神経の集中している場所に触れればそう感じるだろう。
「おまっ……! 僕のことを誰かに言ったりしたら……!」
「それは私からも言えることです。私は魔術を視て、貴方は法則を感じる。どちらも魔術師に知られれば碌なことになりません。ですから契約です。私も貴方も口を噤み、第三者に知られないようにする。異論はありますか」
パトリアは乱れた息を整えると、何かを測るように思考した後、無駄に飾った仕草で胸を張った。
「ふん、良いだろう、契約だ。お互い破れば不利益しかないからな」
「私にはルシルがついているので実質的に関係ないのですがね」
「そんなの反則だ! 僕だけ不利じゃないか!」
「冗談です。契約は守りましょう」
「だから! 感情の死んだ顔で言われても分かるわけないだろうが!」
そこは諦めてもらうしかない。
私の無表情に死んだ魚の目が合わさって自殺願望者の顔になっているのは、いくら治そうとしてもどうにもならないのだから。
「さて、それでは解析に戻りましょうか。今からは最初から協力していただけますよね」
「いいだろう。僕が力を貸すことを泣いて喜ぶと良い」
「今日中にテリムさんの遺体も調査します」
「分かった。前回調べた時の《感覚》をメモしたものが部屋にある。一旦取ってくるぞ」
「ありがとうございます」
話がスムーズに進んでくれる。
なんだ、見下してはいてもパトリアは否定はしない。それは客観的に見て善性に属するのではないだろうか。
これはいい関係になれそうだ。
まあ、魔術の視える私には及ばないだろうが、少しは頼りにしておこう
この後、パトリアが協力することで先ほどの6割り増しで効率が上がり、負けず嫌いの私が無駄な抵抗心を発露させたのは、また別の話だ。
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