第41話
少し離れた所からは白一色の印象を受けたが、通りを歩けば別に白に拘っている訳ではないようだ。
青い屋根もあれば赤いレンガも見て取れる。
それでも多くの所に白が使われているのを見れば、規則性的に建築に関する決まりでもあるのだろう。
「それでルシルはどこに向かっているのですか」
迷いのない歩みから目的地が明確に定まっているのは分かるが、この未知の都市のどこに向かっているのかが分からない。
「アハトラナの屋敷の1つだ。正直向かうのすら気に入らないが、老女に文句の1つでも言わなければ私の気が済まない。……私のコレクションを消費した弟子とやらにも地獄を見せないとな」
後半のセリフに付随している壮絶な笑みが周囲を威圧する。
道を歩いていた人間が離れていくのを感じた。伴っている視線は……畏怖、だろうか。
単純にルシルの放っている凄みが強烈ということもあるのだろうが、それに加えて何やら別の事情もあるようだ。
証拠にルシルの顔を見た人間の約半数が驚き3割、恐怖3割、好奇心3割の表情を見せている。残り1割は……嫌悪、だろうか?
何にせよルシルに何らかの原因があるのは確かだ。
「ちっ、視線が鬱陶しいな」
「……確かに、16の監視を確認しました」
「消してやろうか迷う所だな」
「トップメイガスに注目するのは仕方のないことです。それに、こんな場所で騒ぎを起こしてもメリットはありませんよ」
「ん、追加で7つ増えた、って精霊さんが言ってる」
それは人間の視線ではない。
エコーロケーションで周囲の状況を頭の中で描くと、鳥に似た形をした物体やトカゲのような物体が不自然に私たちを追っている事がはっきりと知覚出来た。
十中八九魔術師の使い魔だ。
「はっはっは、気にするな。超越者が下位の門を通ってミタルエラに来たんだ。阿呆の1人や2人が使い魔を放ってもおかしくはないだろう」
ジャックが笑い飛ばすが、すぐに事態はそうも言っていられない状況になっていく。
暫くは無視していたがそうしている間にも使い魔は加速度的に増え続け、物陰からは使い魔の奏でる騒音が聞こえるまでになっていった。
「209ですかね」
「壁に写真が近づいた音。231に増えた」
「はっはっは、スコルが何か喰らったようだな。21減ったぞ」
いつの間にか私たちの間では使い魔の数を当てるゲームが始まっていた。
そうしている間にも周りからは建物が減っていき道幅は広くなっていく。
それに伴い減っていく物陰にはさまざまな使い魔が姿を見せて、空には飛行能力を有する使い魔が飛び交っていた。
もう隠す気はないようだ。
全く、ルシルが呪詛を送り込まないように私が止めていることに気が付いていないのだろうか。
そうでなければ今頃千に近い魔術師が
それにしても、後ろにさまざまな生き物を侍らせている私たちはさながらハーメルンの笛ふきか、それとも金のガチョウか。
いずれにしろ異様な状況には違いないか。
「周りから建物が少なくなってきましたね。510」
「精霊さんたちが喜んでる? なんで? 478に減った」
「もうすぐアハトラナの敷地に入る。そうなれば使い魔もいなくなるぞ。369だ。……ほらな」
ジャックが模様の違う石畳に踏み込み後ろを見やる。
私たちも同じように後ろを振り返ると、去っていく使い魔たちの大群が目に入る。エコーロケーションでも周りから使い魔たちが減っていくのがはっきりと知覚出来た。
「流石に魔術卿の敷地には入って来ませんか。地面の中にいた使い魔も形のない使い魔もついて来ていないようです」
「アハトラナは民主派の重鎮だ。喧嘩を売りたい奴はここらの魔術師にはいない。ただでさえ使い魔を放っていたのは階位の高くない奴が多いだろうに、アハトラナに目をつけられれば行く所がないからな」
魔術卿についてはいくらか調べたつもりだったが、よもや魔術の1つもなく自分から使い魔を撤退させるほどのものだとは思わなかった。
ただでさえ自らの願いのためならば何を仕出かすのか分からないのが魔術師だというのに、ここまでの影響を持ってこその魔術卿ということか。
と、そんな私たちに向けて何かが近づいてくる音が背後から聞こえた。
だが奇妙なことに車輪が転がる音も足が地面を突く音もしない。それどころか地面との摩擦音すら聞き取る事が出来ない。ただ風を切る音が聞こえるだけだ。
不思議に思いながら振り返ると、通りの向こうからそれが姿を見せた。
「……何ですかあれは」
「客人を迎えるための《馬車》だ。本当なら上位の門の近くに来ていたんだろうが、ルシルが下位の門から来たせいでここに来るまで迎えられなかったんだろう」
「ハッ、衆人環視の中で凱旋門から丁重に迎えられながら手を振って進むのなんぞごめんだ。そんなことは目立ちたがり屋の貴族にやらせれば良いのさ」
「はっはっは、そのせいで貴族の奴らは随分と慌てた事だろうな。だがまあ、アハトラナの姫君は分かっていてお前を泳がせたようだがな」
ルシルとジャックが話している間にそれは私たちの前に止まり、地面スレスレの位置にまで高さを落とす。
なんと表現すればいいだろうか。
屋根のある台車の上に腰掛けが付けられているというか。豪奢な馬車から車輪と馬を取り外したものというか。
何とも形容し難い形をしたものだ。
「さて、乗るか」
ルシルが真っ先に向かい合った座席の片側を占拠する。
ジャックはルシルの両側に荷物を積み上げると、反対側の端っこに腰を落ち着けた。
これは、もしかしなくてもジャックと同じ席に座れということだろう。
エマとジャックの間に挟まれるように座ると、馬車——馬の引いていないものを馬車と呼んで良いものかは迷う所だが——が浮き上がり石畳の上を飛行し始める。
大きく側面が空いているのに風を感じない。空気を切る音自体は聞こえるので何らかの壁でもあるのだろうか。エコーロケーションで感知できない壁というのも不思議なものだ。
速度は周りの景色が流れる速さから測るに、時速60キロといったところか。早いとも遅いとも言えない微妙な速度だ。亜音速で動ける私は勿論、自動車から見ても少々劣る。
「これでどれほど時間がかかりますか」
「20分と言ったところか。俺もこのルートで来たのは初めてなのでな。詳しいことはルシルに聞いてくれ」
「そこの色男の言う通り20分かからずに着く。……それと、この中では火の属性が弾かれるからタバコが吸えない。私はイライラしているから話しかけるな」
忠告してくれるだけ今のルシルは気遣いを心得ているらしい。
そうでなければ黙ったまま私がウェルダンに焼かれていたかもしれないのだ。触らぬ神に祟りなしとは言え、忠告の1つもなければそれはただの理不尽に過ぎない。
エマを見ると、初めて見る光景に目を奪われているようだ。キラキラとした目をしているのが微笑ましい。
私もエマに倣い外に目を向ける。
意外にも緑豊かな庭園と、それに囲まれた屋敷がいくつも見て取れた。
建築様式は……尖頭アーチから見るにゴシック様式に近いが、多くのゴシック様式の建築よりもシンプルに纏められている。
懐古主義の人々に喜ばれそうな建築物だが、魔術師にとっては複合素材と強化ガラスの現代建築より馴染み深いものなのだろう。
まあ、私としてはそれよりも眼を引かれるものがある。
魔術師の拠点にあって当然のものだが、神秘に生きない者にとっては頭の隅にも浮かばないものが。
いや、僅かなりとも神や祝福を知っていればただの人間でも気にすることくらいはあるだろう。
(結界……外と内を隔てる境界)
誰でも無意識に感じるものが魔術世界においては当たり前とされる。
その1つが結界だ。
誰もが感じる空間を隔てるナニカ。それは精神的隔たりかもしれないし物理的な壁かもしれない。
確実にそこにあると断言できないかもしれない曖昧なものだが、だがここにおいてはそれは確かな役割を持って存在していた。
(防御術式に使われているのはギリシャのオケアノスを解釈し直したもの。いや、それだけじゃない。これは……フランスの記号が組み込まれている)
よく見ればいくつかの紋章が全体に散りばめられている。
その中で最も有名なのは、やはり『フルール・ド・リス』だろうか。
アヤメ科アヤメ属のキショウブやニオイイリスといった花を指すとされているこの紋章は、現代においても数多くの地域が用いている。
しかし、歴史を紐解けば特に有名なのはフランス王家との結び付きに関してだろう。
まあ他にもイングランドとスコットランドのクラウンジュエルや『フィレンツェのユリ』など、関係を上げれば数多くのものが出てくるが。
そもそも同様の紋章はメソポタミアやエジプトなど、文明の始まりから確認されている。
つまりは非常に広く認知されていながら、それでもなお神秘を失わない紋章と言うことだ。
だが、今回に限っていえばフランスに限定しても構わないだろう。
これは意外にも単純な術式だ。
(オケアノスを解釈し直し、西の果てを示す記号を入れながら、さらに冥界下りの記号を含ませる。それなのに地の属性が強い。強すぎる)
使われているベースはギリシャのものだが、これは徹底的に概念の解釈を変えている。
とはいえ、これは解析されることを前提にした魔術だ。
解析されてなお強固な術式で敵を寄せ付けない。絶対の権力を象徴した形をしているのが見て取れる。
(オケアノスの西にありながら地下にも対応する記号……以前見た青銅の扉に通じるものがある)
そしてオケアノスの西にありながら地下にもあるとされている場所など、ギリシャ神話に限って言えばそういくつもない。
さらにはフランスに関係があるとすれば、それはほぼ1つにまで絞る事ができる。
すなわち————
(——エリュシオン。そのフランスに沿う形での変形であるとすれば『シャンゼリゼ』か)
エリュシオン。つまりは『エリゼの園』を意味するフランス語である『シャンゼリゼ』。
他ならぬフランスのパリにシャンゼリゼ通りというものがあるのだから、知名度としても申し分のない概念だ。
と、そんなことを考えているうちにも目的地に近づいたらしい。通りを走っていた《馬車》が1つの門を越えてとある敷地に入った。
「ここがアハトラナの屋敷ですか」
「正確にはその分家の持ち物だな。今は本家が出張っているようだが、それも
「付け加えればアハトラナの本拠地はミタルエラではなくタグムスだな。そちらにあるのはもはや要塞だからな。ここにあるのは可愛らしいものだ」
《馬車》が止まったので外に出ると、そこにはシンプルながらもゴシック様式の影響を色濃く受けた大きな屋敷が聳え立っていた。
いや、屋敷というよりは城に近いだろうか。
私から見ればこれは『城』だ。
まあ、城と屋敷、そして宮殿の違いについては専門家でも意見が分かれるところだろうが。
そもそも魔術師にとって物理的防衛などあってないようなものであるし、これはただ単なる飾りのようなものと考えるのが妥当だ。
『防衛』という概念そのものを術式に組み込んでいる可能性もあるが、私の眼ではそれを捉えることは出来なかった。
「お待ちしておりました。ホワイト様。御息女様。ニュートン様。そして——」
「エマと言います。私の妹のような扱いで構いません」
迎え入れてくれた老年の
ルシルを迎えるのに使わされたのだ。彼は最上級の使用人であるはずだ。
そんな彼に恥をかかせる訳にはいかない。
彼が殺される可能性を考えれば私の判断も当然のことだろう。
「失礼いたしました。エマ様でございますね。我ら一同、皆様を迎えられる光栄を噛み締めております」
「御託はいい。さっさと案内してくれるか?」
ルシルが傲然と言い放つのも受け流し、老年の召使いは他の召使いに荷物を持たせると、
ルシルの扱いを良く分かっている。初めて合わせた顔ではないのだろうか。
「ホワイト様を迎えるのもいつぶりでしょうか」
「ホワイト嬢とは呼ばなくなったのか?」
「お
「はっはっは、ルシルにも『嬢』と呼ばれていた時代があるとはな。これは良いことを聞いた」
「黙ってくれジャック。私の《剣》がお前を燃やさないうちにな」
「それは俺の心も燃えるというものだ。アハトラナの姫君に相手してもらう前座としては丁度いい」
流れるように言い合いを始めたルシルたちに放って置かれた老年の召使いに近づき声をかけると、彼は整った皺に覆われた顔を向けて対応してくれた。
「貴方の名前は?」
「失礼いたしました御息女様。私はエリックと申します」
「永、それがいけなければ麻上とお呼びください。私は所詮養子に過ぎません。血筋で言えば魔術と関係のない身です」
「かしこまりました。それでは麻上様、と」
会話に応じながらも案内のための僅かな仕草までもが完成されている。毅然と役割をこなすその姿は使用人の鏡だ。
エリックが案内を終えるまでの間の僅かな時間だが、話していてこれほどまでに完璧に対応されたのは初めてだ。心地良さすら感じるほどだ。
「こちらに主人と客人が待っております。私はここまでになりますが、後ほど各部屋に案内する際にまた付かせてもらうことになるでしょう」
そう言って足を止めたエリックは、扉を開けると私たちを扉の向こうへと送り出す。
部屋に入った私たちの後ろで扉が閉められるのを感じながら、その一室に意識を向ける。
いや、強制的に向けさせられた。
正確には部屋にではなく、ただ1人の人間にだ。
「来たか
「彼女はエマです。私の妹と思ってください」
「ははは! 我が弟子にまだ子供がいようとはな。紹介感謝しようエイ・アサガミ」
第一印象は快活な美女。
ルシルほど飛び抜けている訳ではないが、それでも美しい女性だ。
だがその身から感じるオーラが桁違いだった。
威圧とも違う。
威嚇とも違う。
例えるならばそう、『威光』だろうか。
高貴さを感じさせる艶やかな黒髪。
強い輝きを放つ鮮やかな緑眼。
日焼けのない白い肌。
そして何よりも、1つ1つでも目を引かれるそれらを総括した苛烈なまでの印象。
そこから感じられるオーラに私ですら目を奪われ、他のものに対する認識が追いつかない。
(太陽みたい……これが、魔術卿)
そんな感想を私は抱いた。
初めて目にする私ですらこれだ。
一目で彼女が魔術卿だという認識が叩き込まれる。
「アハトラナ卿、まずは名乗るところから始めてはいかがか?」
その声にタムリアに目を奪われていた私は、この部屋にいた人物たちに気が付いた。
3人の魔術師が席についている。
ただの一目で魔術師と分かったのは、その誰もが魔術を纏っていたからだ。
息をするように自然に纏われた魔術は、その魔術師たちがいかに強力な魔術師なのかを示している。
いや、うち1人の魔術師に視えるこれは……何だろうか。違和感があるが何がおかしいのかが分からない。
「私を知らない奴がいるとでも、エグリム?」
「少なくともそこの幼子共は初めて見る顔であろう」
エグリムと呼ばれた魔術師は節くれだった指を私たちに向ける。
それを見たタムリアは瞳を大きく開くと、声を上げて
「はははは! 確かにそうか。これは失礼。配慮が足りなかったようだ。自惚ではないが私は有名人でね。私を知らない者と話すのは久しぶりだよ。それでは自己紹介といこう!」
タムリアは勢いよく立ち上がるとテーブルを周り私たちの前へと進む。
そうして太陽のような輝きを放つ瞳で私とエマを覗き込み、それから威厳を露わにしながら自らの名を言い放つ。
「タムリア・アハトラナ・アリ・ハナカザ。タムリアお姉様と呼んでくれ」
そう言って輝かしい笑顔を向けるタムリアは、茶目っ気を交えながらウィンクをしてみせた。
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