第34話

 通路を歩く。

 窓1つなくただ冷たい複合素材で覆われた広い通路だ。

 照明があるので電気はきているのだろうが、電力会社に管理されているはずのに電力をどこから引っ張ってきているのだろうか。

 まあ、この辺りはまだ旧来のシステムを使っている所もあるので、何か抜け道があるのだろうとは思うが。

 それでも200にこれほどの空間を確保しているのだ。相応の大規模工事が行われているはずだが、そんな記録は京介に調べさせても見つからなかった。

 そもそも、この地震大国の日本でこれだけの地下空間を作っていることが異常なのだ。

 国家プロジェクト並みの規模ならばまだ納得が出来るのだが、そんな予算も人員の動きも、全く表に出ないとは考えにくい。

 尤も、


目に見えざる者アイドーネウスの象徴にコレーの冥界入りによるペルセポネ化を短略化した儀式か。マテイエが作った訳ではなくギリシャ式祭壇に特化した魔術師が製作したもの……これほどのものなら地下教会に見つからないのも納得)


 通路は一見すると真新しい工法で作られているものに見えて、その実徹底して魔術法則に沿うように作られていた。

 階段の段数、天井の高さ、照明の間隔、彫られている紋様、通路の形。

 全てが意味を持って互いの記号を引き立てるように作られている。

 さらに、ここは地下だ。

 大地に流れる地脈を活用することも出来るのだ。

 しかし、調べてみたところこの場にはそんな地脈などは存在しなかった。

 だが、私の眼で視てところ、この場には大規模な地脈が確認出来たのだ。

 おそらくは他所から地脈を少しずつ引っ張ってきて、それを祭壇に組み込んできたのだろう。

 それを活用しながらこの祭壇を作ったのだとすれば、これほど大規模な空間を誰にも知られずに創作・維持していることにも納得がいく。

 さらには——……


(——これは現代魔術モダンマジックの痕跡? 痕跡元は複合素材の主材料の非金属元素……炭素。やはりマテイエがここを作るのに一役買っていたのか)


 この前会った颯太が地下祭壇で使っていたのも炭素を使った魔術だった。

 その時使っていた魔術礼装はマテイエに与えられていたものなので、マテイエが炭素を操っても不思議ではない。というか、当然のことでもある。

 この通路はギリシャ式の祭壇の上から現代魔術モダンマジックの術式を重ねた、珍しい空間のようだ。

 まあ、金枝の使者という魔術結社の扱う術式は、得てしてそういう傾向があるのだが。

 複雑というか混沌カオスというか、なぜそこまでして既存の魔術を避けるのか理解し難いところがある。

 そう、まるで新しい魔術系統を確立させようとしているような。そんな思想が透けて見えるのだ。


「と、ここを右ですか」


 左手に持っていた羅針盤に視線を落とす。

 直径10センチほどの銀で装飾の施されたそれは、今は青白い光を放ちながら一点を指し示し続けていた。

 霊脈に反応して動いているようだが、詳しい仕組みは私では分からない。

 ただ確かなのは、この羅針盤が私をマテイエの元へと導いているということだけだ。

 青白く光っているのは魔術礼装として取り込んでいるエネルギーの一部が、光エネルギーとして漏れているからだろう。霊光の一種だ。

 この羅針盤に使われている術式は割と簡単なものだった。

 裏に刻まれていた太陽と船、そして尾を加えた蛇の意匠には何の意味もなく、本質は表の盤面に刻まれていた。

 冥界を示すギリシャ文字を7重に取り巻く線とそれらを繋ぐ一本の線。

 左右の置かれたエレボスとニュクスの文字に、直接嵌め込まれていた1オボルス銀貨とくれば、示しているのはギリシア神話に登場する冥界の河ステュクスあるいはその支流アケロン川の渡し守であるカロンで間違いない。

 これは純粋なギリシャ系の魔術系統で作られていることから、この通路と羅針盤を作ったのはおそらく同一人物……少なくとも同じ魔術を学んだ人間だろう。

 

(金枝の使者でも魔術系統が定まっている訳ではない。意外に新しい結社なのか? あるいは広く浅い関係で繋がっているだけなのか。……いや、ミラーやマテイエほどの魔術師を抱えていることから考えて、規模も結束もかなりのものだろう。あと考えるべきは……マテイエの言っていた『竜』と『精霊』か)


 マテイエはこう言っていた。

 『ミラーは最強だった』と。

 では、竜と精霊とは何を指し示していたのだろうか。

 そのまま受け取るならば、竜とは幻想種の一種で精霊とは概念生命体だ。

 まずはドラゴン

 幻想種の中でも頂点に位置する神獣にさえ匹敵する怪物。

 数百から、長いものなら数千年を生きる神秘の中に住まうもの。

 遥かな過去には神でさえ退けたともいわれている。

 それが私の知る竜だ。

 最上位のものには世界そのものの存在である『龍』といわれる上位種もいたと聞くが、そんなもの現代には存在しないので関係はないだろう。

 そして精霊。

 《概念》を象徴するためだけに大地から分かたれ生み出される生命。

 寿命もなく生まれながらに完成した存在であり神秘の中に住まうもの。

 現在でも確認できる数少ない神秘の結晶だ。

 その力はピンキリだが、最上位の上位精霊ともなれば全能者の資格すらあるという。

 竜と精霊で共通しているのは、共に強大な存在であるということだ。

 これらの神秘を自分のものに出来るとなれば、その人間は計り知れない力を手にすることとなるだろう。

 ミラーの使っていた《焔と岩の竜王ドラン》と同等の力が使えるようになるといえば、その異常さが伝わるだろうか。


(だがどうやって? どちらも人間に制御できるようなものではない。精霊ならば愛し子という例もあるが。竜、それも《焔と岩の竜王ドラン》を超えるものとなれば不可能に近い)


 ミラーの《焔と岩の竜王ドラン》が『竜』というのであればまだ理解出来る。つまりは《焔と岩の竜王ドラン》という魔術を使えるようになるというだけだからだ。

 だがマテイエの言い方では、ミラーは竜も精霊も与えられていないという。正確には『ミラーは竜も精霊も与えられていない身としては最強だった』と言っていた。

 つまりはミラーを超える者を人工的に作れるということだ。

 冗談ではない。そんなことが可能ならば、冗談抜きで世界を滅ぼすことすら可能になってしまう。

 私の見立てでは、ミラーでさえ本気で暴れれば都市の2つや3つを簡単に瓦礫の山にすることすら可能なのだ。

 それを超える魔術師を人工的に増やせる?

 悪夢でしかない。

 だが、竜と精霊の力を自由に使えるのならば、そんな荒唐無稽こうとうむけいな絵空事も理論上は可能だ。

 しかし、それはやはり理論上の話でしかない。

 まず竜や精霊を自由に操れることが前提となるからだ。

 その前提を成り立たせるためのハードルは果てしなく高い。不可能と断じてもいいほどだ。

 

(やはり竜や精霊は何かの暗喩あんゆで、本質は別の何かなのだろうか。相手が魔術結社であることを考えると何らかの神秘であることは確定。ならば最も可能性が高いのは強大な魔術か)


 ミラーの《焔と岩の竜王ドラン》よりも強大な大魔術。

 やはり考えたくない可能性だ。

 もし仮にミラーの《焔と岩の竜王ドラン》やジャックの《大夢心象》より強力な大魔術が使える魔術師が人工的に作れるのならば、やはり世界は滅んでいるだろう。

 そもそも、あの2人はさも当然のように大魔術を1人で使っていたが、本来、大魔術とは何十人もの魔術師が徹底的に場を整え、なおかつ最高の道具を揃えて長時間詠唱して、そうしてやっと現界出来るという七難しちむずかしいものなのだ。


「と、ここですか」


(この問題はマテイエに会えば解決するだろう。今は一旦置いておこう)


 羅針盤の針が目的地に着いたことを表すようにぐるぐると回っている。

 目の前にあるのは高さ3メートルほどの大型の扉。

 素材は複合素材ではなく、銅を主成分としてすずを含ん合金で色は黄金色……これは青銅か。

 ギリシャ神話において青銅はさまざまな形で出てくる。

 代表的なのは青銅で作られた巨人であるタロスなどだろうか。

 だが、この扉は物質的な隔たりを表しているのではなく、どちらかというと冥府の奥に進むための試練を示しているようだ。


(彫られているのは90度傾いたオケアノスに沈みゆく太陽。迫り来る冬の風の文字に6粒の柘榴ざくろと泣いている女神……デメテルか。そしてこれは……ペルセポネへの歓迎の文言)


 恐れ入った。

 まさかオケアノスそのものを90度傾けることで西の果てと地下の座標を無理やり合わせるとは、その発想は思い付かなかった。

 これならばハデス以外の属性を使っても破綻しない。実質的に制限をなくすことに成功している。

 そして直接的なペルセポネの記号がないのは、羅針盤を持つもの、つまりは私そのものをペルセポネと定義しているからか。

 道理でコレーの冥界入りによるペルセポネ化を短略化した儀式が使われているわけだ。

 この扉を開けるには何が必要かは分かった。

 何をすべきかはペルセポネへの歓迎の文言の内容に示されている。


『愛しき者。冥府の主人の配偶者にして知恵を分ける者。この風と涙が近づくなれば何が押し寄せようものか、声によって示すがよい。それを持って冥府の主人は喜びによって宮殿へと迎え入れよう』


 なんとも分かりやすい鍵だ。

 魔術を知らずともギリシャ語を知る者ならば誰でも解けるだろう。

 つまりは——……


χειμώνα

 

 これがこの扉の鍵。

 古典ギリシャ語でないのは、歓迎の文言が現ギリシャ語で描かれていることから明らかだ。


 カキンッカチチッガチャン……キイィィイ


 閉じられていた扉が開く。

 人の手を借りずに、ペルセポネ客人が来たこと歓迎するために、重厚な青銅の扉は道を開ける。

 

「これは……」


 扉をくぐった先にあったのは、ここが地下であるということを忘れさせるほどの地下空間と、見事な建築物たちだった。

 調和と均整を重視した直線的な造りでどっしりと重厚感があるこれは……ギリシャ建築か。

 なるほど、ここまでギリシャ式に整えているとは、ここを作った魔術師は筋金入りのギリシャ魔術師だったのだろう。

 少し太い印象で柱の上下に飾りっ気がない柱が狭い間隔で並んでいるのは……ドーリア式の柱だ。

 黄金比をこれでもかと使っている建築は見る者を圧倒し、この場が只人ただびとの立ち入るべき場所ではない神聖なる場だと示しているようである。

 美しい。

 芸術には明るくない私でさえそう思った。

 ここが神を祀る地下神殿だといわれれば信じてしまいそうだ。

 いや、実際ここは神殿だ。

 ただし、神を祀るためではなく、魔術を効率的に扱うための《祭壇》としての神殿だが。


「あはは、やっと来たね。待ってたよ」


 そんな神殿の前の階段には1人の美しい青年が座っていた。

 腰まで届く黒髪は癖一つなく綺麗な艶を放ち。

 灰色の瞳はガラスのように輝き。

 細身の肢体は僅かな女性性を感じさせ。

 だが全体的造形には男性的な形が見て取れる。


「マテイエさん。今度こそ貴方の全てを貰いに来ました」

「あっはは、まるで白馬の王子様みたいなセリフだねー」


 マテイエは立ち上がると、相変わらずの『えみ』を浮かべながら私を見下ろす。

 階段の上にいるので分かりにくいが、意外にもその身長は男性の平均身長よりも低いようだった。エマよりも少し高いぐらいだろうか。

 だが、顔が小さくスタイルが良いので印象としての身長は高く見える。


「だけど試練もなしに何かを得るのはおかしいよねー。魔術を知っているなら分かるだろうけど、対価がなくては何かを得ることは出来ない。これが基本だよ。君が欲しいのは俺の全て。対価はそうだなー……金枝の使者の入るっていうのはどうかな?」

「断ります」


 即答する。

 私はどこかに所属する気は毛頭ない。

 いや、そもそも出来ないのだ。

 これは私がどうにか出来るものではなく、

 つまりは世界を構築する法則そのもの。この宇宙に刻まれた『私』が『私』である限り変えることの出来ない、神の干渉すら跳ね除ける絶対性に裏打ちされたものだ。


「へー、断るんだ。ははは、予想外だね。じゃあどうやって俺の全てを手に入れる気なのかなー?」

「もう分かっているのでしょう。?」


 ガチャン!

 

 肩からスポーツバッグを下ろすと、カーボン素材を挟んで硬質な音が響く。

 ファスナーを開けて取り出すのは鞘に収まった一振りの刀と 、拠点制圧でも使った『S&W M500 マジックカスタム』。

 

「さて、私の敵意は伝わりましたか?」

「あはっ、あははははははは! いいねーそうでなくちゃ! 君の力が見たかったんだ!」


 マテイエが笑う、破顔う、咲う。

 嬉しそうな『えみ』を浮かべながら、大仰な仕草で手を広げる。


「ここからは手心不要。シンプルにいこう! 勝った方が正義だ!」

「いいえ違います」

「ほう?」


 私の否定にマテイエが好奇心を浮かべる。


「では、正義でなくては何を得る? 我が敵よ。……はは、早く聞かせてよー」

「貴方の言う通りシンプルです。……得るのは全て。お互い敗者の活用法くらい知っていますからね」

「はははは、そうだねー。手心不要と言いながら甘かった! 正義も悪も偽善も賛美も全ては勝者の権利。当然のことだね」


 私は体勢を整え、マテイエは手を掲げる。


「それではここからは——」

「それじゃあ今からは——」


 私でも感じる。この場にいる私たちの思いは重なっていると。

 ならばこれも必然だったのだろう。


「「戦いの時間です!!」」



 2つの宣言が神殿にで重なり合った。

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