第30話
「北方神父! わざわざ来てくださったのですか」
「小谷くん。いつぶりかね」
「秘蹟講習以来ですので、もう2ヶ月ぶりになります」
「もうそんなにか。先ほど城界くんにも会ったのだが体調が優れないようだったよ。ちゃんと休んでいるのかね」
「はい。あいつは少し当てられただけです。すぐに元気になって戻ってきますよ」
北方神父は京介へと親しげに語りかける。その姿は完璧なまでに『優しい神父』を体現していた。
だがその態度の端々からは、私の存在を意識しているのが見てとれる。
京介との会話に興じているのはただ単に私と顔を合わせたくないからなのか。あるいは、私と話す話題を考えているからなのか。
……このような考えは邪推だろうか。
ああ駄目だ。この老神父を前にするといつもこれだ。
『おい、聖堂騎士団が派遣されることが決まったというのは本当か?』
ルシルの言葉に反応して、立体映像のルシルへと北方神父が視線を向ける
ああ、助かった。
流石に北方神父と会話するのは避けたかったので、ルシルの言葉は天の助けにも等しかった。
いや、真性の悪魔である私が天の助けだなんていうのはおかしいだろうが。どちらかというと地獄の助けだろうか。
……なんだかあまり欲しくない助けになってしまった。
言葉1つでこうも印象が変わるのか。新しい発見だ。
「顧問か。先ほど言った通りだ。聖皇会の4分の1が賛成したことにより聖堂騎士団が派遣される」
『そして魔術協会からは神秘祭儀局の殲滅隊が派遣されるか……これは面白い状況になったな』
「いえ、面白くもなんともありませんよ。その2つの組織は仲良く手を取り合えるのですか」
そうだ、そこが重要だ。
共通の敵を前にいがみ合う組織など笑い話にもならない。
だが、ルシルと北方神父は声を揃えて断言する。
「不可能だろう」
『無理だろうな』
そんなさも当然であるかのように言われても……そんなことでは金枝の使者とかいう魔術結社に遅れを取るだけではないだろうか。
いや、分かっていても争うほど、地下教会と魔術協会の2つの組織は古くからの因縁があるのだろう。
『まず前提からいって成り立たない。どちらも多かれ少なかれ内集団バイアスが酷い奴らの集団だ。自分の所が1番、他は下。そんな奴らが協力なんてすると思うか? 付け加えれば教会なんかは魔術師を滅ぼそうとした事もあるんだぞ。もちろん逆もあったがな』
「顧問の言う通りだ。魔術協会は命令権の全てを寄越せと言ってきたそうだ。傲慢にも程がある。そしてこれは身内の話だが、この機会に魔術師を殲滅するための口実を作れと言ってきたな。私から言わせれば無駄なことだとしか思えん」
『ほう? お前が教会の意思に反抗をするとは珍しいな』
「私とて1人の聖職者なのだよ。神の言葉ではない上司の言葉には疑問を覚えることもある」
2人の発言を聞く限り、地下教会と魔術協会が仲良く手を取り合う可能性は、ゼロに等しいといっていいようだ。
まあ嘆かわしい結果ではあるが、予想通りといえばその通りだ。
それにしても、北方神父が教会の決定に不満を露わにしたのは驚いた。彼が私以外のものに不寛容さを見せる所を初めて見たのだ。
彼ほどの聖職者でもそのような人間らしい所があるのか。
と、そこまで考えて私が北方神父を人間扱いしていなかったことに気が付く。
(まあ、彼は完璧な『善人』だったし。人間には見えなかったから)
少なくとも、私のような人でなしを除き、彼の生き様は私の知る中で最も
エマ?
彼女はそもそも人として育てられていない。
ルシル?
あれは私以上の
鋼の信仰で神に仕え、高い善性で人を救う。北方神父はそれを完璧に体現していた。
それが出来る人間が教会の中でもどれほどいるというのだろうか
まあ今はそんなことはどうでもいい。
今重要なのは——……
「とりあえず、2つの組織が殺し合う可能性すらあるのは伝わりました。ではどのようにしてそれを回避するのですか?」
それが今1番どうにかしなければいけない事項だ。
山中ならばともかく、街のど真ん中。それも首都である東京で起こされたならば、その影響はどうしても大きくなるだろう。
神秘は秘匿されなければならない。
それは魔術師ではない私ですら守るルールだ。
『ん? ああ、そこまで心配は必要ないぞ』
だが、ルシルの方には何らかの手段があるらしく、その表情には余裕が見てとれた。
「……自分には関係ないから好きに殺し合いしているのを眺めて楽しむ……などではありませんよね」
『お前は私を何だと思っている。いくら私でもそこまでの外道ではないぞ』
いや、ルシルならば十分にあり得る思考回路だと思うのだが。
まあ、ルシルの機嫌がこれ以上悪くなると現実になりかねないので、再度口に出そうとは思わないが。
『お前がさっき言っていただろうが。魔術陣の解析は終わっているとな。太陽十字の魔術陣に記されていたのは総体としての思念を攪拌・拡散させるための術式で間違いがない。そしてその術式を日本全国に展開させるためにウロボロスが刻まれていたわけだ』
ああなるほど。
私にも何が言いたいのかが見えてきた。
「金枝の使者の拠点の位置が分かったのですね」
『そうだ。水の祭壇と火の祭壇を置くための場所を割り出した。尤も、大雑把な地域しか特定出来なかったがな。誤差は7キロと言ったところか』
それでも十分凄まじい行為だ。
今だ教会が
それもただ魔術陣を解いただけではない。
全国に散らばる魔術陣の配置、刻まれている記号の相乗効果、天文的意味、それら全てを完璧に理解して理論を露わにすることが、どれほどの偉業かは推して知るべきだ。
例えるならば、1人で測量を行い地図を完成させるようなもの。
まさに天才にしか許されない力技だ。
「それで金枝の使者の拠点はいくつあったのですか?」
いくら島国とはいえ、日本全国に術式を拡大させるためには、広い範囲での活動が必須だ。拠点が1つとは考えにくい。
『5つだな。岡山に2つ。富山、東京、宮城に1つずつだ』
「岡山に2つある理由は?」
『不明だが……予想はできるな。隣の広島には火の要素が今だ残留している。それも核による比較的新しい火の象徴だ』
ああ、それならば知っている。
というか、日本に住んでいるならば常識として知っているだろう。
1945年8月6日広島に対し、一発の原子爆弾の実戦使用がなされた。
リトルボーイと名付けられたその原子爆弾は都市1つを焼き払い、放射能を撒き散らしたのだ。
その威力は凄まじく、16万を超える人が2から4ヶ月以内に死亡したと伝えられている。
そして、これが人類史上初の明確に人民に核兵器が向けられた攻撃だった。
『太陽十字に太陽神の記号までを使っているんだ。火の属性は重要になる。だが、同時に水の属性を使ってい以上2つの属性のバランス管理はシビアになるはずだ。……おそらくは拠点に水の祭壇と火の祭壇を揃えただけでは火の要素に偏りすぎたんだろうさ。つまりは、どちらかは水の祭壇専用の拠点にしているわけだ』
「なるほど、それならば道理は通りますね」
風水にも似た魔術の形だ。
土地そのものに起因する要素を取り込みながら、追加の祭壇で微調整を加えることで、自分たちにとって最適な『場』を作り出す。
言葉にするのは簡単だが、国1つを『場』としてそれを実行に移すまでには、凄まじい労力が必要なのは想像に難くない。
「それで、どうやって地下教会の人間と魔術協会の魔術師を分けるのですか?」
『私はこれでも地下協会の特別顧問の地位にいてな。さらには魔術協会においては
北方神父に視線を向けると、彼は軽く頷いて肯定を示した。
どうやらルシルの言っていることに間違いはないらしい。
まあ、元々こんな事でルシルが偽りを語るとは思っていないが。やるならもっととてつもないスケールで話すに決まっている。
例えば、星を断って見せる、などだろうか……。
……いや、ルシルならば本当に成し遂げて見せそうで恐ろしい。
たとえ星を断つことは出来なくとも、焼き尽くすぐらいならば出来るのではないだろうか?
そう思わせるほどの重みがルシルにはある。
「それで、どのように派遣場所を分けるのですか?」
『数の多い教会の聖堂騎士団には岡山と富山を。魔術協会の殲滅隊には宮城を担当してもらう』
「1番重要な東京はどうするのですか?」
『ああ、国の首都を片方に受け持たせると後々うるさいからな。教会寄りでは
あるが一応中立の立場である小谷たち神秘課に担当させる』
「それは……」
難しいことではないだろうか。
神秘課の人間は戦闘に秀でているわけではない。分析などをを主とする解析職なのだ。
小谷が今日見せたように戦闘がこなせないわけではないが、流石に今回は荷が重い。
金枝の使者の拠点にいるのは正真正銘の魔術師である可能性が高い……いや、ほぼ確実にいるのは魔術師だ。
今日相手にした魔術礼装を持っただけの一般人とは比較にもならない。
青年の持っていた魔術礼装を作り出し、地下に巨大な祭壇を築いていたことからも、金枝の使者の力量の一端が見て取れる。
たかだか30前後しかいない神秘課では相手にもならないだろう。
話を聞いていた京介も険しい顔をして、どう言って断ろうかを考えているようだ。
「……先生。俺たちには魔術結社の拠点を制圧するほどの力はありません。ここは地下教会か魔術協会の人員に任せるというわけにはいきませんか?」
『何を言っているんだ? 誰がお前らだけで拠点を潰せと言った』
「はい? といいますと……」
『そこにいる永を連れていけ。それで問題は解決だ』
「永さんをですか……」
なるほど。
確かに私ならば早々魔術師に遅れを取ることはないかもしれない。
今日のように真正面から様子見することもなく最速で勝つ手段を取れば、大概の魔術師は反応すら出来ないだろう。
だが、それは一対一の場合に限った話だ。
たとえそれが一流の魔術師でなくとも、複数の魔術師を相手にしては私であっても死は避けられない。
「ルシル。私では追加戦力として不安が残ります。せめて10人は戦闘をこなせる魔術師が必要ではないでしょうか」
『まあ普通に考えればそうだろうな。フッ、だがな、《枷》の封印を取れば一流の魔術師が100人いようと殲滅出来るだろうが』
「顧問! それは……!」
その言葉に真っ先に反応したのは北方神父だった。
その声には何かを忌む感情がこれでもかと込められている。
『もちろん《首輪》はつけさせるさ。いざという時にはいつでも殺せる。問題は何もない』
「何を言っているのか分かっているのかね……!」
『元はといえば地下協会や魔術協会が手を取り合わなかったことが原因だ。戦争を回避するにはこれが最適解だった。ただそれだけのことだ』
「そのために神の威光を汚そうというのか!」
『ああそうだ。そもそもお前にも責任の一端はあるぞ神父さま? 自分だけ善人面出来るとでも思っているのか? 2023年の地下教会における異端の選定にお前が関わっていたのは知っているぞ。それがこうやって巡り巡って不和を大きくした。自業自得なのさ、何もかもな』
「……」
北方神父が黙る。その顔はこれまで見たことがないほどに苦渋に満ちた表情であった。
だが、不満を飲み込んで無言を通していることから、ルシルの発言を僅かなりとも認めていることが分かる。
北方神父が、人前であるにも関わらずここまで取り乱す所は、初めて目にすることだ。
京介と、いつの間にか戻ってきていた美緒も同じなのであろう。驚きを乗せた視線を北方神父に向けていた。
そんなことには一片の興味も見せず、ルシルは会話の相手を北方神父から私に変える。
『永。私が何を言いたいのかは分かるな』
「……教会からかけられていた《枷》を外し悪魔としての力を振るえるようにする、でしょうか」
『
「これまで《レルム》を創る時にあった《枷》の束縛による妨害を無視出来る。などでしょうか」
『本格的に創ろうとすれば話は別だろうがな。世界の法則を書き換えるぐらいならリスクなしで使えるだろうさ』
それならば確かに、ただの魔術師を相手にするだけならば、1000人きても相手にならないだろう。
なんせ全能者の一角である真性悪魔の力を存分に振るえるのだ。
やろうとすれば、星を崩すことすら出来るかもしれない。
だが、そう上手くはいかないだろう。
先ほど会話に出てきていた『《首輪》』という単語。おそらくは新しい封印である可能性は高い。というかほぼ確実に違いない。
『いざという時にはいつでも殺せる』という言葉から、その封印は自動、または他者の任意で私を絶命させるものであることが予想出来る。
『さて、これで問題は全て解決だ。今から——』
ルシルは間を作って一堂を順に見る。
それから不機嫌そうな表情の口元を歪め、宣言した。
『——殲滅を始めよう』
空には、
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