金枝の卓上

 円卓があった。

 淡く照らされるだけでもつややかに光を照り返すほどに磨かれた、神樹で作られた円卓が。

 そこに込められた年月自体はそれほどでもないが、概念強度に限っていえば円卓の騎士ナイツ・オブ・ザ・ラウンドの円卓にすら届くと断言された代物しろものだ。


「マテイエ。汝の身に降り注いだ厄災は理解した。その上で言おう。精霊を使い潰しながら悪魔を仕留め切れなかったその愚行、恥と知れ」

「あはは、きっびしいなー。まさか心臓を損失しても死なないとは思わないじゃないか」


 神秘的な青い光に照らされたその円卓に着くのは、顔も見えない20人ほどの人影。性別はもちろん、姿すらまともに見ることは叶わない。

 だが、この場にいる者の中でお互いの席と顔を知らないものはいない。

 故に、最低限の明かり以外を必要としなかったのだ。


「真性の悪魔は全能者の一角。そこまで責めることでもないと思うけど。私たちが真っ向から戦っても負ける可能性は十分あるわ。まして、星神の加護がない状態ではよくやった方だわ」

「さもあらん。世界を創り出す者に対峙して無傷で帰った、それはむしろほまれであろう」


 マテイエを非難する者、擁護する者。これほどまでに評価が分かれるのはマテイエの普段の付き合いが影響しているのだろう。

 親しい者には好意的に受け取られ、煙たがる者には忌々しく映る。それがマテイエという人間だった。

 

「そう言ってくれるのは嬉しいよ。ははは、その言葉はねー」


 マテイエはあくまで親しげな声を使いながら、だが決して仲間に向けるものではない鋭い視線を闇の中に向ける。

 マテイエにとってこの場にいる者は仲間にして宿敵。

 いや、それはマテイエだけに当てはまらない。この場にいる者全てに当てはまることだ。

 

「含みのある物言いだなマテイエよ」

「あはは、だって、手加減されていたに決まっているからね」

「何?」


 大袈裟に両手を上げながら、マテイエは当たり前にことを言っているとアピールする。同時に、そんなことも分からない愚者共に心の中で嘆息たんそくする。

 当たり前だ。でなければ全能ならざる身の自分が一瞬でも生きていることはおかしい。全能者に対抗できるのは同じ全能者か、それとも世界を相手取れるほどの英雄しかいない。

 当然、マテイエはそのどちらでもない。


「初手で殺さない時点で慢心。世界を塗り潰さない時点で傲慢。《レルム》を使わない時点でさげすみ。何にせよ、遊ばれていたことに間違いはないね」


 だからこそマテイエは再会を望んでいる。あの悪魔の方にではない。マテイエの『えみ』を羨ましいと言った彼女にだ。彼女が一体何を思ってそのようなことをしたのか、それを知らねばならない。


「それほどの幸運に恵まれながら仕留めきれなかったのか汝は。無様にも程があるぞ。ホトメイエに選ばれながら何たる失態だ」

しかり。儂も同意しよう」

「おっと? マルセロスもそういうのかな? 彼女たちを目にしたのにそう言えるとはなかなか心強いなー」

「悪魔など問題にならん。所詮は神秘でありながらこれまで衰退を日和見ひよりみしていた残骸に過ぎん。……お前の失態も実のところどうでもいいのだがな」


 マテイエはその言葉に軽蔑を心に抱く。

 彼女が残骸?

 とんでもない。彼女はその力でミラーとマテイエを打ち倒している。この円卓についている者の中でも、一対一ならばマテイエどころか、精霊も竜も持たないミラーにすら敵わない者もいるのだ。

 

(いや、マルセロスの言い分もある意味間違いではないのかなー)


 彼女について調べてみれば、彼女が立ちはだかった時は全て決まって、彼女のものに害をなしたかあるいは彼女に興味を持たれたからだった。

 つまりは、彼女の意識に認識されない限り積極的に関わってくることはないということだ。

 触らぬ神に祟りなしという言葉もあるらしい。彼女はまさにその言葉通りだ。下手に刺激するより遠巻きに観察する方が遥かに安全ということだろう。


「問題の焦点はマテイエの失態でも真性悪魔でもないわ。なぜ円卓に集まったのか忘れたのかしら? わざわざ喋りもしない酔狂人を集めてね」

「然り。肉に縛られた悪魔など問題ではない。事態はもっと悪い方向に転がっておる」


 その通りだ。ただマテイエを処断するためだけなら、この場には良くて3人も座ってはいないだろう。

 だが、ここには精霊の祝福を受けた円卓が全て集まっている。

 当然だ。なんせ彼女が姿を見せたのだ。

 マテイエたちにとって最も恐るべき者の1人。

 神代ならざる英雄。

 至高の魔術の体現者。

 人間を超越した人。

 神の炎を従えし者。

 そして何より————


「世界をむ者。その名はルシル」


 その名に円卓の空気が変わる。

 一言も喋ることのなかった大半の円卓も積極的に会話を交わしていた5人も、その名には畏怖と敬意を以て受け止めるしかなかった。

 それほどまでの存在。

 1人1人が大魔術を片手間に扱うことの出来る者たち、魔術協会の大魔術使いハイキャスターをも超える魔術師が集う円卓。その全員が揃っても、ルシルという者は特別だ。


「彼の者がいるとなれば目につく行動は避けねば。だが祭壇の準備も進めねばならん」

「では表の事件を増やすべきか?」

「否、これ以上派手に動けば聖皇会の老いぼれが粛清に乗り出す。勿論、精霊讃歌隊を連れてな」

然様さよう、まだその時ではない。愛し子を呼び寄せるのは儀式を始める準備が整ってからだ」


 だが、ルシルの名が出ても会話をするのは特定の者だけ。それは見る者が見れば鼻で笑うような光景だ。

 超一流の魔術師が集まってもこのように沈黙者が生まれるのは、人間である以上仕方のないことなのかも知れないが。それはマテイエにとっては軽蔑に値するものだった。

 マテイエはこの中でも新しく円卓に座った者だ。まだ20歳にも届かないながら円卓に入ることが出来たのは、精霊というものに愛されているのもあるが、何より純粋な才覚によるものが大きい。

 そして円卓に座りそれまで見てきた常識が崩れされると次に来たのは————落胆だった。

 成程、確かにこの円卓に着く魔術師は須く素晴らしいく壮絶な神秘を操る。

 だが、それ以上につまらなかった。

 この円卓に着く者は例外なく自らの『導き』にのみに耳を傾け、外に興味を向けることは稀だ。彼らにとって『導き』こそが全てなのだ。

 だがルシルは違う。

 マテイエにとって『導き』は確かに重要だ。だが、それ以上にマテイエは自分の快楽をこそ信奉している。

 マテイエはこの円卓を嫌悪する。この円卓はマテイエにとって何の享楽も齎さない。


「——方針はこれで良かろう。他に何か言いたい者は」

「いる訳ないでしょう? 私たち以外はトランス状態よ」

「あっはは! 全く頼もしいねー」


 故に、マテイエがここで浮かべる『えみ』には侮蔑が色濃く浮き出していた。

 だがそれを見る者はいないし、そもそもマテイエに興味を持つ者もいなかった。

 

「さて、もういいよね。俺は帰るよ」


 立ち上がって僅かに晒された『えみ』はまさに仮面。

 何の意味も持たない、意味を持たせることが無意味とでも言いたげな『えみ』。

 それはマテイエのささやかな意思表示。






 彼もまた満たされざる者。

 その心に穴を抱え、瞳に塵を映し、背中はおもりに繋がれている。


 心を満たすのは誰であろうか。

 そう、彼もまた資格を持っている。

 そして奪い合いレースは既に始まっている。


 だがそれが表に見えるようになるのはまだ先の物語。

 

 今はまだ、誰の手にも及ばない。

 

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