第48話

 6月5日。

 30日から始まった決闘会が途中で挟む、1日だけの休息日。

 本来ならば連日の戦いで負った傷や疲れを癒やし、また敵を研究するための時間とする者が多いであろう短過ぎる休み。

 だが、そんな1日の朝は、最悪の時間から始まった。


「まさかこうなるとはな」


 タムリアの言葉が廊下に響いた。

 何の感情も聞き取れない声だ。

 だが、それに付随したどこまでも冷たくどこまでも底が知れない瞳が、タムリアの怒りと屈辱を表している。

 恐ろしい。

 周りが今のタムリアを恐ろしいと感じることが、私であっても理解できるほどに、彼女は冷たい刃物のような畏れを纏っていた。


「アハトラナ卿。今は感情で物事を進める場ではありません。事件解決のためにご協力お願いします」

「分かっている。だが、私の敷地でこうも好き勝手されて憤怒を覚えるなと言う方が不可能だ。……お前も覚悟しておけ。手下人を捕まえられなければどうなるか、分かっているな?」

「……え、ええ……承知しております」


 タムリアがセントジョン調査官を脅しているのが耳に入ったが、この場の多くの意識は別のものに奪われていた。

 思わず鼻を啜るほどの周囲一帯の血生臭さ。

 床一面に広がる赤黒い血溜まりと、その中心に横たわる人間だったもの。その白かったローブは血液の色に染まっている。

 撒き散らされ、ものによっては血に浸った紙片には、魔術陣らしき幾何学模様が描かれていた。

 これが魔術世界でなければ猟奇殺人と言われるだろう惨状だ。

 

「少々失礼します」


 セントジョン調査官はそんな殺害現場に近づくと、懐から出した木彫りの像を廊下に配置した。

 決して現場を荒らしているわけではない。魔術的に現場を保存しようとしているのだ。


「『死は土に還る。水は流れを留める。火は翳る。ブンバよ、この者の体をとどめたまえ』」


 セントジョン調査官は最後に一際小さな像をへし折る。

 外の現場でこんなことをしている調査官がいたら即刻精神病院行きだろうが、生憎、魔術世界においてはこれこそが主流なようだ。

 この儀式を当然のように受け入れられる私は、すでに魔術世界に毒されているのだろう。

 外の常識に疑問を抱く日が来ないかが心配だ。

 私自身以上に、エマに対してそう思う。

 エマにはぜひ魔術の関係ない常識というものを学んで、それを元に自立出来る日が来て欲しいものだ。

 そんなこと現実逃避気味に考えている間にも、セントジョン調査官は古めかしいカメラで現場を写すと、メモリーカードを取り出して簡易式の印刷機へとセットする。

 当たり前のように使っているが、日本ではメモリーカード式の記録媒体を使ったカメラの製造は、10年ほど前からほぼ停止している。

 それを考えると、魔術師たちの機械への接し方の断片が見えるというものだ。


「皆さん、談話室に移動しましょう。この場では気分の悪くなる方もいるでしょう。使用人の皆さんは現場を荒らさないように」


 セントジョン調査官の一言で、全員が移動し始める。

 誰も遺体に後ろ髪引かれないのは、魔術師ならではの生死感からだろうか。それとも、ここに居る人物たちの人間性からだろうか。


「っ……」


 いや、誰も遺体に意識を向けていない訳ではなかった。パトリアが一度振り返っては苦い顔をしている。

 成程、パトリアは人の死に慣れていないのだろう。少々顔色が悪い。

 

「お姉ちゃん。行こう?」

「そうですね」


 パトリアには後でフォローをしておこう。

 まあ、私のフォローがどれほど効果があるのかは疑問だが。

 先を歩く背中について行きながら、私はそんなことを考えていた。





     †††††





 談話室には軽めのホットサンドと香り高い紅茶の芳香が満ちていたが、席に着くほぼ全員が硬い表情を浮かべていた。

 まあ、私はいつも通りの自殺願望者の顔をしているだろうし、エマに関しては変わらぬ笑みがミスマッチしている。

 何にミスマッチか?

 このお通夜どころか夜中の墓地そのものといった空気にだ。

 よって、今この場で響くのはカラトリーと食器が当たる僅かな音のみ。

 それも、不用意に音の1つでも立てれば即刻目のかたきにされそうな、張り詰めた緊張感に支配されている。

 それもその筈。なんせここにいる人間のほとんどが他の者に対して疑念と敵対心を持って監視しているに等しいのだ。

 空気が悪くなるのも仕方ない。

 セントジョン調査官に至っては、部屋の隅で立ったまま席に着く私たちを疑い深く観察している。

 理由は知らないがセントジョン調査官は犯人ではないと断言できるらしいので、彼は使用人を除いたこの場で唯一疑念を向けられない人物だ。


「……」


 エマはとっくの昔に食べ終わって、角砂糖を6つも入れた紅茶をおかわりしている。折角高い紅茶であろうに、こうなれば味はほぼ関係ない。

 ニコニコとした表情は場にそぐったものとは言えないが、空気を読んで言葉を最小限にしているだけマシだ。

 今この場で南フランスらしい鮮やかな茶器——マルセイユ近辺のオーバニュで作られたこっくりとした黄色タッス・ア・カフェ——が似合うのはエマだろう。

 そんなエマともう1人、空気なんぞ知ったことかといった気合を振りまく人間がいる。


「……ほう」


 こちらも言葉を最小限だが、それは味わっているお酒に集中しているだけだ。

 そんでなければ今すぐ席を立ってタバコを燻らせ始めるだろうから、これを指示したタムリアは彼女の行動を良く分かっている。

 隠すまでもない。ルシルだ。

 もうすぐ空気も読まずに喋り出すだろうから、その気遣いに意味があったのかは判断に困るところだが。


「リキュールはあまり飲まないが、これは美味いな。糖分は基準ギリギリまで減らされていて口当たりも良い。だが、これは二種類以上の蒸留酒がブレンドされているようだ。手法はエッセンスでラベンダーにベリー、これは……梅か。珍しい。癖を良く理解しているな」


 ほらこの通り。

 いつもは黙っているのに、放っておけば喋って欲しくない時に限って饒舌になる。それがルシルという人間の一側面だ。

 流石に5年も一緒に住んでいれば嫌でも分かってくる。

 パトリア以外は慣れたものだ。意識を向けないようにしながら、黙って食後の紅茶を味わっている。

 尤も、部屋の主であるタムリアはカップに手をつけずに、苛立たしげに腕を組んでいるが。

 さっさと話を始めたいようだが、もてなす側であるために自ら客人の邪魔をする事はしない。貴族というものの窮屈さが表れている。

 それから2分ほどおいて、周りが落ち着いたことを確認したセントジョン調査官が口を開く。


「さて、皆さんも見た通り


 そう、今朝遺体が見つかったのはエグリムだ。

 私が彼に関わることは少なかったが、それでも惜しい人を無くしたと思う。

 初対面の私をルシルの娘という色眼鏡で見ていないことは、僅かな仕草からも察することが出来た。

 そして、私を厭うことも羨望することもなく、しかし無関心ではなかった。そんな彼に私は聖人に相応しいという考えすら抱いていたのだ。

 大袈裟だと思うだろうか?

 彼の姿を見て、彼の声を聞き、彼と言葉を交わす。その機会さえあれば、同じ事を思う人間は多いと思うのだが。

 聖人らしい行動は見たことがない、そいでも私はエグリムを聖人らしいと思ったのだ。

 砂漠の中の古い遺跡を思わせるエグリムには、そう言わせるだけの一種のカリスマ……指導者の素質を持っていた。


「殺害方法は魔術で間違いありません。それは一目で分かったでしょう。なんせ、今回は祭壇が築かれていませんでしたから」

「加えて、使われた魔術系統も特定した。そうだな……エイ・アサガミ」

「ええ」


 まあ、特定は難しいことではなかった。なんせ、

 尤も、そのものではなく近いものがあった、というだけなのだが。


「犯人が使ったのは陰陽五行思想と数霊かずだま、そしてシジルの応用ですね」


 紙片に描かれていた幾何学模様は、陰陽五行思想の星を表す模様と定型文を記号シジル化したもの。

 それを起点にエグリムの体に干渉するシンプルな術式だ。


「インヨウ……東の魔術か。確か大陸の魔術を真似たものがジャパンで使われたとか」

「五行思想はそうですが、数霊は神道……つまり日本固有の信仰です。シジルについては貴方がたの方が詳しいでしょう。つまりは東洋魔術と西洋魔術のハイブリット。ここまで言えば、耳聡みみざとい人ならば気付くことがあるでしょう。」


 私の言葉に空気を変えたのはタムリア、ジャック、そしてセントジョン調査官。

 まあ、妥当なメンツだ。

 パトリアも分かったような素振りをしていたが、フリだけだろうと私は確信している。

 ルシルは……分かっていても何の変化も見えないからいい。


「……決闘会の敗者狩りか」

「ええそれです。尤も、敗者でない私も襲われていますから『敗者狩り』と言えるかは疑問ですが」


 そう、以前私とエマを狙った白狐の仮面の刺客。彼らの使っていた魔術も日本のものだった。

 使っていたのは丁度、《数霊》の魔術。

 これを偶然と考えるか必然と考えるか。


「調査官、アサガミの言うことに間違いはないか?」

「ありません。アサガミ氏自身の捕まえた魔術師から読み取れた情報とも一致します」


 セントジョン調査官が毅然と答える。

 それにしても、私が捕まえたのはエルファントの殺害された前夜なのだが。いつの間にあの魔術師たちに関する情報を得たのだろうか。

 話によるとセントジョン調査官は一歩も城から出ていないらしいのだが。

 何らかの外部通信の方法があるのだろうか。


「となると厄介だな。ただでさえ潜在的犯人は多いというのに、外部犯だったら特定は絶望的だぞ」


 ジャックの言葉に場の空気が重くなる。

 が、そんな中で未だリキュールグラスを手放さないダメ人間が、なんてことないように声を上げた。


「所属を絞れ」

「何?」

「外部だろうが何だろうが犯人の所属を推測しろ。永。1つ聞くが、使われている術式はセフィロトが混じっているか?」

「4%ほど。ほぼ無視出来る程度です」

「西洋魔術ならば、な。シジルが使われているとはいえ日本の系統が基本ベースにあるのに混じるのは、はっきり言って不自然だ。ん、?」

「質量保存に流体力学系と慣性系、後はなぜかアモルファス関係が」


 ルシルはどこからか現れたメイドにリキュールグラスを満たさせる。

 メイド? この城に来てから初めて見た。どこにいたのだろうか。


「現代物理学に基づく限りなく科学に根ざした現代魔術モダンマジック。それをお前らの『高貴な』魔術と融合させた組織がいなかったか? それもそこの老女が直々に殲滅隊を差し向けた奴らが」


 パトリアは汗をかきながらも、顔を強張らせて頷いている。

 分からないならば分からないでいいと思うのだが。その行為が自分の首を絞めるとは思わないのだろうか。

 エマは相も変わらずふわりとした笑みを浮かべている。

 こちらはこちらである意味本意の読みにくい反応だ。まあ、何も分かってはいないだろうが。


「金枝の使者、か。あの狂人どもがこの件に関わっていると?」

「さてな。それを考えろと私は言ったんだぞ。……ああそれにしても、『狂人ども』、か」


 ルシルは何がおかしいのかくつくつと喉を鳴らす。

 が、急に表情を崩すと不機嫌そうに立ち上がり、そのまま部屋の外へと出て行こうとする。


「お待ちください。どこへ行くのですか」

「部屋で寝る。朝早く起こされてこれじゃあ興味も湧かない」

「貴方が疑われますよ」

「疑えばいいさ。それが時間の無駄だと思わないならばな」


 結局、ルシルを引き止めることは叶わず、その背中を見送ることしか出来なかった。

 セントジョン調査官はため息をつくと、タムリアにお伺いを立てるように視線を向ける。


「出て行きたい奴らは出ていけ。こんな所で時間を無駄にする方がふざけている。だがな……アハトラナ当主が告げる。私に各々の『力』を献上しろ」


 絶冬の空気を、視線を、威光を、それら全てを惜しみなく部屋に満たしながら、タムリアは傲慢にも告げる。

 セントジョン調査官が、パトリアが、冷や汗をかきながら息を呑むのが感じられた。

 パトリアに至っては顔色真っ青で呼吸が乱れてすらいる。

 まあ、タムリアの威圧を前にそれだけ耐えられれば上出来だろう。


「エマ。部屋に戻っていてくれますか」

「お姉ちゃんは……そうなんだ、うん、へー。……分かった待ってる」


 精霊から何か聞いたらしい。若干納得がいかない顔をしながらも、それでも従ってくれた。

 エマと席を立った後、エマは扉へ、私は向かいの席へ歩を進める。

 未だタムリアの冷たい威光を前に震えている彼には悪いが、ここは空気を読まない態度で話をつけよう。

 どうやら彼には多少強引に行った方が効くらしいからだ。


「アロさん。少々お付き合いいただけますか」

「な、何言ってるんだ? この部屋から出るのは疑われにいくような……」

「ここにいようといまいと関係ありませんよ。では、行きましょう」

「い、嫌だぞ。って、痛い痛い肩が痛い!」


 煮え切らない態度のパトリアの腕を引いて強引に立ち上がらせる。

 骨細で肉付きの悪い体だ。そんなもやし体型では、合金すらへし折る私の基礎身体能力に抗することなど出来ないだろう。


「お前はゴリラか!?」

「すいません。私はゴリラを見たことがないので、私との合致率は分かりません」

「真面目に答えるな! 分かった! ついていくから手を離せ!」


 そんな私たちの背後で、ジャックが先ほどのメイドを口説いているのが耳に入った。

 どうやら深刻そうな空気を演出することはやめたらしい。

 まあそうか、あのジャックが粛々としていたら逆に不気味だ。

 全く、私を含めてまともな人間性を持っていない人間が多すぎる。タムリアが不憫だ。

 まあ良い。私は私のために、私に出来ることを成す。今はそれが最適解だ。



 

 部屋を出ていく私たちを、タムリアが見つめていた。





 ……手で隠れた口元に、僅かな弧を浮かべながら。

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