第32話

 青年を前に警戒を高める。

 私の千里眼クレアボイアンスには直前までその存在が観えて視えていなかった。つまり、青年は一瞬でこの場に移動して、私の背後に現れたと考えるのが妥当だ。

 いくら私の眼の機能が魔術的防護で弾けるとはいっても、この距離まで近づかれて気が付かないわけがない。

 そして、瞬間的にこの場に現れる魔術がどれほど困難なことかは、私はルシルから聞いて良く知っている。

 同一次元空間転移は大魔術に分類される魔術だ。

 膨大な資源と時間を消費して《場》を作り出し、それでも一回使えればいい方というほどに困難なことで、正直言って実用性など皆無に等しい。

 それに近しいことを引き起こす魔術は何があっただろうか。

 冥府渡り、天降り、ヘリオスの戦車などもあるか。

 だが、今あげた魔術にはどれも神殿レベルの《祭壇》が必要になるはずだ。だがここにはそのようなものは見当たらない。

 確かにここは魔術結社の拠点だ。

 しかし、私がここを《透視》で見た時には、軽い魔術的記号と、大型の祭壇が1つ観えただけだった。

 そしてその1つの祭壇も水と火の属性を融合させたもので、見た限り1つの目的にしか使いないものだ。

 魔術的防護が施されていないことが不可解だったが、隠された魔術がないことは確認している。

 ……いや、そもそも

 ここにいるのがただの像に過ぎないのならば、魔術的ハードルは大きく下がる。


「いきなりだんまり? あはは、寂しいなー」

「貴方がどのような存在なのかを測っていました」

「気になる? 気になるよねー。まあ、魔術師であることは間違いないよ。あと、人形でも幻覚でもないよ。本物だよ」


 青年は『ほらほらー』と手を伸ばしてくる。

 私たち2人の距離は互いに手を伸ばせば届くほどしかない。

 と、そんな私たちを周りに倒れていた魔術師たちが注目していた。


「あ、あなたは……」

「へー、優しいね。殺さないんだ。はは、面白いよ君」


 そう言って青年は私から距離を離す。


「京介さん。聞こえますか」

『永さん。はい、聞こえます。今神秘課の人間を向かわせていますのでもう少し待っていてください』

「いえ、人を寄越すのは後30分待ってください。新手の魔術師が出てきました。貴方たちの練度では相手にするのは難しいです」

『……了解しました。ご武運を』


 京介たちには連絡した。

 後はこの青年をどうにかすればいい。


「よかったね優しい子供が相手で。じゃなきゃ死んでたよ。魔術師同士での抗争なんて死人が出てなんぼだからねー。あっはは、それも一興だけどねー」

「あ、あなたも同志なのですか?」

「はは、そうだよ。金枝の使者の人間さ」

「き、気を付けてください。あいつは化け物です!」

「知ってる知ってる。一体何の魔術だろうねー。バルドル? カルナ? ヴリトラっていう可能性もあるかなー? 何にせよ無敵性を持っていることには違いないよねー。あはは、当たってた?」


 青年は『えみ』を凝縮したような奇妙な表情をしながら、私に向かって問いを投げる。


「違います。私は魔術師ではありません。同時に魔術も使えません」

「へー、てことは超能力なのかな? ははは、初めて見た」

「それも間違いです。私はただの……化け物ですよ」


 S&W M500を向けて発砲する。

 手を動かしてから撃つまで実に0.1秒。普通の人間ならば反応すら許されない高速の早撃ち。

 だがしかし、これで仕留められるとは思っていない。

 

「はは、そんなに焦らないでいいよ。俺は逃げないから」


 真っ直ぐ飛んでいった弾丸は、だが直前で壁に当たったかのように弾かれた。

 その事実に警戒を高める。

 私がこの場で使っている弾薬は対魔術式弾アンチマジックバレット

 《概念》の整合性を観測することで魔術を強制的に破壊する、魔術によって作られた魔術を殺すための魔弾。

 事実、周りに倒れている魔術師たちの魔術は簡単に破ることが出来ていた。

 この弾丸が効かないということは、それだけ概念強度が高い魔術が使われているということだ。


「貴方は優れた魔術師のようですね」

「あはは、そうだねー。金枝の使者でも十本指には入るかな。……まあ、単純な強さならミラーに劣るけどねー。あのジジイは強いことだけが取り柄のくせにうざかったよ」

「ミラー? 貴方はミラーを知っているのですか」


 ミラーが何らかの魔術結社に所属していることは知っていた。だが、それが金枝の使者という結社であるとは初耳だ。

 ミラーは自身に精神的防護を施していたのか、《魅了》では結社の情報を得ることが出来なかったのだ。

 

「ミラーを知ってる? もしかしてミラーを捕まえたのは君か?」

「……ええ」

 

 青年の言葉に肯定を込めて頷く。

 青年はそれを見ると『えみ』を破顔えみに傾け、声を上げて嘲笑しわらいだした。


「ははははははは! そうか君か! これは驚いた。日本の警察が捕まえていたと思っていたことを謝罪するよ。あっはは! あのジジイもざまあない。アルボス学派が誇る番犬の名が泣いてるな!」


 楽しそうに、愉快たのしそうに、明るたのしそうに。

 笑う。

 咲う。

 嗤う。

 破顔う。


「君は強い! ミラーは最強に近い魔術師だった。それをどうやったのかは知らないけど捕まえたときた!」


 中性的な美貌を歪ませて、青年はいっそ不気味なまでに機嫌よく笑っている。

 それは見る人が見れば薄気味悪いと嫌悪感を抱きながら、それでも目を離せない魔性の魅力を頭に叩きつけられるような。

 そんな人の持つ原始的感情を揺さぶる『えみ』だった。

 嫌悪感を抱くだろう。

 好奇心をくすぐられるだろう。

 美しいと評するだろう。

 醜いと忌むだろう。

 もっと見たいと思うだろう。

 もう見たくないと避けるだろう。

 そして……それら全てを持ちながら魅了されることだろう。

 それが正しい反応だと納得出来てしまうほどにその『えみ』は特異で、例えようもないほどに理解が拒まれるものだった。


「あははは! その様子じゃあ1人で捕まえたんだろう? 最高だよ君ってやつは! さあ、見せてくれよ。君の力ってやつを!」


 ああだが、私がその『えみ』を見て感じたのはそのどれでもなかった。

 嫌悪感を抱かない。

 好奇心をくすぐられない。

 美しいとも評さない。

 醜いと忌むこともない。

 もっと見たいと思わない。

 もう見たくないと避けることもない。

 そんな感情はどれも私にはない。見えているのはただの『えみ』だ。

 ただ……ああただそれが——……


「——羨ましい」

「……は?」


 青年が動きを止める。その美しい顔には心底意味不明だという思いがありありと浮かんでいた。


「何を言っているのかなー。はは、まさか俺を羨ましいって——」

「私、上手く笑えないんです」


 青年の声を遮って自分の言葉を発する。いつもならば行わない行動だ。

 真性悪魔の力を縛る《枷》が一部外れているせいで気分が高揚しているからだろうか。それとも感情に振り回されているからだろうか。あるいは他に理由があるのだろうか。

 ああしかし、そんなことはどうでもいい。


「毎朝鏡の前で笑顔の練習をしています。楽しい気分になろうとお酒を飲んでみました。抗うつ薬を飲んでいたこともありました。……非合法な薬を試したこともありました」


 それでも私は上手く笑えなかった。

 楽しいが理解できる。

 幸せが理解できる。

 だがどう足掻あがいても感じることが出来ない。

 それなのに私は楽しく生きたい。面白おかしく生きたい。そうやって足掻いている。

 なんて酷い欠陥品だ。


「私では足りないのです。何か私を塗り潰すほどの何かが必要なんです。……貴方は笑えている。


 なんて羨ましいのだろう。

 それほどの『えみ』を浮かべるために、一体どれほどの『楽しい』と『幸せ』をその身に受けたのだろうか。どれほどの感情を持って自らを塗りつぶしたのだろうか。

 

「私に教えてください、貴方の全てを。貴方がその『えみ』を手に入れるまでに犠牲にした全てを。……


 傲慢だ。

 今の私は言葉にするまでもなく人として間違っている。

 だが、そうしなければ得られないものがあるのだ。

 異常であることが望みを得るために必要ならば、何を恥じることがあるだろうか。何を戸惑うことがあるだろうか。

 所詮、私は心を解さぬ化け物。

 全能でありながら自らの願いきぼうすら叶えられない、不完全なる悲観する半端者。

 だからこそ私は、私の求めるものを諦められない。

 『面白おかしく生きること』を叶えるためならば、私は——……


「あはっ……あははははははははははは!!」


 青年が笑う、咲う、嗤う、破顔う、咲う、嘲笑わらう。

 美しいテノールの声を空間一杯に響かせ、中性的な美貌を目一杯歪ませる。

 『えみ』になんて収まらない。

 それは私の知る語彙ではいい表せない、『』を極めた1つの極致といえるものだった。

 ああ凄い、まだ先があったなんて。


「ははは、ホント最高だよ君! ああでも時間がないなー。もっと君を味わいたいのに。こんなの生殺しだよ。あ、そうだ!」


 青年はポケットの中から何かを取り出すと、私に向かって投げて寄越す。

 手を開いて確認すると、それは銀色の輝きを放つ小さな羅針盤であった。


「それを辿って来るといい、歓迎するよ。あはは、楽しみだなー。あっはは! 今日はこれまで舞台は終わり! またのご来場お待ちしております!」


 青年は芝居がかった仕草で一礼すると、懐から何かを取り出し掲げる。


「名前を聞こうか、ガール?」

「……麻上永です」

「良い名だねー。こっちも名乗らなきゃ失礼だよね。……私はマテイエ。以後、お見知り置きください。あはは、じゃあねー」


 ふと、夏の陽炎のように青年……マテイエが掻き消える。

 まるでマテイエなど最初からいなかったかのように、この場には足を撃ち抜かれた魔術師たちのうめき声だけが満ちていた。


「……残念でしたね。まあでもこれを寄越したということは私を招待しているということでしょう」


 手に収まる羅針盤に視線を落とす。裏を見てみれば太陽と船、尾を加えた蛇の意匠が刻まれていた。

 見事な一品だ。

 銀細工には明るくない私であってもそう思えるほどに、その羅針盤は美々しいものだった。


「まあ、今は隅に置いておきましょう」


 京介に連絡を入れる。

 そうだ。あの『えみ』を手に入れる機会はまだある。ならば焦る必要などどこにもない。

 マテイエの『えみ』、その奥にあった『ナニカ』を思い浮かべる。

 あれを私のモノに出来たのならば……その時のことを思うだけで期待で背筋が震える。

 

(まだ、今は我慢だ。次に会う時、それが私にとっての歩みになる)




 夢想の中で、私は笑っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る