第28話
「次の交差点を右です。その後、真っ直ぐ400メートル進み右です」
「はい!」
美緒の運転する車に乗り込み、私たちは殺人未遂を起こした魔術師を追っていた。
一度現場に残された魔術師の痕跡を私の眼に収め、《解析》を使い
私の眼で追えるということは、その魔術師は魔術的防護を施していないということだ。本来ならばそんなことはあり得ない。
魔術師として生きているならば、呪いや遠見に対する対策を怠ることは即ち死に直結するからだ。
4流魔術師や魔術師見習いならばともかく、現場に残されていた魔術陣から今追っている魔術師は昨今の魔術事件に関係していると断言出来る。
組織的な魔術事件を起こすほどの魔術組織に属する魔術師が、果たしてそんな低レベルであることがあり得るだろうか。
「止まてください。この先にある赤い看板のついた5階建のビルが視えます。そこにある地下に隠れているようです」
「はい!」
「この先にある赤い看板のビルの地下に犯人は隠れている! 各員は出口を塞げ! 現場に踏み込むのは小谷、城界、協力者の3名とする!」
まあ、今そんなことを考えても仕方がない。
捕まえてしまえば後は私の《魅了》でいかようにも出来る。ようは逃さなければいいのだ。
「永さん。結界が張り終わりました。後は突入するだけです」
「それでは行きましょうか。先頭は私です」
「永さんにそんな危険なことはさせられません! 先頭ならば私が……!」
「城界。俺たちじゃ邪魔なだけだ。いざという時に備えておけ」
「小谷さん……!」
「美緒さん。大丈夫です。この場で1番適しているのが私であったというだけですから。京介さんのいう通りいざという時にはお願いします」
「……分かりました。ですが危険な時には下がってくださいね」
全く、真面目過ぎるのも考えものだ。
そもそも神秘課に所属しているといっても、京介や美緒は魔術戦闘に秀でているわけではない。
どちらかといえば、現場に残された痕跡から魔術的要素を解析する、いわば鑑識に近いものだ。
一応は教会から闘う
だからこそ、日本で魔術師を捕らえる場合のほとんどは地下教会の協力を得ているのだ。
だが、今は地下教会の応援を待っている時間はない。
殺人を犯そうとした魔術師が目の前にいて、追い詰めている。
魔術師にもそれは伝わっているだろう。今更引き返すことなど出来ない。
「では入りますよ。何があっても平常心を失わないように。特に美緒さんは初めてでしょうから京介さんの指示に従ってください」
「はい」
錆びついた扉を開けビルに入ると、カビの匂いが鼻につーんときた。どうやら長らく使われていなかったようだ。
ということは、ここは魔術師の拠点ではなく、あくまでセーフティーハウスの1つなのだろうか。
魔術的要素も見当たらないことを考えればその可能性が高い。
《解析》で視えた道筋を辿っていくと、地下へと続く階段を発見する。
コンクリートで作られた狭い階段だ。
魔術師はこの奥にいるのだろう。
京介と美緒に視線を合わせ、一段目を降りようとして——
「っ! 止まってください」
ああしまった。私としたことが、ここまで近づかないと気づけなかった。
まさかここまでの静謐性を持った魔術が使われていたとは。
一見ただの暗い階段にしか見えなかったが、眼を凝らすと魔術の波が薄く揺蕩っているのが見えた。
階段にかけられた……いや、この階段そのものが魔術なのか。
「何かありましたか」
「ここから先は魔術で満たされています。事情が変わりました。ここからは私1人で行きます」
これはいつかスクランブル交差点でミラーが行なってみせた
だが、空間そのものの位相をずらしていたあの時とは違い、今回は空間の連続性を再定義することで拡張を行なっているようだ。
魔術的防護を行なっていないせいで余計視えにくかった。
「2人はここから出て私が帰るのを待っていてください。ここまでの高等魔術を使う相手です。貴方たちには荷が重い。それに教会の人間を待っている時間はありません」
「……それは出来ません」
「京介さん」
「俺たちは刑事です。永さんだけを危険には晒せません。下がるのならば永さんもです」
京介と美緒は真っ直ぐな目で私を見る。
力強く、多くを語らず、硬い意志を感じさせる目だ。
ああそうだった。
この人たちはこんな目を出来る人間なのだった。
私が何と言っても聞かないだろう。何たってこの人たちは筋金入りの善人なのだから。
自分勝手で他人に疎まれても近づいていき、最後には救ってしまう。そんな人間だ。
だが、今回は流石に力不足が
いかに硬い意志を持っていても、どうにもならない運命というものは存在するのだ。
ああだが——……
「そうですか……では決して私の後ろから出ないでくださいね」
「……! ありがとうございます……!」
そんな運命が何だというのだろうか。
私は2人の持つ心を眩しく思える。もっとそれを見ていたい。
私のそんなエゴで2人を危険に晒すことになるだろう。
だったら私が守ればいいではないか。
この2人には傷1つつけさせない。何があろうともだ。
この場から逃げなかったことでこの2人は自らの意志を示したのだ。私にはない輝きを持ったただの人間にして、善性に従うことの出来る勇者であることを示したのだ。
そんな美しい心が報われないなんてことは悲劇だ。そしてそんな悲劇は私が否定する。
意志は十分。能力は私がカバーする。必要なものは揃っているのだ。
「京介さん。私のメガネを預けます。終わったら返してくださいね」
「はい、必ず」
階段を降り切った扉の前で、京介にメガネを渡す。
ここからは魔術を行使する戦闘が予想される。身体能力で対応する私が持っていては何かの拍子に壊してしまうかもしれないからだ。
このメガネはルシルお手製の特注品なのでスペアがないのだ。
まあ、今は関係のない話だろう。
扉に手を当て、力を加える。無駄に大きな扉は、僅かな抵抗もなく開いた。
さて、ご対面といこうか。
「あー、やっぱり来てくれた。あれ? あんたたちは教会の人間じゃないんだ。ふーん舐められてんのかな」
広い部屋だった。
柱が何十本と並び、照明の付いた灰色の天井を支えている。
音から推測するに200メートル四方の立方体のようだが、壁に切り込みがあるのか音の反響がただの壁とは異なっている。
いや、音に頼るまでもない。
目で見れば壁にも、天井にも、床にも、柱にも、幾何学模様がびっしりと刻まれているのが見てとれる。
確認するまでもない。魔術的要素を持った模様だろう。
「なに? 返事もないの。ますます舐められてんなー」
そんな異様な部屋の中心に、1人の青年が椅子に座っていた。
有名店で売られている細身のパンツにカッターシャツを着崩した姿は、こんな場所でなければ普通の青年に見えただろう。
ただ、いくつかの異様な点に目を向けなければだが。
全ての指にいくつもの指輪がはめられているし、耳には大きなピアスが付けられている。首には4つの異なる大きさのネックレスがかけられていて、頭には冠が見てとれる。
その他にも多くの装飾品がゴテゴテと付けられている姿は、人体が装飾品を飾るためのディスプレイにでもなったかのようだ。
「俺たちは警察だ。大人しく捕まれば手荒な真似はしない」
「警察? 警察かぁ。残念ながらお呼びじゃないんだよ。こっちが求めてんのは教会や魔術師なんかのこっち側のやつなの。あんたたちは表の事件を追ってればいいじゃん」
青年はジャラリと音を立てながら立ち上がると、指輪の1つを外し照明に透かし見る。
「あーでも、さっき邪魔をしてきたのも警察だった。てことは魔術師? 自分のための魔術使わないなら魔術使い? どっちでもいいや。あんたら倒せばいいし」
外した指輪を右手で握り、前に突き出す。少々分かりやす過ぎるが、明らかに魔術を使う前兆だ。
ここからは私の仕事になる。後ろの2人には自身のことを守ることに専念してもらおう。
「(京介さん。美緒さんをお願いします。それといざという時には……)」
「(……分かりました。無理はなさらないように)『我らは均衡を守護する者! 我らを守護せしものはミカエル! 其の翼を持って熾天の守りとしたまえ!』」
「ちょっ、小谷さん!?」
京介の魔術で2人が包まれるのを見届け、青年に向き直る。
「あれ、子供がいると思ったらきみが相手してくれんの? 後ろの刑事さんじゃないんだ」
「私が適任ですからね」
「もしかして魔術師だった? だったらそう言ってよ」
「いえ、魔術師ではありませし教会の人間でもありません。私はただの——怪物です」
「へー、じゃあ……どんなものかみてやるよ。『
詠唱と共に突き出していた右手から黒い霧が滲み出す。
それは青年を取り囲み、しばらく経つと20センチほどのいくつもの長方形に姿を変えた。
これは……何の魔術だろうか。
呪いなどの形のない魔術だったら最悪だ。私はあくまで身体能力で相手を圧倒することでしか戦えない。
奥の手の《レルム》は論外として。青年の魔術が物理的影響の大きなものでなければ、私の勝機は低くなるだろう。
「行け!」
青年の命令と共にブロックが飛んでくる。
それを避けるとブロックは真っ直ぐ飛んでいき、京介の張った防護壁に当たると炎を出して燃えていった。
「ちっ!」
青年はさらに装飾品から霧をを生み出すと、今度は京介の防護壁に当たらないようにこちらに打ち出してくた。
壁や柱に当たるとブロックは霧散して霧に戻る。
一度蹴り飛ばしてみたが、体調に変化はない。
(単純だ。スピードも遅い。この部屋を作るほどの魔術師なのに魔術がちゃち過ぎる)
違和感がある。
魔術的防護を怠っていたのもそうだし、使っている魔術も到底高等魔術を扱う魔術師とは思えない。
身につけている装飾品は魔術礼装なのだろうが、この部屋ほどの祭壇を築き上げているのならば、そんなものが必要だとは思えない。せいぜい10もあれば十分だろう。
それを踏まえて考えると、この青年が優れた魔術師であるとは考えにくい。
(とは言っても決断には早いか)
魔術師ならばどんな相手であっても、奥の手の1つや2つ持っていてものと考えるべきだ。
警戒は解くべきではない。
「ちっ、当たれよ! 『
青年の詠唱と共に装飾品から黒い霧が噴き出す。
どこかミラーの魔術に似たものを感じるが、規模も精密性も比ぶべくもない。明らかに下位互換だ。
照準も術者本人の認識に頼っているようだし、ミラーのような爆発的物量で圧倒するわけでもない。
私の思考速度ならば余裕で追いつける。
「柱を足場にするとか反則だろぉが! くそが!」
飛んできたブロックを避けつつ様子を見る。
青年の周囲20メートルほどは霧に囲まれているためか、ブロックとして飛んでくるのは50本程度だ。
さらには青年の元に戻るまでかなりのタイムラグがある。
霧をブロックに出来るのは青年を中心に半径60メートル程度のようだし、正直言って脅威になるようなものでもない。
それにこれは——……
「その礼装が尽きれば霧は出せなくなるようですね」
「それが何だよ……!」
青年の魔術は身に纏っている魔術礼装を消費して霧を出しているというのは当たっていたようだ。
となれば長期戦は向こうが不利になるだけだ。
「もう礼装がなくなります。これ以上は戦えないでしょう。今なら大人しく捕まれば罪が軽くなりますよ」
「ふっざけんな! こっちが魔術使うのは知られてんだぞ! もう自由なんてないんだよ!」
ああなるほど、それは自覚しているのか。
確かにその通りだ。表に魔術が認識されていない現代で、魔術を使うと知られた者が監視を受けないわけがない。
だがそれならば——……
「それならばなぜこんな事件を起こしたのですか」
そうだ。それを理解していながらなぜこのような事件を起こしたのか。
それが疑問として残る。
私の言葉を聞いた青年は顔を歪め手を頭に当てると、感情を落ち着かせるように俯かせる。
「なぜかって……? そんなの……そんなの……! あの人のために決まってんだろうが!!」
青年が叫ぶ。
悲痛な叫びを上げた青年が頭を上げたその顔の浮かんでいたのは怒りと——
「何もなかったのをあの人がくれた! くだらない世界をあの人が変えてくれた! ああ最初から自由なんてなかった! あの人にとっては気まぐれで拾っただけだろうよ! それで十分だ!」
青年は涙を浮かべながら両手を突き出す。
それに従い黒い霧の全てがブロックに変化した。
これは……私では避けきれないかもしれない。
いくらミラーの灰より量が少ないといっても、20メートルを占領するほどの霧を全て変わったのだ。
ブロックの数は数千にも上る。
飛ばされる密度や角度にもよるが、この数が放たれては対応が難しい。
「どうだ!? これなら避けられないだろうが!」
「確かに難しいです——……」
確かに私ではこれに対応することは難しいだろう。
だが、青年は忘れているのだろうか。ここにいるのは私だけでないという事実を。
「——私だけならばですがね。京介さん!」
「『北を守護せしものウリエル! 汝が象徴するは赤! 炎の恵みを示したまえ! 南を守護せしものミカエル! 汝が象徴するは火! 我らの敵に力を示したまえ!』」
「っ! 知ったことか! 死ね!」
京介が魔術防壁を構築すると同時に、青年は数千にも及ぶ黒い霧の変じたブロックが放たれる。
揺らめく赤色の防壁にブロックが当たると、ブロックが炎を出して燃え尽きるのが見えた。
ああ、やっぱりそうか。
あの黒い霧の正体は炭素の塊か。
京介の張った火の属性を持つミカエルの防護壁に当たったブロックが燃えたことから予想はできていた。
そもそも青年が使っている魔術は
現代物理学に基づいた限りなく科学に根ざした魔術である
やがて飛んでくるブロックはなくなり、炭素の燃える音が止んだ。
「京介さん。外は二酸化炭素で満たされているかもしれません。青年は私が連れてくるのでラファエルの結界を張って待っていてください」
「はい」
結界から出ると、倒れている青年の姿が見えた。
足早に近づくと、まだ意識のあるのだろう。立ち上がろうともがいているのが見てとれる。
「大人しくついてきてくれますか」
「……ふざけんな、そんなわけにいくかよ。……ゔぁー……あの人はこうなること知ってたのか……」
「今度こそは何が何でも連れて行きます。これ以上ここにいては二酸化炭素中毒で死んでしまいますよ」
青年の身につけていた礼装は色を失っていて、触れるとボロボロと崩れ落ちた。これでは魔術は使えないだろう。
私よりも背の高い青年なので背負っても足を引きずってしまうが、まあ、そこは仕方のないことだ。
「……こんなとこで捕まって……情けねぇ。あの人が連れ出して……くれたのに」
「喋らないでください。もう少しで結界に入ります」
あと10メートルほどで結界に入る。
結界にさえ入ってしまえばとりあえずは安全だ。
「……死にたくねぇ」
「死なせません。だから喋らないでください」
「……仕方ないんだよ……もう……ここまでだ」
青年の手が動く。
それは胸元に伸びていき——……
「死にたくねぇよ……クソッタレが……!」
「っ!? まさか!!」
——直後。膨大な閃光に全てが飲み込まれた。
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