第46話
「ご存知の通り、昨夜この城にいたエルファント氏が何者かに殺害されました」
1人増えていた男性。セントジョン調査官と名乗っていた。
今朝この事件が発覚してからすぐに派遣されたらしいが、これもアハトラナという派閥の大きさゆえだろうか。
私の中では高貴な者はこのような
「そういう奴は多いが。決闘以外の殺人はミタルエラでは禁じられているぞ。まあ見えない死体は多いだろうが、基本自分達で手に負えない場合は調査官が解決することになっている」
ジャックに疑問を投げかけてみれば、そんな答えが返ってきた。
成程。確かに無法地帯とならないためにもそのような規則は必要か。
魔術師という存在が個々で尖り過ぎていたせいで、そんな当たり前のことも頭に思い付かなかった。
「コホン」
セントジョン調査官に意識を向けていないことに気づかれたのだろう。私たちの方に視線を寄越して、咳払いで注意してきた。
「失礼しました」
「いえ、話を続けます」
流石に死人が出ている中で話を真面目に聞かないということは憚られる。まずは話を聞こう。
「エルファント氏の死因は失血死。腹部を内臓まで抉られていたので死亡までさほど時間はかからなかったでしょう。抵抗の痕はなく、反応も出来ないほどの速さで奇襲をおこなわれたと考えた方が確実です。ただし……」
セントジョン調査官は一旦言葉を切って、メガネ越しに私たちに鋭い視線を向ける。
その黒々とした目は、私たちを見定めようとしているかのようだ。
「親しい人間ならば正面から疑われることもなく殺害することも可能でしょう」
その一言に対して大きく反応する人間は、この部屋にはいなかった。
むしろ、その考えの方が正しいだろうといった空気が流れている。
「それで、物的証拠は見つかったのか?」
「それはまだ見つかっていません。魔術の痕跡も同様です。時間があれば遺体から情報を得ることも——」
「無理だ」
セントジョン調査官の言葉を、壁に寄りかかっていたルシルが躊躇いもなく否定した。
全員の視線が集中することすらも気に留めず、ルシルはさも当然のことを言うかのように言葉を続ける。
「お前と死体を見に行ったな。至高の魔術師たる私が保証してやろう。お前が如何なる手段を用いても大した証拠は出てこないとな」
「……その根拠は」
「死体の周りだけ《歪み》が少なかったことに気が付かなかったのか? 魔術のい行使が躊躇われるほど神秘の法則が薄められた聖域。一種の《祭壇》だな。その中で殺されたのならば魔術的痕跡は何一つ出てはこないさ。死体から情報を取り出す魔術も、魔術的な《傷》がなければ行使できない。常識だろう。そもそも設定すべき条件が間違っているぞ?」
そんな事も分からないのか? と嘲るルシルに対し、セントジョン調査官は青筋を浮かべながらも首を振って肯定を示した。そのままルシルから視線を外したのは感情に流されないためだろう。
賢明な判断だ。
「トップメイガスのいう通り、状況証拠から犯人を推測することは困難です。ならば仮定を変えましょう。正面からでも一方的に殺害出来る人間は?」
その言葉に顔色を変える者は……やはりいない。
「そ、その仮定に至った理由は?」
訂正しよう。
パトリアが若干狼狽えている。その震えた声に安心が混ざっているのは……何を表しているのか私では分からないが。
そんな不審極まる様子は気にも留めず、セントジョン調査官は淡々と状況を説明する。
「壁の一部に高温でついた痕がありました。エルファント氏が使う魔術と一致しています」
「抵抗の痕はなかったんじゃなかったか」
「魔術痕がなかったのでそう判断しましたが、一箇所だけの焼却痕は不自然。それに加え抵抗がなかったと断言したのはそれが真っ当な魔術では付かない痕跡だったからです」
「具体的には」
セントジョン調査官はテーブルの上から一枚の紙を拾い上げる。
あれは……写真だろうか。
紙の写真を見たのはいつぶりだろうか。確か、児童養護施設で記念に貰ったもの以来だ。
外の世界ではそれほどまでに珍しくなった紙媒体だが、魔術世界ではそう珍しいものではないらしい。テーブルの上には何枚もの紙が広げられている。
セントジョン調査官が向けてきた写真に目を向ける。
「見ての通り壁が完全に融解しています。聞けばこの城の壁は全て耐熱性、耐寒性、耐衝撃性に優れているとか。準備もなく突然襲われた状態で、それをここまで完全に破壊する芸当はエルファント氏に可能でしょうか?」
写真に写っていた壁は直径1メートルほどの範囲が融解し、その周りは黒ずんでいた。
そう、手加減していたとはいえルシルの炎を防いだ壁が融解していたのだ。
開け放たれていた談話室の扉の向こうに視線を向ける。そのにはこの城に来た時にルシルが放った炎矢が当たっていたはずだ。
流石に痕は影も形もなかったが、それはルシルの炎を受けて尚簡単に修復出来る程度の損害しか受けなかったことを意味する。
それを融解させる?
神の炎でもないただの魔術で?
詳しいことは分からないが、不可能だと断言しよう。
「エルが万全の魔術を行使したならば可能だろうな。祭壇を築き、礼装を確保し、儀式を完成させる。そこまでやってやっと手の届く領域だ。この城の防御術式は神殿レベルの祭壇で成り立っている。いくら『宝石』を戴くエルでも生半可な魔術では傷ひとつつける事は出来ないだろう」
タムリアが懇切丁寧に説明してくれる。
これは情報の足らない私たちにも状況を把握させるための、タムリアなりの気遣いだろうか。その氷の如き表情からは読み取れない。
今のタムリアがそこまでの思いやりを持っているようには見えないが、何か伝えたいことがあるのだろうか。
「成程。エルファント氏も魔術師である以上秘した奥の手があったでしょうが、それを考慮しても難しいと。そういうことですね?」
「そう思ってくれてかまわん」
タムリアの肯定に、セントジョン調査官は芝居がかった仕草で首を縦に振る。
「ならば話は簡単だ。神殿レベルの祭壇を苦もなく融解させたのは犯人だと、そういう話です。では、それが可能な魔術師は誰でしょう?」
セントジョン調査官はその鋭い視線を1人に向ける。
大魔術にも匹敵する炎を使い、瞬時にそれを行使することが出来て、なおかつそんな城の中に独自の《祭壇》を作り出せる。
普通の魔術師とは隔絶した実力を持った
「貴方しかいませんよ。
その宣言を受けて尚、ルシルは面倒そうに片目を開けて指でリズムを刻むだけだ。
その姿には賞賛も、後悔も、反省も存在しない。
ただ少しだけ機嫌が悪い。それだけだ。
「くだらないな。あまりにも稚拙、何もかもが乱雑過ぎる。最大限縮小された現実だけで何が分かる。小さな問題点は何も解決していないぞ。わざわざ壁を融解させた理由は? それほどの魔術を使ってまでなぜ消し炭にしていない? わざわざ内臓を抉って殺した理由は? そもそも準備さえ整えればここにいる殆どの人間が同じことが出来るぞ?」
ルシルの言葉に、部屋にいた殆どの魔術師たちが納得の空気を醸し出す。
それは私でも思っていた。
ルシルは言うに及ばず。タムリアは魔術師の実質的頂点である魔術卿。ジャックとエグリムは
こう並べてみれば、この場にいる者がいかに常識からは外れた者かが良く分かる。壁を融解させるだけならば、誰でも可能だということだ。
セントジョン調査官はその言葉を吟味するように各人の顔を見渡す。
「アハトラナ卿。貴方もルシル殿と同じ意見でしょうか」
「当然の帰結だ。大魔術師ならば当然可能だろうし、私にだって方法を問わなければ可能だ。そこのアサガミの実力は決闘会で見ての通り、魔術のレベルだけをみれば十分範囲内。その妹はどうだかな。坊やはどうだい?」
話を振られたパトリアは驚きに体を硬直させたが、すぐに慌てを思い出したかのように体を揺らして、つっかえながらも言葉を振り絞る。
「ぼ、僕に出来るわけがないだろう!? そ、そもそも僕の魔術は炎なんて起こせない!」
「高温を作るのにわざわざ炎を作る必要なんてないぞ。それに、それを言ったら俺は幻覚魔術が専門だ」
「同じく。我が魔術は星の導きを用いるもの。
パトリアの主張にジャックとエグリムが便乗する。
だがまあ、確かにその通りだ。
私だって法則を書き換えれば可能かもしれないが、それを行うためにはこの城に働く法則を理解することが求められる。
魔術師でも……いや、魔術師だからこそ得意不得意は大きく存在するのだ。
いかに魔術のレベルでは可能であっても、それを実際に行うのはまた話が違う。
まあ、可能性だけならばいくらでも述べることが出来るだろう。
そう考えると、犯人が自分を容疑者から外すためにわざわざ神殿レベルの術式を破ってまで壁を破壊したとなれば、それは全く意味のない行動と言わざるおえない。
なぜならば、魔術師にとっては方法などいくらでも整えることが出来る。
使い慣れた魔術でなくとも、《概念》を《未知》とつなぐことさえ出来れば方法など無限に近いだろう。
そもそも、神殿レベルの祭壇を用いた魔術を破ることが出来る魔術師は一見すると少ないように見える。だが実際のところ、準備さえ出来れば中堅どころの魔術師でも可能だ。
尤も、それには膨大な資金と資源。そして大規模な《祭壇》を整えることが必須だろう。
先にも言った通り魔術師には大きな得意不得意がある。オールマイティな魔術師などそう見つかるものではない。
それを考えれば、この城の壁を破壊した魔術師は限られるだろうか。
ただし、準備期間が短期間であるという条件をつければだが。
まあ、可能性の話は今は置いておこう。それを語り出せば、ほぼ全ての魔術師が容疑者となってしまう。
「この場で炎を扱う魔術師は誰でしょうか」
「それは皮肉か? 私の異名は知っているだろう。『神の炎を従える者』とは私のことだぞ」
窓まで移動して開け放ち、ルシルはタバコに火をつける。どうやら我慢の限界を迎えたようだが、わざとらしい仕草を見せたのはセントジョン調査官への当て付けだろうか。
「見ての通り私の魔術は炎だが。ついでに言えばこの城の壁程度どうにでも出来るだけの火力も持ち合わせている」
「であれば——」
「だがな」
セントジョン調査官の言葉を遮り、ルシルは開けた窓とは違う窓に手を当てた。
私には見えていたが他の者も感じることは出来ただろう。その窓も壁と同様、尋常でない強度と数の魔術で守られているのを。
ルシルはそこに直径40センチメートルほどの円を描き、最後に中心に人差し指を当て、そして離す。
離された中心の1点には、日光で見難いが確かに白い炎が揺らめいていた。
「神の炎と言われるのはなぜか知っているか。そのような《概念》で形作られているからか? 火力が常識を超えているからか? それも1つの解答だな。……しかしな、ただそれだけならばテリムでも持ちえたものだ。『宝石』と称えられるエルファント・アハトラナ・テリムならば超えることも可能かもしれないな」
白い炎が、炎心も内炎も外炎もない、煙も煤すらも出さない、魔術であっても他に類似するものがあるのかも分からないような超常の火が揺れている。
「燃えろ」
白炎が膨張する。
ルシルが指定した40センチメートルの内が、世界法則がで決められたかのように一定の明かりを放つ白炎で満たされる。
私には視えていた。
エマも感じたかもしれない。
ガラスが消えていく。
魔術が燃えていた。
概念が焼け欠けた。
法則が捻じ曲がる。
『焼却』という現象が全てを平伏させる。
それは矛盾を生んでいた。
『概念』があって初めて『現象』が成り立つ。『法則』があってそれに沿って『現象』が現れる。
だがルシルの白炎はそれを覆した。
やがて白炎は消える。窓に直径40センチメートルの真円を残して。
円の外には何の歪みも、傷も、違和感すらもない。
「私の炎は焼失させる。言葉通り万物を概念諸共一片の容赦もなく焼き尽くす。その写真にある無様な魔術と同じにするなよ?」
これが神の炎。
至高の魔術師たるルシルが誇る魔術の頂点。
「……そ……うですか。……確かに聞いたことがあります。トップメイガスは強大な魔術の代償を受けた、と」
絶対的強者の空気に僅かなりとも呑まれたのだろう。セントジョン調査官の声が少しだけくぐもった。
「その噂は半分正しく半分間違いだが……まあ、大方の見方としてはそこまで間違ってはいないな。どちらにしろ、私が殺すならもっとスマートにやるさ」
「そうですか。それでは——」
「少々よろしいでしょうか」
人の言葉を遮るのはあまり褒められた行為ではないが、これだけは聞いておかなくてはいけない。
「外部犯の可能性。あるいは使用人の中に犯人がいる可能性は考えないのでしょうか」
私の発言に、この部屋にいたほとんどの人間が疑念を込めた目を集中させる。
私は何かおかしいことを言っただろうか。当然疑うべき事だと思うのだが。
「コホン。失礼ながらそれはありえません」
「ああ、ありえないな」
「疑うことも意味なきこと」
「ふん、やっぱり無知だな!」
「私を侮辱しているのかエイ・アサガミ?」
そこまで言うほど私の発言はおかしかったらしい。最後のタムリアにいたっては怒気のようなものまで感じ取れる。
「この城は最上級の魔術の数々で守られている。それを破るほどの魔術師が来れば否が応でもわかってしまうんだ。そもそも破れない。そしてここの使用人は全て《隷属刻印》を刻まれている。主人が許さない限り何をすることも許されない。そしてこの城はテリムのもの。すなわち主人とはエルファントだ。分かったか? 自殺以外はこの部屋にいる奴しか殺せないんだ」
「成程」
ジャックが丁寧に解説してくれる。
これは恥ずかしいことだ。無知を晒してしまった。
「すいません。魔術世界の常識には疎いもので」
「……それならば失言は許そう」
タムリアから許しも得られた。
恥をかいたのは私だけ、それならば何の問題もない。
普通の人間ならば羞恥心を覚えるのだろうが、私はそれすら抱けない。
それはおかしいことだろうか。いやまあ、サイコパスならばあり得こともあるだろうが。
ならば私はサイコパスなのだろうか。
……否定は出来ない、か。
「7時を回ってしまいましたか。一時解散としましょう。アサガミ氏は決闘会もあります。再び集まるのは20時からとします。皆様ご協力お願いします」
それでいいのかと内心驚く。
そんな犯人に逃げてください証拠を消してくださいと言っているかの様な穴空き捜査で犯人が捕まるとは思えないのだが。
「お前の思っていることも分かるが、気にするな。こいつら神秘祭儀局の奴らも本気じゃないのさ」
「そのような事はありません。我々は全力を賭して……」
「そうかそうかもういいぞ。私は部屋で寝る。せいぜい捜査を勤しめ。老女もあまり張り切るなよ。血圧が上がって脳梗塞にでもなったら面倒だ」
ルシルはそれだけ言うと扉に向かう。
「アハトラナの名の下協力を——」
「断る。そんなもの何も面白くないだろう?」
結局、それ以上ルシルの行動を止める者はいなかった。
各人も部屋を出ていく中、タムリアだけは遺体の写っているであろう写真に視線を落とし、絶凍の表情を崩さなかった。
「……」
それを見ても私の心は動かない。
怒りに共感出来る。
嘆きが理解出来る。
悲しみが分かる。
……だがそれだけだ。
結局何も変わらない。私は私の心を求める、ただそれだけで良い。
だから私は、彼女を振り返らなかった。
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