第47話
私にとって戦いとは何だろう。
暴力は苦手ではない。むしろ得意な方だ。
人よりも強力な身体能力を持っているのだから、傷付ける方が容易なのは当然のことだろうが。
かといって積極的に望むこともないのが現実。実際、私にとっては争いよりも平和の方が好ましい。
魅了が使えるならば、直接傷付けることなく魅了を選ぶだろう。
だが、私には暴力への忌避感がないのもまた事実だ。
だが同時に、私には暴力への羨望もまたない。
望まず、浮かされず、忌避せず、しかし容易く選ぶことが出来る。
これは異常だ。普通という枠の中では紛れもなく異質だと断言出来る。
心を得るためにはこれではいけないという思いもある。
それでも、生まれついた性質はなかなか変えられない。他者の想いを理解は出来ても本当の意味で自分のものには出来ていない。それが私という人間だ。
全てを性質の所為にする訳ではない。
性質のせいで心が持てないと言ってしまうのはただの停滞でしかない。そんなものはギリシャの哲学者でも鼻で笑い、フランスの哲学者でさえ『そう思うのならばそれがお前の限界だ』と突きつけるようなものでしかないのだから。
話が逸れた。
言ってしまえば、私にとっての戦いとはただの日常行動の延長線上でしかないのだろう。
まあ、自己分析はこのくらいにして集中しなければ。
「『
目の前に迫る水の散弾。
3センチほどの水弾が40粒の集団となって私に迫る。
速度は……音速より大分遅い。時速620キロメートルと言った所か。リニアモーターカーより少し速い程度。
流石に5日目ともなれば、決闘会を勝ち上った歴戦の魔術師が出てくるようだ。昨日までの相手とはレベルが1つ2つ上がっているように感じる。
自らの反応出来ない速度の水弾を打ち出すとは、制御出来ないデメリットよりも私の速度を上回ることに照準を当てたのだろうか。
魔術の腕も中々。目の付け所も悪くはない。
唯一残念なのは、リニアモーターカー程度と同等の速度では私の思考速度を超えられないことか。
水弾を最小限の動きで避ける。
そのまま思考速度を戻せば、聞こえてくるのは闘技場に満ちる歓声。
360度どこを見渡しても人の波が目に入る。これほどの人数に注目されることに関してはもう慣れた。
慣れる前から精神、体調、身体機能には何の問題も生じてはいなかったが、まあそれはそれ、私以外の人間ならばコンディションが乱れることもあるだろうというものだ。
事実、これまで戦った魔術師の中にはそんな様子を見せた者が何人かいた。
「消えた……いや、すり抜けた?」
「どちらでもありません」
やはりここまでの速度となると、思考能力を補助出来る魔術師でも知覚が出来ないようだ。
まあ、そう見えるようにギリギリで避けている側面もあるので、上手くいっていると喜ぶべきだろう。
「さて、こちらから行きますよ」
「っ! 『
周囲を漂っていた水塊が分裂し、数百の水弾となって舞い踊る。
1つ1つが人を殺すに足りるものだが、もとより過失による殺人すら許された舞台。止める審判もここにはいない。
(最小限の動きで、最小限の速さで、完封する)
それは私が決めた縛りだ。
何となくで決めた、本来ならば必要もない枷。手を抜くという相手にとって侮辱にも等しい行為。
だが、私はこれが心の動きを得るためのヒントになるかもしれないと、これを提案した者がただの気分で言ったことを知りながら、それでもその口車に乗っているのだ。
悪魔と知られることへの危惧を、だが彼女は切り捨てた。
本気を出さなければバレる事はないだろうさ、と。
それがお前の求めるものを教えてくれるかもしれない、と。
それが
それでも従ったのは、彼女の言葉に少なからず共感するものがあったからだろうと思う。
(名もなき剣。途中で折れてはいけないよ)
秒速50メートルほどの速度で体を舞わせながら、右手で持ったものの重さを意識する。
刃渡り60センチメートル前後で細身作りのロングソード。
もちろん刃は潰してあるが、それでも鈍器としては十分すぎるほどの性能を誇るだろう。
だが、今回期待している性能は刃物賭してでも鈍器としてでもない。
法則を降ろす起点となればそれで十分だ。
四方八方から襲い掛かる水弾。
その軌道を尋常ならざる速度の思考で、シナプスの限界を超え電気的に定められた反応速度を超え、可視光すら処理しきれずに灰色まで減色した世界の中で、1粒すら見逃さず演算し続ける。
滑るように重心を動かし続ける。
左に右に上に時に下に、導き出された水弾の軌道で作られた捻れた糸の中を最小限の動きで舞いながら、避けられないものは刃のないロングソードを以て打ち払う。
だがそんな中でも、集中すべきは魔術師。相手の魔術師がこの水弾の雨を作り出していることだけは間違えようもない。
隙を見つけなくてはいけない。
最低限の能力のみで打破すると決めたからには、それを実現するための糸を手繰り寄せなければならない。
優れた魔術師であっても人間である限り逃れられない、思考と体と魔術に染み付いた『癖』を読み取れ。
0.002秒
まだ水弾の檻に綻びはない。
流れるように舞い、水弾を避けては打ち払う。今はこれで良い。
0.008秒
向かって右の領域に乱舞する水弾の動きが気になった。まあ、その後予測が終わればただの気のせいだと気付けたが。
それとは別に、水弾の密度に変化が感じられた。
0.012秒
演算の結果が私に最適な動きを教えてくれる。
だが、どうやらこの散弾は術者の意識を介しているのではなく、あらかじめ定められたものらしい。それ故だろう、あまりにも弾幕が均一すぎる。
0.02秒
それもそうか。この速度域を認識出来る生物が存在するかも怪しいのだ。
お陰で弾道の予測方程式も確立されつつあるが、それはつまり手詰まりとも言える。
となれば、私はイレギュラーを起こさなければいけない。
(魔術の癖は掴めた。あと必要なのは僅かな隙。それさえあれば私の勝ちだ。それを作るためには……)
ロングソードを両手で握り体の前へと構える。それと同時に、力を貯めるため十分に曲げた脚を、一気に解き放ち運動量を増大させる。
人ならざる身体を以てなされたそれは、通常人体の限界を遥かに超えた速度を叩き出す。
手加減したとはいえ秒速100メートルを超えるスピードは、それだけで常識を打ち破る。
だが、そんな速度で動けば必然として水弾が迫る。如何に水弾が私の約2倍の速度で飛び回っているとはいえ、比較的狭い範囲を規則的に動いているだけの水弾は私の前面に集中するのだ。
だから、途中で地面を抉り取るほど踏み抜いた私は、速度を落とさないように水弾の当たらない隙間へと身体を滑り込ませる。
魔術師の周りはあまりにも水弾の密度が高い。それを剥がす必要があるのだ。
だから掻き乱す。
ならば邪魔をする。
まともな思考が僅かでも乱れれば良い。
私の思考スピードと眼ならばその隙を見逃すことはないのだから。
まずは音。地面を踏み抜く強烈な音は思考の幅を狭める。
次に視界。目で捉えることすら難しい速度は集中を削る。
また衝撃。肌を揺らす衝撃は心に焦りを生む。
そして想像。誰もが持つそれはありもしない結果を想像させる。
「っ!」
(勝った)
乱れた。
あまりにも完璧に統制されていた水弾が、術者の雑になった制御によって揺らぎを生んだのだ。
右手で持ったロングソードを振るう。
払い上げ、袈裟懸けに下ろし、薙ぎ払い、受け流す。
最短距離で魔術師へと駆けながら、立ちはだかる弾幕をロングソードで打ち払っては受け流す。
要した時間は0.14秒。
水弾の壁を切り裂き到達した場所で、私は魔術師の首元にロングソードを当てる。
「私の勝ちです」
「……降参だ」
『アダエト・エルミックが負けを認めました。またまた勝った! アサガミの21勝目を喝采が祝福する! 誰が彼女を止められる!?」
闘技場を大喝采が揺らす。
それを起こしているのが全て魔術師だというのだから、全くもって恐れ入る。
この数の魔術師が一斉に蜂起すれば、地球の国家の1つ2つ容易く滅ぼせそうだ。
「強いなエイ・アサガミ。盟主の祝福があらんことを」
「貴方こそ、優れた魔術師でした」
相手の魔術師と握手を交わし、出入口から退場する。
暫く複雑な通路を進み控室に向かえば歓声はある程度遠くなり、コンクリートでできた壁が冷たい色を
「何か用でしょうか。関係者以外の立ち入りは禁止されていますよ」
だから分かってしまう。
曲がり角に隠れた彼の姿を、エコーロケーションが暴きたてる。
今までも他の出場者から声をかけられることはあったが、彼が何らかの根回しをしたのだろう。この場所には私たち以外の気配は感じられなかった。
「……どんな手を使った」
曲がり角から出てきたのは1人の青年。
私より15センチほど高い身長にコーカソイドらしい白い肌。サラリとした金髪が碧眼を
ややプライドの高そうな人間性を窺わせるが、何度も会っていればそれがハリボテの様なものだと分かるだろう。
私にとって何より特徴的なのは、その身に纏った整いすぎた魔術だ。
「何のことでしょうか。アロさん」
パトリア・アロ。アハトラナの城に招かれた魔術師の少年。
尤も、魔術師の外見はあまり当てにはならないことを私は良く知っている。
「
ああそうか。
パトリアは私が魔術など使っていないことを看破したのか。
他の魔術師は魔力を隠していると思い込んでいるというのに。違和感を覚えている魔術師も常識に縛られ、最後には疑問に蓋をしてしまうというのに。
だが、パトリアは違うようだ。
私が魔術など使っていないと事前情報すらなく断定して、それを本人に突きつける気概もある。
全く……これだから人は素晴らしい。
「魔術を使わずに、どのようにして勝ち進んだというのですか」
「……」
パトリアが言い淀む。
それもそうだ。私の戦い方を見て魔術を使っていないならば、一体他にどのような力を使っていると断言出来る? 少なくとも、尋常な方法では再現出来ないだろう。
だからこれで押し通す。
パトリアには悪いが、正体を明かせない。
私の一端に触れたパトリアには、正体不明の怪人として納得してもらうしかないのだ。
だがそんな私の思考を、パトリアの一言が切った。
「……お前、人間じゃないな? 幻想種に近い何か。妖精か?」
「何を言っているのか——」
「上にいたエマとかいう人は精霊を使役していた。お前もあの人に使役されているんじゃないのか? ああそう考えれば納得がいく。精霊使いは大魔術使いと同じくらい希少な存在だ。高位の妖精使いもな。彼女ならトップメイガスの養女に相応しい。本当の養女は彼女で、お前は偽っている。違うか!」
「……成程」
そういう考え方もあるのか。
確かにその設定ならば誰もが納得するかもしれない。
だが、そこまで予想してなぜエマではなく私にそれを披露しているのか。普通それは術者と仮定したエマに問うべきことだろうに。
それとも、今思いついただけの予測なのだろうか。
話を思い返してみるとパトリアの言葉は場当たり的だ。おそらく今この場で頭に浮かんだだけなのだろう。
「残念ですが違います。私はルシルの正式な
「それなら……お前がテリムを殺したのはなぜだ?」
呆れるほどに唐突な問いだ。
城で聞いていただろうに。あの場にいた人間ならば誰であっても犯人になり得る。無論、可能性ではの話だが。
「なぜ私なのでしょうか。動機も手段もありませんが」
「彼女の残したメッセージが示したんだ。歪んだ十字に神を表す記号。それも教会以前の古い神々を示すものだった。教会による古き神々の堕落……つまりは妖精だ。だからお前が妖精であることは分かっている!」
そういうことか。
妖精に相応しい者を探していて、それに合致する者が私だった、と。
確かに、召使いを除くあの城にいた人間の中で最も精霊に近いのは私だ。
推理としては筋が通っているようにも見える。見えるだけだが。細かい所がまるで埋められていない。
それは良い。考えることは人に許された特性だ。好きなだけ思考すれば良い。
だが、これだけは聞いておかなければならない。
人間として前に立つ彼に問わなければならない。
「犯人と仮定した私の前に立ってまで、なぜこの事件に執着するのですか。名誉が欲しいのですか。それとも正義になりたいのですか。答えてください」
「今更何を言って……」
「私はどうしても欲しいものがあります。全てを投げ打ってでも望むものが。そのためにはあらゆる『心』を感じることが近道だと私は規定しました。ですが、私はその『心』を感じることが出来ない。だから、より多くの情報を蒐集することを私は良しとしました。だから教えてください。貴方がなぜ事件を解決しようとするのかを。貴方の
私の言葉の意味をパトリアは理解できないだろう。
それで良い。理解される必要などない。
私の願いは私だけのものだ。他の誰が理解を示そうとも、それに満足することなどあってはならないし、そもそも出来ない。
そんな私の言葉に納得はしなくとも答えることにしたのだろう。パトリアは渋々といった様子で口を開く。
「……善悪」
「善悪、ですか」
「彼女の死が善悪で測って悪だった時、悪はすぐさま裁かれなければならない。正誤の正義なんてどうでもいい。僕は僕の善悪が善に傾かないのが我慢ならないだけだ」
そうか、善悪。
そのような考え方をする人間は多くいるだろうが、それを元にただ1人正義に縋ることもなく行動できる人間が、一体どれほどいるだろうか。
やはりパトリアは人として少しだけ特異だ。
だがそれが良い。
彼なりの心を元にしたその感情と思考は、私に新しい視点をくれた。
ならば彼の問いにも答えよう。
「答えていただきあろがとうございます。私は残念ながら妖精でもなければ犯人でもありません。……ですがよろしければ私も貴方に協力しましょう」
「……ふん、いらないよ。僕は僕だけで解決してやるさ」
「そうですか。分かりました、気が変わればまた声をかけてください」
「僕はもう戻る。せいぜい皆を騙していれば良い。ボロが出ないように頑張るんだな」
それだけ言うとパトリアは角を曲がって帰ってしまった。
尤も、私にはエコーロケーションでどこにいるのか丸分かりなのだが。
どうやら帰ると言いつつ、通気口のような所から上に向かっているらしい。そのまま行けば……観客席の近くに着く。一昔前の泥棒のような行動だが、善悪的には良いのだろうか。まあ、良いのだろう。
私も次の出番で呼ばれるまでは、そこら辺で時間を潰すとしよう。
「と、その前にエマと合流しましょうか。今頃食べ物の買い過ぎで持ち金がなくなっている頃でしょう」
如何なる原理か、光源もないのにぼんやりと明るい通路を歩く。
頭にあるのはエマに節約を覚えさせねば、とそんなことだった。
その時の私は……いや、私たちは知らなかった。
凶行がまだ終わっていないと言うことを、私たちは気付いていなかったのだ。
まだ何も解決していないという事実を、私たちはあまりにも軽く見過ぎていたと理解したのは、日を跨いでからだった。
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