第31話

 昼には暖かい日差しが心地良かったが、夜になるとまだ肌寒さを感じる。そんな時期の夜風に当たりながら、1つのビルを見上げている集団がいた。

 電気が無料化された時代には珍しく、そのビルには1つも明かりはつけられておらず、また人気ひとけもなかった。

 

「……」

 

 そんなビルを30人ほどの刑事が囲んでいる。

 だが、奇妙なことに誰もがビルに視線を向けるだけで、突入しようとする気配も、いるはずの犯人と交渉しようという行動もなかった。

 決して人質がいて近づけないわけではないし、そもそも彼らは誰かを捕らえようとしているわけではなかった。

 彼らに任されているのは誰も近づけさせないこと、そして誰も逃さないことの2つだけだ。

 その任務を果たすために彼らは動かない。

 辺りは不自然なほどの静寂が広がり、しかし彼らはそれに何の疑問も持ってはいなかった。

 なぜならば、その静寂を作ったのは彼ら自身だからだ。

 

「……小谷さん。永さんが入ってから20分が経ちました」


 そんな人工的静寂を極力揺らさないように、美緒は小声で京介に声をかける。


「ああ分かってる。今から定期連絡だ」


 京介は耳にかけたインカムに触れると、小さな声で呼びかける。


「永さん。制圧は順調でしょうか」

『ドンドンッ! ……ああ京介さん……ダダンッ! 順調です……ガギン!』

「人払いは依然効力を発揮していますから多少の音ならば漏れても大丈夫です。銀筒の消費が想像より激しいので反魔術秘蹟陣が展開出来るタイムリミットは後2時間弱です。制圧に使えるのは後1時間弱ほどかと」


 京介はちょくちょく入っている背景音には触れずに、必要な事項だけを告げていく。

 自分に出来る事がそれぐらいしかないと理解しているがゆえに、それが最善だと分かっているからだ。


『ズン! 了解しました。戦闘が……ドンドンドンッ! 激しくなってきたので……カシャーン! 落ち着いたらこちらから伝えます』

「はい、それではこちらからの連絡は一旦控えます」


 通話の相手は何も言わずに通信を切る。

 了解の意だろうと受け取り、京介は美緒に命令を出す。

 

「中は本格的な戦闘に入ったようだ。逃げた魔術師が外に出てくる可能性を考え、各員に連絡していけ」

「はい」


 美緒はビルに結界を張りながら見張をしている神秘課の各員に連絡を終えると、不安を滲ませた顔でおずおずと京介に話しかける。


「本当に永さんだけで行かせてよかったのでしょうか」

「俺たちが行っても足手まといなだけだ。無駄な負担をかけたくなければ大人しく仕事をしろ。それに……打てる手は先生たちが打った」

「これですか……。こんなものをどこで調達したんでしょう」


 美緒が京介の足元にある2つの大型バッグを見ながら言う。

 いや、正確には中身を見ながらだ。

 

「これ……普通に銃刀法違反ですよね」

「……魔術師には関係ないんだろう」

「私たちも魔術使いですけどね。それ以前に公僕ですけど」


 僅かに開いたバッグの口から覗いていたのは、磨き上げられたシルバーや艶消しの施された金属の塊だった。

 つまりは——……


「ハンドガンはともかくショットガンやライフルなんてゴーストガンでも滅多に見ないのに……」


 ——銃火器だ。

 ハンドガン、アサルトライフル、ショットガン、マシンガンなど主要な火器がごちゃ混ぜに詰め込まれている。

 それに加え、生産された会社も混沌としていた。

 S&W、カーアームズ、イサカ・ガン・カンパニー、アーセナル、タイルム……メジャーどころからマイナーどころまで一通り揃えられている。


「中の魔術師たちが死なないか心配ですね……」

「永さんのことを信じるしかないな……」


 冷たい風が静かに2人の間を通り抜けた。





     †††††





「防護は意味がないぞ! 《セトの守護》は外して《ハルウェルの光線》に魔力を回せ!」

「ダメです! 当たりません! エルシュキガルの術式もグアッ!?」

「シル!? くそっ、《ナムタルの裁決》も効果なしか! ガアッ!!」


 歩く。

 無造作に、軽々と、遠慮など一切なく。

 無人の野を行くかのように歩く。


「《ムンムの数字》は何を示している!?」

「何も示しません! 《天神の神託》も同様です!」

「こんな……こんなことが!? 何なんだあいつは!」

「化け物が! 《太陽神の疫病》をつかガハッ!!」


 銃口を向け、引き金を引く。……当たる。

 1人が倒れた。……次の人影に照準を合わせる。

 急所は外す。

 足を中心に狙い動けなくする

 動脈も太い静脈も狙わない。

 最低限運動能力を失わせればそれでいい。


「があっ! な、なんで効かない!? 何で傷が癒せない!?」

「あ、足が! ぐぎぎっ!! あ? まさか!? 月神の加護が消えた!?」

「魔術が! 魔術が使えない!?」


 外で刑事たちが張った魔術陣の成果が出ているようだ。これで一度戦闘不能になった魔術師が復活することはないだろう。

 さすがは教会の魔術……いや、秘蹟か。効力は抜群。

 本来ならば大抵の魔術は対策されているものだが、教会の秘蹟は外に知られていない分対策が不十分のようだ。

 効果は単純。

 使

 ただそれだけの簡単な効果が、この場にいる私以外の者を縛り上げる。

 魔術を使うものにとって魔術とは、自身のもう1つの身体からだといっても過言ではない。

 自信、好奇心、自尊心、後悔、決意などなど、関わり始めた理由に関する程度の差さえあれ、いつしかそれは魔術師にとって離れ難いものとなるからだ。

 それは麻薬の如く濃密で、賭け事のような享楽をもたらす。

 まあ、そんなことは今関係のないことだ。

 

投降とうこうしてください」

「ふざけるな化け物が!!」


 また断られてしまった。

 最初は穏便に、後には恐怖を与え、試してみてこれまで10回は同じことを言っているのだが、一向に頷く人間がいない。

 何がいけないのだろうか。

 その瞳からは恐怖が感じられる。

 その動きからは怯えが見て取れる。

 その声には畏怖が滲んでいる。

 だが、その行動からは固い結束と意志が消えない。


「『黒きもの! 全能を誇りし暗き風! 我らを生かすものの名において我らが敵に厄災をもたらせ!』」

「『続けて告げる! 汝は第一の太陽! 羽毛のある蛇の仇敵にしてジャガーの化身! 北の方角より神威を示したまえ!』」

「『結合せよ!! 北より来たりしは神の炎! 従い、繋がり、互いを燃やし尽くせ! 火を喰らう北の厄災コール!!』」

 

 神秘が顕現する。

 鎖状詠唱によって繋げられた《概念》が《未知》に与えられ、《魔力》によって結ばれる。

 姿を現したのは黒い炎に包まれた四足歩行の怪物。全長5メートルはあろうかという黒炎を纏うジャガーであった。


「アステカのテスカトリポカと四大天使のウリエルの融合ですか。一体どのような理論で可能にしているのか興味はありますが……ルシルならば美しくないと言って切り捨てそうですね」


 ジャガーがこちらに飛びかかってくる。

 黒炎をなびかせ私に迫ってくる姿は、まさに死の化身の名に相応しい。

 ああ確かに恐ろしい。人に絶望を与えるに足りる魔術であろう。

 だが——……


「——私は化け物ですよ?」


 右手に握っている物の重さを確かめる。

 ジャガーが迫り来る中、生物に定められた電気信号とシナプス間の伝達速度限界を超えたところまで思考を加速させた私は、灰色に染まった世界の中でゆっくりと右手を上げた。

 視界に入った右手には一挺いっちょうのハンドガン。


 種類、リボルバー

 銃身長、8.375インチ。

 口径、50口径

 作動方式、ダブルアクション

 装弾数、5発

 使用弾薬、500S&Wマグナム弾……ではなく今回は対魔術式弾アンチマジックバレット

 

 それはグリズリーをも一発で仕留められるという触れ込みの大型リボルバー。

 500S&Wマグナム弾を使った場合、単純な運動エネルギーだけを見ればライフル弾すら超えるS&Wスミス&ウェッソンの不朽の名作。

 それを対魔術師用へと改造した私が今回の制圧に選んだ相棒で、私のお気に入りの銃でもあるコレクションの中でもとっておきの逸品。


 『S&W M500 マジックカスタム』


 手に馴染むグリップの感覚と適度な重量が心地良い。

 これを握っている時には一発も外す気がしない。

 尤も、反動を抑えるために重量は2キログラム前後と拳銃としては異常なほどにに重く、さらにはそれでも抑えきれない反動はデザートイーグルに比べてもさらに大きいという問題もある。

 付け加えるならば、シリンダーと本体の隙間から漏れる発射ガスもS&W M500は量が凄まじい。見た目はもはや発砲ではなく爆発にすら見えるほどだ。

 つまりはこの銃は実用性に欠けているわけだが……ルシルと共同で魔改造したこのM500は、弾丸の初速を高めるために反動が1.4倍にまで増加しているため、もう並みの人間で扱うものではなくなっている。


(かなり無理をして術式を成り立たせている。でなければ最高神に等しいテスカトリポカ……その一側面のテペヨロトルと大天使ウリエルの術式を使ってこんな程度の魔術しか使えないわけない)


 そんな改造S&W M500を黒炎を纏ったジャガーに向け、照準を合わせる。

 本来ならば人が扱える限界に近づいている魔術的改造のなされたS&W M500。

 だが、私ならば何の問題もなく扱える。

 このハンドガンはもうすでに怪物じみたものへと変化していた。

 まさに真性の怪物である私が扱うに相応しい。


(弱点は心臓と……これは脾臓か。土の属性をもってウリエルとテスカトリポカを繋ぎ、火の属性を持つ臓腑を太陽と対応させているのか。となれば魔術基盤には陰陽五行思想が加わっている。節操がない)


 分析は済んだ。弱点もわかっている。照準も合わせた。

 ならば、後は引き金を引くだけ。

 ドンドンッッ!! と連続した凄まじい音と共に発射ガスが漏れ、弾丸が飛んでいく。

 人を撃つわけではないので

 真っ直ぐ飛んでいった弾丸はあやまたずにジャガーの弱点である心臓と脾臓を破壊する。

 ジャガーは黒炎と共に消えていくが、油断は出来ない。

 次に何かがくるのはいる。


「お前はテスカトリポカを打ち倒した! すなわちお前は!!」


 魔術師の1人が声を上げ、1つの瓶を掲げる。


「ここにあるは呪われた酒プルケ! !」


 そう言って魔術師は瓶をこちらに向けて投げてきた。

 なるほど。先ほどのジャガーは囮でこちらの魔術が本命だったのか。

 ケツァルコアトルに関する有名な伝説だ。

 テスカトリポカに呪いのかけられた酒プルケをそうとは知らずに勧められるまま飲んだケツァルコアトルは、酩酊めいていした挙句あげく自分の妹であるケツァルペトラトルと肉体関係を結んでしまい、トゥーラ、又はアステカの地を追われたという逸話の再現だろう。

 私はその酒が呪われた酒プルケであると知っているが、魔術への対策をおこなっていない人間に対しては、この手の概念を強制させる魔術はよく効く。

 しかし……それはただの人間が相手の場合だ。


「もう一度言いましょう。……私は化け物ですよ?」


 瓶が床に当たって砕ける。その中からは霧状の呪われた酒プルケが噴き出してきて、私を取り巻いてきた。

 淡く甘い香りと酸味が鼻腔をくすぐる。今までの感じたことのない風味だ。

 この魔術のためにわざわざ本物のプルケを用意していたのだろうか。


「……よし。ユッテ。ケツァルペトラトルとなれ。この怪物をここから出すことが出来れば……」

「ああ、その必要はありませんよ」

「「!?」」


 残っていた魔術師が目を見開くのが見える。

 何を驚いているのだろうか。先ほどから散々私が魔術を退けているのを見ていたというのに。

 

「なぜ!? 今回はちゃんと条件を満たした! さっきみたいにかき消されたりしていないのに!」

「化け物が!! ソロモン学派の骨董品か!?」


 彼らは魔術を放つのをやめ、ただ恐怖に満ちた表情でこちらを見てきた。声が出せているだけでも賞賛ものだ。


「言いませんでしたか。私は貴方方のいう通り化け物なのですよ」


 魔術師たちの心はついに折れた。

 恐怖によって縛られ、逃げるという選択肢さえ選べない。

 S&W M500に弾を込める。

 血を流していない魔術師は4人。十分に足りる。


「では、話は刑事さんたちにゆっくり話してください」


 4つの発砲音と共に魔術師たちが崩れ落ちる。

 足を貫通させたのだ。当分は痛みでまともに歩けないだろうが、本来の威力ならば足が吹き飛んでいてもおかしくはないのだ。その程度で済んでいるだけ儲け物だと思って欲しい。

 外にいる京介たちに連絡をして制圧は完了したことを伝える。

 これで魔術師たちの心配はないだろう。

 教会の秘蹟が発動する限り、この場で私が傷つけた魔術師たちは魔術を行使することが出来ない。

 だがそれは裏を返せば、秘蹟の範囲外にでてしまえば魔術が使えるということなのだ。

 《透視》で観た限りでは、何人かの魔術師が外を目指しているのが観えていた。

 尤も、地下通路の構造は全て京介たちに知らせているので、逃走される確率は少ないのだが。念には念をというやつだ。


「さて、後は——」

「わーお、ほんと凄いねー」


 背後からテノールに近い声が響いた。

 予想外の方向からの声に、一瞬動きが鈍る。


「……誰でしょうか」

「誰だって? あはは、教えないよ」


 振り返ると、青年が笑っていた。

 ニコニコと。

 ニヤニヤと。

 喜色満面に。

 のどかに。

 静謐さを漂わせて。

 高らかに楽しそうに。

 


 青年が嗤って微笑っていた。

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