第29話

 日がビルに遮られ辺りが暗くなっていても、そこは黄色いテープで隔離されサイレンが鳴り響き、忙しなく人が出入りしていた。

 そこに建っていたビルは半壊して、地下に陥没し箇所からは地下の空間が剥き出しになっている。

 その地下空間に掘られている幾何学模様を調べているのは警察ではない。黒いカソックを着た地下教会の人間だ。

 私も先ほどまで聴取を受けていた。

 私の正体を知っていたのか、あまりにもしつこく聞いてくるものだから、途中からおざなりとなってしまったのは仕方のないことだと思う。

 まあ、彼らからしてみれば、私が関わっているというだけで気に入らないものがあるのだろう。

 と、そんなことを考えていると、後ろから私に近づいてくる足音に気が付く。

 

「京介さん。美緒さん。……もう戻ってきたのですか。まだ病院にいてもよかったんですよ」

「いえ、永さんが庇ってくれたおかげで怪我もありませんしそうもいきません」

「調査も何も教会の方がしてくれますが、一応当事者である私たちも現場にいないといけませんから。それに……」


 美緒が言い淀むのが背後で感じる。

 ああ、あの件についてだろう。


「都内22ヶ所での魔術による同時殺人及び自爆事件、ですか」

「聞いていましたか。その通りです。現場にはやはり太陽十字の魔術陣が残されていました。神秘課はこれらの事件を巨大魔術結社によるものと推定。地下教会からの支援を受け最優先での解決を目指すこととなりました」

「珍しくルシルの予測が外れましたね」


 これほどの規模で魔術事件が起こったのだ。ルシルが予想した神秘課だけで解決とはいかないだろう。

 いやそもそもの話、普段から教会の協力がなくては立ち行かない神秘課のことだ、最初から単独での解決など期待していなかったのかも知れない。

 だが、今私がいくら推察したところで、この辺りは本人しか分からないことだ。

 まあ、知ろうとすれば


「そ、そのぅ、先生には改めて神秘課独自の協力者として協力をお願いしたいのですが……」

「ああそれは心配しなくとも受けてくれるでしょう。なんせ自分の予想が外れていたのですからね。完璧主義者……とまではいきませんがそれなりに自尊心が強いルシルのことです。頼めば協力は惜しまないでしょう。……ですよね」

「……はい、それについては永さんの言う通りでした。問題は教会との折り合いですが……それはこちらで対処します。」

「ついでにこれまでの事件に関する資料を全てまとめておいてください。必ず必要になるので」

「は、はい、分かりました。……それと依頼していた——」

「魔術陣の解析はもう終わった頃でしょう。それよりも今回の事件の自爆犯の使っていた礼装について送っておいてください」

「は、はい!」

「それならば城東警察署に戻ってから繋ぎ直しましょうか」

「いえ、その必要はありません。?」


 そう言って振り向くと、京介と美緒が立っていた。

 美緒の手には端末が握られていて、どこかと繋がっているようだ。

 どこに繋がっているのかはいまさらいうまでもない。


「城界。スピーカーをオンにしろ」

「えっ、でも機密とか……」

「ここなら聞いてるのは教会の人間と俺たちだけだ。いいからしろ」

「は、はい」


 美緒がスピーカーをオンにすると、端末の向こうから機嫌の悪そうな声が聞こえてきた。


「随分と苛立っていますね。ルシル」

『当たり前だ。魔術陣から相当イカれている連中だとは思っていたがまさかここまでとはな。使魔術事件とは、教会や協会に対する宣戦布告に等しいぞ』


 そう、私たちが対峙した青年を含め、22件全てが魔術礼装を持っていただけの一般人によるものと断定されている。

 現在、教会の人間が持っていた魔術礼装、築き上げられていた祭壇から分析をおこなっているが、混沌とした術式からは有益な情報は得られていない。


「それだけが理由ではないでしょう」


 とはいえ、ルシルがそんなことに興味があるとは思えない。

 私の知る中で最もものぐさな人間だ。ここまで苛立つにはもっと他の要因があるとしか思えない。


『おい、小谷の部下」

「わ、私ですか」

携帯型立体投影装置ポータブルプロジェクターを用意しろ』

「今は車の中に置いてきていますので……」

『だったら取ってこい。……出来ないとは言わないな?』

「は、はいぃ! ただいま持ってきます!」


 美緒さんも可哀想なことだ。ルシルなんかに目を付けられたばっかりに。

 いや、名前すら覚えられていないことを考えると、眼中にはないが認識はしている、辺りだろうか。

 どっちにしろ気の毒なことに違いはない。


「ルシル。もうちょっと手加減してあげてください。前みたいに担当者が変わると神秘課の皆さんに迷惑がかかります」

『話の通じる小谷がいれば問題はない』

「俺からもお願いします。城界のやつは出来の悪いやつですが、それでも俺の後を任せられると見込んだ刑事なんです」

『……お前がそこまで言うのか』

「はい、至らない部分はこれから学ばせますので、これからも付き合ってやってください」

『……そうか』


 これは……少しは認識が変わっただろうか。

 それにしても、京介がそこまで美緒を高く評価しているとは思わなかった。

 私から見れば、美緒はそこまで高い実力を持っているわけでも、また優れた交渉力を持っているようにも見えなかった。

 事実、今日青年を前にした時の判断力も到底京介に優ってわけでもなかった。

 だが、京介がここまでいうのだ。

 私には見えないだけで、隠れた才能が眠っているのだろう。


「もってきました! きゃあ!? へぶっ!」


 転んだ。

 見事に転んだ。

 何もないところで転ぶとは……ドジっ子というものだろうか。

 本当に才能があるのか疑問が出てきたが、まあそれはいい。


「大丈夫ですか?」

「大丈夫か?」

「いたたた。はい、心配ありません。怪我もありませんし」

「お前じゃない。ポータブルの方だ」

「部下が転んだのに心配するのはそこですか!? ま、まさか永さんもですか?」

「……いえ、私はちゃんと心配してましたよ」

「何か間がありませんでした!?」


 そんな捨てられた子犬のような顔で私を見ないでほしい。

 ポータブルが壊れていたらルシルの機嫌が悪くなるかなー、なんてことを考えていたとはいえないではないか。

 私だって他人の求めるものを感じ取る感性はあるのだ。

 ……まあ、感性があるからといって、それに感情がついてくるかは別問題なのだが。


『私のいない所で騒ぐのはいいがな……さっさと準備をしろ』

「は、はいぃ! ただいま!」


 端末から聞こえたドスの利いた声に、美緒は急いで端末と携帯型立体投影装置ポータブルプロジェクターを繋げて起動させる。

 綺麗な声が凄みの利いた声を出すと、なぜこんなに迫力があるのだろうか。

 私もよく話し方が不気味とはいわれるのだが、それは抑揚がないことやリズムが変わらないことが原因だ。ルシルのものとは種類が違う。

 ルシルの声はなんというべきか、魔術を使っているわけでもないのに、聞く者の意識に強制させるような力があるのだ。

 いや、声は原始的魔術の1つだ。

 言霊やマントラに代表されるように、古くから声には力が宿ると信じられてきた。ルシルの声になんらかの力が宿っていても不思議ではない。

 なんせ至高の魔術師ともいわれるルシルのことだ。神秘の1つや2つ持っていてもおかしくはないだろう。


「出来ました!」


 と、そんなことを考えている間に起動が終わったようだ。

 最初はうっすらとしか見えなかった立体映像が、徐々に鮮明になっていく。

 携帯型立体投影装置ポータブルプロジェクターが役に立つのは特殊なカメラで互いを撮っている場合なのだが、今回は向こうが携帯型立体投影装置ポータブルプロジェクターを使っていないのでこれでいい。

 映っているルシルは不機嫌そうな顔をして、珍しいことにタバコも酒も持っていなかった。

 確か携帯型立体投影装置ポータブルプロジェクター対応のカメラは2階にあったので、ルシルは今2階にいるのだろう。

 それならばタバコを吸っていないことも納得だ。

 もしかしたらタバコも酒も出来ないので気が立っているのかもしれない。


『映ってるか?』

「はい、しっかり見えています」

『よし、これで話が進められるな。……まずはこれを見ろ』


 そう言ってルシルは一枚の封筒を取り出す。封は開けられていて中身も取り出されている。

 宛名を見ると、『至高の魔術師、ルシル・ホワイト殿』と書かれているのが見て取れた。


「魔術を介さずに送られていて、なおかつルシル宛のものとは珍しいですね。誰からですか?」

『そこでくだらない事件を起こした奴らからだ』

「本当ですか!?」


 京介が食いつくが、気持ちは分かる。

 なんせ現状何も分かっていない魔術結社の、数少ない手がかりとなるかもしれないものなのだ。神秘課の人間ならば見逃すはずがない。

 

「すぐにそちらへ向かいます!」

『その必要はない。魔術的にも科学的にも痕跡が残されていないのは確認した。それと、ご丁寧にも名前まで書いて送ってきたからな。見ろ』


 ルシルが封筒を裏返すと、そこには聞き覚えなない名が書かれていた。


「『金枝の使者』……ですか」

「城界。一致する魔術結社は確認されているか」

「……いえ、そのような名前の魔術結社はデータベースにありません。名前から言って黄金系の魔術結社でもないようですし。……教会にならば資料があるかもしれませんが……」


 金枝の使者。金枝……。

 

「森の王に関係があるのではないでしょうか」

「森の王、ですか」

「社会人類学者ジェームズ・フレイザーの著書、金枝篇で有名になった信仰です」


 イタリアのネミ周辺に根付く信仰だったはずだ。

 イタリアのネミの村にはネミの湖と呼ばれる聖なる湖と、聖なる木立があり、木立には聖なる樹が生えていた。この樹の枝、すなわち金枝は逃亡奴隷だけは折る事が許されていた。

 森のディアナ神を讃えたこれらの聖所には、森の王と呼ばれる祭司がいて。逃亡奴隷だけがこの職につく事が出来るが、森の王になるには2つの条件を満たさなければならなかった。

 1つ目の条件は金枝を持ってくる事であり、2つ目の条件は現在の森の王を殺す事だ。

 そして先代の森の王を殺したものは新たなる森の王となり、次の森の王が現れるまで役目を全うする——……


「——確かそのような信仰だったはずです。ルシルどうですか?」

『いや、今回はその金枝とは関係がないらしい。何を表しているのかは知らないがな』

「そうですか……」


 森の王が違うとなれば私の知識では対応出来ないな。

 だとすれば、その魔術結社は私の知らない『金枝』の意味を使っているか、それとも新しい概念としての『金枝』を確立しているかだ。

 または名には意味がない可能性もある。

 結局手がかりにはなりえないというわけだ。


「それでその魔術結社はなんといってきたのですか」

『これがまた舐めたことを書いていてな。要約すると『お前ごとき敵にもならないからかかってこい』ということらしい。……望み通り焼き滅ぼしてやろうか』

「ひぃっ!」


 立体映像越しとはいえ、ルシルから漏れ出した殺意のこもった言葉に、美緒が悲鳴と共に一歩下がる。

 気持ちは分かるがこんなことで怯えていては、ルシルと付き合ってはいられないと思うのだが。

 それに比べ、京介は顔色を失いながらも踏みとどまっていた。流石にルシルとの付き合いが長いだけある。


「ルシル。落ち着いてください」

『ハッ、落ち着いているさ。でなければこんなところで悠長に話なんぞしていないからな』


 そう言ってルシルはタバコの箱を取り出すが、今自分のいる場所では吸えないことを思いだしたのだろう。ポケットの中へ苛立たしげに箱を戻す。

 映し出された顔はさらに不機嫌なものへと変わっていた。

 いやこれは本当に怖い。

 感情が上手く処理出来ていない私でもそう感じるのだ。

 美しい顔が不機嫌になるとこうも恐ろしいものなのか。

 しかもルシルの顔はそんじょそこらの美顔とはわけが違う。私の見た中で最も美しい顔をしているのだ。

 感じる圧力というか、迫力が桁違いだ。

 美緒がガタガタと震えているのが見えたので、一時的に離脱させた。

 流石にあんな恐慌をきたした状態では話も出来ないだろう。


「その手紙が原因で苛立っているのは分かりました。それで、それを私たちに見せて何がいいたいのですか?」

『ああ、どうもこの宣戦布告は私の場所だけでなく、地下教会や魔術協会にも送られたようでな』

「ということは……この事件には地下教会や魔術協会からの干渉があるというわけですか。それは……」

 

 それは不味い。

 私が調べた限りでは、2つの組織は天敵同士ともいえる関係であるはずだ。

 ルシルの蔵書で調べただけでも、顔を合わせただけで争いに発展したという記述が数十は見つかった。

 いくらなんでも一国の首都に揃ってはいけない面子だ。


『普通なら相手にもされないはず……だったんだが。何をとち狂ったのか魔術卿直々の命令で魔術協会からは神秘祭儀局の殲滅隊が出張ってくるらしい。さらには——……』


 ルシルが言葉を切ったと同時に、こちらに近づいてくる足音が聞こえた。

 歩幅と靴の地面に当たる音のずれから予想される身長。アスファルトから響く反響で分かる体重。

 どちらも私の知っている人物の中で当てはまる人がいる。

 ああそうだろう。いつかは来ると思っていた。

 むしろ遅すぎたくらいだ。

 私の関係する事件が起こったのなら、教会から彼が派遣されるのは当然のことなのだから。


「教会からは聖堂騎士団が派遣されることが正式に決まった。いやはや、少々遅れてしまったかな」

「いえ、そのようなことはありませんよ。北方さん」

 

 声が届くほど近くにきた老神父の顔には、いつものように完璧な笑みが浮かんでいる。

 


 辺りはもう、月が浮かぶほど闇に染まっていた。

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