第27話
「永さん。こっちの魔術陣はミカエルと天使の軍団の術式が用いられています」
「こちらは三叉槍とウロボロス……いえ、ヨルムンガンドです。あとこれは神を表すルーンと水を表すルーンが線の中に刻まれています」
「火の属性に水の属性。それも纏めてではなくバラバラに配置するとは……相変わらず型破りな術式ですね」
まだ日も高い時間に人気のない通りをうろうろとしながら、落書きのような何かを見て唸っている3人の人影があった。
それだけ見れば落書きを描きにきた暇人か自治会の人間、もしくは少し不審な動きをする通行人に見えないことはないが、問題は今この時だけは警察に職務質問されてもおかしくはない場所だということだ。
当然だ。なんせここではつい最近に猟奇殺人があったばかりなのだ。しかも、その犯人は未だ捕まっていないときた。
近所の住人も近づかなくなり、ここ1ヶ月ほど無人領域と化していた場所で、
「データベースで一致する魔術陣はいくつでしょうか」
「他の場所でも確認されているものでは……6つですね。形も完全に一致します。ですがどれも1、2箇所でしか確認されていません。例外は太陽十字を使ったものと三叉槍が使われているもの、あとはガブリエルの魔術陣が比較的多く使われています」
「魔術系統も西から東までバラバラです。俺の知識では読み取れないものもあるので永さんで確認をお願いします」
だが、そんな3人に声をかける人間はいない。
なんせここにいるうちの2人は国家権力に属する刑事なのだ。声をかけて邪魔をする者もここにはいない。
そうでなくともわざわざこんな所にくる人間はいないと思うが。
いや、実況見分をしにくる警察組織の人間はたまにきているのだが、今日だけはこの現場にくることを禁じられていた。
それもこれも全ては3人が存分に調査を行うためだ。
同時に、魔術というものを表の世界から隠すためでもある。
「京介さん。読みきれなかった魔術陣まで案内してください。美緒さんは他の場所で多く使われている3つの魔術陣の位置関係をまとめておいてください。後で確認します」
「「はい」」
もう察していると思うが、ここにいるのは私と京介、そして美緒の3人だ。
ルシルに面倒ごとを押し付けられた私は、こうやってせっせと2人に協力しているのだが。正直、心の中では置いてきたエマが心配でしょうがない。
ああ見えてルシルの面倒見が良いのは知っているが、それでも心配で仕方がないのだ。
帰った時にエマが不良になっていたらどうしようか。実物を見たことはないが、不良はファンキーなものだと聞いている。ファンキーとはどんなものか知らないが、何となく私の肌に合わないような気がする。
まあ、エマがどう変わろうが私がエマを捨てることはあり得ないが。
「永さん?」
「ああ、すいません。少しぼーっとしていました」
いけない。思考が飛んでいた。
今はこの魔術陣の解読に集中しなければ。
壁に描かれた小さな魔術陣に目を向ける。
「これです。Luftが空気を表しているのは周りの記号からわかりますが、この象形文字が俺では解読出来なかったです」
「空気を表しているのは正解です。ドイツ語ですから読めなくても仕方ありません。この象形文字は……女神を表すものですね。エジプトのものです。その周りが7重に囲まれているのは……流石に情報が足りませんか。美緒さん!」
「はい! 今行きます」
7つの線に囲まれた場所。これは何を表しているのだろうか。
7という数字自体は珍しいものでもない。
日本神話で天地開闢 の時に語られる神世七代。
ギリシア神話に登場する7人姉妹であるプレイアデス。
キリスト教の7つの大罪。
だがそれが何かを囲んでいるとなると話は変わる。
見たところギリシャ神話のオケアノスでもインド神話の世界を支える動物たちでもない。
だとすれば後はケルトだろうか。ケルトの影の国は7つの壁に囲まれているともいわれているし、その主人はスカサハという女主人だ。
だがそれにしては……今判断するには早いか。
美緒から端末を借りてファイルを開く。
「今確認されている魔術陣は幾つですか?」
「今年確認されたのは全部で61ですが私たちの追っている組織のものと思われるのは41です」
「多いですね」
流石にそれだけの数を参照するのはこの場では難しい。
一旦別の場所で腰を落ち着けてからじっくりと調べるべきだろうか。
だが、そうしている間に魔術的痕跡が消えてしまうと、犯人を捕まえるのが難しくなるだろう。
私に求められているのは、一刻も早く犯人を特定することだ。
犯人を捕まえたりその裏に潜む組織については警察、あるいは地下教会の管轄だから良いとして、私に任せられた仕事はきっちりとこなさなければ。
「とはいえ、この場で判断するには情報が足りませんね。この魔術陣は後で調べるとしましょうか」
「あ、あの」
端末を返すと、美緒は何かを言いたげに声をかけてきた。
「何かありましたか」
「はい、その魔術陣と似ているものを1つだけ見つけています。この三叉槍の使われている魔術陣なのですが……ほらこれです。形が似ていると思いませんか」
「確かに似ていますね。そしてこれは……ああ、そういうことですか」
美緒が端末に表示している魔術陣は、7つの線の中に神と水を表すルーンが刻まれていた。
なるほど、壁に刻まれていた魔術陣は小さかったので簡略化されているだけで、本来は線そのものが水の神を表しているのか。
だとすればこれは私の考えていたケルトの影の国ではないということだ。
そして特定の場所を7重に囲む水の女神といえば、私の知っている中では1柱しかいない。
「この魔術陣が表しているのはギリシャ神話の地下の冥界を七重に取り巻いて流れる大河、あるいはそれを神格化した存在であるステュクスでしょう」
「ステュクスですか。確かにそれならばピッタリと合いますね」
全く、これを作った魔術師の頭の中はどうなっているのだろうか。
魔術系統を組み合わせるのは魔術の基本であるといっても、ここまで
それを緻密な計算と概念の掛け合わせでバランスをとっていることには狂気すら感じる。
とはいえ、あらかたの魔術的痕跡は洗うことが出来た。もうここですることは残っていない。
「これで一通りの魔術陣は確認しましたね。帰ってから術式を確認しましょう」
「はい、ここの現場は神秘課の人間に管理させますので後はお任せください」
「やっと終わりましたね。もう13時を回ってます。どこかで昼食を買いましょう。お腹が空きました」
「城界お前、現場でそんなこと言ってるとやってけないぞ」
「小谷さんもお腹空いてますよね。卵サンドでいいですか?」
「お前……はあ、ああ頼んだ」
ああそうか、もうそんな時間か。
私は食べなくてもいいので意識していなかったが、京介たちはそうもいかないだろう。
これは悪いことをしてしまった。
「すいません、途中で休憩を挟むべきでした。お詫びに代金は私が出しますので好きなものをいってください」
「いえいえ! むしろ協力していただいているこちらが感謝をしなければいけないのに。そんなことさせたらこちらの面目が立ちません」
「……そこまで言われては仕方がありませんね。車に乗る前にコンビニに寄りましょうか」
お金は無駄に持っているので私としては奢っても何の問題もないのだが、向こうが遠慮するなら大人しく引き下がろう。
昔の私ならば強引に押し切っていただろうが、今の私はこうやって人の心を汲み取ることが出来る。今だに人の心を理解できない私がこう出来るのは、児童養護施設で暮らしていた時期の教育が大きい。根気よく話してくれた院長には感謝しかない。
院長がいなければ私は社会不適合者になっていただろう。
まあ、今も社会不適合者といえばそうなのだが。
「あ、永さんは何を食べたいですか? しっかり食べたいなら近くにお蕎麦屋さんがありましたよ」
「私は要りません。お2人で食べてください」
「そ、そうですか? しっかり食べないと体が持ちませんよ?」
「おい、城界!」
「京介さん。大丈夫です。美緒さんは担当になってまだ日が浅いですからね。言ってなかった私が悪いです」
そうだった。美緒は去年の12月に神秘課に移ったばかりだから、私の事について深くは知らないのだった。
特殊な部署だからこそ守秘義務が徹底されているのだ。新入りに対しても必要な事しか知らされていないのは仕方のない。
しかも、美緒がルシルの担当になったのは今年の2月からだ。今は4月中旬だから、実質2ヶ月ほどしか関わっていない事になる。
それは私について詳しく知らなくてもおかしくはない。
「せっかくですから警察署で教えましょう」
「はい、そうしてくれると城界のやつも失言が減ると思います」
「え、私何か失礼な事言ってしまいましたか?」
「いえ、私は気にしませんが……まあ、着いたら教えます」
コンビニに寄ってから車に乗り込み、近くの城東警察署まで走らせる。この現場に近い城東警察署の一室を借りているのだ。
借りている会議室に着くと扉を閉め鍵をかけ、さらに京介が結界をを張り声が外に漏れないようにして、やっと腰を落ち着ける。
魔術が関係する事件は基本的には表に知られてはならない。これだけ対策をしていてもまだ足りないくらいだ。
「それで、何を教えてくれるんですか?」
「おい、城界」
「大丈夫です。京介さんもお茶でも飲みながら聞いてください」
全く、京介も真面目だ。
確かに美緒の言葉は配慮の足りないものかもしれない。
だが、それは私について知らないからだ。知らないのに配慮を求めるのは流石に無茶が過ぎるだろう。
少なくとも、私はそれを求めることはしない。
そもそもそんなことで腹を立てることは、私には出来ない。
立たないのではなく出来ない。
まあ、そんなことはどうでもいい。関係のない話だ。
「まず、私は何歳に見えますか? ぱっと見の第一印象でです」
「え、うーん……10代半ばぐらいですかね? いやでも……」
「そんなに深く考えなくても構いませんよ。瞳や肌の色、白髪であることを考慮しなければ私の見た目は10代半ばのままです。美緒さんの答えは正しいですよ」
「やっぱりそれくらいですよね。……あれ? 見た目は?」
美緒は私が意図的に作った言葉の違和感に首を傾げる。
その違和感に気付けただけで上出来だ。話が早くて助かる。
「私は実は満20歳なんです」
「……はい? なんて言いました?」
美緒が聞いたことが間違いかを確かめるかのように聞き返してくる。
まあそうだろう。若々しく見える人が増えてきている現代においても、私ほど幼く見られる人はそういない。
「……20歳なんですか」
「そうです。さらにいえば、私は15歳から成長が止まっています」
「え、そ、それは魔術でですか」
「いえ、魔術は関係ありません。そもそも私は魔術を使えませんし前提として人間ではありません」
「それは……どういう意味ですか」
美緒の表情が固くなる。神秘課に所属し、魔術と関わってきた刑事としての顔だ。
神秘課。その正式名称はもっと長い。
警視庁神秘現象対策本部。
それが日本で起こる魔術関連の事件を管理するために、2016年から作られた表には存在しない組織の名称だ。
そこに所属する美緒もまた、魔術と関わる事件を追ってきた刑事なのだ。新米とはいえ私の言葉の重さが分からないということはないだろう。
「言葉通りの意味です。私は悪魔と呼ばれる人外であり、根本的に人とは呼べない存在なのです」
「……」
「人ならざるものであるが故に私は食事も排泄も必要ありません。さらには私には寿命がなく理論的には永遠に生きることが出来ます。これが私です。これはトップシークレットなので口外しないでくださいね。最悪、美緒さんが処分されることもあり得ますので」
さて、美緒はどんな反応をするだろうか。
怖がられるのだろうか。それとも変わらずに接するだろうか。
私にとってはどちらでもいい。
(ああ本当に、私は救いようがない)
何がどちらでもいいだ。諦めたわけでもないのに心が動かないなんて。
心があるのならば、相手からの反応が怖くなるのではないのだろうか。
変わらず接してくれることに安心するのではないのだろうか。
それを感じることも出来ないのか? 積み上げたものを崩すことが恐ろしくないのか?
……いや、こんな自問自答は必要ない。
今の私がそれらを感じることが出来ないのは、とっくの昔に分かっていたことではないか。
「そ、それは……」
少し俯いた美緒が声をこぼす。
この反応は何だろうか。恐れ……ではない。かといって感情が込められていないわけでもない。
「凄いです。……上手く言えなくてすいません。でも、凄いと思います」
顔を上げた美緒の表情が物語っているのは……感心、だろうか。
これは予想外の感情だ。
だが、美緒ははにかみながら笑っている。
嫌悪はない。
恐怖はない。
排斥がない。
崇拝がない。
畏怖がない。
無関心がない。
私の予想したどの反応にも当てはまらない。
ただ美緒は感心している。
「怖くはありませんか?」
「え、いえ、怖くはありません。だって永さんは永さんですから。……あ! でも人と違うことを突きつけるような発言には気を付けます! そういうの嫌ですよね」
「いえ……私は特に気にしません。食べるのも好きですからね。遠慮せず言ってください」
「はい!」
何だ。私の予想など当たらないではないか。
何を人の感情を理解できた気になっていたのだろうか。
「城界。永さんはこう言ってくれてるが発言には気を付けろよ。だから六田に嫌われるんだぞ」
「え、私、誠さんに嫌われてるんですか?」
「明らかに避けてるだろうが。お前よく警察になれたな」
「私これでも主席で通過してますよ」
「ああそうだった。こんな奴が主席なんて世も末だな」
「ちょっ! そこまで言いますか!? いくら小谷さんでも許しませんよ!」
2人とも楽しそうだ。
これが気心の知れた間柄ならではのものなのだろうか。羨ましい限りだ。
まあ、私は話していても感情が顔に出ないので、相手を困らせてしまうかもしれないが。
「そろそろ術式の確認を始めましょう。早く終わらせないと帰れませんよ」
「そうですね。シャワーもあびれない日が続くと辛いですから。ぱっぱと済ませましょう」
「じゃあまずは、魔術陣の配置から要素を特定しましょう。魔術系統を特定するのは難しいですから ——……」
言葉を途中で切り、京介が難しい顔をする。
そしてかけているスマートグラスのつるを触ると、誰かと会話を始めた。
会話が終わると、京介は険しい顔をしながら口を開く。
「ここから1キロほど離れた場所で魔術師が殺人未遂を起こして逃亡しました。俺と城界は現場に向かいますので、永さんはここで待っていてください」
「いえ、私も同行します。魔術師が逃げるのに全力を傾ければ見つけるのは至難の業ですが、私の眼ならば簡単に見つけられます」
「……ではお願いします。城界! 行くぞ!」
「はい!」
†††††
人のいなくなった会議室に足を踏み入れる者がいた。
かけられていたはずの鍵も小谷は張っていたはずの結界も無視して、その男は散歩でもするかのように歩を進める。
「へー、新米の割には日本の魔術使いも優秀だね。俺らの魔術陣をこうも簡単に暴くなんて。はは、いいねー」
楽しそうに笑う。
愉快そうに、
それだけで絵になるような整った顔を喜色の染めて、目を細め口角を歪ませる。
「ミラーも警察に捕まっているらしいしこれは要注意かなー? あはは、あのジジイが負けるなんてざまあないね。だからアルボス学派なんて必要ないんだよ。せっかくの金の種をあんな奴らに渡すからなくすんだ」
机に腰を乗せて足を組み長い髪を振り払うと、男は目を瞑って上を向く。
何も見えないはずのその瞳に一体何を写すのか、それは男にしか分からないだろう。
「さて、あの……名前なんだっけ? 忘れちゃったーあははー。とにかくこれで見つかればいいんだけどなー」
笑う、
あらゆる『えみ』を煮詰めたような奇妙な顔をしながら、男は自分の探すものを思い浮かべ口角を歪める。
「『我が示す、天蓋に写されし虚構の流れ、
歌われるは物理現象とは異なる法則に基づく言葉たち。
魔術世界において呪文と呼ばれる神秘の音。
「『滅びた神を捨て新たなる神を祀らん——コール』 あはは、さあ、せいぜい踊ってくれよー?」
笑っている。男は笑ってる。
まるでそれ以外を知らないとでもいいたげに、世界にある全てを嗤っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます