第33話
窓辺の椅子に座りながら外の景色を眺める。
空から降り注ぐ陽光が照らし出すのは、どこまでも続く強化ガラスと複合素材で出来た建造物たち。
大小様々な建造物がひしめき合う姿は、どこか手入れの行き届いた森を想像させる。
まあ、私は森をじっくり見たことなんて2〜3度しかないので、この想像が常識に沿っているのかは計りかねるが。
『新開発』によって作られた浪川区は人口が少ないというのに、このような建造物ばかりが幅を利かせている。
街中は24時間365日AIによって管理されているし、街中を走る車両の9割は無人車両だ。まあこの車両にはドローンも含まれているので一概に人が乗っている車両が少ないとはいえないかもしれないが。
……いや、やっぱり人の乗っている車両は少ないだろう。人の乗っているものは地上を走っている車両に限定しても半分にも満たないのだから。
代わりに運んでいるのはわけの分からない機械部品と、それを組み立てるための工業用のロボットに違いない。
『
この都市の5分の1が情報を管理するための企業ビルであることを考えれば、その別名が決して大袈裟でないことを教えてくれる景色だ。
ほんの2〜30年前までこの都市が存在しなかったなんて、この時代の誰が想像出来るだろうか。
と、そんなそんな事に思いを馳せていた私に院内放送がかかる。
『ポーン。麻上様、面会の許可が通りました』
私は立ち上がり、廊下を走る有機ELの案内に従って歩みを進める。
ここは浪川区唯一の病院にして、日本最大級の巨大医療研究施設だ。
特殊素材で造られた廊下には旧来のような消毒液の香りが漂うこともなく、逆に人を落ち着かせる芳香を放っている。
私が施設にいた頃には珍しかった壁と床に埋め込まれた有機ELも、今となっては必要不可欠なものだ。
試すことはないが、壁の画面に向かって問いかければ、必要な事を的確な答えで返してくれることだろう。
そんなことを考えている間に、目的の病室の前にたどり着く。
『面会時間は20分です』
扉が1人でに開き私を招き入れる。その向こうにはさらにもう1つの扉が待ち構えていた。
「誠さん……でしたか。その節はお世話になりました」
「いえ、こちらこそ本来ならば我々だけで解決しなければいけないところを……」
だが、その扉の前には1人の男性が居座っていた。
立ち上がった男性は、薄い茶色に染めた髪に洒落たスーツを着こなして、人付き合いの良さそうな笑みを浮かべている。
京介よりも見た目に気を使っていることが一目で見てとれるその姿からは、一世代前のやり手の会社員といった雰囲気が感じ取れた。
フルネームは確か、
「結界を張っているのですか」
「ええ、彼が魔術師でないのは確認が出来ていますが、万が一の状況に備えれば仕方のないことです。……拠点が潰せたといっても全ての魔術師が捕まった訳ではありませんので」
まあ妥当なところだ。
なんせ彼は自爆事件の唯一の生存者なのだから。
情報源としても魔術を知る者としても、監視は必須だ。
30人前後しかいない神秘課としても、貴重な人材を割くに値すると判断したのだろう。
地下教会に任せないのは、彼らなりの線引きだろうか。
「それでは彼に会ってきます」
「はい、私はここにいますので必要ならばお声がけください」
誠に見送られながら扉の脇にある
扉を潜ると、自動で音を立て閉まった。
暗い。
病室はカーテンが閉め切られ、間接灯の明かりだけがぼんやりと部屋を照らしていた。
どうやら1人部屋であることをいいことに、自分の好きなように過ごしているようだ。
「あー、本当に来たんだ。笑いに来たの?」
そんな室内のベットの上に1つの人影があった。
この暗さでも私の目は正確にその姿を捉える。
前会った時に身につけていたゴテゴテとした魔術礼装がないために印象は違うが、そこにいたのは見覚えのある青年だった。
江東区のビルの地下でまみえた、一般人でありながら魔術事件を起こした青年だ。
ただあの時と違うのは、左手がないことだろう。
壁に埋め込まれていたシートを出し腰を落ち着け、青年に体を向かせる。
「笑いに来た訳ではありません。ただ少し聞きたいことがありまして」
「礼装をどっから貰ったかなら知らないから。刑事さんたちにも散々言ったけど覚えてないんだよ」
「ええ、聞いています。それは間違いではないのでしょう。ですが……予想ならば出来ているのではないのですか」
「……」
「貴方にかけられた神秘……というより暗示ですかね。それはサルガタナスの伝承になぞったものだそうです。それが選ばれたのは貴方自身が元々悪魔などの知識を持っていたからでしょう」
「……だから何。空想に浸ってた痛い奴とでも言いたいの?」
「現実に魔術があるのですからそのようなことは言いませんよ。……話を続けます。貴方にかけられたのは忘却の暗示、ですがそれは貴方自身がかけたものですよね」
神秘課の人間も記憶を戻すために様々なアプローチをおこなったはずだ。
しかしそれは外部からかけられた魔術を乱したり中和させたりといった方向性のアプローチだったのだろう。
「へー、そう思ってんの?」
「ほぼ確信的に思っています。神秘課の皆さんにも先入観があったのでしょう。魔術を操るのは魔術師であるはずだ、と」
だが、それは間違いだ。
祭壇を整え魔術礼装を使えば魔術師でなくとも魔術を使えるのは、青年を含めた自爆犯が証明している。
「貴方は魔術礼装を使い自らの記憶を封じた。しかし魔術とは《概念》と《未知》を繋ぐエネルギーがあって初めて成立するものです。魔術礼装があれば魔術礼装から、祭壇があれば祭壇から、そして今ここならば刑事さんが張った結界から、貴方は魔力を得て記憶を封印させ続ける。……ですが、属性の概念のある魔術はそんなその場しのぎでは完璧に発動するはずがありません」
この地球で魔術を使うならば、属性や記号に従うのがセオリーだ。
それはこの星に蔓延る法則に従った方が効率的に魔術を使えるからでもあるし、そもそもその法則が絶対性を持っているからでもある。
「貴方の記憶は蘇りつつあるのでしょう。そして私は貴方が思い浮かべている人間が誰なのかを予想しています」
「誰だと思ってんの。言ってみなよ」
青年は挑発的に顎を上げる。
その仕草は私相手には何の意味もないが、青年はまだそのことを知らないのだろう。
何より、その挑発的な仕草と共にしているなくなった左腕を掴む仕草が、不安と拒絶の証だと分かっているのだろうか。
いや、無意識の行動なのだから気付いているはずもないか。
まあ、そんなことは今はいい。
今重要なのは、私の予想している人物と青年の思い浮かべている人物が同一人物なのか否かだ。
青年に魔術礼装を与え事件を起こさせた黒幕。
なおかつ私の知っている人間といえば、私は今1人しか知らない。
それは——……
「——マテイエ。それが貴方の思い浮かべている人物ですよね」
「……」
その名を聞いた青年は隻腕で頭を抱え10秒ほど唸った後、おもむろに顔を上げ私を睨む。
「……何してくれてんの? 確信持ったから暗示は切れたし。でもそうかー、やっぱりあの人が力をくれたのかー」
青年は複雑な表情を浮かべると、天井を向き独り言を呟くように声を発する。
「ゔぁー……恨めばいいのか感謝すればいいのかどっちだよ。はは、どっちもだよなー。……ま、いっか、どうせ俺なんて脇役も脇役。あんたやあの刑事、ましてやあの人なんかには逆立ちしたって追いつかないんだし」
青年の気持ちは私でも理解出来る。
だが、決して青年はそれに飲まれることはない。
諦め、希望、そして敵対心。それらが強く青年の顔には現れている。
ああそうか。
この青年は絶望しないのか。本当に強い。
ならば私もそれに応えなければいけないだろう。
「私はマテイエと戦います」
「そうかよ」
「誰の手も借りません。私の手でマテイエに勝ちます」
「……そうかよ」
青年はそれだけ言うと私とは反対方向に寝返りを打ち、拒絶の意を示す。
言いたいことは言った。これは青年へのケジメだ。
青年が慕っているであろうマテイエと敵対することへの意思表示。それは本来必要ではないのだろう。
……実のところ、私はこれに何の意味があるのかを理解していない。
こうした行動をするのは、ただ人の行動を真似ているだけだ。
何か心が伴っているわけでもなくこのようなことをするのは、私から見ても間違った行為だと思える。
それでも私は誰かの真似をすることしか出来ないのだ。
『お前には心が分からない』
散々言われてきた。
『お前には感情がないのか?』
ああそれも耳にタコができるほど聞いた。
『お前は肌の色と同じく心が冷たいな』
それはどうなのだろうか。肌の色で心が決まるわけでもあるまいに。
『機械みたいで気味が悪い』
ああ、それは当たっているかもしれない。
私にあるのは他人を理解して模倣しているだけの
だが、今はそれでいい。
いつか私は手に入れる。
『楽しい』と『幸せ』を心に刻み面白おかしく生きてやる。
そのためにも今は蓄積しなければ。
より多く。より効率的に。
他者を真似するのもそのためだ。
私にとっては如何なる行動も『心』を手に入れるための手段でしかない。
「少し早いですがお
「待てよ」
シートから立ち上がり扉を開くためにエアリアルタッチパネルに手を近づけようとしたところで、青年から声がかかる。
何か話し足りないことがあっただろうか。
振り返ると、そこにいた青年は
「あんたじゃあの人には勝てないと思うなー。あの人は最強だ」
誇張でも何でもなく、青年は心から言葉を発しているようだった。
真偽など関係ない。青年にとってそれが事実だからだ。
「何もなかったのをあの人がくれた。くだらない世界をあの人が変えてくれた。そんな人にあんたが勝てるわけないだろうが。あんたじゃ誰も守れない。守れてもいずれ失う。……弱者で脇役で負け犬な人間からの忠告だ。ま、忘れてもらっても構わないけどな」
そう言って青年はニヤリと口角を上げる。
魅了されるほど美しいわけでもない。
不快感を煽るほど醜いわけでもない。
それでも、その笑みは私の目に留まった。
それは精一杯の笑みだったからだ。
人が人として自らの届かぬ星に向かって見せた、そんな笑みだったからだ。
「名前を言えよ
ああ本当に、この青年は強い。
青年は間違いなく『人』だ。『人』としての強さを備えた
何が弱者だ。十分過ぎるほど強いではないか。
「……麻上永です」
「麻上永……良い名だよほんと。もう知ってるかも知んないけど一応名乗っとくよ。……
「ええ、忘れません」
忘れられるわけがないだろう。
こんな人としての
「また来ます」
「来れないよー。あんたはあの人に負けんだから」
「……そうでしたね」
全く、この青年は私が極度の負けず嫌いだと知っているのだろうか。
マテイエに負けられない理由が増えてしまったではないか。
「ですが、勝つのは私です」
「……感情くらい顔に出せよ。せっかく綺麗な顔してんのにもったいねー」
「生まれつきなので簡単には治せません。一応毎朝笑う練習はしているのですが……」
「マジモンかよ。ま、今どき珍しくもないけどなー」
確かに、街中を歩いても、十数年前と比べ感情のない顔をしている人間は多いような気がする。人と関わる時間が少なくなった弊害だろうか。
まあ、時代病とでも関係があるのだろう。
何にせよ、私1人が考えても何の解決にもないことだけは確かだ。
「では、お元気で」
「あんたは見れないだろうけど元気にしとくよ」
それ以上は目線も合わさず、私たちは背を見せ合った。
お互い分かっていたからだ。
この
だが、私は忘れない。
この出会いに価値などなくても、意味はあったのだといえるように。
私は決して忘れないだろう。
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