第49話

「それで、どこに行くんだ」


 大層不満そうな声をしながらも、私について来ることは認めてくれたようだ。

 掴んでいた腕を離して振り返り、正面から顔を合わせる。

 パトリアは突然の行動に驚いた顔をした後、なぜか目を泳がせて顔を背けた。


「どうかしましたか」

「い、いや、何でもない!」

「そうですか。では、説明します」


 小声で顔だけは良いだのこいつは人間じゃないだの口の中でモゴモゴ言っていたが、全て判別出来ていると知ればどのような反応をするのだろうか。


「私に見惚れましたか。すいません。黙っていれば顔だけは良いものですから」

「ブッ!?」

「ルシルには劣るでしょうが、見るだけならばいくらでもどうぞ」

「な!? な!?」


 成程、パトリアはこういう反応をするのか。

 つい好奇心と悪戯心とでも言うべきものが顔を出してしまったが、これはこれで良いものが見られた。

 感情の蒐集としては予想外に良いものだ。


「笑顔は見せられませんが……」

「ふ、ふざけるなっ! いいから僕を拉致した説明をしろ!」


 更なる感情を見せてもらえると期待したのだが、先に立ち直ってしまった。これは残念。

 まあ、今も呼吸と思考が乱れているようなので突けば色々と見られそうだが、今回はそれが目的ではない。ここは言葉通り説明するとしよう。


「今からエグリムの遺体を見に行きます」


 瞬間、パトリアの顔が強張る。

 

「……何のために」

「勿論、犯人を特定するためです」

「それならなんで僕なんだ? あの調査官やアハトラナ卿なら納得する。でも僕には何の肩書きも称号もない。はっきり言ってお前の行動の意味が分からない」


 そう言うのか。

 確かに、パトリアはこの城にいる人間の中で最も

 力だけの話ではない。

 力、技能、精神、思考、そして神秘。どれをとっても、私から見ても確実にが足りない。完全性がないと言い換えても良い。

 使用人を数に入れてもエリックはおろか、談話室にいたメイドにも及ばないだろう。

 だがそれでも、私は他の誰でもなくパトリアを選んだ。

 なぜならばパトリアが最も——……


「……それは、貴方が最も人間らしかったからです」

「はあ? それならアハトラナ卿の方が怒って……」

「エマが言っていました。ハナカザさんからは聴いたこともない音が聴こえる、と。エマはさまざまな事象を音として聴く能力を持っています。他者との交流が少なかったとはいえ、人との接触は増やして来ました。そんなエマが聴いたことのない音を発する人間……私から見れば確証が取れるまで、あまり積極的に関わることは避けたいですね」


 そうでなくとも、タムリアにはどこか違和感が残るし、疑わしいところも払拭出来ない。

 例えばそう。2ところなどだ。


「セントジョンさんは信用出来るらしいですが、彼はあくまで役割としてこなしているに過ぎません。であるならば、最もこの事件に心を砕いている貴方を選ぶことの何がおかしいでしょうか」

「……それだけか」


 まだ疑わしげだ。私に対する疑念はまだ深いらしい。

 それならば、もっと直接的に伝えたほうが良いだろう。なんせ、パトリアはあまり頭を使うことに慣れていないようだから。


「私は、貴方が好きです」

「ブッ! な!? な!?」

「人に埋もれながらも特異な輝きを放つ。ただ自らの心……信念を以て。それは私にとって、あまりにも妬ましいものです。私には『楽しい』も『幸せ』もない。だから、貴方のその輝きを信じるに値するかを押し測る」

「……」

「正直言いましょう。私にとって、。軽蔑していただいても構いません。これは私の……私だけのエゴなのですから」

「……はぁ」


 なぜだろうか。

 軽蔑されるか批判されると思っていたのだが、予想に反してパトリアは苦い顔で頭を押さえ、そのまま何ともいえない溜息を吐いた。


「分かった。さっさと行くぞ」

「乗り気になりましたか」

「勘違いするな。僕はただ単に犯人が分かればそれで良い。お前はそのための道具だ」

「道具……私を拒絶しないのですね」

「……善悪で、お前は悪じゃない。少なくとも今は。……それだけだ」


 善悪、か。

 どうやらパトリアの基準を何とかクリア出来たらしい。

 まだ善悪の天秤が善に傾く訳ではないようだが、それでもある程度の釣り合いは取れている、といったところか。

 それ以上は口を利かずに、黙々と現場へと足を向ける。

 暫くすると、エグリムの遺体が見えてきた。

 血の匂いが全くと言って良いほどしないのは、セントジョン調査官の魔術によるものだろう。

 今は魔眼殺しのメガネをかけているが、ルシルの調整のおかげである程度は《視る》ことが出来ている。


「それで、まず何を調べる?」


 パトリアが首元を押さえながら聞いてくる。

 僅かに眉間に皺が寄っているが、何かあったのだろうか。私は何も感じなかったが。

 まあ、今はどうでもいいか。


「どのような手段で殺害されたのかを調べます」

「そんなの魔術に決まっているだろう。さっきお前が魔術系統まで特定してたじゃないか」

「ええ、ですから今回はどのような魔術基盤が使われ、どのような作用を引き起こしたのか。それを特定します」


 パトリアは少しだけ驚いた顔をしながら、私に目を向ける。


「……そんなことが可能なのか」

「魔術といえど法則があり、枠があります。それを紐解けばどのような魔術であろうと解析出来るでしょう」

「それは理論上の話だ。もしそんなことが出来れば……」


 続くのは『魔術は他の魔術師にとっての脅威とならない』と言ったところか。

 魔術の性質が分かれば対策をすることもできるし、魔術基盤が分かればそれを逆手に取って利用することも出来る。魔術師同士の戦いは、情報戦が半分だといっても過言ではない。

 それは魔術世界における常識であり、故に魔術師は魔術基盤を隠匿するのだ。


「私は私で手札を持っていると言うことです。それでは、早速始めましょうか」


 メガネを外してエグリムの遺体を視る。

 薄く揺蕩う魔術の波。それは極彩色の輝きを伴って、遺体を覆っていた。

 そこからセントジョン調査官のかけた魔術と城そのものが関係している魔術を判別して、エグリムの死因となった魔術を炙り出していく。

 城の概念を使われた可能性もあるので断定は出来ないが、これでいくらか絞ることは出来るだろう。


「やはり主な魔術基盤は陰陽五行思想と数霊のハイブリット、そしてそれを扱いやすくするためのシジル化ですね。後はモダンマジックが2割ほど。何とも混沌とした術式です」


 本来、2つの概念を両立させるのですら難しいと言うのに、この混沌具合は何だろうか。

 陰陽五行思想と数霊はまだ良い。片方が多少大陸の思想が色濃いといえど、それでも日本の魔術系統だ。

 シジル化もまだ理解できる。そもそもが神秘に形を与えて望みの属性を持たせるのがシジルの本質なのだから。多くの概念と相性が良いのは当然だ。

 だが、そこに科学的思想が混ざると難易度は跳ね上がる。

 魔術とは《未知》に《概念》を与え現界させるのが《魔術》。

 そして魔術的解釈では、《未知》とはその星の霊長が知覚していな領域のことを指す。

 つまりは、魔術は基本的には人類の及ばない領域に手を伸ばす術理と言える。

 だがいくら手を伸ばそうとも、人である限り未だ神秘のベールに隠された《未知》を知覚することは出来ない。

 だから魔術師は《未知》に既知である《概念》を付与することでそれを人の次元へと引きずり下ろすのだ。

 だが、『科学』はすべからく既知。神秘のベールを引き裂き、未知を切り開いた先にあるものこそが科学なのだ。

 だからこそ科学的概念は《未知》から最も離れたものであるし、暴かれた《概念》は魔術に適さない。

 実際、AIが発達してからは自律思考を有した自動人形オートマタは廃れたと書物に記されていた。

 故に、この場で使われた魔術基盤は、見事なまでに狂気じみた執念によって成されていると言えるだろう。


「まずはメインの五行思想と数霊を解析していきましょうか」

「……そんなことも分かるのか」

「ええ、日本においての魔術事件に関わったことがあるならば、この手の術式の知識は必須ですからね」


 と、その前に。

 ポケットから一枚の紙片とペンを取り出し、図を描いていく。

 パトリアには陰陽五行思想に関する知識がない。特定を始める前に軽く基礎知識を与えておくべきだろう。

 まずは、『wood』『fire』『earth』『metal』『water』を等間隔に配置して、それを時計回りの矢印で結んで五角形pentagonを作る。さらにそれぞれを矢印で結び中心に五芒星を描けば完成だ。


「……これは」

「五行思想の基本的な構成です。五角形は矢印の根元から先へと生まれ変わる……これを相生そうしょうと言います。五角形は根元の元素が先にある元素を打ち滅ぼす……これを相剋そうこくと言います」

「なるほどな。万物は流転しながら移り変わる、という思想か。だが、第一質料プリマ・マテリアに相当するものがないな」

「いえ、陰陽の思想には原初の混沌がありそこから陰と陽が生まれたと言う思想があります」

「何だそれは? 全く同じ始まりじゃないか。……元素変換の思想が違うか?」

「そうですね。基礎属性が基本的に移り変わることのない西洋の四大元素と違い、五行思想は万物が文字通りしますからね」

「そうなのか。……今度調べてみるか」


 パトリアは好奇心も旺盛で学ぶ意欲もある。

 私とは違った意味で知識を求める意思があるのだろう。


「説明を続けますが、万物万象には五行いずれかの属性があり互いに影響しあって巡っていく、というのが五行説です。例えば、目は木属性、舌は火属性、耳は水属性と言ったようにですね」

「そこに陰と陽が関わってくるのか」

「本来ならば。ですが、今回に限っては陰陽の要素はあくまで五行に沿ったものばかりのようですので、そこまで深く考える必要はありません。あるとすれば……生数と成数あたりでしょうか。軽く説明しますと……」

「いやいい。お前は解析に注力しろ。僕が役に立つ情報が手に入れば伝えろ。今はそれだけで良い」


 右手首をさすりながらそう言うパトリアの顔は、眉間に皺が寄っていた。

 この場に来てからずっとその表情だが、何か理由があるのだろうか。

 役に立たない苛立たしさ……もあるだろうが。これは……どうやらそれだけではないようだ。

 まあ良い。今はパトリアの言葉通り、私に出来ることをなすとしよう。


「さて……」


 まずは、《透視》を使い遺体の状態を把握するところからだ。

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